第22話

 


 春の国から出発し、そのまま出入国施設のある最寄りの駅まで来たキャロルたちア・レルピアーノ学園生とその従者や侍従たちご一行だが、列車から降りるとなったその時に、ある問題と着面することとなった。

 冬の国だー! わーい! とどちゃくそに喜びながら、誰よりも早く列車から降りたキャロルと、それを追って慌てて降りた兄のローランドが、それにいち早く気付くことになる。


「さっっっっっぶ……!!」

「うん、寒いね……」


 列車から外に出ただけで、まだ駅構内であるはずなのに、体の芯まで凍えてしまいそうな気温が兄妹を襲う。


 それもそのはず、春の国の平均気温は18°、冬の国の平均気温はマイナスの18°である。

 ほんわかポカポカ春の国から、極寒の、試される大地、冬の国に来れば、そりゃ気温差にやられて当たり前だった。


「……えっ、ちょ……なにこれ、さぶくない? なんか無駄にさぶくない……?」

「うーん、やっぱり防寒具はこの駅で追加購入したほうがよさそうだなぁ……」


 お揃いのコートと耳当てを装備しているのにも関わらず、頬を冷たい風が撫でていく。当たり前ではあるのだが、兄妹は生まれて初めて感じる寒さに脳が誤作動を起こしてしまいそうだった。


「えええええ駅って、そそそそんなもんまで、ううう売ってんのののの……?」


 ガチガチと勝手に鳴る歯と震える体に、キャロルの声がどんどん小さくなっていく。体ごと震えながら喋ったものだからか、バイブレーションが効いた言語がキャロルの口から飛び出ていた。


「まぁ、そりゃあ、僕たちみたいに甘く見た人用に置いてると思うよ……?」

「うおおおお……ありがてぇ……ありがてぇ……!」


 半泣きである。仕方ないね。


 えっぐえっぐと涙を拭おうとして、それがパッキパキに凍りついてしまったキャロルが戦慄した声を上げた。


「兄者……! 凍った……!!! ちょ、凍ったよ……!? 涙凍った……!!!」

「えっ、そんなに気温低いんだここ……、いや待ってキャロル、昨日まで僕のことブラザーって呼んでたよね?」

「え? なにそれしらん」


 めちゃくちゃ不思議そうな顔をされてしまった兄は、出て来そうだった言葉を無理やりに飲み込んだ。


「…………あぁ、うん、そっか」

「だいたいブラザーってなに? ダサくね?」

「……うん、そうだね……?」


 色々とツッコミたい気持ちを無視して、兄は微笑んだ。なんかもう面倒くさくなったからである。仕方ないね。


 そんな微笑ましいやりとりをしていたその時だった。


「っぴちゅん!」

「え、なに、鳥?」


 キャロルが突然鳥の鳴き真似をし始めたのかと思った兄だったが、どうやら違うらしいことに気付く。キャロルの目が、だんだん真っ赤に充血し始めたからだ。


「ちが、っびし! ま、ぃっぐし! この感じ、ぶちゅん!」

「キャロル!? 大丈夫!?」


 止まらないくしゃみと、鼻水、そして目の充血。

 キャロルの思考が高速回転し、様々な可能性を模索していく。

 しかし、くしゃみとかゆみに妨害されてしまう。


「ひっぶし! だいじょぶない! 兄者! マスク!」

「え、ごめん、ちょっと待って、えっと……あれ? どこだ?」


 真剣なキャロルの言葉にローランドはよく分からないまま慌てて鞄の中に手を入れ、ごそごそと探る。

 かつてキャロルの知識で作られ、挙句却下されてしまっていたマスクだが、魔道具師見習いの彼にはとても役に立つ物だったので、それなりに重宝されている。加工中の飛沫を防ぎ、空気が悪いところでも多少の防御をしてくれるからだ。

 キャロルの様子を見るに、もしかすると、この国は空気が悪いのかもしれない、とローランドは考え始めた。


「えびしゅん! ひぎしゅん! ぶっくし! 兄者、はよ!」

「うん、ごめんね、探してるからね」


 くしゃみしつつも急かすキャロルとなかなか見つけられない目的の物に、つい焦ってしまう。分厚い手袋が邪魔で、つい外してしまった。そしてようやく鞄のどこに入れたのかを思い出す。


「えぇっと、たしかここに……、あ、あった! はいどうぞ」

「えっびすん! ふああ……、くそ、なぜだ……! この国には花粉なんて飛んでないはずなのに……!」


 くしゃみ混じりに急いでマスクを装着したものの、なぜかハードボイルドな喋り方で、真剣に悩み始めたキャロル。

 ちなみにこのマスクは粉塵を吸い込まないように開発されているため、軽い金属で作られたワイヤーが仕込まれており、顔の形にフィットするように作られているが、粉塵防護マスクとしての側面が強すぎるため、令嬢としてはアウトな見た目である。現代で似たような形のものが使われている場所はきっと木材加工場とかそういう感じだろう。


「いっぶし! ぬぅぅん……鼻が、目がムズムズするぅうう……!」


 癖で持ってきてしまっていた目薬を、まさか使うことになるなんて思わずに差しながら、キャロルはひとりで愚痴り始めた。さもありなん。なにせここは冬の国。草木の花粉といえばシラカバと、たまにハンノキの花粉が飛んでいるくらいである。

