23.赤き軍神 その二


 白い鎧に身を包んだ歩兵が斜面を降りてくる。バティカロアは川岸から下流を眺めていた。


「ふふふ、逃げられちゃったよ。まさか転移者だったなんてね、人を箱に匿う能力があるとは予想できなかった」


 なぜか楽しそうにしている。バティカロアの近くまで来た兵士は尋ねる。


「このあとはどうなさいますか?」


 名残惜しそうに遠くを眺めていたバティカロアであったが、振り向くと丘の上にいる騎馬隊にもよく通る声で号令をかけた。


「全員僕らの陣まで戻ることにする。騎馬隊はそのまま丘の道を戻ってくれ。橋で落ち合おう。君らはよく降りてきたね。それでは川沿いを一緒に戻るとしようか」


 反省もあるが面白い攻防戦だった、とバティカロアは思い返す。




 最初の反省点は追跡の機動力を重視するあまり、弓矢を準備してこなかったことだ。弓矢があれば追いついた時点で勝負は決していたかもしれない。


 いや、弓矢があっても相手の作戦を考えれば変わらなかったか。


 どうやらこれまでの作戦はあの背の小さな黒髪の青年が考えたようだ。見破ったとはいえ、丘を進む分かれ道は、ひとつ間違えればこちらの時間を大きくロスしていただろう。

 短時間でよく考えたものだ。


 ようやく捉えたと思えば、しぶとく煙幕で足止めをしようとする。当然その程度の攪乱は、魔王軍の幹部だってよくやる手口だ。やつらは実際に煙や炎を吐くが同じようなものだった。とにかくすでにその手は知っている。ロシーヌがいれば困ることはない。


 でもそのあとは驚いた。


 まさか自軍の仲間を崖から突き落とすとは。


 突然思いついた作戦だったのだろうが、あれは僕には真似できない。知恵は回るが、ところどころ異常な行動をするタイプだった。


 だからこそ出し抜かれたのだ。


 完全に血迷った行動だと確信してしまっていた。丘の上から河原に降りた彼らにはもう手段など残されていないように見えた。歩兵による総攻撃をかけるつもりで、歩兵が僕らに追いつくのを待っていた。


 僕の最大の反省点は、彼らが次々と箱の中に消えていく現象を見て「何か予想外のことが起こっている」と判断するのにかなりの時間を要したことだ。


「転移者による何かの能力だ」


 あの箱に人を入れて運ぶことのできる能力。詳しくはわからないけどそれに近い能力だと気付いたときには箱は閉じられていた。


 あの箱を持ったまま逃げる気か?


 それはできないはずだ。陸上ならたとえ騎馬に乗っていなかったとしても僕らの方が速度は上だ。


 ならばどうする?


 もちろんひとつしか手段は残されていない。あの箱を浮き代わりにして川を下るだけだ。川の流れは速く、凹凸の多い河原の道を騎馬や徒歩で追いかけるには限界がある。普通なら溺れてしまうような川であっても、浮きがあれば泳ぐことができる。平地ならともかく、こんな悪路で追いつくのはさすがに難しい。


 ここで僕はようやく彼らの意図を把握した。


 槍を投げればまだ倒すチャンスはある。でも丘の上は僕の槍の射程距離の外だ。僕は急いで斜面を騎馬で駆け下りる。


 河原に到着するとすぐに槍を構えて振り被った。狙いは女性の方だ。女性が自分の手から箱を出したシーンを目撃した。あの箱の能力は女性の能力であることは明白だ。使用者が死ねば転移者の能力が解除されるのは有名な話だ。解除されれば浮きもなく、鎧を着ていて、負傷しているエイジフット兵たちは全員溺れ死ぬだろう。


 投擲する瞬間、男の方と目が合った。男は同時に荷物を放り投げていた。僕の投げた槍と荷物が空中でぶつかる。威力を失った槍は女性に届くこともなく手前に落下した。

 あの男は僕が投擲するのを予測していたのか。


「ふふふ、負けた」


 馬から降りた僕は口から出た自分の言葉に驚いた。


 別に負けたことがないわけじゃない。魔物との戦いでは負けることもあった。軍神だとか言われているけれど、そんな大層な人間じゃないことは僕自身がよく知っている。


 驚いた理由は、負けたはずなのに充実感があったからだ。あの男が知恵を出し尽くし、最終的に僕を上回った。それだけのことが僕に何かをもたらした。


 僕はなぜかわからないけど昔から、魔物だろうと人だろうと、ある程度の情報を集めれば何となく相手の考えていることがわかる力があった。今回もわかったつもりでエイジフット軍を追い詰めた。そしてもし彼が僕の考えた通りの人物だったなら、煙幕を破った時点で諦めるはずだった。


 ところが彼は味方を蹴り落としてまで逃げる道を選んだ。僕の予想を裏切った初めての相手だ。彼の二面性に俄然興味が湧いた。


 また戦う機会がほしい。

 また会うことがあれば、今度は僕が勝つ。


 目前で敵を取り逃がしたにもかかわらず、不思議な高揚感が残った。




「バティカロア様」


 橋の上で合流した兵士たちが握った右拳を左胸につける。ムシラ軍の敬礼である。


「悪かったね。あと一歩のところで取り逃がしてしまったよ」


 バティカロアは謝罪する。


 しかし、丘の上から一部始終を見ていたロシーヌたちに異論などない。

 彼らは予想すらできない不思議な箱に吸い込まれ、あの普通に泳ぐことすらできない急流を下っていったのだ。追いつけるはずがない。むしろバティカロアは崖のような斜面を下り、敵に槍を放つことまでやってのけたのだ。

