11.俺にとっては重要なことだ


「なんだよお前。ココナさんの前で舐めてんのか?」


 マンガで数え切れないほど見てきたシーンが再現されているな、と思いながら近付いてきた男女を見る。

 話しかけてきたのは茶髪を刈り上げた、俺と同年代くらいのヤンキーっぽい人物。派手な柄の半袖シャツからは両腕にタトゥーが描かれているのが見える。他の面々も多少の違いはあれど、派手な見た目だった。異世界に来てもこういう行動をする日本人がいるってことに嫌気がさす。


 だが、盛り上がっている俺には関係ない。


「ココナさんは関係ねえだろうがよ! うるせえのはてめえらなんだよ! 勝手に人のせいにしてんじゃねえよ!」

「は? 舐めてんのかお前」

「問題すり替えてんじゃねえ! 舐める舐めないの話なんてしてねえよ! うるせえって言ってんだよ! 静かにしろや!」

「やっぱ舐めてるよな、潰すぞコラ」


 話が通じねえ! しかもやっぱり強面に凄まれると怖い! もういいや、謝って逃げよう。食事中だけど仕方ない。


 しかし。


 コミュニケーション能力が欠けている人間というのは、得てして思っていることを発信できないものだ。この俺のように。


「潰してみろよ! てめえら全員表出ろ! あ、店員さん。飯はそのままでいいですよ、すぐに戻って来るんで」


 いやマジでこれ俺が言ってるの? 煽りすぎだって。


「ほう~~、面白え。いいぜ、死んでも文句言うなよチビが」


 茶髪ヤンキーが怒ってるのを背に、ゆっくりとした足取りで店を出る。後ろからぞろぞろと他のメンバーが付いてくるのがわかった。


 外に出た瞬間、俺はダッシュした。

 当然だ。怖いし、何より俺が勝てるわけないからな。


 そして本当は謝りたかったんだけど、タイミングがわからなかったので走りながら叫ぶ。

「ごめんなさーーい!」

 背後からは「あいつ逃げやがった!」「待てやコラ!」「逃がさねーぞ!」などの怒声が響き渡る。


 謝っても無駄だった。だが知ったことか!

 そもそも俺はうるさいやつに注意しただけだ。よく思い出せば格式高い店でもないし、多少うるさくても賑やかで良い店だったような気もするが、今更自分が悪いなんて考えたくもない。

 見たところあいつらも冒険者。しばらく警戒していれば、いずれこの町からいなくなる。もう出会うこともないだろう。俺は元の世界に帰るし。


 走りながらチラっと後ろを確認する。追ってきているがかなり距離を稼げた。あいつらが元アスリートでもそう簡単に追いつかれることはないはずだ。前に向き直って加速しようとした。


 そう思ったとき、左腕を強い力で掴まれた。


 驚いて振り返ると掴んでいるのは。


 茶髪ヤンキーだ。やつが笑っていた。


 いつの間にか追いつかれている。


 この状態はまずい。


「馬鹿が! オレから逃げられるわけねーだろ」腕は掴まれたままだ。「俺の加護は『超加速』。短距離のスピードだったら誰にも負けねえんだよ」


 迂闊だった。

 当たり前だが、転移者はほぼ全員女神の加護を持っている。魔王を倒せるほどの力はなくても、生きていくだけなら相当有利に働くはずの能力を。


 必死に身体を動かすが、握られた左手は全く動かせない。まずいまずいまずい。


「お前さ、日本にいたとき運動神経鈍かっただろ。女神の身体強化はなあ、元々の筋力や運動能力を数倍するんだぜ。つまりなあ!」ヤンキーが掴む手に力を入れる。腕の骨が軋む。「元々弱いやつは大して強化されずに、強いやつはより強くなるってことだ。雑魚との差は地球よりも開くんだよお!」


 薄々気付いていたことをはっきり言いやがって。道理で俺は弱いわけだ。前の世界で弱いやつは転移しても弱いままなんて夢がないにも程があるだろ。


 異世界はラッキーでもらったチート能力で努力も実力もないやつや一発逆転じゃないのか。


 本当にテンションブチサゲだよ。



 とはいえ今は余計なことを考えている場合ではない。とにかくこの体勢はまずい!


