第3話
第4章 客の荷物
というわけで、雪解けの季節をようやく迎えた2月下旬の27日、謎の客は北海道のオホーツクの小さな村にこつぜんと現れた。客が注文をしたのがその翌日の28日。そしてこの章で取り上げるのがあくる日の3月1日である。村は暖かい地域ではようやく雪解けが進んでおり、皆は雪町村の風習である祭りを1か月後に控えており、うきうきしたムードで祭りの準備を進めていた。そんな日、昨日客が注文した荷物がぬかるみの道を超えて運ばれてきたのだが、それがまた何とも異様なものだった。大きなスーツケースが3つあるのは普通として、(普通でもない気がするのだが)大量のスポンジが詰め込まれた木箱が1ダース、そして本が入っているアタッシュケースが3つ。また、かなりの紙が詰め込まれているカバンがあった。それらの荷物は村の運送屋である菊池運送(雪町村は田舎なので、固定電話はあるにしても、郵便局がないのだ)の軽トラックで運ばれてきた。田中氏が試しにスポンジを引っこ抜くと中には試験管やガラス瓶が入っていた。皆が異様な荷物に見とれていると、向こうからエンジンの音がし、またも運送屋のマークが乗っている車があるではないか!その車は皆の前で止まると、運転席から運送屋の社長、菊池が現れた。そして皆に一瞥すると、車のトランクから大きな木箱を取り出した。近くには人相の悪い菊池の手伝いが二人待ちかまえていて、菊池と一緒にその大きな木箱を運んできた。知りたがりの安藤が試しに持ってみると、かなり重く、のちに彼は大人の体重ぐらいあったと回想している。しかし皆が奇妙に思ったことには昨日はあれほど荷物を楽しみにしていた謎の客が全く姿を見せないことだった。田中氏が試しに客のドアを押してみると、わけなくドアが開き、もぬけの殻だったと証言している。
菊池は言った「この客の荷物、部屋に運ぶことにするか?」田中夫人は亭主が何かぶつくさいう前に「ああ、お願いするよ。」と言った。菊池はちょっとうなずくと、人相の悪い男(福沢と佐竹といった)たちに指示をし、客のスーツケース、木箱、アタッシュケース、カバンを全部「ライオンの頭」亭の客たちもびっくりするほどテキパキと荷物を2回に運んで行った。そして、彼らは棺桶のような大きな木箱を持っていこうとしたのだが、3人だけでは階段を上るほどの力が出なかったため、塾の先生方が手伝い、どうにか客室まで運ぶことができたのだった。さて、その様子を見ていた20人ぐらいの村人たちはそろって大議論を始めた。あの荷物は何なのか、謎の客がなぜ姿を見せないのか、などを酒場の中でうるさく議論しあった。その話の結果、「だいたい、我々は昨日からあの客の存在を1回も確認していない。ひょっとしたらひょっこり帰ってきて、今は部屋で荷物の荷解きをしているかもしれない。おい、安藤、様子を見て来い。」そういうことならと安藤が承諾し、安藤の客室への偵察が試みられた。皆は結果を期待しながら辛抱強く待っていたが、10分たっても安藤は来ない。皆は不安になりながら待っていた。やがて30分もしたところであろうか、突如、2階から「ギャー!」という叫び声に、「ふっはっはっは!はっはっはっは!!」というあの客そっくりの冷徹な笑い声が響き渡り、階段を安藤がどかどかと駆け下りてきた。
「あ、あの部屋にいるのは怪物だ!」
第5章 安藤、奇妙な体験を語る
叫び声をあげながら怪物と繰り返し叫んでいる安藤を皆は持て余し、かといって単なる精神異常とも片付けられないので、皆はとりあえず安物のブランデーを飲ませ、気を落ち着かせながら、安藤に話をするよう勧めた。安藤は次第に落ち着いていき、早口でしどろもどろに奇妙な体験を語るのだった。「へ、部屋をのぞいてみたら、客はいなくて、もちろん鍵もかかっていない。そ、それで、部屋を見渡すと、真ん中に、あのでかい木箱があったんだよ。それで、なぜかその木箱に目が釘付けになって、10分ぐらい辛抱してみていたんだ。したら、その木箱の蓋が、そろそろと少しずつ、本当に少しずつ蓋が動いて、空こうとしていたんだ。