21.逃げ切ることだけのために一年間すべてを費やしてきたじゃないか
「山頂付近に騎馬兵を発見! あっ、赤い頭巾も見える、バティカロアです! 正確な数は不明ですが、数十騎はいそうです」
最後尾で後方を見張っていた兵士が報告に来た。逃げている兵士たちの顔色が変わる。
俺にとって最悪の報告だった。
もう追いつかれてしまったということだ。
いくら騎馬で追ってきたとしても早すぎる。分かれ道ごとに罠を仕掛けたり、決断に時間がかかるようにしたり、できる範囲で工夫したつもりだ。
バティカロアが優秀な将軍だということも理解しているつもりだった。それでもどれかひとつは違う道を選んで大幅な時間稼ぎができると思っていた。地面が崩れる罠に引っかかってくれれば、追撃を断念させられるとまで考えていた。
最も悪いシナリオだって想定していた。すべての選択肢を正解する確率だってあるかもしれないと思っていたんだ。ただ、分かれ道に遭遇したら一旦立ち止まり、どちらが正しいか調査したり、推理したりするための時間を必要とするはずだった。
しかし現実は違う。
この早さは分かれ道の選択を一度も間違えなかっただけではない。斥候を道の先に放って調べるでもなく、分かれ道の手前で立ち止まって考え込むわけでもない。
ほぼ即断即決。
一瞬の判断で選ばなければ成し得ない速度だ。
当然やつらもこちらの姿を捉えただろう。あとは俺たちに追いつくだけとばかりに馬を駆るに違いない。
「皆、速度を上げてください! ムシラに見つかりました!」
俺は兵士たちに叫ぶ。だが、一度休憩したとはいえ、彼らは負傷している。さらに休憩後はノンストップで動き続けてもいるためか、走る速度そのものが落ちてきている。魔気も尽きかけているらしく、身体強化ですらあとどれくらい持つのかわからないような状況だ。
策はもうない。
どうする? このままではじきに追いつかれてしまう。
「ハクヤあ、ヒカリい、よく聞けえ!」
走りながらガンボラさんが俺たちに声をかけてくる。
「こうなっちまったらしょうがねえ。俺たちがここであいつらを食い止めてやる。その間にお前らは本陣に行ってこのことを伝えろや!」
思いもよらぬガンボラさんの発言。
「いや、これは俺の作戦ミスです。そんなことさせるわけには……」
「うるせえ! 海に沈めるぞ!」
「ひいっ、ごめんなさい!」
こんなときまでヤ〇ザかよ。
「元々お前らに賭けたのは俺だ。
これは賭けに負けたってだけのよくある話だ。
もしもあのままハクヤたちにも会わずに俺たちだけで逃げていたら、もっと早く追いつかれて全滅してたのは間違いねえ。そういう意味では俺たちはラッキーだった。
なぜかって? それは俺らがいなくてもお前らが本陣に報告してくれるからだ。
わかるな。お前らだけで逃げろや。ここは俺たちに任せとけえ!」
振り返ってガンボラさんを見る。髪も眉もなく眼つきも悪いはずの顔なのに、穏やかな表情をしていた。覚悟を決めた男の顔だ。何かを思い出しそうになったが、ガンボラさんが遮った。
「ハクヤはともかく、ヒカリみたいな別嬪さんを巻き込んで申し訳ねえと思ってる。そもそもエイジフット兵じゃねえお前らには無関係だからなあ」
ちょいちょい俺を貶めるのは何なん? そんな軽口叩けるならまだ逃げる余裕あるだろ。一瞬思ったが、これはガンボラさんなりの配慮だろう。俺たちに別れを悲しませないために敢えて言っていることなんだと考え直した。
俺に責任を感じさせないためと言ってもいいかもしれない。
「幸い道幅はそんなに広くねえ。騎馬だろうが軍神だろうが狭い道で相手にできる人数は決まってる。お前らを逃がす時間くらいは稼いでやるから安心しな」
「待ってよガンボラさん。大丈夫、ここから逃げ切る一手を考えるから、ハクヤが」
「おいコラ! いや、そうです。まだ何か手があるかもしれませんから」
ヒカリも緊張感ないよな、と思いつつ同意しながら考えを巡らす。思考を遮るかのように遠くから騎馬の駆ける音が聞こえ始めた。
「うるせえ! 俺たちに死に場所ぐらい選ばせろや!」
ガンボラさんが一喝してくる。
反射的に驚くがすぐに切り替える。ダメだ、考えることを諦めるな。まだきっと手があるはずだ。地球では考えることを放棄したからあんなにつまらない人生になったんじゃないか。
「ダメです、まだ諦めません! ヒカリ! 煙幕!」
