第5話
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
入学式を終えた、その後。
ほとんどの生徒がどこの家の誰なのかを把握していると思い込んでいた教室に、見たこともない美しい少女の姿があった。
ちょうど教卓の前の、皆の視線が集まりやすいその席で、白金色が目立つ彼女は静かに座っている。
ザワザワとした教室内では、あれはどこの誰なのか、という話題で持ちきりだ。
もしや王族の縁戚か、隣国の留学生か、当の本人を放置して皆が好き勝手に予想する。
それは教師が用意した自己紹介の時間まで続いた。そして、クラスメイトたちがちらちらと彼女を気にしながら自己紹介をしていく中、半数ほどの生徒の自己紹介が終わったくらいで、ついに彼女の番が来た。
貴族令嬢らしく、静やかにそっと席から立った彼女には、クラス中の視線が送られていた。
「……みなさま、お初にお目にかかります。リンドブルム子爵家が第二子、キャロルと申します」
鈴を転がしたような耳心地の良い声でそう名乗った白金色の小柄な少女は、このクラスの誰よりも美しく、儚げで、まるでおとぎ話に登場する妖精のよう。
窓から射す太陽の光に照らされた姿は、その白金のせいか比喩でもなんでもなく、本当にきらきらと煌めいて見えた。
それと同時に、あちこちから息を呑むような驚きの声が上がる。
「リンドブルム子爵家の令嬢っていうと、不治の病に罹ったっていう……?」
「えっ、じゃああの子が……?」
誰かが言った、小さくひそひそと呟く声が周囲に伝播して行く。
無理もない。下位貴族である子爵家でありながら、不治の病に罹った娘の為に様々な薬を開発し、その成果としてア・レルピア王家に信頼もあつく、懇意にされている。
そんな特殊なリンドブルム子爵家は国中で何かあるたびに逐一噂にのぼるほど有名だ。
そして、誰も見たことのない深窓の令嬢がどんな人物なのか、憶測は憶測を呼び様々な噂が国中を飛び交っていた。
曰く、外にも出せないような、目もくらむような美少女。
曰く、病により外にも出せないような醜女になってしまった可哀想な少女。
噂は噂であり、本人はそんなでもないだろう、と皆が気楽に考えていた。しかし。
「えっと……あまり、家から出られなかったので、もしなにか、粗相をしてしまいましたら、申し訳ございません」
うつむき加減に、恥ずかしそうな表情を浮かべるその姿はあまりにも可憐で、見ていた者の心を一瞬で掴んでしまった。ほう、と吐息を零すような女生徒の声に混じって、うぐっ、というくぐもった男子生徒の声も聞こえる。
この時点で皆は、噂は一部を除き、ほぼ真実だったのだと確信した。
あまりにも眩しくて、長くなど見ていられない。もしそれをしてしまったら、きっと同性でも恋に落ちてしまうだろう。そう感じてしまうほどの人間離れした美しさに、ただ圧倒される。
「みなさまと同じ学び舎に通うことができて、本当に嬉しく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします」
彼女はそう言って、白金を溶かしたような瞳を潤ませながら、はにかむように微笑んだ。
途端に、甘く涼やかな香りが鼻をくすぐっていく。
教室の中の生徒の誰かが机に頭を打ちつけたような、鈍い音がどこからか聞こえた。さもありなん、彼女の可憐過ぎる姿はそれほどまでの破壊力があった。
自己紹介を終えた彼女は、そのまま自分の席に腰を降ろす。その仕草もつい目で追ってしまう。
幼い頃に病で倒れ、視力を失いかけたともどこかで聞いたが、どうやらそれは本当のようだ。彼女の様子を見るに長く目を開けていられないようで、両の目の白金はそのまぶたの下に隠されてしまっていた。
触れただけで壊れてしまいそうなほどの、繊細な工芸細工のような美しい少女は、一様に皆に見られていることに気付くと、それに驚いてしまったのか怯えたように身を竦ませた。
その後もクラスメイトからの自己紹介は続いたのだが、皆が皆上の空で、全く頭に入っていない生徒すらも居たようだ。
教師からの自己紹介や今後の説明も終わり、交流の為の自由時間が設けられた。
それぞれの生徒が顔見知りの生徒へと声を掛け、集まり、グループのようなものを作って行く。
そんな中、彼女は一人静かに自分の席に座ったままだった。
