6.もう帰りたい



 背後に気配がある。ソラくんが出入口に立っているのだろう。俺がドアを壊したし、ソラくんは修理を頼まれていたから出入口にいるのはおかしくない。だが、逃げられないというプレッシャーを感じずにはいられなかった。


「隠してもしょうがないからね、あたしが女神の部屋で手に入れた加護は『回復魔法』。文字通り傷を治す魔法が使える。ソラくんは『マイホーム』って言って、支点から半径三十メートル以内なら味方全員の身体能力を大幅に強化できる加護。一度支点を決めたら生涯場所を変更できないって欠点はあるけど、範囲内なら滅茶苦茶強いよ」


 ナナミは微笑む。最早キレイなお姉さんの笑顔とは思えない。俺も殺されるのかもしれない。


「あたしたちはここで新参者の、主に人間性を見極めるようにしている。この世界のデメリットにしかならないような人間は処分しているんだ。

 非道なやつに思われるかもしれない。実際にあたしたちがやっているのは人殺しだし、人の選別というやってはならないことをやっているのも事実だよ」


「ナナミ。そういう話はしなくていいから」


 背後からソラくんがナナミを嗜める。ナナミは止まる気配がない。


「だから、ここではなるべくこの世界がどういうものか教えようとしている。勘違いしてきた人もあたしの話を聞いて気持ちを入れ替えてくれれば、って。


 ここもひとつの世界。もし、日本に住んでいるあたしたちが海外に移住するような心構えだとしたら、そんなに変な行動しないでしょ? それと同じだと思うのにさ、何で異世界に来たってだけで話も聞かなくなるし態度も尊大なものに変わっちゃうし、女性を手籠めにしようとしちゃうわけ?

 普通に人間同士手を取り合うことはできないの?

 それとも元々そういう人が本性表しただけなの?

 そんな考えを持っている人が今まで日本に住んでたの?

 ここに住む人の気持ちとか考えられないの?」


 いつの間にかナナミは涙を流している。

 この建物に入って魔物から逃げ切れて安心し、予想と違う異世界に落胆し、転移者を間引いていることに恐怖し、今俺はナナミの苦悩に同情している。自分の感情の変化に思考が追いつかない。


「ナナミ」ソラくんが俺の横を通ってナナミに近付く「僕らが思っていることを吐き出してくれてありがとう」


 ソラくんがナナミを抱きかかえながら俺に向き直る。


「びっくりしたと思うけど、これが僕らの仕事なんだ。この世界に害を及ぼしそうな人を排除する。それによって僕らは国から報酬をもらっているし、住民の不安も治安も軽減されて感謝の言葉ももらっている。転移者は一時期嫌われ者だったけど、今は少しだけマシになってるんだよ」


 すまないね、ソラくんは小さく付け加える。


「い、いえ、全然」


 ナナミの感情の起伏が激しかったのは、この仕事への罪悪感やストレスみたいなものもあったのだろう。俺も異世界に来た時点ではハーレムだのスキルだののことばかり考えていた。沢山の命が世界に息づいているのは当然なのに、考えることすらしなかった。


「ちょっとナナミが落ち着くまで休憩しよう。コーヒーを淹れるね。異世界の豆もなかなか美味しいんだよ」


 コーヒーは好きだが少し不安だ。


「大丈夫、毒なんか入れないよ。ここでなら僕は瞬きより速くキミの心臓を捻り潰せるんだから、毒を準備する方が手間ってものさ」


 そういってソラくんは爽やかに笑う。


「あはははは! ソラくん面白いじゃねえか。ハクヤは笑わないの? ジョークだろジョーク」


 セナも笑う。


 いや、異世界ジョーク怖えよ。





 落ち着きを取り戻したナナミさんとドアの修理を終えたソラくんは2人で異世界について教えてくれた。


 先程とは打って変わって和やかに話は進んだ。無理して人を殺していたことについても、賛成はしづらいものの理解はできたし、俺を殺す気はないように感じた。



 まずは魔王について。


 魔王は三人いたらしい。いた、というのは、そのうちの二人は既に倒されたからだ。ひとりは二年前に、もうひとりはつい一ヶ月程前に。残りの魔王はあとひとりということになる。三人いた魔王の中でも最も強い上に好戦的らしく、魔物を率いて度々人間の国に攻めてくるようだ。

