第4話

第8章 謎の客対田中夫妻

謎の客は田中氏を追い返した後、一度も動きを見せなかった。客は3回ルームサービスコールを行い、ことの3回目はいつまでもうるさく鳴らしていた。しかし、田中夫妻は、「なによ、あんなやつ!自分から『出て行け!』といったくせにさ!」田中夫人はそういうのだった。やがて田中夫人は、「ライオンの頭」亭で張り込んでくれている人たちのために、高級なステーキを焼き始めた。村人たちは、もうすぐ開催される村のお祭りの最後の準備を進めていた。このお祭りを、村人は何よりも楽しみにしていた。村人たちはいつになくうきうきしていた。一方、「ライオンの頭」亭の2階の客室には正体のわからない客がいた。わざとカーテンを閉めて暗くした部屋で、おなかをすかせ、不安に駆られていたはずだ。そして、正午ごろ、ステーキのにおいに耐えかねたのか、客はいつもと同じ重装備で、1階に降りてきた後、「おかみ!」とものすごい声で叫んだ。酒場にいた人がびくびくして田中夫人を呼びに行った。しばらくして、朝食用のお盆に請求書を載せて、2階の客室に上がっていった。「ご入用なのは、これでしょうね。」田中夫人は請求書を見せた。「なぜ朝食を運ばず、コールしても上がってこない?私は超人じゃないんだ。飯なしには生きていけないぞ。」田中夫人も言い返した。「おやおや、先ほど『出て行け!』といったのはどなたでしょうか?お客様が出ていけとおっしゃったので、私どもはお客様の部屋に入らないようにしているんですよ。」「なんという屁理屈だ!けしからん!」「けしからんのはそちらでございますよ。先ほどあんなに強くいったことをきっぱりと否定なさった。それなら私共に怒鳴ったことへの謝罪をしてからでございますわ。」「けしからん!実にけしからん!」まったくもって事実を言っている田中夫人と、けしからんを連発している謎の客とでは、勝負は明らかだった。それは客の次の一言で証明された。「も、申し訳ないが。当分とめてくれないか?頼む!命にかかわることなんだ!」「まあ、私どもも旅人を外に放り出すほど鬼のような人ではございません。では、どのくらい泊まりたいのでしょうか?期間をおっしゃってください。」田中氏はここぞとばかりに明日出て行ってくれと言おうとしたが、客に先を越された。「1か月だ。」田中夫人はちょっとうろたえたようだったがすぐに体勢を立て直すと、「では、宿泊費をいくらいただけるのか、」と田中夫人が言った瞬間、客はふところから高額紙幣をたくさん取り出すと、「これでどうだ?」と言った。田中夫人は、「お客様がよろしければかまいません。」と言い、その紙幣をとると、「では、ご昼食をお持ちします。」と言い、田中氏と一緒に1階へ降りて行った。しかし、その時夫妻は気づいた。客が取り出した高額紙幣の量や金額が、牧師館怪盗事件の被害額と驚くほど似ていたのだ。(実は牧師館怪盗事件で逃げた見えない泥棒は、そのあと戻ってお金を盗んでいたのだ)それが何を意味するのかは、読者の諸君はわかるであろうが、そのときの夫妻は、手元に高額のお金があることがうれしくて、そんなことまで気にしなかったのだ。もしその時夫妻が気づいていたら、あの惨事は起きなかったであろうに…

第9章 松本博士、謎の客に会いに雪町村へ出かける

私はこれまで、謎の客が雪町村にやってきた時の様子をかなり細かく書いてきた。それは読者に村人たちがどれほど奇妙に思ったか、わかっていただきたかったからだ。しかし、謎の客について村人が語り合うようなことは毎日あったものの、それを除けば、4月の雪町祭りまで、日は飛ぶように過ぎていったのである。もっとも、それまで「ライオンの頭」亭が平和だったわけではない。客が何度となく宿屋の決まりを破るので、田中夫妻と毎回いざこざを起こしていた。おまけに、毎日のように独り言をぶつくさ行ったり、ガラス瓶を割ったり、薬品を床に投げつけたりする態度は、都会の会社員ならわかるかもしれないが、静かな村人たちには理解ができなかった。村人たちは、暇があると、謎の客についての憶測を語り合った。中でも支持者が多かった憶測が2つある。一つ目は、安藤氏が言いふらした、「あの客は、人間の皮をかぶった悪魔だ!じゃなけりゃあ、棺桶から出てくるはずがない!」という説であった。こちらは非科学的だったために、ひょっとしたらという思いで、安藤氏を支持する人も多かった。実際、牧師館怪盗事件や、狂ったライオンの頭事件などは、悪魔がやった仕業としか思えないので、その理由からも支持する人が多かった。2つ目は、肌の病気か、事故により顔が醜くなってしまった説である。これは田中夫人が言い出した説である。田中夫人は当初、客についての変な噂が立たないように、客のことを事故で顔が変わってしまった気の毒な人とあらわしていた。しかし、狂ったライオンの頭事件があった後、田中夫人までが悪魔説を唱え始めたので、今や雪町村にとって客は忌まわしい存在となり、子供たちが客が散歩しているときに、客の背中に向かって悪魔と叫ぶまでになった。