そして、ぎギギギ、と音がして、ついにあのふたが開いた!でも、ふたが開いても、まだ中の黒いものは動かず、何やらもぞもぞしていたんだが、やがて決心したように、その黒いものが、ゆっくり起き上がったんだ!し、したら、それがあの客だったんだよ!帽子を小脇に抱えて、あの赤と黒の覆面や、黒のコートにズボン、ブーツに至るまで、マントもつけながら、その木箱の中で寝ていたんだよ!それで、起き上がったあの客は、箱の外から出ると、低い笑い声を立てながら、てきぱきと、届いた荷物を荷ほどきして、瓶や試験管などを、余すことなく並べていった。化粧台、トイレ、台所、床まで!ありとあらゆるところに薬品を置いた後、スポンジの塊を、暖炉に放り込んだんだ。そして、その客はいきなり机に向かうと、薬品を別の瓶に混ぜ合わせたりして、いろいろ実験をやりだした、しかし、その時だよ、実験に夢中そうだったんで、そろそろと部屋の中に少し入ったら、急に客がこっちを振り向いた!そして、両手を広げて、とびかかってくるんだ!俺は悲鳴を上げて逃げた。それがさっき聞こえた叫び声だったんだ。でも重要なのはそこじゃない。彼は棺桶から出てきたんだぞ!棺桶から!」安藤の話の締めくくりの時は、もはや泣き声に近かった。偶然途中から酒場に来ていた村の牧師である村上が言った「驚くべき話ですな。」巡査の新井も続けた「驚くべき話です。」皆は深刻な面持ちで、しばらくは酒ものどを通らないようだった。
第6章 村上家の怪盗
村中に安藤の体験した話が広まり、皆が議論を開始するまでそう長く時間はかからなかった。地元新聞はコラムで安藤の話を掲載し、(いくらか間違えていた部分もあったが)村のほぼ全員がその新聞を読んだ。そのため、驚くほど速く、謎の客のうわさが村中に知れ渡ったのだ。そんなころに、牧師の家の盗難事件のうわさが重なった。その盗難事件のてんまつは、主に村上牧師とその夫人から語られた。その話を要約すると、こうである。
村上夫妻は、11時に就寝したのだが、日付が変わった午前0時、村上夫人はふと、自分の寝室のドアが開いてしまったような気がした。村上牧師の部屋が向かいにあったので、初めは夫がやったのかなと思ったのだが、夫が夜中起きだすことはめったになく、不思議に思い、村上牧師の部屋を訪ねると、牧師は相変わらずうるさいいびきを立てながら、眠っていた。今のは牧師ではなく泥棒に違いないと確信した夫人は、牧師を起こして、今起きたことを伝えると、牧師も起きて、近くにある鉄の棒を握りしめると、夫人とともに、リビングへ向かった。リビングの電灯をつけると、人はいなかったが、かすかな息遣いがキッチンのほうから聞こえてくる。キッチンの隣には金庫と鍵付き引き出しがあり、合わせると100万円ほどがたまっている。牧師は夫人に寝室に戻るようにと伝え、「よくも私たちが頑張って稼いだお金を…」とブツブツつぶやくと、「この野郎!」と叫び、勢いよくキッチンになだれ込んで、電気をつけた。ところが何たることか!キッチンには誰もいなかった!だが牧師には誰かがいるという確信があった。実際、牧師の近くで息遣いが聞こえていた。その時だった。牧師がキッチンを見回すより早く、チャリンという音と、金庫が開くガラガラという音、そして、「やったぞ!」という声が聞こえた。しかし、牧師の周りには誰もいない。どういうことかと牧師が考えるより早く、とんでもなく奇怪なことが起きた。金庫の中の高額紙幣が一掴み(とにかく少しではなかったそうだ)宙に浮いたのだ。恐らく泥棒は、この奇妙な光景を見せれば牧師の勇気もしぼむと考えていたのだろう。だが、牧師はそんな意気地なしではなかった。牧師の中でめらめらと怒りの感情が舞い上がってきた。突然、牧師は鉄棒を振り上げ、宙に浮く高額紙幣めがけてとびかかった。敵はこの事態を想定していなかったらしく、唸り声をあげて地面に倒れた。(姿が見えなかったので直接確認したわけではないのだが、紙幣の動きからそう感じたという)その途端、牧師は鼻を殴られた。