10.いつまでも騒いでんじゃねえええ!
馬車は早朝に出発した。
夜中は交代で見張りをしていたが、特に変わったこともなく平和な朝を迎えた。
予定通りいけば、昼過ぎには次の町、ディムヤットに到着する。
転移場所に最も近いソハグの町よりも西にあり、ソハグの町よりも大きな規模の町であり、ソハグの町より歴史の浅い町である。交通の要所となって栄えている町だ。他国へ旅をする場合、補給地点としてもよく使われる。
エル=ファテハは東西に長い大陸である。
魔王軍は大陸の西側から攻めてきて、一時期は大陸の半分を支配した。二人の魔王が倒されたことで押し返してはいるが、それでもまだ西の三分の一は魔王の支配圏にある。
その反対側、大陸の東にあるのが、俺たちのいるエイジフット王国だ。
人間の国の中で最大の面積を誇り、総人口は二番目に多い。魔物は多く生息しているものの、魔王軍の侵略は受けたことがない比較的安全な国である。
と言いたいところだが、そうでもない。
隣国との関係が悪いからだ。
西側にある隣国は北方と南方の二か国と領土を接しており、どちらも人間の国。その二国どちらとも未だにちょいちょい戦争をしている。魔王の脅威に晒されているのに、人間同士でも争っている状態というわけだ。この大陸に人間の国はその二国とエイジフット王国の三国しか残っていないにも関わらずである。
ナナミさんの涙を思い出す。残念なことだ。
共通の敵がいると仲良くなるという通説は何だったのか。
魔王という共通の敵がいるのに全然仲良くねえじゃん。
ディムヤットは、エイジフット王国のほぼ中央に位置し、土地はそれほど豊かではない。特筆すべきは立地だけだ。国内の中央にあるがゆえに移動においては中継地点になりやすく、宿場町として発展している。
また、この世界で最も多くの転移者が暮らしている町でもある。その人数は二百名を越えるという。さらにディムヤットの近くには転移者だけの小さな村もあり、八十名くらいの転移者が住んでいるそうだ。生き残っている転移者が五百名弱らしいから、ディムヤット周辺だけで転移者の半数以上がいるということだ。
俺たち異世界人にとっては住みやすいってことなんだろうか。
別の見方もできる。
この世界を救うために召喚された俺たちの半分以上が、この世界でただ暮らしている。つまり、転移者の多くはこの世界を積極的に救おうとは考えていないということでもある。
従って、比較的安全な地域で人生を送ろうとしてこの地を選んだのかもしれない。
気持ちはわかるけどね。
思ったよりもしょぼい能力だったり、思ったよりもシビアな世界だったり、思ったよりも歓迎されなかったり。歓迎されなかったのは最初からではなく、転移者の態度や行動が原因で歓迎「されなくなった」というのが正確だが。
とにかく、思っていたより生きていくのが大変な世界だということを理解した人たちが、魔王討伐を諦めて、定住するという選択をした。そのためには転移者同士が固まっていた方が安心できる。できれば差別意識の少ない新しい町の方がいい。
という経緯から住み始めたのかはわからないが、少なくともそう推測できる。俺たちのような異世界人にとっては都合がいい場所なのだろうな。
すっかり打ち解けた冒険者たちと雑談を交わしながら、頭ではそんなことを考えていると、周囲が賑やかになってきた。
外を覗いてみる。
道路に沿って建物が並ぶ。
建物は違うが、どことなく日本の温泉街を彷彿とさせるような雰囲気の町。
ディムヤットに到着だ。
「再会したら一緒に酒でも飲もう」
その言葉を最後に、他の冒険者や御者とはびっくりするくらいあっさりと別れた。てっきり「一緒に昼飯でもどう?」みたいになるのかと思ったが、各々別の用事があるって話だった。
俺があいつらに避けられているのでなければの話だけど。
