22.源義経か何かかよ!
スキー場では二十五度以上の傾斜があったら上級者向け、と言われている。
日本でもっとも傾斜が急なのが北海道の夕張市だかのスキー場で、記憶が正しければ四十五度くらいのはずだ。俺は数えるほどしかスキー場に行ったことがないが、二十度の斜面でも相当怖かったことを覚えている。四十五度ってありえないだろ。当時はそんなことを思っていた。
この斜面は六十度以上あるだろう。上から見たらほぼ垂直に見えた。俺は恐怖を押し殺し、両足でわずかばかりのブレーキをかけながら滑り降りていく。着地の衝撃はかなり痛かった。身体強化がなかったら骨折していたかもしれない。ともかく河原まで無事に滑り降りることができた。
「全員無事ですか?」
周囲を見渡して確認する。さっきキレまくったり蹴り飛ばしたりしたから返事は期待していない。自分で人数を数えた。ガンボラさんの目は見ないようにして。
俺を含めて三十六名、全員いる。どうやら着地をミスして肩を骨折した者がひとり、足を骨折した者がひとりいるようだが、命に関わる怪我をした人はいないようだ。
とりあえずよかった。
次に上を見上げる。上にはムシラ軍の騎馬兵がいるが、降りてくる気配はない。さすがにあの斜面を騎馬では降りられないだろう。あの様子だと恐らく後ろから歩兵も付いてきているはずだ。歩兵に俺たちを追わせる算段でも立てているはずだ。
騎馬を逆手に取る。それがまず俺が思いついたことだ。騎馬で追えないルートへ進めばいい。
そして次は策を見破られること。
悔しいけどバティカロアはヤバい。本物だ。大陸最強の将軍、赤き軍神の名は伊達ではない。いくら知恵比べしても勝てないだろう。俺の策は必ず見破られる。
ならばどうするか?
策じゃなければいい。絶対に予想できなければいい。
そこで魔法だ。俺も戦場で魔法を使うことなど考えもしなかった。ココナみたいな転移者でもない限り、戦場で魔法を使う余地はあまりないと思い込んでいた。特に転移者が持つ女神の加護はこの世界の人間には予測不可能。
バティカロアは魔法も有効利用する。それで気付いた。こっちも魔法を利用すればいい。
「ヒカリ、マジックバッグを出してくれ」
「はいはーい」
ヒカリが両手を出すと、手の上に巨大なスーツケースが現れる。地面に置いて開く。
「オッケーだよ。何を取り出せばいいの?」
「取り出す必要はない。みんな、この中に入ってください。
いや、そう言っても信じてくれないか。時間がないのでとりあえず俺が入ります。ヒカリ、俺が入ったら一旦バッグを閉じてまたすぐ開いてくれるか?」
時間がない。本来ならすぐ全員バッグの中に入ってほしいが、また躊躇うだろう。まずは俺が手本を見せるしかないという判断。遠回りのようだがこれが最速だ。
俺はバッグに入りしゃがむ。兵士たちが俺を覗き込む。
「おお! 小さくなっていくぞ」
「すごい、これが女神の加護か」
兵士の何人かが仰天している。俺自身は身体が小さくなっていく感覚はなく、バッグ自体が巨大化しているように感じられた。そのままヒカリによって閉じられ、暗闇に包まれる。呼吸もできるし身体を動かすことも寝転がることも可能だ。声を出してみる。ちゃんと自分の声が耳に入った。会話もできるということだ。
不都合はない。
バッグから俺が出る。異常がないことを確認するとみんな安心したようだった。
「という感じです。身体が小さくなっている感覚もありません。中では呼吸もできます。
それで、この中に入って川を下ります。流れは急ですので普通に泳ぐのは危険ですが、バッグの中なら安全です。バッグは水に浮くし、密閉されていますから」
なるほど、という空気が流れる。よかった。
「バッグだけを川に流すっつうのか。それは危険じゃねえか。どっかに引っかかるかもしれねえ」
質問が投げられる。ガンボラさんだ。だがありがたいことに彼から怒りは感じない。俺は少し落ち着いて質問に答えた。
「もちろんそれも考えてあります。俺とヒカリは負傷していないので、バッグの中には入りません。俺たちはバッグを浮きにして流れに引っかからないようコントロールします。そもそもヒカリの魔法ですので、ヒカリ自身が中に入れるかわかりませんし、入れたとしてもバッグの開け閉めができるのはヒカリだけですから」
「わかった。じゃあ急ぐぜ。お前らも続け」
ガンボラさんは素直だった。足の折れた兵士を担ぐと、一緒にバッグに入っていく。二人が見る見るうちに縮んでいった。
他の兵士たちも同様だ。今回は誰ひとりとして文句を言わずに淡々とバッグに入っていく。
誰も俺を睨んでこなかったことにもほっとした。
それともあとで報復が待っているのだろうか。
全員がバッグに入ったのを見届けると、ヒカリがバッグを閉じる。持ち上げてみても普段と変わらない重さのようだ。
ヒカリがバッグを抱えたまま川に入っていった。バッグは問題なく浮いている。
スムーズに事が運んだ。
気付きはバティカロアから得られた。
バティカロアが足の速さを重視して騎馬で追いかけてきたから、騎馬で追えないような道、崖を降りるという選択肢に辿り着いた。
バティカロアがすべての策を看過するから、やつが知りようのない手を模索するというアイデアを出せた。
バティカロアが、正確にはピンク髪の兵士だが、戦場で魔法を使うという姿を見せたから、マジックバッグをヒカリに利用してもらうという道を思いついた。
これらの意味ではあの赤き軍神に多少の感謝はできる。
まあ実際に追い詰められる感覚を味わった俺からすれば、もう二度と会いたくないし、感謝より怒りや恐怖の気持ちが強いが。
どんな顔でやつらは見ているかな。俺は何気なく丘の方を確認する。
何で?
