7.最初から決めていた、今回は必ず戦うと


 翌朝もカレーを食べさせてもらった。昨日の残りでゴメン、余裕あるわけじゃないから、とナナミさんが言う。

「一晩寝かせたカレーは美味しいんで」

「僕もナナミのカレーは二日目が一番おいしいと思うよ」


 穏やかな朝だ。とても異世界とは思えないし、二人が何人もの転移者を殺しているとは思えない。少なくとも俺には優しい、と割り切ることにした。


 朝食後、倉庫を見せてもらう。服や靴、バッグを始め、化粧品やレジャーシート、財布にノートパソコンやスマホなど、日本で散々見た品が並ぶ。なぜこんなものがあるのか。理由はわかるので聞かないようにしよう。

 こちらの世界のものと思われるものも大量にあった。ナイフや剣、どことなく中世ヨーロッパを感じさせる服に軽鎧などはファンタジー世界そのものだ。


 俺はまずサイズの合う派手なスニーカーを選んで履いた。昔からお気に入りのメーカーだ。続けて異世界っぽい服を引っ張り出して着替える。派手なスニーカーにこの服は似合わないだろうけど、履きなれた靴の方がいいと判断したからだ。それからフードデリバリーで使われているような大きなリュックを取り出し、ナイフや着替えなど必需品を詰め込んでいく。


 途中で後ろを振り返り「いいんですか?」と尋ねるが、ナナミさんは笑顔で親指をぐっと立てて見せるだけ。ここまで好意に甘えさせてもらっていいものかな。申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで溢れる。荷物に向き直り、黙々と準備を続けた。


 リュックに小ぶりの剣を付けて準備完了。靴とリュック以外は異世界に来た、というスタイルになった。


「あの、色々ありがとうございました」


 深々と頭を下げる。ソラくんとナナミさんは微笑む。


「大丈夫だよ。僕たちが本当にやりたい仕事は人の選別じゃなくてこっちだからね」

「そういうこと。ソハグの町には異世界人集会所があるから、そこのヨウタってやつを尋ねてみな。あたしらとも仲が良くてね、色々力になってくれると思うから。ヨウタにはこっちから連絡しとく」


 こんなに介護されて、異世界を冒険してるなんて言えないよな。とはいえ、いきなり放り出されたら俺は生きていけなかったかもしれない。

 現実はアニメみたいに上手くいくはずもない。当たり前のことなのに今まで気付かなかった。二人には感謝してもしきれない。


「道中出てくる魔物は巨大ガエルだけだから安心していいよ。動きは遅いし、人を食べない大人しい魔物なんだ。肉も美味しいから魔物を倒す経験と食料調達がてら戦ってみてもいいよ。いわゆるチュートリアルだね」


 ゲームが好きなのか、チュートリアルという言葉を出すナナミさん。赤い屋根の家を眺める。ここに寄って本当に良かった。


「じゃあお互い頑張ろう。いってらっしゃい」

「はい! 行ってきます!」


 俺は歩き出す。


 まだまだガイド付き。冒険と呼べるレベルではない。でも確かな一歩を踏み出したことに満足していた。


 元の世界に帰るために。

 ん? 元の世界?


「なあ、ハクヤ。大事なこと忘れてないか?」

 意外にセナの反応が普通なことで安心する。

「ああ、大事なこと忘れてた」


 手を振る二人の下に走って戻る。


「そういえば、元の世界に帰る方法ってあるんですか?」

「ちょっと感動的だったのに台無しだな」





「さっきの話、どう思う?」

 ソハグの町へ向かう道中でセナに話題を振った。


「帰る方法の話か? 俺はないと思うな」


 元の世界に帰る方法を質問したとき、ソラくんはあくまでも噂だけど、と前置きをして話してくれた。


 その石に触れて念じれば元の世界に帰れるという話がある。石の名前は『渡り石』。白く輝く宝石だそうだ。

 三人の魔王のうちひとりが『渡り石』を持ち、己の宝物庫に保管している。

 現時点で『渡り石』が発見されたという報告はないため、生き残っている最後の魔王が持っている可能性が高い。

 二人目の魔王が倒されたのは最近だから、まだ見つかっていないだけかもしれないのでは? と指摘したが、一ヶ月も経過して見つからないことはありえないらしい。宝石に興味を持つ魔物は少数で、大量に保管する必要性がない。宝の量も僅かである以上、存在していればすぐに発見されるだろうというのが理由だ。


 故に最後の魔王の宝物庫に『渡り石』が眠っている。


 という話だ。


 ソラくんもそんなものはないと思う、と言っていた。過去の書物にも『渡り石』の記述はないし、噂が出回り始めたのもここ一、二年程度のことだという。転移者をみんな魔王討伐に行かせようとする住人のデマではないか。というのがソラくんの予想だった。二年前あたりは転移者が一番嫌われていた時期だったからね、とナナミさんも付け加えていた。