思い出してみると、すぐにキレるわ矛盾だらけの話をするわ自分の過去すら分かってないわで、避けられる要素満載なんだよな。
だが、そんなことを考えていても始まらない。魔王城があるのは遥か西の果てだ。まずはこのエイジフット王国を西に抜ける手段を探さなければ。
切り替えて周囲を歩きながら観察していく。
さすがは交通の要と謳われる町だ。
行商人や冒険者、旅行者がかなりの人数で行き交っている。ソハグとは違ってみんな商売道具やら旅の必需品やらの大荷物を抱えていた。喧騒がそこら中で聞こえる。路上で飲酒している人も多く、治安はそれほど良くはなさそうである。雑多な町という印象だ。
やはり温泉街などの観光地を想起させる。
おそらくは転移者と思われる日本人らしき店員の姿も見られる。俺と同年代の男が宿屋っぽいところの入口で呼び込みをしている。日本と変わらないなと思ってしまう。
宿の相場は思ったより高かった。いくつか回って最安の宿を見つけたが、それでも想定より高い。
雑貨屋もいくつか覗いてみる。
「いい品揃えだな」
品数は多く、煙幕や爆竹、魔晶入り懐中電灯など置かれている品は申し分ないものの、やはり少々値が張る。
この値段だと、最低限の準備を整えるのに半年程度滞在してここで働かなきゃならないかもしれない。
それはまずいんだよなあ。
三人目の魔王討伐のために、何組かのパーティーが西へ向かったという話を最近聞いた。あまりのんびりしてもいられない。
ある程度散策を終えたところで、一番安い宿に宿泊を申し込む。腹が減っていたことに今更ながら気付いて宿の正面にある洋食屋に入った。
洋食屋という言葉で未だに苦笑する。洋食は日本から見た外国の料理、特に西洋の料理を指す言葉のはず。そもそもここは地球ですらないのに、何を指して「洋」といっているのか。でも俺は洋食屋ってだけでおいしいステーキやハンバーグが食べられると確信できてしまう。
日本から元シェフが転移してきたのだろうから期待が持てる。
転移者が千人もいるって聞いたときは「俺が活躍できないじゃん!」と思っていたけど、一年も生活していると便利さに気付く。
料理だけでなく、水道だったり魔動車だったり電話だったり。どれも元の世界にあったものに魔気や魔晶をエネルギーとして、転移者がここ五、六年で開発したものだ。俺は毎日使ってた水道の仕組みすら知らないのに。
技術をこの世界にもたらした人には感謝しかない。
店内はほどほどに混んでいた。
店の一角では、テーブルを囲んで人だかりができている。大きな声で笑ったり歓声をあげたりしながら質問攻めにしている様子が窺える。誰か有名人でもいるようだ。
人だかりの隙間から囲まれている人物が見える。黒く長いポニーテールの髪をした、まだ十代くらいの女の子だった。
俺が人だかりを見つめていると、日本人で俺と同年代であろう店員の女性がメニューを運びながらやってきた。肩ほどまでのパーマがかかった髪が揺れている。
「いらっしゃいませー。冒険者の方ですか?」
「い、一応、そうです」
「いいですねー。私もこの世界で旅をしてみたくて、ここで働きながらお金貯めてるんですー」
「そ、そ、そうなんですね」
屈託のない笑顔で接してくる店員に気の利いたことのひとつも言えない。話が盛り上がっている人だかりのテーブルをちらっと見る。主に取り巻きが騒いでいるようだった。
そのことに気付いた店員が話題を変える。
「あそこのテーブル、気になりますか?」
「ああ、はい」
「賑やかでごめんなさい。実は凄い人がうちの店に来てるんですよ。しかもここ数日毎日!」
「へー。誰が来てるんですか?」
「なんと! 断魔六勇士のひとり、ココナさんです! 私もサインもらっちゃったあ! あ、注文が決まったら呼んでくださいねー」
おお! あんなに若いのにそれはすげえ!