 嫌すぎる。



 魔物について。


 魔物にはたくさんの種類がいる。魔王に率いられている魔物、自然界に生息している魔物、人を積極的に襲う魔物、人にはほとんど危害を加えない魔物など様々だ。大体は動物より個体のサイズが大きい。俺が襲われた巨大トンボは肉食で人間に限らず色々な動物を捕食するらしい。周辺に多く生息しており、この家に辿り着く前に捕食された人もいたようだ。

 怖かった。



 魔法について。


 大気には酸素とか窒素とかの他に『魔気』と呼ばれているものが含まれているとのこと。地球にはない成分だ。呼吸をしているだけで疲労が溜まりにくくなる効果があるらしい。俺が異世界に来た瞬間に抱いた空気の違いはこの『魔気』だったと納得した。


 この『魔気』、この世界の住人や魔物なら体内に蓄積したり、大気中から集めてガソリンや電気のようなエネルギーとして使ったりすることができるらしい。また、魔気が大量に凝縮され結晶化したものを魔晶というそうだ。

 この便利さは異世界ならではだな。


 で、蓄積した魔気の形を変えて放出するのが魔法ということだ。ナナミさんなら呼吸で溜めた魔気を回復のエネルギーとして放出している感じかな。


 残念ながら地球から来た人は、女神の加護がない限り、魔気を蓄積できないらしい。ソラくんは魔法を使えないってことになる。その分女神様から超強い能力をもらっているけどね、俺は妖精と会話するだけなのに。

 悔しい。



 歴史について。


 ここはエル=ファテハという巨大な大陸らしい。元から魔物はいたものの、人間が支配する大陸だった。といっても平和だったわけではなく、六つの国同士が大陸の支配権を争う戦国時代のような状態だったようだ。今も人間同士で争っているらしい。


 それが数十年前に大きな事件が起こる。


 別の大陸に住む三人の魔王がそれぞれの軍勢を率いて、エル=ファテハ大陸の征服に乗り出してきた。徐々に人間の領地は侵食されていった。六つの国のうち、三つの国が魔王たちの攻撃により滅亡したらしい。

 本来、人間と魔物は離れた大陸で棲み分けされていたにもかかわらず、押されていく人間。このままでは人類の存続すら危ぶまれた。


 ここからは推測らしいが、魔物と人間の共存世界を守ろうとした女神は、違う世界から対抗できる人間を招き入れることにしたようだ。

 そのためのゲートとして選ばれたのが日本だったということらしい。ゲートはしばらくの期間開きっぱなしのようで、実に多くの転移者がこちらに誕生。転移者は多くの問題を含みながらも二人の魔王を討伐することに成功して現在に至ったのではないか。ということだった。


 こんな非常事態なのに人間同士も争っているんでしょ?

 思ったより怖い世界だった。ナナミさんが人間同士手を取り合って、と語っていたが、その意味がわかる気がする。


「へー、勉強になるぜ」

 セナが感心している。お前はこの世界の住人だろ。



 最後、転移者について。


 転移者は千人以上いるという話だったが、現在は半分も生き残っていないだろう、とソラくんは言った。


 五十人以上の人数をソラくんたちが間引きし、さらに二百人近い人数がこの世界の住人に報復されたり、人間同士の戦争に巻き込まれたりして命を落としている。そして三百人ほどは魔物に殺されたか、行方不明となった状態らしい。きっと自殺した人もいるだろうね、寂しそうにソラくんは呟いた。


「間引きしている張本人がよく言うよな」

 セナの言いたいこともわかる。


 自分を重ね合わせて、間引きや報復されることに憤る気持ちもあるにはある。しかし、転移者が殺したこの世界の住人は千人どころではないらしいから、何が正しいのかわからなくなる。


