第11話

 


「ぇっびしゃい! ばっくしゅん! べっしょい! あっぶちゅん!」


 いつものように盛大なくしゃみを連発したキャロルはこの三月に15歳になり、ついでに学年も一つ上がって二年生になった。が、やはり本日も絶好調に花粉症である。


「あ゛ー、もうやだー。なんでこんな花粉飛んでんだよこの国。どうして世界はこんなにも残酷なの……」


 お気に入りのなぜだか誰も来ない裏庭で、周囲を確認してから令嬢らしくちょこんとベンチへ座り、ずびびびび、と豪快に鼻をかんでから、愛用の目薬を差した。

 キャロルの感覚的にだが、ついこの間ベンチが設置されたと思ったら、つい昨日突然柵が追加されたこの空間は、キャロルにとっては憩いの場所である。なんかどんどん居心地良くなるなぁ、とのんきに考えながらも、いつも花粉でそれどころじゃないキャロルの思考は、そこで綺麗に停止していた。


「ふぃー……杉とヒノキ全部燃やしたい……焼き討ちしたい……」


 ぶつぶつとひとり、小さな声でどうしようもないことに対しての願望を口にする。

 彼女の天使のような外見からはまったく想像が付かないほどに粗野で俗物的で乱暴な中身である。


「しっかし、婚約なぁ……ワシ匂いぜんぜん分からんのに……」


 毎日鼻水鼻詰まり目のかゆみと戦っている彼女は、人の『香り』が分からない。にも関わらず、去年の大騒動を経て、なんか知らんけど秋の国の次期王妃という大役が自分の元へ転がり込んで来てしまっていた。

 首を90°に傾げながら、何度目かの独り言を呟く。


 改めて考えてもよく分からん事態である。


「まぁ、無理ならいつか婚約破棄されるっしょ」


 結婚自体が一生出来ないと思っていたからこそ、彼女は楽観的であった。


 イケメンと婚約出来たけど、無理な時は来るやろしな! としか思っていないのである。


 魂レベルで引き合う『運命の香り』。ゆえに、それを感じるには鼻詰まりや鼻水など一切関係ないことなど露知らず、彼女は愛用の魔道具を確認した。


「……最近調子悪いなぁ、これ。寿命かな」


 ペンダント型の、『鼻水を止める』という機能しかない魔道具である。見た目は普通にオシャレな雫型の銀細工だが、鼻の穴から鼻水が出ないようにする為の機能しか無いため、鼻の奥はいつも大洪水。しかしなぜだか最近は鼻をかむ回数が増えていた。慣れはしているものの、ここ暫くそんな状態なので彼女の気分は普段よりも憂鬱なのだった。


「はー、もーまじむり。花粉しね」




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「キャロル・リンドブルム子爵令嬢、あなたには違法魔道具の不法所持、それから、殺人未遂の容疑がかかっている!」

「はい?」


 突然現れた誰かに堂々と宣言されたそれは、真面目に意味が分からなかったのでつい聞き返した。普段から、目を守るために長く開けられないワシには、まじで誰が誰だか分からんので急に色々言われても困るしかない。


「分からないならもう一度言おう。あなたには違法魔道具の不法所持、そして、殺人未遂の容疑がかかっている!」


 なんて???


「あなたがそんな人間だとは思わなかった。犯罪者を他国の王妃になど出来るわけがない。秋の国の王子との婚約は無かったことになるだろう」


 あー、うん、別にそれはどうでもいいんだけど。


「彼女に指摘されなければ気付くことすら出来なかっただろう。本当に、小賢しいものだよ」

「春の王子殿下、わたくし、怖いわ……」


 よく見たら誰かの傍には誰かが居たらしい。ぴったり寄り添ってたから分からんかったわ。春の王子殿下かぁ。

 いや、なにこれ? 茶番?


「安心したまえ。この私が居るからには、好きにさせるつもりなどない」

「でも、これに気付いてしまったから、わたくしは殺されかけたのですよ……」


 あー、なるほどぉー。殺人未遂容疑の原因コイツかぁ。うん、だれ??


「大丈夫だ。このためにも兵士を待機させている。おい!」

「はっ」

「この女から魔道具を取り上げ、拘束しろ!」

「えっ」


 なんで!?


 意味が分からないまま両側から腕を掴まれて、ペンダントが勢い良く引きちぎられた。鎖がくい込んで肌がヒリヒリしたけど、それよりも。


「だめ、返して!」


 うわあああああああ!!! ちょま何してくれてんねんクソがよおおおおお!!! なんなの!? なんでそんなひどいことすんの!? ていうか去年もこんなんあったな!?


「フンッ、往生際が悪いな。まったく、違法の魅了魔道具を使って秋の王子殿下の心を操るなど、人間としてどうかしているに違いない」


 なあにそれ?

 春の王子殿下って頭の中も春なの? アッパラパーなの?


