第9話
さて、なんでか知らん内に『鈴蘭の君』とかいう小っ恥ずかしい通り名を付けられていただけでなく、なんか知らんけど秋の国の王子、セレスタイン・ポラ・ルピフィーン殿下との婚約が成立してしまったキャロルだったが、本人はというと、イケメンと婚約出来たからヨシ! としか思っていなかった。軽い。
そしてそんなキャロルだが、本日も元気に花粉症である。
学園の敷地内にある、お気に入りの裏庭。建物の裏辺りにある全く人が来ないスペースの、知らんうちにいつの間にか設置されていたベンチにちょこんと令嬢らしく座って、ふう、と息を吐く。
「……しんど」
何がしんどいかというと、花嫁修行や王族の嫁になるためのもろもろである。
礼儀作法は母から厳しく指導されていたとはいえ子爵令嬢としてのものなので、高位貴族や他国の王族の作法は全く知らなかった。
いくらなんでもそれを母から教わることも出来ず、セレスタイン殿下の姉君である、エバステリア・グラ・ルピフィーン姫殿下から、なんか色々を教わることになったのである。
とはいえ、『香り』で運命を見付ける世界観であるこの世界。
身分が低い者と高い者が結ばれることもそこそこある。というか結構ある。『運命』を見つけられる人は稀だが、自分にとっての、より良い匂いを見付けることは簡単だからだろう。
高位貴族や王族はそういう時のためにも、常にある程度準備しているのが常識である。
そして、それが今回、キャロルに猛威を奮っていた。
「覚えること多すぎ問題発生しとる……」
そりゃそうである。ただでさえ巨大な猫をかぶって生活してるのに、その上に豪奢なお洋服まで着なきゃいけなくなったようなもの。しんどくなって当たり前である。
しんどくてめんどくさいが、必要らしいのだからやるしかなかった。
ちなみにこれは余談だが、キャロルが現在座っているベンチは、セレスタイン殿下の要望で設置された物である。今後はここに屋根が付いたり柵が付いたりする予定もあるので、キャロル専用のスペースとして学園側にも認知されてしまっていたりするのだが、当のキャロルは全く知らなかった。
「はー、地頭が良くてよかったわい」
前世だったら無理かもしれん、と続けながら、キャロルは呑気に笑う。前世がどんな奴なんかは花粉症関係以外ほとんどと言っていいほど何も覚えてないが、知能は人並みだったような気はしているキャロルである。知らんけど。
それはともかく、キャロルは薄ぼんやり思っていた。今世は中々にスペックが高いと。
とはいえ、しんどいもんはしんどい。知らんことを知ることが出来るのはありがたいが、付け焼き刃の上に、門前の小僧習わぬ経を読む状態である。
つまり、よく分からんけど覚えるだけ覚えている状態なのである。
そうなった背景や、歴史なども教えて貰ったはずだが、そんなんまで覚えてたら頭がパンクしそうなので、現在は詰め込めるだけ詰め込んでいるのである。
そんなキャロルだが、見た目は儚げ美少女なので、なんでか知らんがすごく頑張っているように見えているのだから不思議だ。
病弱な身体に鞭打って、必死に頑張っている健気な美少女に。
「あ、せや。今度あのおやつ貰えんか聞こ」
中身は粗野で適当で雑で、なんかおっさんみたいな奴なのに、こんな風に校舎の外、隅っこの隅っこでひとりぶつくさ呟いていても、なぜだか周囲の人々には『詩を詠んでいる』とか『景色を楽しんでいる』とかに見えてしまうらしい。
純粋なお貴族様な生徒たちには、キャロルの姿は『病弱で儚げな小動物系美少女』にしか見えていないからか、なんか勝手に遠巻きにされ、そのままそっと遠くから見守られた挙げ句、なんでか知らんが特別扱いされているのである。
そんな遠くで見るからなんも分からんのや。とはキャロルの言である。それはそう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あらレスター、何かご用?」
豊かなブロンドを高く結い上げた、自分と同じ色彩をした姉が、俺を見た。碧眼同士の視線が合い、その間を風が通り抜けていく。
ふわりとなびくブロンドを目の端に捉えながら、意を決して口を開いた。
「……キャロルについて、……なのですが」
どうしても歯切れ悪くなってしまう。彼女の頑張りを知っているからこそ、だった。
「……そうね、彼女はとても頑張っているわ」
姉はそう言って、視線をテーブルへ向ける。
そこには、綺麗に並べられたティーセットやクッキーが置かれていた。それもそのはず、ここは学園側が姉のために用意した、温室の中にあるガゼボだ。
ここで姉は、秋の国の王族として必要な作法や歴史を、キャロルへと指南している。
姉の座る席の向かいに置かれた食べかけのクッキーと飲みかけの紅茶を見て、眉間へと皺が寄った。
「出来れば、あまり無理をして欲しくないのですが……」
きっと彼女には、食べきれなかったのだろう。
体の弱い彼女に無理をさせているのは、俺だ。
今になって後悔している。だがそれでも、彼女が自分の婚約者となったことには、どうしようも無い歓喜が湧いていた。
……己の身勝手さに、反吐が出る。
