第10話
花粉症に産まれたことは、自分の中でも最大の事件だったと思う。
正直、なんで異世界転生しとんのに花粉症なんや、って叫びたかった。
異世界転生ってのがなんなのかイマイチ分からんかったからせんかったけども。
それよりくしゃみ鼻水目の痒みに意識持ってかれてどうでも良くなったし。
花粉症がなんぼのもんじゃい死んでたまるか! ってキレ散らかして、自分に発破を掛けながらじゃないとここまで生きられなかったと思う。
不幸だ、とかは思わなかった。ていうか思う暇が無かった。
とにかく毎日が精一杯で、鼻かみすぎて酸素足りんし、頭はボーッとするし、くしゃみし過ぎて酸素足りんし、目が痒くて涙止まらんし。
緑茶だけはなんとかゲット出来てたからそればっか飲んでたらめちゃくちゃトイレ近くなるし、緑茶濃すぎてどちゃくそにっげぇし。
それでもなんだかんだで家族がめっちゃ優しくて、不幸だと思うなんてむしろ失礼だとすら思ってた。
まあ花粉には殺意しかなかったけど。ずっと心の中で悪態吐きまくってたからね。毎日。
なんかもうほとんどそんなんしか頭に無かったから、自分が貴族令嬢としてどうとか、家族が自分をどう思ってるかとか、そんなんマジで考える時間が無かった。
水分補給しとかんと目の痒みと鼻の奥の痒みが悪化する。
でも鼻かまんと鼻水で溺れる。かんだらかんだで水分が減る。しかも酸素足りんくてずーっと頭がボーッとする。そんな毎日がエンドレスリピート。
そんな日々も、誰だか知らん前世とかいう知識のお陰で大分マシになって、それでようやく自分の頭の中に余裕が出来て、ふと現実を見たら。
気付いた時には四年も経っててビビり散らかしたよね。いつの間にか10歳になってるし、正直何が起きたか全然分からんかった。
ぼんやりした記憶を頑張って辿って、そんで自分の置かれた状況にようやく気付いた。
どう頑張っても貴族令嬢とか向いてないやん、ていう。
頭はボーッとしてるけど、花粉症の症状と毎日戦ってた歴戦の戦士が、令嬢とかなにそれおいしいの? としか思えなかった。
思考が支離滅裂なのはいつものことなので置いとこう。なにせ空気と水分不足で一日のほとんど頭がボーッとしている。むしろこんだけ考えられてるだけマシなのである。ワシめっちゃがんばってる。
とにかく、そんな自分がお母様のスパルタ教育を受けて、ある程度『子爵令嬢』らしくなれたのは良かったと思う。
そんな感じで頑張ってたら、気付いた時にはまた四年経っててこれにもまたビビり散らかしたよね。
よく分からんまま学校に通うことになって、これにもまたビビり散らかした。
だってさ、周りの人みんななんでかキラキラしてんのよ。無駄に眩しいのは、目の色が薄いからってのもあるけど、原因絶対コイツらだと思ったよね。
そんなでも自分の中でのキラキラしたフワッフワな令嬢やってれば、ある程度なんとかなった。
知らん内に『病弱』とかいう謎設定増えてたけど、そういえばとーちゃんがいつかどっかでなんかそんな事言ってたよーな言わんかったよーな。あかん、全然覚えとらん。まあいいや。
いやそれよりもワシが『鈴蘭』とか呼ばれてるのマジで草なんだが。なにそれ。なにがどうしてそうなったん?
むしろワシそんな可愛い花ちゃうやろ。どっちか言うたら『ペンペン草』やろ。
もしくは『スズシロ(大根)』とかじゃね?
まあ、だからこそ、まさかのまさかで、めっちゃイケメンの婚約者出来るとか全然思ってなかったわけで。
そりゃまぁね?
うら若き乙女ですし?
令嬢とか関係無しに誰かに憧れたりとかあるかなーって思ったりはしたよ?
でも全然匂い分からんから諦めてたんよね。
正直、令嬢向いてない中身だし、なんならオッサンみたいだって自覚はある。
だから、まぁ、無理だろうなーって。
なんでこうなったん?