「なあ、知っているか、俺が住んでいる雪町村の宿屋に変な客が泊まっているんだよ。」「ふーん、どういう感じの客なんだい?」雪町村の隣にある幸原村の居酒屋で安藤と、幸原村の農家である、風間が交わした会話である。安藤は謎の客と初めて近くで接触したので、その時の自分の体験談を思わず風間に話してしまったのである。とまあ、そんなことがあり、謎の客についてのうわさが幸原村にも伝わった時のこと、松本稔博士はいたく興味をそそられた。松本博士は偶然幸原村に出張兼親友との飲み会のためにやってきたのだが、入った酒場で謎の客のうわさを聞いてから、山のようにあるビンのイメージが頭から離れなくなり、松本博士の職業的関心を刺激したのだ。松本博士はずっとこの客と話せるチャンスをうかがっていたが、4月を過ぎるとどうにも我慢できなくなった。ちょうど、幸原村に新たな病院を作ろうという計画が持ち上がったので、その署名と寄付を口実に、雪町村の宿屋を訪れることにした。そんなわけで、4月のある日、松本稔博士が雪町村にやってくると、謎の客の出現で困っていた村人たちが口をそろえて、「あの客の正体を見てこい」「頼むからあの悪魔を成仏させてくれ!」などと松本博士にせがむので、博士は村人がかなり客のことを嫌っている事実に驚いたが、せっかく雪待村に来たので、どうせなら情報の一つや二つを入手しようと決意を固め、博士は宿屋に向かった。宿屋につき、田中夫妻に謎の客と面会したい旨を伝えると、田中夫妻は必至で止めにかかった。「あの客は悪魔ですよ!高名な教授様が来られることは歓迎しますが、あの客に会えば、安藤と同じようにショックを受け、精神科のカウンセラーに通わないといけなくなるんですよ!いや、それならまだいいほうだ、呪い殺されるかもしれないんですよ!」などといったことを口々に言い、頼むからあの客との面会はやめてくれなどと幼児のようにせがむ田中夫妻を見て博士は困ってしまい、しかし好奇心が勝ったためか、博士はポケットからかなりの額の紙幣を10枚ほど取り出すと、田中夫妻の前に置き、「頼むから面会させてくれ、もしかしたらあの客が逃げるかもしれないぞ!」と殺し文句を田中夫妻に言うと、客のことをかなり嫌っていた田中氏が、「いやはや、そんなことでしたら、お金はいりません!早くあの悪魔を追い出してください!」と言い、博士の面会を許可することを伝えたため、これで話は決まってしまった。博士は合いかぎを持ち、客室へと上がり、ドアをノックして、相手が返事をする暇もなく、客室に飛び込んだ。ドアが閉められたので、夫妻はそれ以上話を聞くことができなくなった。しかし、5分もたつと、博士は安藤のように叫ぶほどではなかったが、非常に興奮した様子で、階段を駆け下りた。その時、1階には、田中氏が広めたえらい教授が客と会談するといううわさを聞き付けた村人たち10名ほどでにぎわっていた。その中には記者もいた。博士はその群衆(?)を前に、部屋で体験した異様な経験を語り始めた。なお、この異様な話の中で、博士がたとえをたくさん使ったのだが、その中に読者の価値観からすると差別的で不適切と受け取られる文言が含まれている可能性があるため、ここからは博士がのちに公開した事実のみを記した日記の内容を引用して、博士の体験を語ることにする。少しの間叙事詩のような文体になるが、そこはご了承いただきたい。

第10章 松本博士の日記

(前略)私は合いかぎを持って部屋に向かい、ドアをノックした。そして、客が返事をする間を与えずにドアを開け、部屋に滑り込んだ。そして私は部屋の様子を見まわした。薬品の入った瓶が大量に並べられていた。幸原村の病院でさえ、この半数も持っていないだろう。カーペットには薬品がこぼれ、瓶の破片も見つかった。そして、ベッドのシーツがはぎとられ、その上に棺のような大きな木箱があった。蓋はあけられていて、中には何もなかった。そして、真ん中には、謎の客がいた。こちらに背を向けた状態で、そこに立っていた。私が「失礼しますが、」と言って客に近づいても、客は何も反応をしなかった。私は勇気をもって客の前に回り込んだ。しかし、客は死んだようにずっとそこに立っていた。私のほうを見ようともしないで。私は気味が悪くなり、帰ろうとして客の脇を通り過ぎようとしたとき、私ははっとして立ち止まった。客が寝息を立てていたからだ。ふつう、寝るときは横に寝る。そのような当たり前の常識を打ち破る光景だった。客はそこにずっと立っていて、なおかつ寝息を立てているのだ!耳を澄ますと、軽いいびきも聞こえるほどだった。謎の客は立ちながら眠っていたのだ!しかし、私の頭は別のことを考えていた。私は医学を学んでいるが一方でオカルトにも詳しく、怪奇現象の真相を暴いたこともあるのだが、そんな中で聞いた噂を思い出した。「わしらの地方では、立ちながら眠る悪魔がおります。その悪魔は人間に化けて宿屋を拠点にし、世にも恐ろしい悪事を行うのです。しかし、ある霊能者が悪魔が立ちながら眠っている姿を見て、悪魔を説き伏せ、追い返したことがございます」ドイツの迷信深い村で老婆に聞いた話だった。まさかと思ったがこの光景はまさしくその老婆が言ったことではないか!私は強烈に驚き、目の前にいるのが悪魔なのかと空想し、恐怖に震えながら一目散に部屋を出た。もうあんな体験はこりごりだ!(後略)


追記

地方の夕刊に私の話が載った。村人たちはみな恐怖に震えている。かわいそうなことだ。だが、今はまだ確信を持てない。私はこのことについて友人の助けも借りてこのことを調べるつもりだ


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