「君も両親に利用されたのだろう。大人しく捕縛されて、素直に事情を話してくれれば、罪が多少は軽くなるよう取り計らって……っ!?」


 王子殿下が話してる途中で、だらーっと生暖かい鼻水が垂れてる感覚がめちゃくちゃした。

 あー、もうコレ終わったわー。

 せっかく令嬢らしく頑張ってたのに鼻水大洪水な姿を公衆の面前に晒すとかどう考えてもアウトやもん。しゃーねぇな。終わった終わった。人生終了のお知らせ。

 と思ったら、なんか周りの人たちの様子がおかしい。


「お、おい! どういうことだ!?」

「ひっ……血!?」


 ざわざわと、なんかビビってる声がそこらじゅうからする。いつの間にそんな集まったんだよ野次馬どもめ。見世物じゃねぇぞこの鼻水は。とか考えて、ふと気付く。


「え……?」


 見下ろせばボタボタと床にも制服にも血が落ちていた。現在進行形で血塗れである。なにこれ!?

 えっ、ちょ、ま、なにこれ!?


「っぐ、げほっ」

「うわああ!?」


 うわ、やば、気管入った。魔道具無しの状態が久しぶり過ぎてうまく呼吸出来なかったのが敗因である。

 鼻水混じりの鼻血が大洪水起こして顔面もそこらじゅうも血塗れである。

 ちょうどよく解放されたので両手で口と鼻を押さえたけど、どう考えても今更だった。


 わ、わァ~……吐血してるみたいになっちゃったてへへ。ヤバーイどうしよー、やっちまったなオイ。血って中々落ちないんだよなぁ、オカンにシバかれそう。


 多分なんだけど、鼻をかみ過ぎて粘膜が薄くなった結果、知らない内に鼻血が噴出していたっぽい。最近どうも魔道具の調子悪くて鼻かむ回数増えてたもんなぁ。どうやらこの魔道具、鼻血も止めてくれてたらしい。

 凄いね。全然分からんかったね。デフォルトで匂い全然分からんしなぁワシ、しゃーないね。


 なんて呑気に考えてたら、次の瞬間酷い目にあった。


「けほ、うぐっ、ごほ、かはっ」


 あかんあかんあかん吸い込んでもうた! 溺れる! やばい死ぬコレ! 息が! 息が出来ん!

 げっほんごっほんと鼻血水を口から出したりしてたら、マジで本気の呼吸困難になってきた。アカンてこれ。死ぬて。


「キャロル!」

「あ……、セレス、タインさま……」


 ふと体を支えられて、息がしやすくなった。

 見上げれば、とても見覚えのある金髪碧眼の良すぎる顔面が視界に入る。こないだ婚約者になった秋の国の王子、セレスタミン違う、セレスタイン様である。


 あっぶねぇ、今、口でもセレスタミン様って言いかけたよ。セレスタミンはめっちゃ効く花粉症薬の名前だからね。この人はセレスタイン。よし。よかったー、言い間違えなかった。さすがワシ。伊達に特大の猫被ってないね。

 だがしかし、支えてくれるんはありがたいが、ちょっと今ワシ鼻血まみれなんで、あんま触らん方がええよ? 汚いよ?


「殿下、いけません、汚れてしまいます」

「キャロル、こんな時まで君は……、今は俺のことは良い、呼吸を」

「……ありがとう、ございます……」


 はー、なんでか知らんけどこの人と居る時は色々楽になる気がするのが不思議だ。しかもめっちゃ紳士。きっとめちゃくちゃいい匂いしてるんだろうな。ワシにゃ全然分からんけど。

 きっといつかめっちゃ可愛いくて優しくて素晴らしい人と再婚約出来るように祈っとくわ。南無ー。なんか間違えた気がするけどまあいいや。


「そんな、馬鹿な! このペンダントは違法魔道具では……!?」


 鼻水止めなんよそれ。


「あの、殿下……」

「なんだ!?」


 ふと誰かが、盛大に狼狽えているアッパラパーな殿下へと声をかけた。


「これは確かに魔道具なのですが、違法などではなく……、体内の水分が外へ出ないようにする為の機能しか、搭載されておりません」

「なんだと!?」


 まあ、鼻水止めですし。


「ルミリア・エルドランド侯爵令嬢……! 私を騙したのか!?」

「い、いいえ、そんなはずは……! その者が苦し紛れに嘘を言っているのではないのですか!?」

「嘘ではありません! これは魅了の魔道具などではなく、ただの、血止めの魔道具です……!」


 いや、だからそれ鼻水止めやねん。血まで止まるとは思ってなかったねん。


「そんな、まさか……! それじゃあ、私は何のために……!?」

「恐れ入りますが春の殿下は、身体の弱い生徒を捕まえて、恫喝していただけ、ということになりますね。これは、国際問題にしても……?」


 おおおおい!? セレスタミン間違えたセレスタイン様!? 待って待って何しようとしてんの!?

 

「だ、だめです、殿下、そんな」

「キャロル、そうはいかないよ。秋の国の次期王妃をこんな目に合わせたんだからね」

「いえ、わたくしはまだ、ただの婚約者。そんな勝手な行動は、許されないはずです……、それに……」


 たかが鼻血ごときで国際問題とかどう考えてもアカンやろ! アカンよ! アホなの!? 殿下アホだったの!?


「それに? なんだいキャロル。まさか、婚約を破棄しようだなんて本気で思ってはいないだろうね?」

「いえ、その……」


 ちゃうねん。真剣になんか頑張ってるとこ悪いけど、コレただの鼻血やねん。

 あと正直婚約はどうでもいい。むしろこうなってくるとなんか色々とめんどくさいから、出来ればなるはやで無くなってほしい。

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