転生したら平和でした

 夏の涼やかな風が小麦畑を吹き抜けていく。収穫間近な小麦は日の光を浴び黄金色に輝いている。

(今年は豊作だな。さて、もうひと頑張りするか)

 転生して八年が経った……正直言って何も起きていません。平和そのもので、肩透かし状態です。

 ちなみに今は畑仕事の手伝い中。同い年の子供は遊んでいるけど、俺は中身が中身おじさんだから、農作業の方が楽しい。

(ラノベなら“乙女ゲーの世界に転生したけど、スローライフしています”そんなタイトルになるんだろうな)

 俺が転生したのは、小さな農村。町からは結構離れていて、日本なら平家の落人の伝説がありそうに思う。

 村中家族みたいなもんで、ゆっくりと暖かい時間が流れている。


「お父さん、トール、ご飯だよー」

 転生したけど、顔はそのまま。そして名前はトール・ブークリエ。転生したけど名前は徹がトールになっただけ。変わったのは、髪の色が茶色になった位である。

 声を掛けて来たのは姉のレイラ。弟の俺が言うのもなんだけど、かなりの美少女である。

 ゲームとの共通点は、姉の名前が悪役令嬢のレイラ・ルベールと名前が一緒な位だ。

 本物のレイラと会ったら“庶民が私と同じ名前なんて、信じられませんわ。今直ぐ改名しなさい”とか難癖をつけてくるかも知れない。

 しかし、我が家はお貴族様とは無縁のド田舎の農家。本物の悪役令嬢レイラに会う事はないだろう。

 何しろ俺が住んでいるのはイルクージョン王国ではなく、ポリッシュ共和国という国なのだ。


「レイラ、ありがとう。さあ、トール行くぞ」

 そう言って俺の頭を撫でてくれたのは、この世界の父親カイル・プークリエ。

 どう見ても俺と血縁関係があるとは思えないイケメンです。流石は乙女ゲーの世界。ゲームに出て来ない農夫もイケメンでした。

 いや、父さんだけじゃない。この世界の人間は容姿が整っている人が多いのだ。モデルや俳優レベルの人がゴロゴロいる。


「うん、今日のご飯なんだろう?」

 いや、分かっている。今日も硬いパンとサラダだ。OLのランチよりカロリーが低いと思う。

(力仕事の後だから、大盛牛丼でも食いたいんだけど、無い物ねだりだよね)

 この世界は容姿だけじゃなく、文化も偏っている。服やアクセサリーの類は、日本と遜色がないレベルまで発展している。

 しかし武器や防具は中世レベルだし、工具や農具もあまり発達していない。

 一番酷いのは食文化だ。デザートやお洒落な食べ物は沢山あるけど、がっつり系の飯が殆んどないのである。


「まずはアムール様にお祈りしてからだぞ」

 原因は、この世界の主神女神アムールにあると思う。アムールは愛と美を司る女神だけあり、美しい者を愛する……ていうか、依怙贔屓っていう位、容姿で扱いが違う。


「トール、アムール様にお祈りしていれば、ジュエルエンブレムを使える用になるんだよ」

 ジュエルエンブレムは、カヤブールの乙女にも出てくる。ジュエルエンブレムを持っているキャラは、強力なオリジナルスキルやオリジナル魔法を使えるのだ。

 こっちに来て分かった事。

 ジュエルエンブレム編


その一、ジュエルエンブレムは概ね、十代前半で使える様になる。カヤブールの乙女の主人公も、ジュエルエンブレムが使える様になったらから、王立高校へ入学が許されたそうだ。


その二、ジュエルエンブレムを使える様になると、身体能力や魔力が飛躍的向上する。十数年の修行をあっさり追い抜くレベルで、向上するらしい。


その三、ジュエルエンブレムにはランクがある。RからDにまで分かれていて、A以上はオリジナルジュエルと呼ばれて、固有名詞がつけられている。


その四、ジュエルエンブレムが使える様になると、立身出世が思うがまま、しかも良縁に恵まれるとの事。事実、ジュエルエンブレムを使える様になった農家の娘が、貴族の嫁になった事がある。


 ……そして一番大事なその五。

 ジュエルエンブレムは血統継承が主である。かつアムールの加護を受けた美しい容姿の者。例外もあるらしいが、平民のフツメンがジュエルエンブレムを使える様になった事例はほぼないそうだ。