 他の誰に同じ真似ができるだろうか。


「いえ、十分かと思われます。逃がしたとはいえ敵の別働隊は壊滅させましたし、さらに北にある橋は破壊済みです。あとはこの橋さえ押さえておけば、相手が奇策を用いることを防げます」


「そうだね。あとでこの場所にある程度の兵力を置いておくことをハートン将軍に進言しておこう。まずは僕らの陣まで帰るとしようか」


 まるで買い物から自宅に戻るような軽い口調でバティカロアが橋を渡り始める。それに続くロシーヌたち。

 彼女らの顔には「このまま戻っていいのか?」と書いてあるようだった。それを察したのか、橋の半ばまで渡った後に軍神は再び口を開いた。


「そうそう。ここに僕らが駐屯する必要はないよ。逃げられた以上こっちに僕がいることを知られてしまったからね。

 でも僕の名前のおかげでこの橋を取り戻すために攻撃を仕掛けてくることはない。エイジフット軍にとっては『赤き軍神』がいる橋だから。むしろ僕らの姿がない方が「伏兵がいる」って警戒して、より襲ってこなくなるよ。


 でもエイジフット軍としては『赤き軍神』がいる以上、こちらにある程度の防衛兵力を割かなければならなくなった。僕らが橋を取ったから、今度は本陣まで攻めてくるかもしれないと警戒してね。


 というわけでその分本陣は手薄になるから、平地での正面決戦になったら余程のことがない限りムシラは負けなくなったはずだよ」


「そして正面からエイジフット軍を破れば、この一帯をムシラ領にすることができるということですね」


「そうだね。この戦場の周辺は穀倉地帯らしくてね。ムシラの慢性的な食料不足を解決するほど多くの食料が収穫できるって聞いている」


 ロシーヌは顔を綻ばせる。


「食料が確保できれば、再開できますね」


「できるね、今度こそ魔王討伐だ」


 バティカロアも頷く。


 バティカロアの軍は戦いたくて東の戦場に来たわけではない。元々西側における対魔物戦線での戦闘が専門であり、人間との戦いは山賊や海賊など、数える程度である。それを国王からの命令を受けてわざわざ東側までやってきたのだ。


 エイジフット軍と戦うことになったのは、単純に食糧問題であった。


 ムシラ領は山が多い。鉄や銅などの鉱物資源は他国と比べて豊富だが、穀物や畜産を行える土地は領土に比べてそれほど多くはなかった。そのため工業に比べて農業、とりわけ食料は他国からの輸入に頼る状況であった。


 ただ、戦争となるとそうもいかない。商人たちが密かにエイジフットとムシラの間で取引を続けているが、それは絹や綿などの話。食糧の輸入には規制が入り、輸入禁止にはなっていないものの、非常に高値で買わなければならなかった。


 技術力はあるのに食糧難。


 それがムシラ王国の置かれている状況だった。国家的に食料が不足すると、戦場にまで食料を届ける余裕がなくなる。東でエイジフット王国と戦い、西で魔王軍と戦っているムシラ王国は危機に立たされた。


 どちらかに送る食料を大幅に減らさなければならない。


 カットされたのはバティカロアのいる西側だった。もちろん食料なしで戦えるはずもないため、バティカロアたちは東のエイジフット王国との戦線に加わるよう命令されたのである。


 国の状況を考えれば当然であった。


 魔王の所領を奪ったとしても、魔物が作物を育てているわけではない。土地を開墾し、作物が育つようになるまで何年もかかるのだ。


 対するエイジフット領の南部は大型の穀倉地帯。ここさえ奪えばムシラ王国の食糧事情は大幅に改善する。高い技術力も相まって、エイジフット王国が運営してきた以上の収穫も期待できるだろう。


 こうした背景もあって、西側の対魔物戦線は少数の兵を残して停止となり、バティカロア率いる西側のほとんどの兵力は対エイジフットに協力することになったのだった。


 ただ、バティカロア自身を含め、対魔物の軍は人間と戦うことを好まない兵士がほとんどだ。同時に東側の戦争で勝たないと、食糧事情が改善しないことも理解していた。故に短期決戦でエイジフット軍を破るための戦略を立てて東の戦場に到着していたのだった。


 エイジフット戦線に向かうに当たってバティカロアが行ったことは三つ。


 ひとつ。とにかく速く移動すること。本来なら三ヶ月かかる移動を一ヶ月半で成し遂げた。

 ふたつ。自軍の移動をエイジフット王国に知られないこと。バティカロアが東の戦線に移ることを知るのは、国家の中枢と東側を統括するハートン将軍他数名のみだった。

 みっつ。可能な限り戦場の情報を得ること。バティカロアは自軍より先に間者を放ち、両軍問わずできる限りの情報を集めさせた。


 これらの策が実を結び、エイジフット王国とムシラ王国の戦争は今後大きく動くことになる。



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TIPS

 ムシラ王国が対魔物の軍をエイジフットに向けたのはこれが初めてではありません。両国は十年前から小競り合いを続けています。一年前に魔王ゴンダルが倒され、魔王の脅威が減少して以降、二国間の争いは徐々に大きくなってきています。ムシラ王国が魔物へ向けていた軍の一部をエイジフット王国に向けたためです。そのころから両軍の緊張が高まってきています。

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