 俺は腕を引っ張るが、相手の腕は微動だにしない。そこで俺は奇襲を仕掛けた。空いている右手でヤンキーを殴りにかかった。


 ところがヤンキーは俺のパンチをを躱すとあっという間に羽交い絞めにしてきた。


 両腕をがっちり掴まれ、片足もヤンキーの足に踏みつけられる。腕も足も動かせない。そして俺の耳元で下卑た笑いを響かせる。


「ははっ! 舐めた真似すんじゃねえよ、雑魚」



 よかった。まずい事態は脱した。


 あのまま少し距離を取られて腕だけ掴まれていたらどうにもならないところだったぜ。


 俺は首を捻る。着ていた服の襟から、背後に向かってスプレーが噴霧された。


「ぐああああ!」


 ヤンキーが叫び声を上げた。その拍子に腕と足の拘束が解かれ、ヤンキーは目を押さえながら地面にうずくまった。


 完璧に目にスプレーを命中させることができた。こういうときは勝ち誇ってざまあしてもいいよな。


「残念だったなあ。お前に羽交い絞めされるために、わざと殴りに行ったんだよ! ま、これ以上攻撃するつもりはないし、何より俺は逃げ専門なんで護身用のスプレーを使わせてもらっただけだから許してくれ。ちなみにそのスプレー、超激辛スパイスを煮出したものでさ、丸一日は痛くてしょうがないから」


「卑怯なことしやがって!」


「はいはい。話の通じないやつとまともに会話するつもりないから。あ、お前の仲間が追いついてくると困るからもう行くわ。じゃあな!」


 再び俺は逃げ出した。途中で道を曲がり元いた場所を確認すると、うずくまったヤンキーを仲間たちが囲んでいた。ヤンキーを介抱するのに必死で、俺を探そうとはしていない様子だった。

 これならあいつらが店に戻ることはないだろう。それより仲間のために医療施設や滞在している宿へ行くはずだ。が、念のため裏路地を通って先程の店へ向かう。


 いかに逃げるか。


 そのことだけをこの一年考え続けてきた。


 そのために魔物の生態から地理、便利な道具を片っ端から学んでいった。特に道具については使い方や改良を加え、様々な状況に対応できるように工夫している。

 例えば今回襟に仕込んだ激辛スプレーは、背後からの奇襲対策だ。背後を取られて羽交い絞めにしてきた相手や、首筋に噛みつこうとしてきた魔物を撃退するためで、手でプッシュする他、首をある角度に曲げるだけでも噴霧できるようにしている。


 他にも衣服にいくつかの道具を隠し持っている。


 戦闘で勝ち目がなく、逃げる以外の選択肢がない俺としては当然の手段だ。魔気や魔晶を使った『魔道具』は高価なため、まだあまり所持していないが旅の途中でもう少し増やしておきたい。