 つまり、俺にはほぼ不可能って事。

(こればっかりは農民に生まれた事を感謝だな。ジュエルエンブレムを使えない貴族の子弟は悲惨らしいし)

 二十歳を過ぎてジュエルエンブレムを使えない者は廃嫡にされ、庶民扱いとなる。

 女性なら商人や騎士に嫁ぐって手があるけど、男は悲惨だ。

 事務仕事にありつければ良い方で、殆んどの者が家族からも黙殺されてしまう。

 冷や飯食いならぬ、カビパン食いなる言葉があるくらいだ。


「でも、ジュエルエンブレムを使える人は魔物と戦わなきゃ駄目なんでしょ?」

 なぜ、こんな無法がまかり通るのか。貴族は騎士や兵士を率いて、魔物を討伐する義務があるそうだ。

 オリジナルジュエル持ちなら良いが、Bランク以下の貴族や騎士の死亡率はえげつないらしい。


「トールは父さんの後を継いで、農家になってもらうんだから心配するな」

 パパンの、気遣いが心に沁みる。俺は、どう足掻いてもジュエルエンブレムを持てない。

 今の言葉は夢が破れても、傷つかない為のフォローなんだと思う。

 この世界の子供は皆ジュエルエンブレムに憧れる。正確に言うとジュエルエンブレムを使って活躍した英雄達に憧れるのだ。

 何しろ昔話や英雄譚の主人公達は、皆ジュエルエンブレム持ち。日本の少年が正義の味方に憧れる様に、この世界の子供はジュエルエンブレムを持った英雄達に憧れるのだ。


「うん、俺は立派な農家になるよ。父さん、お祈りが終わったら剣の稽古つけてね」

 父さんはどこで覚えたのか剣を使える。だから畑を手伝う代わりに剣を教えもらっているのだ。


「やっぱり、トールも強くなりたいんじゃない」

 姉ちゃんがしたり顔で笑う。俺は英雄になりたくて剣を習っているんじゃない。あくまで自衛の為だ。

 村を一歩出ればゴブリンやコボルトがうろついている。ある程度の年齢になれば町に買い出しに出なきゃいけない。

(姉ちゃんが婿取りになる可能性もあるからな。将来の為、選択肢を増やしておこう)

 目指すは、平和なスローライフである。


 ◇

 家はお世辞にも金持ちとは言えない。この世界の平均は分からないけど、下層に分類されるのは確かだ。

 それでも笑顔が絶えない明るい家庭である。優しく頼もしい父カイル、のんびり屋だけど、いつも笑顔の母ライラ、怒ると怖いけど優しい姉レイラ。

 飯を食べた後は勉強の時間である。国語や算数、礼儀作法も学んでいる。


「本当、トールは魔法の勉強が好きね」

 魔法を教えてくれるのは母さん。二児の母とはおもえない若さと美貌の持ち主だ。

 元厨二病患者だから魔法の勉強はテンションが上がる。それに国語や算数は前世の知識を使えば、楽勝なのだ……小学校低学年の算数でつまずく訳にはいかない。


「うん、大好き。早く攻撃魔法を使える様になりたいな」

 ちなみに、俺が今使えるのは生活魔法と言われている物。


 乾燥 保存食を作る時や、濡れた物を乾かす時に使う。ちなみに生物には使用出来ない。


 草刈り 手刀で草を刈れる。植物限定。しかし、木は熟練度及び力不足の為刈れない。


 収納魔法(手籠) 三十cm四方の亜空間に物を収納出来る……現状農作物以外は入れる物がない。


「攻撃魔法はもっと大人になってからね……あら?お客様だわ」

 母さんは笑って誤魔化したけど、攻撃魔法を使うにはある制限が設けられていた。使っても良いのは、貴族や騎士、または冒険者といった魔物と戦う職業の人達だけなのだ。


「村長、なにかあったんですか?」

 訪ねてきたのは、白髪の渋い中年男性。この村の村長で、昔は騎士をしていたそうだ。


「山でゴブリンを見た者がおって、その連絡だよ……それと明日トールを貸してもらえんか?」

 村長が俺に用事?畑の手伝いとかだろうか。


「それは構いませんが。ゴブリンですか……山に冒険者でも入ったんですかね?」

 ゴブリンは臆病な魔物だ。冒険者が近付けば、直ぐに逃げる。

(ゴブリンに会った時は大声を出せば良いんだよな)

 子供の声でも逃げて行くそうだ。

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