十 一計

 こっくりした胡麻餡がたっぷり詰まった小ぶりの饅頭は、西市の流行はやりもの。


「美味しい〜。これ、一度食べてみたかったの。ありがとう、紫水」

「お気に召したようで。並んだ甲斐かいがあったよ」


 満面の笑みで饅頭まんじゅうにかぶりつく明依の隣で、紫水は果実汁を喉に滑らせた。

 夏逸の手紙を月琴の娘に届けてもらう為、何度か麺屋に足を運んでいるうちに二人は仲良くなった。聞けば紫水と同い年で、身寄りもなく記憶のない頃から湖碧楼にいるらしい。

 物怖じしない性格で、紫水にも率直な物言いをする。それが逆に新鮮で、届け物ついでの雑談を、紫水も楽しんでいた。


「そーいえば今日は官服なんだね。カッコいい〜」

「どーも」

「褒めてるんだよ?喜んでよぉ〜」


 カラカラと笑う明依。この気取らない明るさが心地いい。


「皇城って、紫水みたいな人がいっぱいいるんでしょ?いいなぁ〜。一度働いてみたいなぁ」

「やめときな。人の顔した魑魅魍魎ばっかだよ?」

「すごい例え。紫水って顔に似合わず辛辣だよねぇ」


 またしてもカラカラ笑う彼女も、年頃の娘と同じ様に宮廷に興味があるらしい。


「でも、憧れちゃうなぁ。絹のお衣装にキラキラの簪挿して、お妃様や皇子様たちの側にお仕えして、御殿に暮らすの、すごくない?」

「いいのは見かけだけだって…。簪なんて重いし首は痛くなるし、周りは嫌味たらしい陰険な奴ばっかだよ?」

「え、紫水は宮中、行ったことあるの?」


 明依は興味津々、目を輝かせ食い気味に迫る。


「実家の手伝いで、何度かね。…もう、二度と行きたくないけど」


 まごうこと無き本音だ。出来る事なら身内全員、縁を切りたい。


「すご~い!」

「すごくないって」

「選ばれし者しか入れないんだよ!羨ましすぎるうっ」

「選んでほしくなかったけどね」


 こっちはまったく身に覚えのない血縁という悪夢に、今もうなされてる真っ最中。


「あのね、紫水は経験出来るから、ありがたさがイマイチわかんないんだよ。都に住む全女子の憧れだよ?あ〜あ、一度でいいから、見てみたいなぁ」


 両手を握りしめ、恍惚とする彼女の姿に、なんとも言えない気持ちになる。

 仕方ない。何事も、知らぬが仏だ。

 この世で最も華麗で、最も醜い場所―。

 宮廷の見目麗しい花々が他人の犠牲を養分にして咲いてることなんて、きっと誰も気づかない。


「…憧れくらいが、ちょうどいいのかもね」


 胸にこみ上げるむかつきをぐっと抑えて、紫水は明依に振り返る。


「で、様子はどうだった?」

「受け取ってくれるけど、『どうなの?』って聞いても、はぐらかされるんだよね~」

「梨の礫か…」


 最後の饅頭のかけらを口に放り込み、竹水筒に入れた水をごくっと飲んだ。

 月琴の娘は宇春うしゅんといい、彼女の楽団はどこかの妓楼のお抱えらしい。この界隈の店に呼ばれて出向くので、湖碧楼に来た時に明依は声をかけているそうだ。


「どうにか彼女と話せないかな?このままだと進展しないと思うんだよね」

「紫水は短気だね~」


 明依は変なところで笑う。楽しそうだから良しとするが。


「だって、夏逸のあんな姿みたら、放っておけないでしょ」


 届いた書簡を開く度、一喜一憂する友人が哀れで哀れで。見てるこっちが、精神やられ始めてる。

 しかし、常に穏やかで、声を荒げたりしない夏逸があんなに心乱されるとは、思いもしなかった。『恋は病』とは、言い得て妙だと、つくづく感じる。


「楽団は呼んだら来るけどねぇ」


 何気ないひとことに、ヒントは隠れているもの。紫水はハッと顔を上げ、明依を見た。


「呼べるの?」

「お金払えばね。仕事だから。早い時間帯に月琴ひとりなら、そんなに高くないよ。ね、これ、いい案じゃない?」


 得意げな明依に、紫水は「確かに」と頷いた。その手は頭に無かった。


「…簪でも売るか」