 ならば転移者だけで生活した方がいいのではないか。そう感じるのは俺だけではないようで、転移者だけで作られた町もあるそうだ。


 全体的には横暴な者、態度や性格に難がある者が目立つため、嫌われがちだった転移者だが、ソラくんたちの尽力や魔王討伐の件もあり、最近ではそれなりに溶け込めるようになってきたらしい。


 反対に英雄視されている転移者もいる。


 この世界の科学の発展に貢献した技術者や研究者、加えて『断魔六勇士』という二年前に魔王を討伐した六人パーティーがそれにあたる。人格者でもあるらしく、彼らのおかげで転移者の地位が崩壊しなかったといっても過言ではないようだ。先月も別の魔王が討伐されているから、近々断魔六勇士の人数も増えると言われている。


 誰がそういう名前決めてるんだろうね。





「来客用の部屋を用意しているから、今晩はここに泊まっていい。ここを出て西に一時間ほど歩いたところにソハグという町がある。明日はそこへ行きな。情報を集めながら今後のことを考えるのがベストだと思うよ。転移者も何人か住んでるし。あと、うちの倉庫にあるもので必要なものがあったら持って行っていいから。ここにはキミを長く置いとけない。あたしらにも生活があるからね」


 すっかり穏やかになったナナミさんの好意に甘えて、部屋で休ませてもらうことにした。食事もカレーに似た料理を振舞ってくれ、日本にいたときとさほど変わらない味を堪能することができた。


 ひとしきりお礼を言った後、貸してもらった部屋のベッドに寝転がる。ベッドやテーブル、棚などが置かれており、俺が住んでいたワンルームより倍以上広い。



 もう帰りたい。


 異世界に来て素直な感想。

 女神の部屋にいるときや、異世界に着いたばかりのころはこれからの冒険に心を躍らせていた。しかし、この世界の現状やソラくんやナナミさんの現実を知り、自分の能力が実生活で役に立たないことを理解すると、この世界にいる意味も見出せなくなった。

 ハーレムだの魔王討伐だのを妄想していた自分が愚かにしか思えない。本来なら俺はここでふたりに間引きされるはずの人間だったことを理解した。対話力が低すぎて助かったようなものだ。


「なあセナ。元の世界に帰る方法ってあるの?」

「俺は聞いたことないな。ハクヤは帰りたいのか? まだここに来て一日も経ってないのに」

「なんかふたりの話聞いててさ、俺がこの世界に来ても何にもならないなって思って。俺が甘く考えていたのが悪いんだけどさ、異世界を楽しみにしてたのが申し訳ないんだよ」

「楽しみにしてたのは悪いことじゃねえだろ。あの話を聞いて、これからこの世界でどう生きていくかが大事だと思うけど違うのか?」

「そうなんだけど、この世界は思ったよりシビアだし、俺弱いし、少し怖くなっちゃって。さっきセナに言われても戦う気が起きなくて」

「怖いって方が一番の理由なんだろ? ふたりの話にビビっただけに聞こえるな」

「ビビったのかもしれない。でも元の世界に帰れば、今までより真剣に生きられる気がするんだ。それを今日学んだからさ」

「無理だね」


 セナは冷めた目で俺を見る。


「元の世界でいい加減に生きてきて、環境が変わることを望んで。いざ環境が変わったらこの環境は自分の思った状態ではないからやっぱり戻りたい? そんな人間が真剣に生きる? 冗談はやめろよな。今! ここで! 全力を出せない人は真剣になんて生きられないんだよ。一生な!」


 想像以上に激しい言い方にたじろぐ。


「でも、今度こそは……」

「ふうん。じゃあ明日ナナミさんやソラくんに聞けよ」


 話し終わる前にセナが言葉を被せてきた。


 セナともぎこちなくなってしまった。どうしよう。

 俺の不安とは裏腹に眠気が襲ってくる。魔気があるとはいえ、相当疲れていたようだ。

 目を閉じるとすぐ意識を手放した。


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TIPS

 魔物がみんな魔王に従っているわけではありません。むしろ魔王に従っているのは魔物全体の中でも三割に満たないくらいです。とはいえ、統率の取れた集団は恐ろしいですから、魔王の軍勢は依然この世界の脅威となっています。


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