 それともうひとつ。

 仲間っていいな。同じ目的を目指す人がいるというのは正直憧れた。





 店に戻って、入口のドアを開ける。先程対応してくれた金髪パーマの女性店員が俺を見て驚いたように声をかけてくる。


「さっきの! 無事だったんですねー」

「はい、逃げてきました。それより店で騒いですいません」

「いえいえ、あの人たちもちょっと騒ぎすぎでしたから。おかげで助かりました」


 一応お店も迷惑してたってことか。もしかしたらリップサービスかもしれないけど、とりあえず言葉の通り受け取ることにした。


「なら良かったです。食事の続きしてもいいですか?」

「どうぞどうぞ。そしたら奥の個室を使ってください。戻ってきたら大変ですもんね」


 奥に通され、ハンバーグの続きを楽しむ。サービスでドリンクとスープを追加で付けてもらえた。温かい人の心に触れるとより一層食事が旨くなる。


「美味しかったです。ごちそうさまでした」

 食器を下げに来た店員に一声かける。それは何よりです、と言いながらテキパキと食器を重ねていく姿を見ながら、尋ねたかったことを質問する。


「ここから西の国境まで行きたいんですけど、何かいい方法ありますか?」


 店員が手を止めた。


「えっと、ひとりでですか?」

「ええ、はい」

「ひとりだったら歩くのは危険ですよ、魔物が多い地域ですから。高いけど馬車しかないんじゃないですか。それでも国境付近までは戦争中なので行ってくれないんじゃないですかねー。途中まで、って感じになっちゃうと思いますけど」

「馬車かあ、お金がなあ。じゃあ西へ行く商人や冒険者に同行するってのはアリですか?」

「お客さんの実力次第ですね。腕に自信があるなら、アリですよ。タイミングが良ければいるかもしれません」

「そんな頻繁にはいない感じですか?」

「この国で栄えている地域は東側が多いですからね。西へ行く人は多くありません。精々野心ある冒険者か商人、それと王国の軍隊くらいじゃないですかー」


 たとえ戦争をしていても、隣国に行く手段はもっとあると思っていた。弱い俺にとっては、冒険者や商人に同行することさえ難しそうだ。


「厳しいな」


「大人しくお金払って馬車に乗るのがいいと思います。国境に近い町までは行けますし。冒険者を護衛として雇ってもいいですけど、それなりの実力者だったら馬車より高くつきますから。

 あ、一番いいのはパーティーを組んで複数人で行動することですね」


「そうですね、ありがとうございます」


「いえいえーー」


 パーティーを組むのは今のところ難しいな。当てがない。


 いよいよディムヤットでしばらく働かなきゃならないかもしれない。しかし、働くために半年も足止めを食らったら、かなりの時間のロスになる。


 どこかのパーティーが魔王を倒すかもしれない。

 魔王が倒される。それ自体はいいことなのだが、魔王が死んだ時点で宝物庫は倒したパーティーのものになる。『渡り石』を手に入れることはほぼ不可能になるだろう。


 じゃあ討伐パーティーに負けてほしいのか、と言われるとそれも違う。

 一年以上住んでいる以上、この世界に愛着がないわけではない。元の世界に帰る気満々の癖に何をいいやつぶってんだ、と言われそうだが、この世界の住人には幸せになってほしい、平和な暮らしをしてほしいという気持ちは本物だ。

 単純に「俺は元の世界に帰って幸せになるから、みんなはこの世界で幸せになろうぜ」というだけだ。この大陸から魔王がいなくなることを俺自身も望んでいる。



 だからこそだ。


 だからこそ急いでいるんだ。


 渡り石を手に入れ、かつ魔王が討伐される。両方の可能性を残すにはひとつだけだ。


『俺が誰より先に魔王の城へ辿り着く』


 これ以外にない。俺が先に渡り石を手中に収めてしまえば、あとは討伐パーティーが魔王を倒すだけ。何も問題はない。先に討伐パーティーが魔王の城に辿り着いたら、俺は魔王の勝ちを祈ってしまうかもしれない。


 祈るだけで他の誰にも知られることではないし、何かに影響を与えることでもない。


 けど俺にとっては重要なことだ。


 あいつのためにもできる限りのことは全力で取り組みたい。最速で魔王城へ行くことにこだわりたい。


 ん? あいつ?


 あいつって誰だっけ。


「ねえ、お兄さん。お金が必要ならあたしが仕事を依頼しよっか?」


 思考を遮られて思わず声の方を向く。



 断魔六勇士、雷光のココナが立っていた。


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TIPS

 断魔六勇士は六人とも初期の転移者で、男四人女二人のパーティーでした。男のうち三人が戦闘タイプ、ひとりは回復タイプ、女二人は魔法タイプです。魔王討伐の際に戦闘タイプの男二人が命を落としてしまいました。


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