 紫水は実家に置いてある、下賜された数々の装飾品を思い起こす。一本や二本、いや、半分くらい売り払っても、支障はない。


「売らなくていいよ、それをお代にすれば。女の子なら、素敵な簪の方が喜ぶでしょ?」

「夏逸から渡せばいいか」

「あと、店主に心づけを渡せば、場所は用意できるよ」

「なるほど」


 舞台は揃った。どんよりとした空が一気に晴れたような気分だ。


「わかった。明日届けさせるから、橋渡しお願いできる?」

「もちろん!お任せあれ」


 口に胡麻餡をつけた明依が、誇らしげにポンっと胸を叩いた。



  ◇


 窓の外に青々と茂る竹林と池を見渡す、小さな個室。部屋の真ん中には大きな円卓があり、小皿に乗った酒肴と玻璃の器が並んでいた。


「飲まないの?」


 夏逸は一切酒に手を付けていなかった。彼は上目遣いでチロっと紫水を見たかと思うと、机にうっぷした。


「心臓が飛び出そう…」

「大丈夫だって」


 話を切り出したのは五日前。準備万端との知らせを受けた紫水が夏逸を誘ってから、彼の浮かれっぷりは大理寺中の話題になるほどだった。


「どんな顔すればいいの…?」


 ついさっきまで、あんなに舞い上がってたのに、いざとなると、こうも弱気になるとは。恋とは忙しいものだ。


「平常心だよ。いつものえっつーでいいんだから」

「嫌われたくないの。どうしよう、紫水」

「どうしようと言われましても…」


 件の人、宇春本人には『若手の下級役人が月琴を間近で聞きたいそうだ』とだけ伝えてある。下手な前情報で、断られるのを避けたかった。


「オレの顔みて、出て行ったりしたら…」


 確かに、その可能性はある。そんなことされたら、ここを押さえる為にはたいたヘソクリが無駄になってしまう。

 何より、こんな情緒不安定なえっつーは、もうイヤだ。

 今日は絶対に、二人で話をしてもらうんだから。


「わかった。私に考えがある―」



 コンコンと戸を叩く音に、紫水は顔を上げた。


「どうぞ」


 招き入れた相手は一礼して顔を上げると、紫水を見て少し驚いたような表情を見せた。


「大理寺の陸だ。呼び出してすまないね」

「宇春と申します」


 深々と頭を下げた彼女に、紫水は役人らしく落ち着いた調子で話しかける。


「先日の宴席であなたの月琴を知って、もう一度聴きたくて」

「至極恐悦にございます」


 また頭を下げた彼女に、紫水は入口近くの椅子を指先で示した。


「そちらにかけるといい」

「はい。失礼いたします」


 自分は少し離れた窓辺の長椅子に座り、両足を伸ばした。

 宇春は頭上にふたつの円にして結んだ髪に、銀細工と碧玉が揺れる簪を挿していた。ツヤのある白と桃色を重ねた衣の袖をふぁさっと広げて、彼女は椅子に腰かけた。


「ご所望の曲はございますか」


 あどけなさの残る顔が紫水に問う。茶色く丸い、大きな瞳は可愛らしい少女そのものだが、その奥には強い光が宿っている。


「…あなたの故郷の曲を、頼めるかな」

「はい」


 言葉少なく、彼女が月琴を抱え直す。

 右手に持った弾片で弦を撫でると、パランと軽やかな音が流れた。

 窓の桟に肘をのせ、頬杖をついた紫水は目を閉じた。

 耳に響く音が、まぶたの裏に絵を描いていく。

 雄大な水の流れと、はるか対岸に渡る鳥の羽音。四本の弦が描く景色に、紫水は心を委ねた。


 「…江夏、か」


 演奏が終わり、紫水がぽつりとつぶやいた。


「左様にございます」


 静かに頷いた宇春。紫水は足を床に降ろし、立ち上がった。


「…懐かしい故郷の思い出話でも、して欲しいなと思ってね。月琴を置いて、こちらに座って」


 言われた通り、宇春は丸卓の下座に座った。


「どうぞ、一杯」


 乳白色の杯を彼女の前にコトンと置くと、紫水は部屋の出口に向かった。


「あの、どちらに?」


 不思議がる宇春に振り向き、ニコッと笑う。