鼻血が出て、血独特の味を口に感じたが、牧師はひるまず紙幣の周辺を繰り返し鉄棒で殴った。敵の口から痛そうな押し殺した叫び声が上がり、その瞬間、牧師は頬を叩かれた。そして、その敵は紙幣をもって逃げようとしたが、自分の居場所を知らせると思ったのか、それを投げ捨てた。しかし、あとを追いかけ続けた牧師は、そばにあった金属バットで敵がいると思われる場所を繰り返し殴った。敵は痛そうな叫び声をあげ、牧師ののどを締め上げた。だが、牧師が左手と思われるところをはねのけると、敵は右手で牧師の腹を殴り、牧師が足音から推測するに、一目散にその場を離れたらしい。牧師はそのまま足を引きずりながら家に帰り、寝室で辛抱強く待っていた夫人に事のあらましを説明すると、電話で警察にかけ、夫人に話した内容をそっくりそのまま話したのである。
第7章 おかしくなったライオンの頭
ちょうど牧師が警察へ通報していた3月2日の午前4時半ごろ、田中夫人は客への朝食を作るため、地下にある倉庫に行き、卵やハムなどの朝食の食材を取りに行った。そして田中夫人が帰ろうとすると、なんと、倉庫のドアがひとりでにしまったではないか。しかし田中夫人は風のせいだと思いながら、ドアを開け、1階の台所へ向かった。怪奇現象は台所で始まった。突然、夫人がフライパンを使っているところのコンロの火が、ひとりでに弱まったのだ。夫人は妙だと思いながら料理を続けたが、その直後、怪奇現象は起きた。いきなりキッチンペーパーがぐるぐるとまかれ、夫人の顔に当たった。夫人がきゃあと悲鳴を上げてよけようとすると、今度は使っていないフライパンが宙に浮かび、いきなり夫人の顔に飛んできたのだ!夫人が悲鳴を上げて料理を中断すると、今度は近くに置いていたビールの缶のプルトップがひとりでに開き、そのビールが夫人の服にかかってきたではないか!夫人はものすごい叫び声をあげると、ビールの缶から必死に逃げて、この騒ぎに少し目を覚ました田中氏の部屋に飛び込んだ。田中氏は妻の後ろからビールの缶が追いかけてくる光景を見たとたんに叫び声をあげ、部屋から出ようとした。すると、田中氏の部屋にある小さな椅子がひとりでに宙に上がり、田中氏に向かってとびかかってきた。二人は声にならない叫びをあげ、特に田中夫人はパニック状態に陥った。それからの騒ぎは記すには及ばない。お手伝いたちも起きだし、6人総出でパニック状態になり、騒ぎがある程度収まると、一番まともな状態の田中氏が皆に冷たい水をたくさん飲ませ、皆がある程度落ち着いた後、お手伝いの一人が外に飛び出し、知識人でもある3丁目の雑貨屋の安藤を呼びに行った。安藤は真剣な面持ちでやってくると、「私はあの客と関係があると思うね」と言った。そこに、どこから聞きつけたのか塾の先生方、田中氏の友人である後藤、他にも「ライオンの頭」亭の常連たちが集まり、気づいた時には集まっている人々の数は、30人ほどに増えていた。そして起きたのが、議論百出、具体的結論なしというものだった。そんな折、村上牧師の家の怪盗事件が「ライオンの頭」亭に入ってくると、この二つに事件が結びつけられた。そして、この話を聞きつけた新聞社が、昼に号外として、「雪町村の怪事件」という記事が紹介されたが、間違いだらけだった。そんな中、「ライオンの頭」亭にいた人々は、みんな揃って「あの客に行って話を聞いてくるべきだ」という意見を出した。これを聞いた田中夫妻は、問答無用という勇ましい顔で2階の客室へ話を聞きに行ったのだが、だんだん顔に元気がなくなり、客室の前についたときは二人ともびくびくした顔になった。田中氏がドアをノックし、「あの、失礼しますが。」と言いながら部屋に入っていくと、「うるさい!出て行け!ちゃんとドアを閉めるんだぞ!」という返事とともに、田中氏は突き飛ばされ、部屋から追い出された。これで、話は終わりになった。
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