「あなたはまだ立太子していないとはいえ、王太子になるのも時間の問題。だから彼女も頑張っているのよ」
「……彼女に、耐えられるでしょうか……」
ルピフィーンは平和だ。しかしそれは、王族としての仕事が全く無いということではない。むしろ、その逆。
平和であるほど、王族はその権威を保つために、王族としての存在意義を示すために、外交や社交、やらなければならないことは無数に存在する。そして、王族だからといって敵が居ないとも言えない。
か弱い彼女にとって、王太子妃などという立場は激務と言っても過言ではないだろう。
「……あの子は自分の病とも戦っているのだから、王太子妃くらい耐えてみせるでしょう」
「……しかし、俺は……!」
己の欲のために、彼女を犠牲になどしたくなかった。だが、一度手にしてしまえば、手放したくなどない。彼女が己以外の誰かと婚姻するなど考えたくもない。己の利己的な感情が、彼女の自由を阻害する。
彼女のためならなんでも出来る。だが、その俺自身が、彼女の害となっていた。
ふと、姉がため息を吐く。
「……あなた、あの子が何のために、身を引こうとしていたのか。忘れたの?」
「……それはっ!」
忘れていない。忘れるわけがない。
彼女は、俺のために一度全てを諦めようとしていた。だからこそ俺は。
「そう、すべて、あなたのためよ。そのあなたが、彼女を信じないでどうするの」
己の未熟さを指摘され、つい黙り込んでしまう。
「大丈夫よ。すべてそつなく、完璧だもの。教えがいがあるわ」
「……彼女は、無理を、していないでしょうか」
問うと、姉はゆっくりと席を立った。そして、温室の入口の方へと視線を向ける。姉のピンと伸びた背筋を、自分と同じ色彩をした豊かなブロンドが撫でた。
「……無理をしていないか、というと、しているでしょうね。彼女は病弱だから、体力だって足りてないはずですもの」
姉から見ても無理をしていると分かるほど、彼女は頑張っているのだろう。俺がそれを望んでいないと知りながら。
「……俺の王位継承権の放棄を」
「させるわけが無いでしょう。あなた以外の誰が王になるというの」
「ですが、姉上……!」
「なに? わたくしに王になれとでも言うつもり?」
じとり、と俺を睨む姉の目が、鋭い。
「あなただって分かっているでしょう。わたくしでは、荷が勝ちすぎると」
「なぜですか、姉上だって、とても頑張ってらっしゃったじゃないですか」
「才能が無いのだから、どうしようもないわ」
キッパリと告げられた言葉は、万感の思いがこもっているようだった。
「わたくしは、姫としての才能はあっても、王としての才能は無いの」
だから、姫殿下と呼ばれているのよ、と姉は続けた。
それは明確な区別だった。いずれ女王になれる程の才覚があれば、姉は正式に王女と呼ばれていただろう。
跡目争いの火種にもなるかもしれないが、それでもそれだけ優秀であるのなら、俺は姉に国を任せてリンドブルム子爵家に婿入りだって可能だった。
だが、姉には悲しいほどに政治の才覚が無かった。どれだけ算学が出来ようと、どれだけ治水に詳しくなろうと、補佐や事務作業ならともかく、領地の運営に至っては壊滅的だった。
それでも姉は、前を見ていた。
「ですが、王位継承権は姉上にだって……」
「それで? 自分の家に王子様が婿入りしたせいで、ルピフィーンが傾いたとして、あの子はどう思うかしら」
……きっと、嫌がるだろう。優しく、芯のある彼女が、それを許してくれるとは思えなかった。
「無いものを嘆いても仕方ないでしょう。馬鹿なこと言ってないで、先のことを考えなさい」
「……はい」
姉は厳しい。自分にも、家族にも。だがそれは自身の不甲斐なさを知っているからだ。
だからこそ、俺も前を向かなければならない。志半ばで、全てを諦めざるを得なかった姉のためにも。
ぐっと拳を握り込み、息を吐き出す。
そして俺は、もう一度覚悟を決めた。彼女のためにも、国を背負うということを。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なお、キャロル本人はというと、特に何も考えていなかった。
ガゼボに残されたクッキーと紅茶は食べきれなかった訳ではなく『病弱な小動物系美少女』がバクバク食ってたらアカンよな、程度の思考で泣く泣く諦めざるを得なかっただけであり、健康優良児らしく帰宅したらムシャムシャ色んなものをかっ食らっていた。
本当になんも考えてないので、食べ過ぎて夕飯を減らされ半泣きになったりもした。
「頑張っとるんやから菓子くらいええやん! なんでなん!」
と、母に抗議したものの。
「太るからダメです」
の一言で強制終了したのだった。
「なんでや! ワシが何したっちゅうんじゃ!!」
うわああああああん! と叫ぶキャロルを横に、母は良い笑顔のまま、優雅に食事を続けたのだった。
頑張れキャロル。お菓子はほどほどにね。
「いやじゃぁぁぁぁああああああ!!」
キャロルはただただ床に向かって全力の叫び声をあげたのだった。
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