第13話

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 あれから数日経ち、春の王子殿下と侯爵令嬢は、共に一ヶ月の停学処分が決定した。

 事情聴取の末、王子殿下の方は悪意など一切無く、むしろ侯爵令嬢による自作自演に踊らされただけであり、全ては侯爵令嬢の犯行と言っても過言ではなかった。

 ありもしない『魅了の魔道具』を持っているという濡れ衣を俺のキャロルに着せ、彼女を退学へと追い込もうと。


 動機は『嫉妬』。子爵家ごときの令嬢が、高位貴族どころか王族の婚約者に収まったのが許せなかった、と、調書にはそう書いてあった。


「……浅はかにも程があるな……」


 自然と眉間へシワが寄る。どれだけ傲岸不遜であればそんなことを思うことが出来るのだろう。

 しかも、情報を精査し、冷静に判断しなければならないはずの王子が、加害者側、キャロルを貶める側へ回ってしまっていたのも問題だ。

 調書を片手に、吐き捨てるようにそう呟いてしまった。


 『魅了の魔道具』というものは確かに存在している。世界共通に違法であり、作り方は各国の王家が禁書庫で厳重に保管していた。もしもそれを押収してしまったという時に、適切に対処、分解、無効化するためだ。

 とはいえ、作るとなると相当な量の魔力とヒヒイロカネなどの希少金属が必要となる。国庫が傾いてしまうほどの金銭だって動く。

 基本的に魔道具という存在は、使われている材料さえ、魔道具師以外では王族くらいしか把握されていない。


 しかしそれでも、魔道具の悪用は後を絶たない。

 それは、裏社会にも魔道具師の技術が流れていることを示唆していた。

 その中でも『災厄』とすら呼ばれているのが『魅了の魔道具』だ。


「そんなものを、学生が持っているなどあるわけがないだろうに」


 調書を書類の上に置き、溜め息を吐く。

 テーブルの上では侍従の淹れたミルクティーが白いカップの中で風に揺れていた。

 その色彩は婚約者の兄の髪色を想起させ、そして、その流れで愛しい婚約者を思い出す。


 ゆるりと目を細め、宝物を見付けた時の子供のような無邪気な、この上なく嬉しそうな顔で俺を見つめる俺の運命。

 あれが魅了などで作り出せるなら、世界はもっと恐ろしいことになっていることだろう。


 だが、それでも『魅了の魔道具』は『最悪』を通り越して『災厄』だ。

 その効果は、『相手の好む香りを発する魔道具』でしかないというのに、それが厄介だった。不特定多数を対象にしていることもあり、規模も、効果も、通常の魔道具とは桁が違う。出会う人間全てに、己が『運命』なのだと錯覚させる。それがどれだけ恐ろしいかは、様々な歴史書を紐解けば自ずと知れた。


 男が他国の様々な姫を囲い込み、ハーレムを形成。それだけでは飽き足らず彼女らが己を取り合って醜く争う様子を笑いながら眺めていたという。なんとも、胸糞が悪い。

 その男が女性たちに滅多刺しに殺されたことで魔道具が外れ、事件が発覚した。

 他にも、その魔道具を使って国中の男たちを虜にした挙句、とある国を滅亡まで追い詰めた女も居た。他にもいくつか歴史に残るほど世界を揺るがすような事件が起きているがゆえに、『災厄』。


 だからこそ高位貴族たちは『魅了の魔道具』を警戒するために、そういう物があるのだと、その存在は周知されている。もちろん自己防衛のためだ。

 国を支える要である王族や高位貴族たちがそんなものに踊らされないように。


 にも関わらず、それを利用し、下位とはいえ貴族の令嬢を貶めるような醜聞を流そうとするなど、言語道断。噂程度ならここまでの騒ぎにはならない。噂は噂。それ以上でも以下でもなく、事実など一欠片も存在していないのだから。

 だが今回の事件は『故意に』起こされたもの。


「たかが一ヶ月の停学処分で済ます訳が無いだろうとは思ったが」


 調書の次にあった、報告書。

 そこには、侯爵令嬢の家は不正をしており、その上で麻薬の取引をしていた、など、多数の犯罪を秘密裏に行なっていたという内容が記されていた。

 ここまでの犯罪を犯していたとなれば、侯爵家は取り潰しの上、一族郎党平民落ちだろう。


 去年騒がせた自称『ヒロイン』を豪語していたらしい男爵令嬢よりも苛烈極まりない処分だが、これも身から出た錆……ということにしたいのだろう。


「はっ……、去年の件では、ただの自宅謹慎のみだったというのに」


 男爵令嬢が修道院送りにされたのは、ルピフィーン側からの圧力があったからこそだ。それが無ければ、多少肩身の狭い思いはするだろうが、今もあの男爵令嬢は普段通りに登校していたことだろう。

