第12話

 


「俺は今確信した。この国が君を殺そうとしているということを」


 あー、うん、まぁ、この国に生えてる植物が諸悪の根源だからあながち間違ってないけどな??


「キャロル、君の身体が弱いことは理解しているよ。だからこそ、この国を出よう。そして、俺の国に来てくれ。医療にも明るい我が国、ルピフィーンなら君の病弱な身体も、きっとなんとかなる。いや、してみせる」


 ほんで特大の猫被ってたらなぜだか病弱だと思われてる件について。

 花粉症以外は健康優良児です。てへ。令嬢として病弱設定はありよりのありなんだが、王族の婚約者には向いてないんじゃねーのそれ。知らんけど。


 しっかし秋ってーと、ブタクサなんよなぁ……。景観的にもそんなに生えてないと思いたいけど、行ってみないことにはブタクサアレルギー出ないかも分からんし、何とも言えん。こんだけ重度の花粉症だからもしかしなくてもアレルギー出そうだけどな。やだなぁ。


「殿下……それは、わたくしの一存では……」

「そうだったね。急ぎ、君のご両親に連絡させてもらうよ」


 え!? 待って待って待って学校は!?


「待ってください、殿下。わたくし、学園はきちんと卒業したいのです」

「……キャロル……」


 でないとオカンに殺される! 貴族の子女としての面目がうんたらかんたらって、なんかそんな感じで卒業だけはしろって言われとんのよワシ! うちのオカンマジで怖いからね! なので王子殿下にゃ悪いけど勝手なことは出来ません!


「……わかったよ。だけど、無理だけはしないでくれるかい?」

「はい、お約束しますわ」

「うん、約束だ」


 今更だけどなんでワシ王子殿下とこんな約束してるん?

 とか思った次の瞬間、セレスタミン様また間違えたセレスタイン様の雰囲気がバリバリに剣呑になってきたので、その辺で気絶した風を装って寝たフリを決行したのだった。

 アッパラパー殿下たち、がんがえー。


 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 心臓を握り潰されてしまったのかと、錯覚しそうなほどの酷い光景だった。


 春の王子殿下の私兵に足止めされ、愛しいキャロルに近付くことすら出来ずに、ただ拘束される彼女を見ていることしか出来なかった。

 目の前で血を吐いた彼女が膝をつきそうになってようやく解放され、そして、血にまみれた彼女を抱き留めた。


 苦しげに咳き込む彼女の口から、おびただしい血が零れていく。

 血反吐にまみれ、真っ赤な血に染まりながら、それでも彼女は美しかった。


 彼女を支える手に、彼女の軽すぎる体重が預けられて、あぁ、己は彼女に信頼されているのだな、なんて仄暗い優越感が湧く。


 手が、服が、彼女の血に濡れていく。甘く爽やかな彼女の香りに、鉄錆のような匂いが混ざる。

 このまま、生命の灯火が消えてしまうのかと思うと心の底から恐ろしかった。にも関わらず、最期にその瞳に映るのは、己だけであってほしいと考えてしまう。

 己の浅ましさに吐き気がした。


 だけれど、彼女は俺を見て、俺の名を呼びながらうっすらと微笑むのだ。白金を溶かしたようなその瞳が俺を捕らえて離さない。


 狼狽する春の王子殿下は、こんなことになるなど思ってもいなかったらしい。浅はかなその頭を、一度かち割って中の確認がしたくなる程だった。


 そんな中でも彼女は、自分を二の次にして俺やその周囲をおもんぱかる。そして、儚く笑うのだ。


 ちゃんと卒業したい、というその思いは、どれほど純粋で美しいものなのだろうか。己がいつ死んでしまうともしれない恐怖と日々戦いながら、願うのはただそれだけなのか。

 