 キャロルは幸いなことに、シラカバ花粉もハンノキ花粉にもアレルギーが出てこないので、本来ならただ寒いだけのはずである。


 わけも分からず空を見上げる。時刻は朝の10時。晴天なはずなのに、なんだか曇っていた。

 山並みと、空がぼんやりと濁っている。


「んんん?」


 その光景は、キャロルにはなんだか見覚えがあった。

 モヤが掛かっているにしては、うっすらと黄色く見える空。


「んんんんん?」


 その時、キャロルの脳内にある知識が警鐘を鳴らした。頭の中でとある文字が浮かび、そして、じわじわと焦りが出て来た。


「兄者よう……、この、空のモヤってさ……」

「ん? あぁ、夏の国の砂が飛んで来ているんだそうだよ。だから晴天でも薄暗いこともあるんだって」

「黄砂じゃねぇかクソがぁぁぁ……!!!」


 キャロルは泣いた。泣いた方が砂が流れてくれるので素直に泣いた。

 どうしてこんなことになっているのか分からないが、色々とショックも重なったのだろう。


 事前に調べていればここまでのショックは受けなかったかもしれないが、どのみちアレルギーがどう反応するのかはキャロルにも分からないので、知ったところでどうしようもなかったかもしれない。

 ともかく、彼女は黄砂にもアレルギー反応を起こしてしまった。

 つまり冬の国は、彼女にとっての安住の地ではなかったのである。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 荷物をカインたち侍従に任せて列車を降りたその時、嫌な方の予想が的中していたことを察した。

 愛しい白金が、駅構内の床に崩れ落ちるようにうずくまっていたのだ。

 その痛々しい姿に、思わず駆け寄る。


「一体何があった」

「うっ、ううう……殿下……! も、申し訳、ございません……!」


 大粒の、真珠のような涙を零し、嗚咽混じりに謝罪する、見覚えのないマスクを装着した婚約者の姿。小さく震える体に、動揺しないではいられなかった。

 答えをくれたのは、彼女の傍で、彼女を支える実兄、ローランドだった。


「殿下、その、キャロルは……どうやら冬の国の空気が合わなかったようです……」

「空気……」


 あぁ、やはり。


「夏の砂に……」

「……そうか……」


 ある程度の予測はしていた。

 彼女は生来病弱で、そのせいか、気管支が弱ってしまっているのだと、調査報告書にはあったのだから。

 環境の違う他国ならばもしかしたら普通に生活が出来るのでは、と彼女は思っていたのかもしれない。だが、その小さな願いは、ここで粉々に砕け散ってしまった。

 厳しい現実を知って、強いショックを受けてしまったのかもしれない。


 春の国のような穏やかな国で過ごしていた彼女が、冬の国の過酷な環境では、少なからず悪化してしまうのではないかと、予測はしていた。

 だが、それを彼女だって予測していない訳がない。


 きっと、それでも彼女は、少しでも強くなろうと、冬の国への留学を決めたのだろう。

 その決意を無駄になどしたくない。だから俺は、彼女のサポートをすると決めたのだ。

 体に負担が少ないよう、魔導列車を手配し、空調も何もかも、全てにおいて彼女のために手を尽くして。その結果が、これか。


 彼女に要らぬ期待をさせ、そして、現実を知らしめるだけとなった。

 ……俺は一体、なにをしているんだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「……入国手続きをしてくる。ローランド殿、キャロルを頼んだ」

「え、あ、はい。どうぞ、お気を付けて」


 なんかめちゃくちゃ思い詰めた顔で、セレスタイン殿下は行ってしまった。

 兄はというと、不思議そうにそれを見送るだけだ。


 キャロルは、世間的には肺が弱いとか気管支喘息とか、なんかそういう感じの病気を患っていると思われているらしいからこそ、なんかよく分からない勘違いが横行している。

 だが、酷い時には呼吸困難になることもあるのが、アレルギー反応というものだ。つまり死ぬ時は死ぬ不治の病であるがゆえに、あながち間違っていない反応なのである。笑えるようで笑えない。

 今のところ症状は、くしゃみと鼻水と目のかゆみだけで済んでいるので、軽傷といった感じだろうか。


 なおそんなよく分からん雰囲気の中キャロルはというと、兄に背中をさすられながら心の中で『はぁああ゛〜もぉぉお゛〜クソがよぉお゛〜』とキレ散らかしていた。


「……キャロル、そろそろ立てる? 我慢できそう?」

「うぎぃ……くしゃみは無理」

「魔道具は?」

「要らんと思ってたからキャリーケースの奥底」

「……うん、良かった、一応持ってきてはいるんだね」


 こうなったらもう開き直るしかない。しかし、それよりも。


「兄者……、悲しいお知らせがあんねんけどさ」

「うん? どうしたの?」


「目薬、足りん」


「…………………………ゴーグル、作ろうか?」

「ひぃいいん」


 結局、泣きながら歩くしか選択肢は無さそうなキャロルであった。どんまい。


 



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