ヒカリにもリュックを持たせている。マジックバッグもあるが、巨大なスーツケースを出して、開いて、目当てのものを取り出すということになると手間がかかるため、緊急用に俺とヒカリですぐに出せる道具をいくつか携帯していた。
「はい、これで全部だよ」
ヒカリから煙幕を受け取り、兵士たちを先に行かせる。最後方に移動した俺は道がカーブに差し掛かったところでありったけの煙幕を後方に叩きつけた。カーブの手前から大量の煙が上がる。
可能性は低いが右手は急な斜面だ。煙によってカーブの見通しが悪くなっていれば、もしかしたら敵が足を踏み外すかもしれない。歩兵が身体強化を使ってうまく斜面を滑り降りるならともかく、馬に乗っていたら無事では済まないだろう。煙が晴れるまではストップせざるを得ない。まだ敵との距離が離れているが、煙はもうしばらく残る。少なくとも多少の足止めにはなるはずだ。最高形は煙を無視して突っ込み、カーブに気付くのが遅れて落下することだけど。
そんな俺の期待はあっさり崩された。
突然の強風によって煙幕が吹き飛ばされたのだ。
ムシラ軍の騎兵のひとり、ピンク髪の女性が先頭で手を前にかざしたまま馬を走らせている。その背後には赤い頭巾、バティカロアの姿もあった。
風の魔法か!
エル・ファテハの人はほぼ全員様々な魔法を使える。日常生活においては薪に火をくべたり、明かりを灯したり、土を耕す補助にしたり、小さな怪我を治療したり、風を起こしてゴミを吹き飛ばしたりなど、便利なものだ。
ただ、便利なのは日常生活がメインである。
戦場にあってはあまり役に立たない。その程度の威力しか発揮できない魔法では、敵に損害を与えられないからだ。したがってエル・ファテハ人は溜めた魔気を身体強化に利用するようになる。体力も筋力も倍増し、強く、長時間戦える身体強化は、魔気の消費量も少なくこの世界の戦闘にとってなくてはならないものになっている。
その身体強化は元の体力や筋力を倍加する。となれば、元の筋力や体力の高い男性がその恩恵を大きく受けることになる。男性が戦争に多く参加することになるのは必然だ。
にも関わらず、戦争には一定数の女性兵士もいる。個人差もあるから一括りにすることはできないものの、女性兵士における大半の目的は「魔法」だ。
これまた個人差はあるが、一般的にエル・ファテハ人の女性は男性と比べて約三倍の魔気を蓄積することができる。すなわち女性は男性より三倍強い魔法を使えるということだ。そのため、単純な戦闘では男性に及ばなかったとしても、医療班に加わったり、火を放つ作戦などに参加したりなど、魔法を使う状況で重宝される。
風の魔法を放ったピンク髪のムシラ兵士は魔法要員なのかもしれない。
今回のためにバティカロアが連れてきたのか、元々補佐官として従っているのかわからないが、白い鎧の形状を見ると、身分が高そうに思える。少なくともバティカロアと何度も戦場を共にしてきた雰囲気は感じられた。
俺は自分の細工が目の前で文字通り霧散した様子を見てショックだった。小細工にすらなっていない。
時間的に考えてこれまでの策もあっさり見破られたのは間違いないが、こうして相手に何の影響もないシーンを目の当たりにすると、自分が如何に思い上がっていたのかがわかる。逃げることに多少なりとも自信を持っていたことが恥ずかしい。
自分でもわかる。
俺自身の心が折れ始めているということが。
このままでは逃げられないということが。
申し訳ないけどガンボラさんたちが盾になってくれるって言ってるんだからその言葉に甘えようか。この戦闘には巻き込まれただけだし、俺に責任はないだろ。大体知り合って数十分の人たちを命がけで逃がすってがんばりすぎだよな。
まだ粘ろうとしている俺もいる。
いや、ダメだ。戦うことを諦めて、逃げることだけ考えてここまできた。逃げることまで諦めてどうするんだ俺。最後まで考え続けろ。
走りながら背後で騎馬の足音がはっきり聞こえるようになってきた。
絶望の足音だ。
やれることはやったんだから仕方ない。結果、どんな策も通じなかったってだけだ。ガンボラさんたちは救えなかったけど、俺とヒカリだけならきっと逃げ切れる。この失敗を今後の教訓にすればいいじゃないか。
違う、その考えは間違っている。
そうやって諦めるな。逃げるために、逃げ切ることだけのために一年間すべてを費やしてきたじゃないか。セナと約束したじゃないか。
え? 今何を思った?