その瞬間、信じられないものを目撃した。
赤い頭巾を着けた騎兵が、馬に乗ったまま崖のような斜面を下ってきたのだ。
バティカロア!
ありえない。あんな斜面を下ったら馬の脚が持たないとは思うのだが、現実に起きていることなのだから疑いようもない。
バティカロアは源義経か何かかよ!
義経も急な斜面を下って奇襲したという話が残っていたが、同じ事をするとは。
戦いの天才は凄い。
何より怖い。
俺は慌てて川に飛び込み、ヒカリのバッグを掴む。
「ヒカリ、行こう!」
「了解! しっかしあそこを馬で降りるとかこわっ!」
「ホントだよな」
知恵だけじゃない。赤頭巾のやつは並外れた度胸と決断力も持っている。俺たちがバッグに入っていくのを見て何をするのか察し、急いで追いかけてきた。間一髪逃げられたが、危なか……。
そうじゃないぞ俺!
そんなはずはないだろ!
あの化物が追いつけないのにわざわざ崖を下ってくるはずはない!
確信した俺はスーツケースの上に跨り、背負っていたリュックを下ろして振り被り、赤頭巾の方を見る。
やつの腕も俺と同じ形だった。振り被った動作だ。直後、こちらに向かって何かを投げてきた。
槍だ。俺もリュックを投げつける。身体強化のおかげでコントロールは悪くない。
空中で槍がリュックを貫くが、勢いを失って俺たちに届くことなく手前に着水した。ほんの少しでも遅れていたら俺かヒカリ、あるいはマジックバッグが貫かれていただろう。
「うおー、びっくりしたあ!」
びっくりしてなさそうな魅力的な笑顔でヒカリが水中に沈んでいく槍を見ていた。この子心臓強すぎじゃないか?
本当にびっくりしていたのはバティカロアだろう。遠目にも赤頭巾の驚愕した目が見えた。やっと一度だけは出し抜けたか。馬を降りているところだ。
その姿は徐々に小さくなり、やがて見えなくなった。川の流れが早いおかげでコントロールは難しいものの、あの化物に追われることはない。
なぜなら距離的にはもう少し下ればエイジフット軍の本陣が見えてくるはずだからだ。
危険を冒してまで追撃はしてこない。ガンボラさんの話によるとバティカロア率いるムシラ軍は多くても五百。俺たちを追撃してきた兵であればもっと少ないのは確実。
対するエイジフット軍の本隊は確かムシラ戦線に二万近い兵力を動員しているはずだった。今回は逃げ切ったといって差し支えないだろう。
泳ぎながらふうっと大きく息を吐く。流れは速いが、バッグを掴んでいるので危険は少ない。
たった数十分だったが、生きた心地のしない時間だった。
負けた。
最後はたまたま上手くいっただけだ。
彼らを撒くことは全くできず、最後の最後で相手が考えつくはずもないマジックバッグを利用することを思いついて、どうにか逃げられた。
と思ったら、それすらも凌駕して源義経ばりの行動で追いかけてきた。あのときもしもリュックを投げていなければ、放たれた槍によって死んでいたかもしれないと考えると、赤き軍神の凄まじさを再認識させられる。
楽しそうに泳いでいるヒカリに目をやる。彼女がいなければ、彼女の能力がなければ今回の逃亡は失敗していた。一番に感謝しなければならないのは赤頭巾なんかじゃなく彼女だ。
ウェーブのかかった金髪に人に好かれそうな顔。
笑顔を絶やさぬ表情。
アイドルのようなメリハリのある肢体。
どんな状況も楽しむメンタル。
人を尊敬できる謙虚さ。
心の壁を取っ払うコミュニケーション能力。
優しく、気配りができ、好奇心旺盛。
ああ、間違いない。
俺は、ヒカリを好きになっている。
ココナは俺が目的を最優先するタイプと言っていたし、俺自身もそのつもりでいた。今だって元の世界に帰ることが最大の目標だ。そのことに変わりはない。こんな地獄のような状況を切り抜けて安心したせいで、自分の想いに気付いてしまっただけだ。
今のところ告白したり、何か特別な関係になったりすることは考えていない。ただ、人を好きになるって心が暴発することも理解しているつもりだ。
だからこのままの関係でいたいと思う。とはいえ「一緒にこの世界で暮らそう」と言われたらどう答えるのか自分でもわからない。
言われることなんてないだろうが。
ヒカリ本人が恐らく俺のことただの旅の仲間としか思ってないだろうしな。
気持ちを切り替えて今後のことを考える。
もう少し下流まで進んだら陸に上がってガンボラさんたちを外に出す。そしてエイジフット軍の本陣へ向かう。ガンボラさんたちにどんな報復をされるか不安だが、逃げ切ることができた以上殺されることはないと信じている。
可能ならば、国境を越える手伝いをお願いしたいが、戦争中の彼らにその余裕があるかどうかはわからない。
まずは関わった人が全員無事だったことだけを喜ぶとしよう。
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TIPS
伊勢渕ハクヤは歴史好きです。オタクやマニアというほど詳しくはありませんが、日本にいたころは偉人をネットで調べたり、歴史の解説動画を視聴したり、コー〇ーテ〇モゲームスのシミュレーションゲームをプレイしたりしていました。ハクヤの趣味のひとつと言えるでしょう。
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