 春の国側は、ただの下位貴族令嬢同士の諍いとして済ませたかったのだろうが、それを俺が許すはずなど無い。

 あの夢見がちな脳が現実を知るまでは、貴族社会に居場所など存在しないのだから。


 当時キャロルはただの子爵令嬢だった。だが今は、俺の婚約者だ。

 だからこそ、今回その婚約にこのような形で異議を唱えるなど、春の国としては看過できなかったらしい。……なんとも身勝手なものだ。


 ……たった数日で侯爵家が陥落したとは思えない。つまり、周到な準備の末にこの事件が起こされたと見ていい。

 そして、春の国ア・レルピア王家の手際の良さを考えると、腹立たしいことに、キャロルは彼ら侯爵家を検挙させるための、囮に使われたのだろう。


 侯爵令嬢が何かするのを、知っていたからこそ放置された。

 そうでなければ、あの場でキャロルの魔道具がきちんと鑑定されるわけがない。

 『魅了の魔道具』だと虚偽の申告をさせる方が、誰にとっても簡単にキャロルを排除する方法だからだ。

 それが無かったということは、侯爵家をどうにかしたかった、ということなのだろう。


 ……反吐が出る。


「……キャロル」


 いつ儚く消えてしまうか分からない、俺の運命。


 脳裏を、彼女の白金が過ぎっていく。


 俺などに見初められなければ、きっと、もっと穏やかに過ごせただろう。

 こんな、波乱に満ちた事件ばかりに巻き込まれることも無く。事件の真相はともかく、犯人が悪いことも理解している。だが、動機にはすべて、俺が居た。


 何度も何度も手放そうとして、無理だった。

 大切にそっと閉じ込めて、鳥籠の中の鳥のように、しまい込んで、誰にも渡さないように、見せないように、したかった。……だが、彼女はそれを望まないだろう。


 視線を窓の外にやれば、眩しいほどの青い空が広がっている。

 それと同じ青空の下、陽の光を浴びていた彼女がとても美しい笑顔をしていたのを思い出す。


 俺は臆病だ。彼女が、俺の手の届かないところへ行ってしまうのが怖い。彼女の居ない明日など、耐えられる気がしなかった。

 俺と居れば、その時期はきっと早まってしまう。

 なのに、分かっているのに、どうしても手放すことが出来なかった。


 そして今はもう、手放すことは一番の悪手とまでなってしまった。

 遠くから守ることなど、意味を成さない。


 彼女は、俺を愛してしまったのだから。


 『運命』を見つけた人間は、それだけで幸運だ。だが、同時に不幸になるなど、誰が想像出来るだろうか。


 彼女は己の病弱さを呪い、嘆き、泣いて、そして前を向いた。未来を、明日を、見たのだ。

 『明日の予定』や『次の夕飯』、それは日常のほんの些細なこと。だが、それはきっと彼女にとって重要で、とても大事なのだろう。

 つらく、苦しい時は、人知れず泣いているのも、彼女が次へと進むため。

 今と過去しか見ることが出来ない、臆病者の俺とは大違いだ。



 『二度あることは、三度ある。』

 歴史書に登場するヒデキ・コバヤシという偉人の遺した言葉だ。

 既に二度、彼女は俺が動機の事件に巻き込まれている。ここまで続けば、もう一度同じことが起きないとも限らない。

 ならば、やるべきことはひとつだ。


「誰か居るか」

「はい」


 背後へ声を掛けると、静かないらえが返ってくる。男とも女とも付かぬ声色は、影からだ。


「キャロルの護衛だが」

「人員を増やしましょうか」


 たった一言で意を酌む『影』に、ひとつだけ息を吐く。


「……いや、精鋭をひとり、付けろ」

「かしこまりました……ですが、影には潜めませんが」


 『影』には制約がある。無機物以外に潜むには、許可が要る、という尤もなものだ。

 彼らの内誰か一人でも、彼女の影に潜むことが出来れば最善ではあるのだが、そのためには彼女に『影』の存在を知らせる必要がある。


 しかし、血なまぐさい彼らを、彼女が耐えられるのかが心配だった。


「……かまわん。今はまだ」

「かしこまりました」


 音もなく、気配が消える。

 指示通りに彼らの内誰かひとり、精鋭が彼女の近くで潜むのだろう。

 それにさえ嫉妬してしまう己を嘲笑いながら、天井を見上げた。


「重症だな」


 ぽつりと呟いたその言葉は、誰に聞かれるでもなく消えていったのだった。



 

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