八 再会
「はぁ…」
筆を持つ手が止まること、数回目。ため息が止まらない。
昨日の今日で、スッパリ切り替えるなんて、出来っこない。
朝目が覚めたら、夢でした―。
なんてオチ、期待しても無駄。今朝はちゃんと誰かの腕の中で、目が覚めた。
青白い部屋の中で見る静かな横顔は、とても綺麗で、それが余計に腹立たしくて。
タヌキに化かされるほうが、まだマシだった。
なのに、いつもどおりに出仕して、いつもどおり法廷に出て、今日という一日が粛々と過ぎていく―。
なんて
「陸ちゃんっ!何呆けてんの」
「ん?」
いつもなら即刻反撃対象の台詞にも、今日は反応が鈍い。
「行くよ!新年会っ」
「あ…、そうだった」
呼びに来たらしい王信に、今日の予定をようやく思い出す。
「早く〜。紫水たち〜っ!」
遠くで叫ぶ夏逸に、立ち上がって手を振る。
「今行く〜!」
考えてても、何も変わらない。
今夜は待ちに待ったご馳走の日。楽しまなくちゃ。
都城を東西に隔てる朱雀大路の東側、通称『左街』は、官公庁の出先機関や高級店が多く並ぶ繁華街。その左街の中でも平康
その中でも別格の荘厳な外観を誇る店の中に、紫水たちはいた。
都城屈指の高級酒店、『湖碧楼』。
「小卿さまっ!いいんですか?こんなスゴイところ、みんなで来ちゃって…」
興奮気味の紫水は本日の主催者、燕小卿に駆け寄り、袖をクイクイとひっぱった。
「ふふ…。実は、去年の個別予算が余っててね。一年間仕事に追われっぱなしで、手つかず状態で。折しも程寺正が着任したことだし、今日くらいはパーっと、ね?」
目を輝かせる紫水に、小卿は悪戯ぽく片目をつむってみせた。
「もう、小卿さまってば、気前良すぎですから〜。いい上司にもほどがありますって」
「でしょー。もっと褒めてー」
キャッキャとじゃれ合うその隣で、予算担当の夏逸が顔を曇らせる。
「それって、裏経費じゃ…」
「逸くん。おだまり」
シッと人差し指を立てた燕小卿に、夏逸が肩をすくめた。
「えっつー、今日くらい帳簿を忘れて楽しもうよ。こんなの、ウチらが気安く遊べる席じゃないよ」
何といっても、下級役人が自腹で来ることなんて、まずありえない超がつく高級店。遊ぶ阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら遊ばにゃ損損だ―。
「ま、そうだね」
夏逸は眉を寄せつつも小さく笑って、ストンと腰を下ろした。
「皆、杯の準備はよろしいか~?」
ガヤガヤした部屋に響く乾杯の音頭は、もちろん燕小卿。
「…今年も一年つつがなく任務を遂行すべく、皆々一致団結し、律令の守り人として責務を全うすることをこの盃に誓おう。―また、新たに着任された程寺正のご活躍を祈念して、乾杯!」
「カンパーイ!!」
高々と杯を天井に掲げ、宴が始まった。
大理寺の人間は、よく飲みよく喋る。天井まで響く笑い声に、隣の声が聞き取れないほど。
「いやぁ、さすが中央。宴席ひとつとっても豪華ですなぁ」
酔いもひと通りまわって、席次もくずれた頃、末席に座る紫水と夏逸の間に、程寺正が割って入ってきた。
「お顔真っ赤ですよ、飲まされましたね」
サッと果実汁の器を差し出した夏逸に、程寺正は「すまないねぇ」と受け取ると、一気に飲み干した。
「―ほんと、みんな酒に強いよねぇ。びっくりだよ」
「ウチは笑い上戸が多いんで、さぞ驚かれたでしょう」
お代わりを注ぎつつ、夏逸が労をねぎらう。
「いやぁ、活力みなぎる人ばっかで、圧倒されっぱなしよ」
「寺正は同調なさらなくてよいので。どうぞ、ご自分のペースで飲んで下さい」
「助かるよ~。流石に飲まされ過ぎて、記憶飛びそうだよ。で、陸ちゃんは、飲んでも変わらないんだね」
不意に話を振られ、紫水は軽く杯を上げて答える。
「そうですかね。あの人達みたいに、莫迦飲みしないだけかもしれませんが」
顔に出ないだけで、ホントは結構酔ってる。あんなことがあったおかげで、今日はヤケ酒である。
保身の為、幼少期から様々なモノを飲まされ育ったせいもあって、酒にも酔いづらいのは確かだ。
「女の子だもんね―。大事大事。お父さんも安心だ」
ヘロヘロと手で波を作る。こっちも結構酔ってる。
「あ、踊り子が来ましたよ」
夏逸が指さす方に視線を向けると、きらびやかな金糸の装飾が施された衣を着た娘が楽士を引き連れ、部屋に入って来た。
「みな、注目~っ。俺からの景気づけだ。そら、手拍子ーっ」
どうやら陶寺正がポケットマネーで呼んだらしい。あの人も、飲むと財布のひもが緩くなる人種だ。
賑やかな席が、輪をかけて騒がしくなる。
踊り子の鳴らす鈴と、横笛と、太鼓のリズム。月琴が旋律を奏で、鈴が歌を歌う。
踊り子は異国の鳥のように絹の翼を広げ、透ける袖がひらひらと雲のようにたなびく。
宙を舞う裾がめくるめく光をまき散らし、回り回り見せる袖が弧を描いては鈴の音を降らす。
飛び散る金色の光と、重なるリズム。手拍子と掛け声。
誰しもが歓喜の渦に巻き込まれ、部屋の熱気が最高潮に達する。
――ダダダンッ
弾けるような爆音が腹に響いて、皆が一斉に動きを止めた。そして割れんばかりの拍手が、踊り子たちに惜しみなく注がれた。
「すごかったね~」
興奮して手を叩く紫水が横に座る夏逸に声をかけると、彼はまばたきもせず、彼女たちを凝視してる。
「なに、あまりのことに、見惚れちゃった?」
「…ちがう」
ゆっくり紫水に視線を移し、夏逸が震える声でつぶやく。
「あの月琴の子、オレの幼馴染だ…」
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