第14話

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「えっびしゅん! んにっきし! ぅいっしゅん! ぶぇっくしょい!」

「ねえキャロル、そのくしゃみ、もうちょっとなんとかできないの?」


 キャロルお気に入りのいつもの場所の、いつものベンチ。そこには、珍しくキャロル以外の人間が存在した。キャロルの実の兄、ローランド・リンドブルム子爵令息である。

 妹の独特なくしゃみに、つい何か作業をしている手を止めて顔を上げた。


「なんで兄者の前でまで猫被らにゃならんねん。いやじゃ」

「いやかぁ」


 ぷぴーと鼻笛を鳴らしながら、キャロルは堂々と言い放つ。そんなに嫌がられた兄はと言うと、慣れているのか困ったように笑って、改めて手元に視線を落とした。

 そこには、キャロル愛用『鼻水止め』の魔道具があった。


「それよりも兄者、魔道具の調子どう?」

「うん、ちょっと魔力が切れかけてただけみたい。ちゃんと日光に当ててた?」


 両手に持った細い棒のような物を魔道具のあちこちに当てながら、兄は、鼻水が垂れないようにと両手でハンカチを鼻にあて始めた妹へたずねる。

 つい先日、大騒ぎに発展してしまった魔道具の不調の原因を探ってもらう為、魔道具職人の弟子である兄に魔道具を見てもらっていたのである。

 キャロルの兄は、技術力の問題でまだ魔道具を作ることは出来ない。だが修理の方ならある程度の及第点で、修理だけならば、と師匠からの許可が出ていた。


「最近忙しかったもんなぁ、出来とらんかったかもしれん」


 兄の問いに妹は、うーん、と唸ったあとにそう続けた。

 愛用の魔道具は兄の師匠の作品である。だからこそ高性能であり、本来ならば一年や二年程度で故障するはずも無い。


 特に異常を見つけられなかった兄は細い棒を専用の小箱へと仕舞い、それからいつものように困った顔で微笑みながら、妹へと魔道具を返却した。


「じゃあ、それが原因だね。時々でいいから太陽光に当てるんだよ?」

「ほーい」


 この魔道具は、太陽の光を魔力へ変換することで稼働している、らしい。キャロルはあんまり理解していなかったが、電池切れかかってたならしゃーねぇな、と納得した。

 つまり、前回の騒動はそれが原因で間違い無さそうだ。

 いきなり王太子妃教育を受けることになったキャロルが忙しくない訳がなかった。ゆえに、あの騒動は起こるべくして起こったと言っても過言では無いかもしれない。


「んでさー、兄者、この魔道具なんじゃが、こう、花粉そのものから体を防御するみたいな機能にはでけんの?」


 どうせなら予備も欲しかったが、学生の身分で、しかも親の扶養により生活している現在では、それすらも難しい。ただでさえ魔道具は現代日本で言う超高級車一台くらいするものなのだ。もう一台新品未使用のフェラーリちょうだい、なんて、キャロルの中にある現代日本の庶民として生きていたらしい感覚がどうしても許容出来なかった。

 それゆえに苦肉の策として、今ある魔道具の改造、という形は比較的安価に済むんじゃねぇかと思った次第だった。


「この大きさじゃ無理だよ。魔道具っていうのは、なるべくひとつの機能を付けないと燃費も悪くなるし効果も減るんだから」


 困ったような顔で説明してくれる兄は、本当に出来た兄である。


「ぬー、花粉なんて大体同じなんじゃし『空気中の異物が体に触れない』とかそういう効果にすりゃいいじゃんよう」

「……それだと、やっぱりコストがかかり過ぎるなぁ……」


 顎に手を当て、うーん、と悩んだ兄が、緩く首を傾けながら呟くように答えると、キャロルは分かりやすくガッカリした。

 それなりに金がかかることだけは理解していたが、その予想以上とは思っておらず、だが、それでも嘆くのはタダなのでキャロルは嘆くだけ嘆く。


「なんでさぁー! 魔道具意味わからーん!」

「使われてる希少金属の量が足りないんだよ。キャロルが言う効果のものを作るなら、ペンダントどころじゃなくて鎧くらいは無いと」

「なんでぇ!? 『体内の水分が体外に出ない』も大概ヤバいよ!?」


 さすがにそんな大きさが必要だなんて想定してなかったキャロルが、つい大仰な仕草で驚く。確かにそれはそう。


「そりゃあ、『キャロル限定』で作られてるからだよ。水蒸気は基本的に除外されてるしね」


 説明を受けたキャロルは、真顔で、そりゃそうか、と思った。

 水蒸気までカットされていたら汗をかくことすら出来ずに、体の中で熱が暴走して熱中症どころか、発火だってしていたかもしれない。呼吸だってちゃんと出来るのかも怪しい。それを考えると高性能とはいえ一点特化の機能というのはやはり強い。

