20.赤き軍神
「バティカロア様、全員片付きました。それにしても案外粘りましたね、エイジフットのやつら。こちらもそれなりの損害が出てしまいました」
ムシラ軍特有の白い鎧に身を包んだ背の高い女性が報告する。ピンク色の長い髪を頭の後ろでひとつに縛っている。きつい目をしているが美人と言える顔立ちだ。年齢は二十代半ばだろうが、
「報告ありがとうロシーヌ。でも今回の相手は魔物じゃないんだ。同じ人間だよ。そんなことを言うものじゃない」
赤い頭巾で顔を覆い、目だけを出している細身の男、バティカロアが答える。穏やかな口調でありながらよく通る声は自然と説得力が増す。ロシーヌは頭を下げた。
「申し訳ございません。配慮が足りませんでした」
「いいんだ。今後は敬意を忘れないでくれれば。エイジフット軍を百六十くらい討ち取ったようだが、こちらの損害は?」
「はい。騎兵が八名、歩兵が二十五名犠牲となりました。重傷者四十九名、負傷者は百名ほどです」
「奇襲を受けて尚僕らの軍とそこまで戦ったのか。敵ながら立派だね」
「仰る通りです」
「しかもあの乱戦の中、三十名も撤退に成功したんだ。大したものだよ。魔物と戦ったこともほとんどないと言われるエイジフット軍だが、油断はできないね」
「肝に銘じます。して、追跡はいかがなさいますか?」
ロシーヌはバティカロアの参謀である。といっても軍の作戦などを立案したことはあまりない。一部隊を指揮することはあっても、自らが戦略や戦術を用いたのは数えるほどだ。作戦はほぼすべてバティカロアが立てるものだからだ。彼女の役割は武器や食料の補給など、主に兵站を担当することである。
「無傷の騎兵五十、歩兵百で追跡する。僕とロシーヌが追跡部隊を指揮しよう。他の者はここで負傷した者の手当や戦後の処理に当たってくれ。エイジフット軍の残兵は本陣に帰還するはずだから、深追いはできない。なるべく手前で殲滅するつもりだけど、追いつけても追いつけなくても日没までには戻ることにする」
「かしこまりました」
ロシーヌがそれぞれの担当者に命令を振り分けていく。あっという間に追う者と残る者に分けられた。
「では出発しよう。彼らは強い。油断しないようにね」
バティカロアの号令と共に騎兵が、続いて歩兵が出発する。一糸乱れぬ動きだ。バティカロアとロシーヌを含む騎兵は歩兵より差をつけて先行していく。
追撃は速さが重要である。移動のときは歩兵に速度を合わせるが、速さが問われる事態では、騎兵が先行することを定められていた。
先行した騎兵は橋を渡り、森に入った。少し進むと森の中には二つの分かれ道が見える。分かれ道の手前ではエイジフット兵たちが休憩した跡が残されていた。
バティカロアは二本の道を見比べる。川沿いの道は橋から眺めたが遠くまで見渡せるため撤退には適さない。森の中のどちらかの道を選んだはずだ。
この辺りの地理にはさほど詳しくないため、その場その場で判断しなければならない。
片方の道の奥では狼煙が上がっている。
「騎兵十騎は狼煙の道を進んでくれ。狼煙を消すのを忘れないように。一キロほど進んでも足跡がなければ引き返して僕たちと合流だ。もし足跡があれば信号弾で合図を頼む。ないと思うけどね。
じゃ、他の皆はこっちの道を進むよ」
バティカロアは狼煙のない道を進んだ。後ろをロシーヌたち残りの騎兵が追う。森の中の道は地面にしっかりと足跡が残る。雨でも降らない限り、足跡を追跡すればよい。常識であった。
「ロシーヌ、どう思う?」
「何か違和感ありますね。別の道で狼煙を上げるというのは。小細工をしているというか」
「僕も同感だ。こういうことをする部隊ではない気がしたんだけど。ついでに森に入ってすぐ休憩を取った様子が見えたのも気になるんだよね。普通なら撤退中、しかも戦場からこんな近くで休憩しないはず」
しばらく進むと再び左右への分かれ道があった。足跡は右側に続いている。右側の道はすぐ脇が崖になっている。左の道は曲がりくねっているが何もない。ロシーヌが呆れたように吐き出す。
「これも、右ですかね」
しかしバティカロアの意見は違った。
「いや、左へ行こう。右はたぶん罠だから」
迷わず左へ進み、ロシーヌたちもそれに倣う。
彼らは知らないことだが、右側の道はそもそも行き止まりであり、かつバティカロアの言う通り罠が仕掛けられていた。道が剣や槍で崩れやすくされており、騎馬が通れば地面が崩壊し、馬と共に崖下へ落ちていくというものだった。
「なぜ、右が罠だと判断したのですか?」
ロシーヌの問いにバティカロアは当たり前のように答える。
「罠を仕掛けた人間は恐らく僕の判断力を測っている。知恵比べというのは賢い方が勝つわけじゃないんだ。相手の力量を正しく見極めた者が勝つものだからね。相手の力量を正確に測って、そのひとつだけ裏をかく。これができれば負けることはないよ。
今回の疑問はなぜ戦場からあんなに近い場所で休憩を取ったのかというところから始まったんだ。
逃げているのに、あの程度しか離れずに休憩するのは普通ならありえない。
奇襲されても戦列が乱れることなく正面から戦ったエイジフット軍がわざわざ別の道に狼煙を上げるのも不自然だ。もし上げるなら休憩場所でそのまま上げればいいし、あの凄惨な戦いから逃げて、まだ狼煙を所持しているのも考えづらい」
ロシーヌとバティカロアに近い一部の兵士たちは聞き入っていた。バティカロアの戦術や思考を知ることは彼の下で働く者たちにとって、新しい発見や驚きの連続だった。彼の考えを自分のものとして学び取るなど不可能だと思えるほどだ。