「あとはどうぞ、お二人で旧交を温めて下さい。ね、えっつー」


 分厚い帳の奥から姿を現した夏逸に片目をつむり、紫水は部屋を出た。




  ◇



「…上手くいった、ね」


 しばしの間、少し離れた廊下から部屋を眺めていた紫水だったが、十五分ほどしても変化がないのを見て、胸を撫で下ろした。

 しばらく暇だ。庭に下りて、試験勉強する場所を探しつつ、辺りを散策することにした。

 まだ日も高い、早い時間帯。

 夜は灯篭の灯りと人の声で賑やかな湖碧楼の庭先も、昼下がりは人気も無く、葉がさやさやと風に揺れるだけ。

 しばらくウロウロしていた紫水だが、梁から池に注ぐ水音が心地よい一画を見つけて、すぐ近くの柳の下に腰を下ろした。ここなら葉が影となり姿を隠すので、気づかれないだろう。紫水は懐から一本の折本を出して、膝に広げた。

 あと一か月ちょっとで試験。まだまだ勉強量が足りない。夜は邪魔が入る事が多いから、日中のちょっとした隙間時間を有効活用。涼しい風に前髪を揺らしながら、紫水は次第に文字の世界に没頭していった。


 どれくらい経っただろう。瑞々しい花の香りに鼻先をくすぐられ、紫水はふと顔を上げた。

 現実に意識が戻ると、香りに誘われて、何気なく周囲を見渡した。


「なんの香りだろ…」


 南国に咲く花のような、珍しい香り。この余韻は女もの。距離があるのか、近くに人影はない。


「ま、いっか」


 また手元に視線を戻したその時、「バシャン」と何かが水に落ちる音がした。

 あまりの異様な音に、紫水は思わず立ち上がった。

 場所柄、身投げがあっても不思議じゃない。急いで折本をたたみ、音がした方に駆け出した。


「あっ!!」


 池の岸辺に、身体の半分を水に沈めて倒れ込んだ女の姿があった。ザバザバと走り寄って女を抱きかかえて水から出し、芝生の上に転がす。


「しっかりっ!」


 朦朧とする女の顔をパンパンとはたくと、「うっ」と小さな声が血の気の無い唇からこぼれ落ちた。

 紫水はぐったりとした身体を背負うと、庭を抜けた。階段から廊下に上がり、店の裏に回り込んで、大声で叫んだ。


「誰かいないかっ!医師を呼んでくれっ!」


 声を聞いた店員が驚いた様子でやって来ると、紫水に駆け寄り、女を抱えあげた。


「玉英っ…?!お役人様、これは…」

「池の縁で倒れてたんだ。大事があってはいけない、早く医師を!」


 女が運ばれるのを見届けて、紫水はその場から立ち去ろうとしたところ、奥から出てきた店子が両手を広げて立ちふさがった。


「お待ち下さいっ。貴方様もずぶ濡れです。こちらでお召し物を整えさせてください」

「いや、友人を待たせているので、結構だ。それより、あの娘を頼む」

「そんな恐れ多い。さ、こちらへ」

「いや、いいから」

「そんなわけにはまいりません。お役人様のお袖を汚すなど、とんでもないこと」


 紫水も皇城を一歩出たら、持ち上げられる立場らしい。

 それも当然。紫水たち流内官とよばれる官僚はこの都城の民の総数の一分1%にも満たない。官服を着ているというだけで、恐れ敬われる特別な存在。

 そこら辺の官吏がつけ上がるのも、無理はない。


「紫水っ⁉どうしたのっ、その恰好!」

「えっつー」


 騒ぎを聞きつけたのか、駆け寄ってきた夏逸が紫水の濡れた官服を慌てて脱がせ始めた。


「池の縁で人が倒れてて。それで」

「どゆこと?」

「わかんない」

「とりあえず、その衣どうにかしよ。―すまない、拭くもの借りられるかな?」


 さすが『大理寺の母』、世話焼きの手が早い。


「もちろんでございます。お部屋はあちらにご用意してございます。さ、お二方とも」


 なかば強引に、ふたりは店員たちに店の奥へと連れ込まれた。

 結局、ふたりは大量の酒と美食に腹を抱えて、大理寺に戻った。

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