一歩前進?

 真新しい学生服に袖を通す。今日から俺と姉ちゃんは、王都にある小学校に通う……姉ちゃんはともかく俺は二回目の学生生活になる。

 前世の学生生活は。青春とは無縁だった。

 これといって秀でた才能もなく、夢中になれる事も見つけられなかったのでダラダラと過ごすだけだった。ついでに男子校だから恋愛とは無縁。

 青春のやり直しは嬉しいけど、恋愛は……流石に小学生相手だと厳しい。


「トール、準備は出来た?……ほら、ネクタイが曲がってるじゃない」

 姉ちゃんは部屋に入って来るなり、俺のネクタイを直し始めた。

 ……見方を変えればおっさんが小学生に世話を焼かれているのだ。前世の知人には絶対に見せられない姿である。


「し、出発前に直すつもりだったの」

 これでも何十年もスーツで出社していたんだ。ネクタイ位秒で結べる。

 ちなみに俺は紺のブレザーに白いシャツ、それに赤いネクタイで、パンツはグレー。

 一方姉ちゃんは紅いブレザーに白いシャツ。それに紺のリボンで、ベージュのロングスカートを穿いている。

 かなり長いスカートで、つまんで“御機嫌よう”と挨拶が出来そうだ。


「はいはい、言い訳は良いからもう行くわよ。ほれ、寝ぐせついてる」

 姉ちゃんは苦笑いしながら、俺の髪をといでくれる。その顔は慈愛に満ち溢れており、悪役令嬢になる要素は皆無だ。


「姉ちゃんは学校楽しみ?」

 俺と違い姉ちゃんは学校に通った事がない。村には年の近い子供が少なかったから、不安の方が大きいんじゃないだろうか?


「楽しみだよ。お友達いっぱい作るんだ」

 姉ちゃんはそう言うと、嬉しそうに笑った。

 友達か……懐かしい響きだ。日本のみんなは元気にしているだろうか?

 学生時代は、それなりに友達がいたけど、いつの間にか遊ばなくなっていた。

 みんな家庭を持っていたし、故郷を離れると会う機会も減るんだよな。

 とりあえずクレオ君と同じ様に接すれば、怪しまれる事はないと思う。

 感覚的には保護者の方が近いんだし……同級生で、小学生の子供がいる奴もいたな。

 友達はまだ大丈夫だ。しかし、恋人はまずい。保護者ではなく犯罪者になってしまう。

(こりゃ今回も独身決定だな)

 年齢問題をクリアしても、俺でも良いと言ってくれる女性なんて、この世界にはいなそうだし。


「姉ちゃんなら、きっと出来るよ」

 もし悪役令嬢ルートに入り掛かっても、親しい友達が出来れば、その人が姉ちゃんの事を諫めてくれる筈。俺は図書館で知識を蓄えよう。


 ◇

 登校初日で、いきなり不安になりました。俺、ここに通って良いの?

 てっきり“庶民が来るな”とか言われるんじゃないかって身構えていたのに。


「トール君、今日からよろしくね」

 転入生が珍しいのか、みんなフレンドリーに接してくれた。そしてみんな純粋でキラキラしています。

 駄目だって、おじさんに近付いたら汚れちゃうよ。疑っていた自分が下種に思えてくる。

(そうか。純粋培養されている子ばっかりだもんな……俺とは住む世界が違い過ぎる)

 子供時代に転移してきても、浮いていたと思う。

 幸い授業内容は簡単に理解出来た。いや、良い歳したおじさんが小学校の算数で躓いていたら、まずいんだけど。


「みんな、元気か?今日も体育で爽やかな汗を流すぞ」

 白い歯が眩しいのは体育担当のブラン・キャナリー。風のキャナリー伯爵の縁戚らしい。

 見た目は昭和の映画スターって感じ。顔は整っているけど、独特の濃さがある。

 青春、熱血、団結って言葉が好きそうだ。


「先生、いつものやつ見せてー」

 生徒の一人が何かリクエストする。ブラン先生の口角が少しだけ上がった。


「おいおい、困るなー。授業時間が短くなるぞ。それでも良いのか?」

 先生は困った風を装っているが、張り切っているのが分かる。


「トール君は今日来たばかりなんです。見せて上げて下さい」

 いや、暑苦しい兄ちゃんを見ても楽しくないぞ。若い女の子なら、ずっと見ていられるけど。


「トール・ルベール……ルベール伯爵の孫、エメラルド公爵に認められたとうい少年か……トール君、君は先生の特技見たいかい?」

 一瞬だけ先生が素になった。貴族の血を引いているブラン君にしてみれば、小学校の先生で終わりたくないのかも知れない。


「ぜひ拝見したいです。お爺様にもお伝えしたいですし」

 若造、俺がただの転入生だと思うなよ。おべっかやごますりは大得意なんだぞ。


「仕方がない……見せてやるか」

 ブラン先生は、そう言うと一気に駆け出した。同時に生徒から歓声が湧く。

 バック転に三回宙がえり、まるで体操のオリンピック選手だ。華麗な動きに生徒は釘付けになっている。

 そして俺も釘付けになっていた。ただし、違う意味でだけど。

(ジュエルエンブレムから出た魔力が身体を包んでいる。魔力で、身体の動きをアシストしているのか)

 多分、ブラン先生には体操の才能はない。あるのは体操のスキルだと思う。

 戦闘には役立たないスキルだから、教職に回されたんだろう。

 なにより努力して身に付けた技ではないから、本人も誇りを持てない。

 ロッキ師匠が言っていた様に、ジェルエンブレムは悪趣味な物かもしれない。

 自分の進みたい道には進めないんだから……全てはジュエルエンブレム次第なのか。

 でも、俺にはある収獲があった。

(そうか。魔力を体に流せば良いのか)

 直接流せば、筋肉も鍛えられる筈。


 ◇

 一歩前進と喜び勇んでいたら、愕然としてしまいました。


「姉ちゃ……お姉様、お変わりはございませんか?」

 なぜお姉様と言い直したのか。なんと一日で姉ちゃんに取り巻きが出来ていました。

 俺が一歩前進したと思ったら、悪役令嬢ルートが何十歩も前進していました。


「トール……さんもお元気な様で安心しましたわ。皆さん、あそこにいるのが私の弟のトールですわ」

 姉ちゃんの偉そうな喋り方はある意味正しい。あれは貴族令嬢の言葉遣いの一つだ……でも、誰が教えたんだ?


「トール様、お久し振りでございます」

 挨拶してきたのは、フレイム家にいた取り巻き一号。


「エメラルド公爵にも認められたとお伺いしました。流石はレイラ様の弟君ですわ。きっとレイラ様のご教育がよろしかったでしょうね」

 何気に姉ちゃんの手柄にしようとしたのは、取り巻き二号。

 反論しようとしたが、クレオ君と仲良くなれたのは姉ちゃんの存在が大きい。

 村にいた時、姉ちゃんは小さい子の面倒をみていた。そのお陰で、俺も子供との接し方を学べたんだから。


「それはない……ですわ。クレオ様を救ったのは、トールですもの。私には何の功績もありませんの……トール、シャツがよれてるわよ!もう、こんな短時間でクシャクシャにしちゃうんだから。メイドさん達も、皺伸ばすの大変なんだから、気を付けなさい」

 体に魔力を流してみたら、思いのほか動けてシャツ皺だらけになったんだよな。

 少し恥ずかしかったけど、姉ちゃんは姉ちゃんで安心した。

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