 しかしそれはそれ、これはこれである。キャロルは大きなため息を吐いて、ベンチへもたれかかった。


「マジで意味わからーん、なんなん魔道具ってー」

「たくさんの数式を混ぜて計算したら、式が長くなって複雑になって、答えが出るまで時間掛かるし、間違えやすくなるだろ? あれと同じだよ」


 兄は優しく教えてくれる。その口調は子供の頃から変わらず、柔らかくて優しくて、聞いてると眠くなってくるほどの癒し効果がある。

 キャロルの幼い頃、花粉症など片鱗もなかった時期には、兄がたどたどしく読んでくれる絵本を聴きながら爆睡していたりもしたのだが、その記憶は花粉による様々な被害によって掻き消されていた。


「……分かるけど、なんでそんなことになるんよ?」

「そりゃ『空気中の異物』を何と定義するか、から始めて、計算式を作って、その上で魔力を使用した場合の演算と、効果が出るまでの時間の計算と、それから」

「あーうんもーいーや。だいじょぶ、結構です」

「えっ」

「つまり答案用紙が足りなくなるってことっしょ?」


 端的に言うなら、フェラーリをレーシングカーにするのに大金が掛からないわけがないのと似たようなものだろう。エンジンもタイヤも総取り替えするなら、それの材料も燃料も必要で、設計から見直す必要だってある。

 つまりは、それと同じことがこの小さな魔道具にも適用されているのだ、とキャロルは理解した。そしてそれを図解するには、大量の設計図が必要であり、テストに出たとして答えを書くには紙面積の容量が足りないのだとも。


「……うん、まぁ、そうだね」

「マジで魔道具大変なのね」

「うん。すごく」


 覚えることも、考えることも多いのが魔道具職人である。気に入られたからといってなれるわけがない。

 つまり、兄にはそれなりに才能があったらしい。他にも色んな才能があるだろうに、なんの躊躇いも無く、妹の為にと弟子入りした兄は本当に出来た兄である。


「あ、でも、ルピフィーンの王妃になるんだったら、出来なくもないかも」

「……猫かぶってたらなんとかならんかな」

「キャロル次第じゃないかなぁ」


 それはそう。


「それよりも、キャロルは王太子妃の教育、大丈夫そう?」

「正直しんどい」


 真顔である。


「……嫌ならやめたって良いんだよ?」

「ほなやめるー、って言えるような状況ちゃうやん?」

「……そうだね。王族の婚約者だもんね」

「とーちゃんも言うてたやろ? 王族からの婚約なんてうちみたいな子爵家じゃ断れんて」


 諦めたような顔で、キャロルは笑った。というか、笑うしかなかったのかもしれない。本人はあんまりなにも考えてないので、笑って誤魔化した、の方が答えとしては正解だろう。

 しかし、外見も相まって、なにかとても深刻なことを考えているように見えた。本人はなにも考えていないのに、である。


「……ねぇキャロル、本当に嫌なら、みんな助けてくれるよ?」

「えー? 別に嫌ちゃうけど?」

「そうなの?」


 普段通りに呑気に笑っているキャロルの姿は、なにかを誤魔化しているように見える。

 なにも考えていないことを悟られないように誤魔化しているのだからそりゃそうなって当たり前だった。


「だってさー、イケメンがワシを溺愛して来るんやで? 最高じゃね?」

「……うん、まぁ、キャロルが良いならいいけど……大丈夫なの?」

「伊達にオカンに扱かれてねーわ。簡単簡単!」


 明るく笑って、辛いことを飲み込んでいるような健気な美少女に見えて、本人は本当になにも考えていないのだからタチが悪い。

 兄には、妹の深意が分からない。だからこそ、妹は何かを我慢しているようにしか見えなかったのである。


「それに、もしアカンかったら向こうから破棄してくるやろ?」

「……うーん……」


 兄からすれば、可愛い妹が突然王太子妃の教育を受けることになり、慣れないながらも必死に食らいついているようにしか見えなかった。それも、自分の意思ではなく、周囲の期待に応えようとして。


 そんな兄は、物言いたげな視線を妹へと送るだけにした。

 なお、大事なことなのでもう一度言うが、キャロル本人は本当になにも考えていない。なので、先程口に出て来た言葉は思ったことそのままが出ただけであり、つまりは完全なる本心である。


「なんせ吐血までしちまった令嬢になっちったもんなー、いつ破棄されてもおかしくないよね!」

「あ、吐血じゃなくて喀血ね」

「そっち!?」


 だっはっは、と令嬢らしからぬ笑い声を、令嬢らしい可憐な仕草と表情で出していた所へ、予想外なツッコミが入って、ついキャロルはびっくりした。


「うん、学園側には気管支が弱いって言っといたから、今度から喀血って言うんだよ」

「つまり、咳しすぎて切れたみたいな感じ?」

「そうそう」

「なるほどなるほど、おけまる水産」

「なにそれ」

「しらん」


 そんなよく分からないやり取りをしつつ、キャロルは兄と二人でのんびりと放課後を過ごしたのだった。


 

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