いつの間にか前方の地面には多くの足跡が先へと伸びていた。エイジフット軍が途中から草叢をかき分けてこの道に戻ってきたことがわかる。バティカロアの推測は正しかった。
「あの場所で何が起きたのか。推測だけど、別の誰かに会ったんだと思ってる。狼煙を所持していて、かつ知恵の回る誰かにね。で、今はその誰かに先導されながら逃げているという感じかな。
その知恵の回る誰かは、急いで出発することにしたはず。とはいえ、闇雲に逃げてもすぐ追いつかれてしまう。
そこでまずは自分たちが進まない方の道に狼煙を上げた。引っかかってくれれば儲けものくらいのつもりだろう。凝った罠を仕掛けるより戦場に近い場所からの撤収を優先したわけだね。
誰かは休憩場所を離れたら気持ちに余裕が生まれただろう。そこで次の分岐点では罠を仕掛けることにした。どんな罠かはわからないけどね。少なくとも足跡を辿った相手を足止めするものだったはずだよ。
そうすると誰かさんの思考パターンが見えてくるんだ。次の分岐点は物理的な足止めかな。時間はあまりないだろうから木を切り倒すくらいしかできないだろうけどね。
お、見えたよ。次の分かれ道だ」
ロシーヌたちは前方を見る。何十回とバティカロアの洞察力に衝撃を受けてきたが、やはり慣れるものではない。
分かれ道の右側には何本かの木が切り倒されていた。高さもそれなりに積まれていて、撤去しない限り馬では越えられそうにない。
これまでに幾度もバティカロアの洞察に驚かされてきたロシーヌでもやはり倒木を見て驚愕せざるを得なかった。この将軍はどこまで見通しているのか。
ロシーヌはバティカロアに自説を伝える。
「ひょっとしてこれも誰かの罠で、本当は左の何もない道が正解とかでしょうか」
バティカロアは首を振る。目しか見えないが楽しんでいる様子だ。
「エイジフット軍に時間的余裕があればその可能性もあっただろうね。でも今は逃げている最中。折角倒した木を無駄にはできないかな。というわけでこの木をどかして進もう」
若き英雄はすっと馬から降りると、そのまま邪魔している木を取り除き始めた。ロシーヌ以下の騎馬兵たちも慌てて馬を降り、倒木の除去を始める。
バティカロアは小さな作業も部下に任せきりにしない。むしろ自ら率先して行動する。戦場でも自分が先頭に立ち、その目立つ赤い頭巾と羽で縦横無尽に駆け回り、鬼神のごとき活躍をする。兵士の指揮能力だけでなく、個としての戦闘能力もずば抜けていた。
さらに大木をひとりで道の端に転がす。細身の身体のどこにそれほどの力があるのだろうか。
「バティカロアは転移者だ。顔を隠しているのは正体を隠すためだ」
あまりの洞察力にそんな噂が流れたこともあった。
言うまでもなくバティカロアはれっきとしたエル・ファテハの民である。魔法は他の成人男子と比較しても並み程度で、戦場では身体強化くらいしか使わない。転移者のように女神の加護などは持ち合わせていない。
ムシラの将軍を父に持ち、幼いころから戦いに関する英才教育を受けてきたことは間違いないが、それ以外は普通に育ってきた。
「観察力と情報があれば何となくわかるものだよ」
以前ロシーヌはバティカロアにそう言われたことがある。
当初は彼の言葉を真に受けて観察や集めた情報から推理推測を発言していたが、その遥か上を行く推察を聞くたびに嫌になっていった。そのうちロシーヌは意見を言わなくなったが、バティカロアは他の人の意見も聞きたいらしく「ロシーヌはどう考えてる?」などと尋ねてくる。仕方なくロシーヌは自分の意見を披露するのだった。
倒木の撤去が終わり、ムシラ軍は右の道を通って先へ進む。さらに右側は急な斜面になっており、下の方は河原でその横には川が流れている。道に目をやると、逃げているエイジフット軍の足跡が続いていた。歩幅の間隔が短くなってきている。相手は相当疲れているようだった。
「もう少しで追いつけそうだね。戦闘になった場合、最後の抵抗は激しくなるだろうから、敵に敬意を持って全力でぶつかるように。捕縛できるなら捕縛を、捕まえるのにこちらが手傷を負うようであれば殺して構わないからね」
白い鎧を鳴らしながらバティカロアが後方に声をかける。部隊は山の細い道であっても隊列を乱さないことから、練度が高いことも伺えた。騎馬兵の後ろには歩兵が追いつきつつあり、騎兵と歩兵、合わせて百五十名は士気を高めていく。
途中から下り坂になった。この森はどうやら小高い丘だったようだ。今までよりも視界が拓ける。
「バティカロア様、あれを」
ロシーヌが前方を指差す。黒い鎧が動いているのが見えた。エイジフット軍である。
「この先は分かれ道も罠もなさそうだ。捉えたね」
赤き軍神は頭巾の下で薄く笑った。隣を向き、ロシーヌに無言で頷きかける。意図を察したロシーヌが同行する騎馬隊に指示を出す。
「最後の最後に相手が何か仕掛けてくるかもしれん。細心の注意を払いながら全速で進む。行くぞ!」
白い軍団が動き始めた。
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TIPS
エイジフット軍の色は黒がベース、ムシラ軍は白がベースになっていることが多いです。ちなみにジェミラ帝国は銀色がベースです。特に示し合わせたわけではないようですが、いつの間にかそんな色分けがなされていた感じです。
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