店員のミーハーっぽいノリもすげえ、相手が芸能人みたいだ。
驚いた。最初の魔王を倒した『断魔六勇士』、それに二人目の魔王を倒した四人が最近『退魔四勇士』と呼ばれるようになったのは知っていた。
断魔六勇士とはいいながらその内の二人は命を落としており、生き残ったのは四人。
退魔四勇士も二人の命と引き換えに魔王を倒している。
彼らは文字通り世界を救った英雄である。最強の魔王がまだ残っているとはいえ、人間側に明確な勝利をもたらした。皆の喜びは相当なものだっただろう。
その英雄のひとり、雷光のココナ。
女神の加護として雷魔法をもらい、雷撃を得意とする魔法使いポジションの転移者である。
マンガを読んでいると特に何も思わなかったけど、こうして自分が異世界に立ったとき、『断魔六勇士』のネーミングセンスとか『雷光のココナ』の二つ名とか、ちょっとむず痒い。悪いとは言わないし、イタイとも言わないよ。
ただ何かむず痒いだけ。
『雷光』って地球にいるときの世界史で習ったカルタゴの英雄と同じ二つ名だし。
それはさておき、ココナという英雄に聞いてみたいことはたくさんある。しかし、店員がサインをもらったことからもわかるように、彼女はこの世界において一流芸能人扱いなのだ。俺のような一般人とじっくり話すなんてことはないだろう。
諦めて食事をしながら今後の考えをまとめることにした。
異世界でハンバーグが食べられるなんて幸せだ。運ばれてきたハンバーグを口に含みながら、これからのことを整理する。
西の果てにある魔王城。その宝物庫にあると噂される渡り石を手に入れて元の世界に帰ること。これが目的なのは変わらない。
そのためにはまずエイジフット王国の国境付近まで行く必要がある。ディムヤットからさらに西へ向かうことになるが、ここで問題がひとつある。
移動手段だ。徒歩で向かうか、これまでのように馬車を利用するか。
徒歩なら費用面で抑えられるのがメリットだ。野営と食料、それに魔物から逃げるための道具を用意するだけでいい。デメリットとしては何より時間がかかることだ。徒歩で国境を目指す場合、身体強化されているとはいえ馬車よりも旅程は二倍から三倍はかかる。
「きゃー、ココナさんめっちゃ強いのに可愛くて素敵ですぅ」
「ココナさん、オレが奢りますからご一緒していいっすか?」
「ココナさんのおかげで平和ですありがとうございます」
他にも気掛かりはある。
奇襲に対応できないことだ。複数人数でいれば交代で見張りを立てることもできるが、ひとりで徒歩ともなると寝ているときに魔物に襲われたらひとたまりもない。かといってガイドや他の冒険者を雇ったら金がかかりすぎる。
となると、同じ方向に向かってくれる冒険者や商人が見つかれば同行するのが最善だな。
「きゃー、ココナさんサインくださあああい!」
「ココナさん、オレと高級レストランでディナーでもどうっすか?」
「ココナさんの雷魔法見てみたいです」
「ココナさん黒のタンクトップセクシーです」
西へ向かう冒険者や商人がいなかったら?
さすがに魔動車をレンタルするのは値段的に手が出ない。買うのは絶対無理。やはり馬車を利用すべきだろう。だが、馬車も国境まで行くことはないようだ。国境からだいぶ手前の村まで行くのが限界らしい。パーティーを組んでいてベテランの金持ち冒険者なら自分の馬車や魔動車を持っているだろうが、俺にそんな金はない。馬車を使うのが現実的か。いや、馬を一頭買うという手もあるか。
「きゃー、ココナさん旅のエピソード聞かせてくださあああい!」
「ココナさん、いい鶏肉料理の店知ってるんすよ、行きませんか?」
「ココナさんの魔法ってどのくらい遠くまで効果あるんですか?」
「ココナさんのショートパンツ眩しいです」
「ココナ、好きだ」
とはいえ、馬車も馬も安くはない。馬車はサービスが向上している分値段も相応だ。交渉次第で安くなることもあるだろうが、それでもかなりの金額になるだろう。やっぱりしばらくここに滞在して働くことになるかもしれない。
馬には乗ったことがないからできれば避けたい。
西へ向かう冒険者や商人を探すことを第一優先にして、見つからないようなら働きながら馬車を手配するのを第二方針としよう。
あとは俺自身の問題も保留にしてしまったが、考えなければならない。今俺の持っている記憶は何なのか。
「きゃー、ココナさん!」
「ココナさん!」
「ココナさん!」
「ココナさん!」
「ココナ!」
俺の身体に何かがあって、それを忘れているのだろうか。
「ココナさん!」
「ココナさん!」
「ココナさん!」
「ココナさん!」
「ココナ!」
だとしたら、
「ココナ!」
「ココナ!」
「ココナ!」
「ココナ!」
「ココナ!」
「がああああ!!! うっせえぞてめえらああ! 飯食う場所でいつまでも騒いでんじゃねえええ!!」
俺の絶叫に店が静まり返る。雷のココナを囲んでいた連中が憎しみを持った目でこちらを見る。
やべえ。やっちゃった。
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TIPS
この世界の元の住人が開いているお店と、転移者が運営しているお店の両方とも存在しています。特に飲食業においては食材を上手く代用し、住人と遜色ない評判を持つ転移者の店もあり、転移者の胃袋のみならず、元の住民にも多数のファンを抱えているところもあります。転移者によってこの世界の食文化は大きな影響を受けており、ひき肉、醤油、生クリームなどは広く受け入れられています。
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