 まあ、ない確率が高いよな、俺も同感だ。


 しかし、俺にとってデマと片付けるにはあまりに魅力的な話だった。


 しばらく自分の胸にしまっておくことにしよう。


 俺は曖昧な返事をセナに返した。


 直後にセナが声を上げる。


「ハクヤ! 巨大ガエルだ!」


 俺の心臓が早鐘を打つ。最初から決めていた、今回は必ず戦うと。右側の草原に軽自動車サイズのカエルがいる。あれが巨大ガエルか。俺たちの方を向いてはいるが、特に表情も変えずその場に留まっている。背中の剣を抜き、巨大ガエルの横から回り込む。


 横から近付いていくが、動く気配はない。さらに近づき、あと一歩で剣が届く距離にまで迫った。

 剣なんて使ったことはなかったが、両断するつもりで大きく振りかぶる。身体強化されているおかげか、それなりに重量のある剣も軽く感じる。


「ふんっ!」


 素早く踏み込むと同時に剣を一気に振り下ろした。肉に食い込む感触が伝わってきた。


 だがそれだけだった。俺の振るった剣は巨大ガエルの肉に少し傷をつけただけで止まっていた。カエルは驚いたのか、大きく飛び跳ねる。


「うわあっ」


 情けない悲鳴を上げて俺は後ろに逃げる。


 しかしまだ諦めない。恐怖を押し殺し、ならばもう一度と再度近付きながら剣を振り被ったときだった。


 巨大ガエルは周辺の安全を確保するだけだったのだろう、前脚をビンタするように動かしてきた。しかし俺は避けることができず二の腕に直撃、その衝撃で草むらの中に剣を落としてしまう。さらに腕に強烈な痛み。


「あああ!! 痛い痛い!」


 たったそれだけだ。


 たったそれだけで俺は何も考えられなくなり、剣も探さずその場から逃走する。道路に戻り、町へ向かってひたすら走る。追いかけてくるはずもないが、恐怖のあまりしばらく走り続けた。


「マジかよ」


 セナが聞こえるか聞こえないかギリギリの声で呟いた。

 

 こうして俺の初戦は、人を襲わない巨大ガエルに敗北するという、最低の結果に終わった。


 悔しくて情けなくて町に着くまでずっと泣いていた。

 セナは一切俺に話しかけて来なかった。


「もうすぐ町かな」

「……」


 泣きながら話しかけても無視される。


 さらに歩いているといくつかの建物が見えてきた。城壁などはなく、人間の身長くらいの木の柵が周囲を覆っている程度ののどかな町だ。町の入口に衛兵がいるのを確認できたが、物々しい感じはなく軽鎧に帯剣しているのみ。比較的平和であることが伺えた。


 町へ到着した喜びすら掻き消すほど、俺は落ち込んでいた。勝ちたいのに勝てない。帰りたいのに帰れるかわからない。どうやって町に入ったかわからないくらいにはショックを受けていた。


 我に返ったときには昼食の時間をとっくに過ぎていた。町中をしばらくうろうろしていたようだ。目を上げると『異世界人集会所』の文字がある。いつの間にか目的地に着いていたらしい。入口の扉を開け、中に入る。


「いらっしゃい。お、キミがハクトくんだね。ナナミさんから聞いてるよ。疲れただろう、そっちで休んでてくれよ。すぐ行くから」


 入口にいたパーマをかけた黒縁眼鏡の男に案内されて奥の部屋に入る。異世界に似つかわしくない畳の部屋だ。靴を脱いで座る。もう嫌だ。何も考えたくない。元の世界に帰らせてくれ。


 大体おかしいじゃないか!


 異世界を救うために呼び出すならそれ相応の強い能力があって然るべきだろ!


 最弱の魔物にすら勝てない。何で俺はこんなに弱いんだ!


 殺されている人だって沢山いる。何でそんなに人数を集めたんだ!


 俺だって、俺だって英雄になりたかった!


「お待たせ。ようこそソハグの町へ!」


 案内してくれた黒縁眼鏡の男が快活な挨拶で入ってきた。


 今は耳障りだ。



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TIPS

 ソハグの町は人口五千人を超える町で、この世界ではそれなりの規模があり、現在も発展中の町です。ただし、ほとんどの転移者がまずはこの町に滞在する影響もあり、一時期はかなり混乱が見られたようです。一部の優秀な転移者と住民が協力して町の治安回復に力を入れ、現在の平和が保たれるようになりましたが、やはり住民の中には転移者を嫌う人もいます。

 

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