しかし、そんな彼女が気にならない生徒など居るわけも無く、誰もが何度もチラ見してしまう。むしろ、誰のグループが彼女を引き込むのか、表面上ではなんでもないことのように取り繕いながら、牽制しあい続けることしばらく。
事態が動いたのは、牽制しあい続ける女子生徒の各グループを出し抜くように、ひとりの空気が読めない男子生徒が、鼻の下を伸ばしながら彼女に近付き、あろうことか無遠慮に声をかけたことからだった。
「なあ、お前、ひとりなんだろ? おれさまのグループに入れてやってもいいぜ」
あまりにも傲慢な物言いに、そこらじゅうから憤怒のオーラが立ち上る。いくらなんでも許せない。誰だあのクソ野郎は。何をしやがるこのバカタレ。だいたいお前のグループ男しか居ねぇだろうが。
「将来的にタミン伯爵家を継ぐ長男、ヒースさまの寄り子になれるんだからな。こんな機会はめったにないぜ?」
「……えっと……?」
不思議そうにそのクソ野郎を見上げる彼女の姿は誰が見ても愛らしい。が、それよりも。
この30人は居るクラスで、5人も居ない伯爵家の、しかも長男だなんて最悪としか言いようがなかった。
ほとんど男爵家が六割、子爵家が三割、残りの一割未満が伯爵家、といった生徒で構成されたクラスである。そんな伯爵家の人間を相手に、反抗出来る者は限られていた。
歯噛みしながら見ていることしか出来ない自分に、嫌気がさす。それは周囲の生徒たちも同様だったようで、悔しげな表情でクソ野郎へと憤怒のオーラを放つことしか出来ない。
「あら、ヒースさま、お待ちになって?」
それを打開したのは、凜とした声だった。
「なんだよ? 図々しいな、誰だ」
「わたくし、タリオン伯爵家のクラリスと申しますの。お言葉ですけれど、男性ばかりのグループに女性がたったひとりというのは……、いくらなんでも心細いのではありませんこと?」
優雅に名乗る、薄青をした吊り目の美しい令嬢は、その家格に相応しい威厳のある立ち姿でそう問い掛ける。
さすがのクソ野郎も、同じ家格の人間が相手では強く出ることも出来ないらしく、ぐっと言葉を詰まらせた。そうだそうだ! もっと言ってやってください!
「それに、まだご本人の意見も聞いておりませんわ」
クラリス様の言葉で、ようやく気付いたらしいクソ野郎は慌てたように彼女を見て、そして、顔を真っ赤にして固まった。
もしや、何らかの問題が起きたのかと、周囲の生徒たちも彼女を見る。
結果として、彼女の姿を見た者は一様にその場で固まってしまった。
そこには、恐怖に怯えてか小さく身を縮こまらせ、ギュッと目をつむった彼女の姿があったのだから。
「…………」
めちゃくちゃにかわいいその姿に、頬へ熱が集まっていくのを感じる。小柄な体をさらに小さくさせながら、ぷるぷると仔犬のように震える姿は、誰が見てもかわいらしかったのだ。
あまりのかわいさに、誰も、何も言えなくなってしまった。
「ンっん゙ん! さあ、みなさま! そろそろ先生の言っていたお時間が来ますわ! 自分の席にお戻りになって!」
誰よりも早く理性を取り戻したクラリス様は咳払いしたあと、赤い頬を隠さずにパンパンと拍手で生徒たちを促した。それでようやく意識を取り戻した生徒たちは、あわてて自分の席に戻っていったのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
放課後、彼女が帰路に着くのを見届けたあと。
クラスの各グループの代表者同士での、話し合いの場が設けられた。
幾度もの激しい議論の末に、彼らの間では不可侵条約が結ばれた。それは、『小さくて可憐なか弱いキャロル』が、少しでも心穏やかに過ごせるようにと結ばれたものである。
ひとつ、彼女の前で争わない。
ひとつ、グループ活動が必要な場合は、女生徒の作ったグループで、順番に。
ひとつ、男性のみのグループは彼女になんらかの危機が迫った場合にのみ。
ひとつ、彼女が嫌がることをしない。
こうして、のちの鈴蘭の君親衛隊、その原型が形作られたのだった。
もしも当の本人であるキャロルがこれらを知ったとしたら、彼女はきっとこう言うだろう。
「え、なにそれしらん、こわ……」
……と。
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