セナと約束?
どんな約束をしたっけ?
咄嗟に出た自分の思いが自分で理解できない。俺は何かをセナと約束したのか? セナがいないことに何か関係があるのか?
わからない。思い出せない。
わからないが、何かひとつのきっかけになったことは確かなようだ。不思議なことに自分の中から強い意志が湧いてくるのを感じる。
騎馬の足音が大きくなってきた。
そうだ! 人間相手にすら逃げ切れなくて、魔王から逃げ切れるわけないだろうが! 策が見破られても、魔法を使われても、騎馬で追われても諦めるわけにはいかない。
ちょっと待て。策が見破られる、魔法、騎馬……。
見破る、魔法、騎馬……!
あった。
あったじゃないか! 最後の手段が!
危険は伴うし試したこともないが、このまま走って逃げるよりは遥かに高い確率で逃げ切れる。何よりすぐ背後まで敵が迫った状態でできることはこれしかない。
「みんな、今すぐ崖から降りてください! 逃げ切れます!」
俺が最後尾から叫ぶ。
皆が振り返る。しかし突拍子もない言葉に誰も崖から降りようとしない。
「説明は後です! 早く! 早く降りてください!」
「こんな急斜面から降りれるわけないだろう」
兵士のひとりが抵抗する。
俺は背後を見る。音だけではない、ついに騎馬兵の姿が見えた。もう時間はない。早く降りろ、大丈夫だ、みんな逃げられるから!
「降りたとしても歩兵に追跡される」
「狭い道の方が敵と戦いやすいんだ。わざわざ広い河原に行く必要はない」
「川に入ろうってんなら無駄だ。流れが急で、負傷した我々は溺れ死ぬしかない」
兵士たちが口々に文句を言う。説明してる暇はないんだ。早くしろ。
「ハクヤあ、貴様は俺たちから死に場所すら決めさせてやらん、そう言っとるのかあ!?」
ガンボラが何かを喚いている。いい加減にしろ! それどころじゃねえんだよ!
「クソハゲなんぞに死に場所を決める権利はねえんだよおおお!! いいから黙ってさっさと降りろやあああ!」
叫びながら俺はハゲを崖下に蹴り飛ばした。不意をつかれたガンボラは崖をすごいスピードで落ちていった。
「オラア! ハゲ副長は先陣切って行ったぜえ! てめえらもさっさと副長に付いて行けやボケどもがあああ!!」
続けてふたり、三人、四人と崖下へ蹴りを加える。滑り落ちていくエイジフット兵たち。
「身体強化してんだろうがよ! 落ちても骨折くらいで済むだろうが! ビビってねえで早く落ちろやこの負け犬があああ!」
「わかったわかった。行くから蹴るな!」
ひとりが自ら崖の斜面を滑り降りると、残りの兵士たちも次々に倣って降りて行く。そうやって最初から降りとけよボケ。
顔を上げると残っているのはヒカリだけだった。酷い顔を俺に向けている。だがそれは俺を恐れている顔じゃない。完全に憐れみを含んだ顔だ。
「あーあ。ガンボラさん蹴っちゃった。ふふふ、この後どうなるのかなー。じゃ、私も先に行くねー」
捨て台詞と共に斜面を降りるヒカリ。あいつは俺がキレてても全く驚かないし引かない。相棒としてはありがたいことではある。図太いだけもしれないが。
それよりも、だ。
またキレてしまった。危機が迫るとどうして俺はテンパってしまうのだろう。テンパるだけならまだしも同時にキレ散らかすとか最悪だ。
何よりガンボラさんを蹴ってしまったことを思い出し、血の気が引く。本当に殺されるかも。
俺は迫りくるムシラ軍を睨む。ピンク髪の兵士に赤い頭巾に赤い羽をつけた軍神の姿がはっきりと確認できた。ガンボラさんに殺されたらお前たちのせいだからな。
中指を突き立てると、俺も急斜面に向かって飛び込んだ。
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TIPS
バティカロアが率いる医療班は奇襲が行われた地点より、さらにムシラ王国に近い場所で陣を張り待機しています。ムシラの負傷兵たちは軍をまとめたのち、バティカロアの陣に戻る予定です。
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