第3話 外堀ワンパン
サラリーマン時代、俺はほとんど金を使っていない。実家暮らしというのを差し引いても、倹約家を名乗れるレベルだろう。
大きな買い物といえばパソコンぐらいだろうか。だが、このパソコンも学生時代のお小遣いやバイト代だけでなんとかなったわけだし、実質的に給料には手をつけていないと言えるだろう。
仕事を辞める一年ぐらい前から副業で利益も出していたし、貯金は優に七百万を超えている。二十二歳でこれって、中々凄くね?
……でもな、不安なんだよ。だって自営業だぜ?
今は実家暮らしだからなんとかなってるけど、一人暮らしするとなったら厳しい。
時間かければかけるほど儲かるってわけでもないし、バイトぐらいしたほうがいいかな? なんて考えてるぐらいだ。
そんなところに……。
『やっほー! 今からごはん食べに行こ!』
妖怪ヒモ女が現れたんだぜ? どうすんのよ。
どうするかな……メッセージに既読つけちまったし、無視はできんよな。
うーん……忙しいって答えるか? 実際、暇ってわけでもないし……。
『もう親が昼飯用意してるんで、すんません』
よし、これで諦めるだろ。
さすがに家族団らんに介入は……。
『私もキミの家で食べていいかな?』
するんだねぇ! 貴女って人はぁ!
『先輩は、自分の家で食べないんですか? 実家暮らしですよね?』
『バイトしてるって設定だからさぁ、今も外にいるんだ』
え、何してんの? 人生の無駄使いにもほどがない?
リストラされたことを妻に言えず、公園でブランコをこぐサラリーマンじゃないんだからさ。
『とにかく家にいるんだよね?』
『ええ、いますけど』
『OK!』
何が? 私、嫌な予感がします。
『先輩? どういうことです?』
メッセージの意味を聞いてみるが、返信がこない。それどころか既読さえつかない始末。なんだよ、俺はどうすればいいんだよ。結局、飯の話どうなったんだよ。
まあいっか、回避できそうだし。
「っと、そろそろ飯できあがるかな?」
いつもどおりであれば、後五分もすれば一階から大声で呼ばれるはず。たまには呼ぶ手間を省いてやるかな。
先輩のせいで今日は作業をする気が失せたのでパソコンの電源を落とし、一階へと向かう。
「ん? まさか……」
半分に差し掛かったあたりで、インターホンの間抜けな音が家中に響く。
頼む俺の直感よ、外れてくれ。
「はいはーい! どちら様ですかー?」
母親がパタパタと玄関に向かい、訪問者を確認する。
頼む、しょうもないセールスであってくれ。セールスなら、百戦錬磨のオカンが撃退してくれる。
「あっ、こんにちは。私、狐次郎君の友達の葛川姫と申します」
……そういうとこやぞ! 彼氏できないの、そういうとこやぞ!
くそっ、お上品ぶりやがって。一人息子を抱える世の中のオカンってのはな……。
「あらー、あらあらあら。あの子にこんなべっぴんさんの彼女がぁ」
すーぐ懐柔されんだよ! オレオレ詐欺とかは一瞬で見抜くくせに、美人は信用するんだよ! そんなに孫の顔が見てえか! 孫ってのは息子のムスコだろ? 見たけりゃ今すぐにでも……。
「もー、お義母様ったら。まだ友達ですよぉ」
可能性をチラつかせんな! 友達ですらねえよ! 元々、先輩と後輩っていう厚い防弾ガラスみたいな壁があって、昨日の一件でそれが三枚くらい追加されたんだよ。
どう頑張っても知人なんだよ。それ以上の関係になんてなれないんだよ。
「狐次郎ー! 彼女が来てくれたわよー!」
畜生……完全にやられた……。
もしこのまま気に入られたら、当然のように入り浸るようになるぞ。
俺の事情だけ考えても辛いけど、孫の顔が見られるとぬか喜びさせるのも辛い。
だって、最終的に捨てられるだろ? 俺って。
そうなった時、一番ダメージ受けるのってオカンじゃん。ショック死したらどうすんだよ。もう若くないんだからさ。
「先輩、何しにきたんです?」
「キミに会いたくてね」
違うだろ? 我が家の飯を狙ってんだろ?
オカン! 追い返せ! 飯時だからって追い返せ! 今からもう一人分作るの無理だろ! なあ!
今こそ飛田家の番犬としての神髄を発揮する時だぞ!
「さあさ、立ち話もなんだしね? 上がってちょうだいな」
「はあい、お邪魔しまーす」
駄犬! 強盗に尻尾振るタイプの駄犬!
「先輩、今から昼飯なんですけど……さすがに先輩の分は……」
「あっ……そっか、そうだよね。ごめんね? お昼時に押しかけて」
あ、あざとい。知ってたくせに、知ってて来たくせに。
「いいのよ姫ちゃん、私はカップ麺で我慢するから、私の分を食べなさいな」
オカン! いいから! そういうのは!