「キャロル、どうかした?」
「いえ、……その」
この人マジで顔面が良すぎる。
正直、眩しいですって言いたかったけどちょっと無理そうやなコレ。
目の前でなぜだか自分を愛でている、セレスタイン殿下。
今、裏庭のいつもの場所にいるはずなんだけど、なんでか殿下もやって来て、なんでかワシの隣に座っている。いや、なんでなん。
「なにか言いたいことがあるなら、遠慮なく言ってくれ。俺はきみを、蔑ろにはしたくないんだ」
「あ……、ありがとう、存じます」
一応お礼言ったけど、眩しいからあっち行ってくれとか、言えるかそんなん。
「えっと、その」
めちゃくちゃ見られている。なんでや。
しかし殿下は諦めが悪いのか、じっと見つめられ続けた現在とても居心地が悪い。
殿下の根気が強すぎる件について。
「殿下は、どうして、わたくしを……?」
愛でてんですか? って聞きたかったけど令嬢言葉でこれなんて言うの?
途中まで頑張ったけど、無理や。こんなんしか言えんかったわ。なにこれ。本題どこ。
話す時はオチまで考えとかんとアカンやろ自分。まったくもう。
いや、令嬢がそれはアカンか。
「俺の運命だと思った、……というだけじゃ、きみは納得出来ないか」
憂い顔でキラキラしてるとこ悪いけど何の話それ?
「俺はきみを好ましいと思った」
わあ、なんてストレートな口説き文句。
ワシでなかったら惚れちゃうね!
惚れはせんでも照れるけどな! 小っ恥ずかしいわ!
「えっ、あ、あの」
それでも令嬢らしく、殿下から視線を外して恥ずかしがってる雰囲気を出しておく。
「……そうだ……きみの香りに惚れてしまった」
え、まってワシそんなええ匂いしてるん?
全然分からん。
「甘くて、涼やかで、それでいてクドくもない。いつまでもこうして、嗅いでいたい」
そう言って、ワシの髪の毛をひと房、口元にまで持って行く殿下。少女マンガだと、ここでヒロインがドキドキするトキメキシーンなんだろう。それらがなんなのかよく分からんがまあいいや置いとこう。ともかく。
それだけを聞いたら、なんか、引いてしまった。
……どうしよう、ちょっとキモい。
「キャロル、きみは……俺の香りを、どう思った?」
いや、どう思った、って聞かれましても。
鼻詰まってて全然分からんとしか。
「え、あの、……えっと、……ずっと嗅いでいたくなるほど、とても、良い香りだと……」
めっちゃいい匂いはしてると思うよ!! つーかそんなんしか返せんよ、何聞いてんの殿下。
それよりも近いんよ。なんでそんな近いんこの人。なんなん。
「そうか……ありがとう、キャロル……!」
なんか知らんけどめっちゃ感動されて抱き締められたんだが、なにこれ。え、ワシなんか変なこと言った?
待って意味わからん。誰かー! たすけてー!
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
さて、キャロルがこの世界の人間として産まれ、ちゃんと自我を持って生活し始めてそろそろ九年である。
その内の半分は酸素不足により意識がフワフワとどっか行ってたみたいなので、実質四年半くらいだろうか。睡眠時間を加味したらもっと少なくなるかもしれないが、それは今は置いておこう。
ちなみに、前世ではちゃんと寿命で亡くなっているので前世の方が長く生きているが、その感覚しかないキャロルには、セレスタイン殿下とのやり取りは全くの意味不明だっただろう。
魂から香る、その人の『香り』に惚れる。それはつまり、この世界を生きる人間からすればめちゃくちゃストレートな口説き文句である。外見ではなく、人間性、つまりは存在そのものに惚れてしまった、そんな意味を持つ。
では『ずっと嗅いでいたい』という言葉はどうなるだろう。
まあ端的に言えば、求婚を意味する。
『ずっとそばにいたい』的なプロポーズと同義である。
つまり、似たような言葉を返してしまったキャロルは、まあ、そういうことになる。
本人は全く気付いていないし、なんなら意味不明過ぎて90°に首を傾げているが、意図せず『早く結婚したい』『私も!』みたいな会話をしたことになってしまっていた。
どれだけオッサン成分が強くともキャロルとてうら若き乙女である。
恋愛にだって憧れているし、イケメンに対する憧れもある。
それでも、突然降って湧いたみたいなこの事態には困惑しかないのである。しかたないね。
とはいえ、困惑しつつも殿下がどれだけ良い人で、どれだけ自分を見てくれているのかは、何となく分かっていた。
好いてくれる人を好ましく思わないほどキャロルの性根は曲がっていない。
むしろ、好感度は高かった。
このまま放置しても、きっと彼らは上手くいくだろう。多分。知らんけど。なにせ人の心というものは神にもどう変化するか分からないのだ。
うん。なんとかなれ。
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