 彼女がいつも、たったひとりで泣いている事を知っている。「どうして世界はこんなにも残酷なの」と嘆きながら、それでも彼女は前を向いていた。

 こんなにも優しく芯のある彼女が、どうしてこんな目にあっているのだろう。彼女が一体、何をしたというのか。


 疲労からか意識を手放した彼女の頬をそっと撫でてから、春の王子殿下にぴったり張り付いていた勘違い女を睨みつければ、そいつは怯えて硬直し始めた。


「も、申し訳、ござ、いません……! わ、わたくしは、ただ」

「ただ、なんだ? 王族が感じた運命の香りを疑うということ自体が不敬だとは知らなかったとでも言うつもりか?」


 彼女が許さなければこんな人間の首などねじ切ってやりたかった。だが、優しい彼女はそれを良しとしないだろうから、無理矢理に耐える。


「ひっ、い、いえ、そんなつもりは……!」

「それで、なんだ。殺人未遂、だったか?」

「そ、そうなんです! わたくしはリンドブルム子爵令嬢に───────」

「それ以上戯言を申すつもりなら、こちらにも考えがあるが?」


 殺気を隠し切れず、殊更低い声が出た。


「あ、秋の王子殿下! 今回は私の確認不足が招いたことだ! 彼女だけを責めては……!」

「そうだな。貴殿が妙な正義感を持たなければ、彼女が血を吐くことも無かっただろう」

「っぐ、しかし、エルドランド侯爵令嬢が暴漢に襲われかけたのは事実で、私もそれを目撃しているし、暴漢も犯人はリンドブルム子爵令嬢だと自白したのだ!」


 必死に言い訳を並べ立てる春の王子殿下が、とてつもなく愚かに見えた。


「そんなものはいくらでも捏造出来るだろうに、なぜそれを信じる?」

「えっ? あ、そ、それは……」

「秋の王子殿下、それくらいにしてやって下さいな」


 ふと聞こえた凛とした声に、顔を向ける。

 学園の制服に、薄紫色のショールを纏った見覚えのある黒髪の令嬢が姿を現した。


「ライラック公爵令嬢……、そうは仰いましても……」

「ええ、ええ、仰りたいことは分かります。

 ですが、仮にもこの国の王子と侯爵令嬢なのですから、断罪はこの国でせねばなりません」


 現在は冬の国へ留学中の春の国王太子殿下、

その婚約者である、フルーリア・ライラック公爵令嬢である。

 高位貴族だからこそ発する事が出来る冷静な言葉に、少し頭が冷えた。


「王子殿下のほうは、おおかた、目の前で襲われる女性を助けた自分に酔って、深く考えずに義憤に駆られてしまっただけなのでしょう。今は大目に見てやっていただけませんか」

「……いくら貴方様の義理の弟になるからと言って、甘やかすのは良くありませんよ」

「ご安心下さいませ。この程度で済ますほどわたくしの婚約者は甘くありませんもの」


 忠告を涼やかに受け取り、柔らかく微笑む令嬢の姿は威厳に満ちている。

 そして令嬢は、大きなため息を扇で隠しながら、王子殿下へと向き直った。


「……まったく、そんな浅はかだからいつも王太子殿下と比べられるのよ、レナード」

「く……っ、兄上は今、関係ありません……!」

「そうね。たしかに、今は関係ないわ。だけど、だからこそもっと身辺には気を付けないといけないのではなくて?」

「えっ?」


 驚いた顔で令嬢を見た王子殿下は、なんとも間抜けな顔をしていた。


「叩かずとも埃まみれなご令嬢と、仲良くするのは止めた方がいいということです。だれか。そこの令嬢を」

「ひぃっ、いや! 離してよ! わたくしは悪くないわ! あの子爵令嬢が悪いのよ! だって、おかしいじゃない! 何もしてないのにあんなにもたくさんの人から好かれているなんて、魔法でも使わない限り───────ひぃっ!」


 思わず殺すつもりで睨みつけてしまったのは、仕方ない事だと言えよう。


「ライラック公爵令嬢」

「ええ、ええ。みなまで言わずとも分かりますわ。ですが、今はどうぞお抑えになって下さいませ」

「わかった。だが、次は無い」

「ご温情、ありがとう存じます。だれか、その二人を連れて行って」

「はっ!」


 王子殿下の用意していた私兵達ごと、彼等は連行されて行ったのだった。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 そんな秋の王子殿下とその他もろもろのご様子を寝たフリで全部聞いていたキャロルはというと、全力の寝たフリをしながら戦々恐々としていた。


(こっっっわ!! 王子こっっっっっわ!!! 絶対怒らせたらアカン感じのタイプの人やん。よし、このまま病弱キャラで猫被り続けよ)


 その後、魔道具を取り返してくれた秋の王子殿下に医務室へ連れていかれたキャロルは、血まみれだったせいで先生に悲鳴をあげられたが、それでもちゃんと診察して貰えた。

 キャロル本人は「鼻血が出て思いっきり噎せてしまった」と頑張って説明したのだが、なぜだか全く信じて貰えず、その日は早退させられることになってしまったのだった。


 そうして家に帰ったキャロルを待っていたのは、血まみれの制服に別の意味で悲鳴をあげる母の姿であった。


「あなたって子は! 一体何があったらそんな事になるの!」

「おかーん。ごめーん。魔道具調子悪くて鼻かみ過ぎて鼻血でたー」

「ほんっともう、どうしてこの子は……!」

「でもさー、鼻血も止まっちゃうから良くないよこれ」

「あぁもう……、そんな外見で良かったわね本当に」

「まあ超絶可愛い美少女ですし」

「絶対に猫を脱ぐんじゃありませんよ」

「はーい」


 結婚しても脱げない特大の猫に困らされることになるなど露知らず、キャロルは呑気に笑った。

 その様子を呆れたように眺める兄は、ニヤニヤしながら頬杖をついて妹を眺める名も無き神を幻視したような気がしたのだった。こっち見んな。



 

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