アカンぞ、オカン。ホンマに勘弁してくれ。
「いいよ母さん、俺と先輩で半分こするから……ちゃんと食べな?」
「あら……いつの間にか立派になって、この子は」
とっくに立派だよ。仕事辛くても頑張って貯金貯めて、副業が安定するまでは両立して、我ながら立派だよ。
「ごめんね? 私のせいで」
「……お気になさらず」
うん、本当に気にしてないから。別に一食分ぐらい、量が減ってもいいよ。
ただね、今後のことを考えてるの。このまま外堀を埋められるんじゃないかって、ただそれだけが怖いの。
結局おかずは三人で分け合った。いや、オカンはいいのよ、分け合いっこせんで。
心苦しいわぁ、自分が抱えてる爆弾で親に迷惑かけんの。
おい! お前はどうなんだ! 爆弾本人はどういう心境なんだ! 後輩と、後輩の親からぶんどった飯は美味いのか!
「姫ちゃんは同じ委員会だったのねぇ」
「ええ、生徒会ですけどね」
「あらあら、狐次郎が生徒会に入るなんて何事かと思ったら、そういうことだったのねぇ。うふふ」
おいオカン、ニヤニヤすんな。
そうだよ! 先輩目当てで生徒会に入ったよ! 先輩が卒業したら速攻で抜けたけどな!
「あの頃の先輩は輝いてましたから」
「もう、今もでしょ?」
一体どの口が言ってんだよ。薄暗いところにあったら気付かない程度には、黒ずんでるよ。光度ゼロだよ。
「で、結局先輩はなんの仕事してるんです?」
「もー、食事中に仕事の話はやめてよー」
食事中以外なら話すって言い方やめろ、昨日も徹底的に話題を逸らしただろ。
言っちまえよ、ニートって。さあ、俺のオカンを幻滅させろ。
「教えてくださいよ。どこに就職したんでしたっけ?」
「……シュガードリーム」
……どこ? 何? ゲームメーカー?
「あら! それってもしかして、あのコスメブランド?」
あっ、有名なんだ。
コスメねぇ……似合ってると言えば似合ってるけど……。
「ええ……辞めちゃいましたけど」
あっ、やっぱり辞めたんだ。お金ないって言ってたけど、本当に辞めてたんだ。そして、それを言っちゃうんだ。
よしよしよし、これでオカンは幻滅するぞ。オカンは古い人間だから、会社で働いてナンボって考えのはずだしな。実際、俺の自営業についてもうるさいし。
「あらあら、辞めちゃったの」
「ええ……理由はわからないんですけど、年配の女性社員達から意地悪されまして」
あー……お局さんってヤツか。
そうだよな、若くて美人だと目をつけられるよなぁ。
「わかるわぁ、私も若い頃はオバちゃん達にイジメられたもんよ」
嘘つけよ、嫉妬とは無縁の生き物だろ。むしろオバちゃんと打ち解けるタイプの人だろ。一般人より十年早くオバちゃん入りするタイプだろ。
「私はともかく、お義母様は綺麗ですもんね。嫉妬されますよね」
「あらあらあら、良い子ねぇ。お小遣いあげちゃおうかしら」
おいおいおいおいおいおい、チョロすぎるぞ。
そうやってお世辞を真に受ける辺りが、まさにオバちゃんなんだよ。
なんとなく察してはいたが、中々手強いぞ、この女。こうもアッサリとオカンのハートを鷲掴みにしやがった。
「姫ちゃんは、好きな食べ物とかある?」
「え? ええっと……ハンバーグとか」
なんで顔を赤らめるんだよ、普通だろ。あざといわぁ! 腹立たしいわぁ! 女子から嫌われるタイプの女子代表だわぁ! 俺の心の中の乙女も、先輩のこと嫌いって言ってるぞ!
「よし! 晩御飯も食べていきなさい! 腕によりをかけまくって、特製ハンバーグ作っちゃうから!」
おい! 俺が晩飯リクエストしたら『こっちにも食材の都合ってものがあるのよ』とか言って、拒否してきたじゃん。先輩を甘やかさなくてもいいんだよ。何がお局さんからイジメられただ。そんなもんどこの職場でもあるわい! 若手の宿命じゃい!
「お義母様……ありがとうございます!」
「いいのよぉ、実家だと思ってゆっくりしていってちょうだいな」
なんでだよ、なんでこうなるんだよ。別に同情するようなエピソードないじゃん。
俺が先輩から酷いパワハラ受けて辞めた時『アンタねぇ、どこの職場にも変な人はいるのよ? 誰だって皆、我慢して働いてるのよ? ネットビジネス……だっけ? そんなのねぇ、お母さん、仕事って認めないから!』みたいに追い打ちかけてきたじゃん。露骨なまでの差別じゃん。
「ところで姫ちゃん貴女、タバコの臭いがするわね」
「あっ、すみません」
「いいのよぉ。今日は洗濯物干してないから、吸いたくなったら遠慮なく、お庭で吸ってね」
「ありがとうございます!」
おい? 俺の時と対応違うくね? 俺わざわざコンビニまで行ってんだぞ?
はぁ……今後のことを考えると、頭が……。
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