第6話 

 


 入学してから数ヶ月経ち、キャロル・リンドブルムという令嬢を一言で表すならば、深窓の令嬢、寂寞せきはくな美少女といったどこか儚げな印象、というのが、周囲の人々の共通認識とまで行くほどの物にまでなった。キャロルの地道な努力の賜物である。


 抱き締めれば折れてしまいそうなほど細い腰に、風が吹くだけで小さく震える肩。

 プラチナブロンドと同じ色の、白金を溶かしたような瞳は殆どの人間が目にした回数が少なく、一度でも目にした者は吸い込まれそうな感覚に陥ったという。その稀有な瞳の色は、真っ白な透明感のある肌も相まって神秘的ですらある。

 話しかければ、すぐにその大きな目をうるませて、怯えたようにどこかへ行ってしまう。

 平均よりも小さな身長だからか、まるで小動物のような可愛らしさ、と様々な人々から評判だ。


 だがしかし、そんなキャロルは。


「っくしぇい! っぶしゅん! っびしゃい! うぇぇい……鼻水でた……」


 本日も絶好調に、重度の花粉症によるくしゃみを連発していた。


「ううう……どうして……なにこの地獄……」


 周囲に誰もいないことを確認してから、ずびーっと盛大に鼻をかむ。


 常春なこの国では、花や草木が無い日など存在しない。だからこそ、彼女にとっては毎日が花粉との戦いなのである。仕方ないね。


 淑女として、人前で鼻をかんだり、くしゃみをすることは許されない。にも関わらず、この世界の人々は花や草木と常に生活を共にしている。

 つまり、そこらじゅうが色んな草木の花粉まみれなのである。


 キャロルとて年頃の淑女。外見だってプラチナブロンドの超絶美少女である。

 せっかくそんな美少女として学園に入学したのだから、出会いだってそれなりにあるはずだった。なのにも関わらず、友人らしい友人も居ない。なお、本人は花粉まみれの人々と関わりたくないのでまあいいやと思っていた。


 だがそれでも、女の子として産まれたからには素敵な恋愛を夢見ない訳では無い。……しかし、いかんせん彼女は重度の花粉症である。


「……いや……『香り』なんていっこも分からんて……」


 毎日が鼻水鼻詰まり目の痒みでなんも分からないのが現実であった。


 とことこと歩くだけで花粉が舞うこの国で、彼女は毎日を必死に生きているだけで精一杯なのである。


「ふぐぅ……薬を開発してもらってなかったらもっと酷いことになってる所だよ……」


 キャロルは誰にともなく独り呟いた。この裏庭に誰もいないことを知っているからこそである。


 人々が噂する、彼女の潤んだ瞳は目の痒みと戦っている最中な証であり、風が吹くと震える肩は寒さによるものではなく、花粉をこれ以上吸い込まないようにする為に息を止めているだけ。

 そして、対人恐怖症なども一切無く、ただ、目の前の人物の服に付いた花粉を避ける為に、人と関わらないようにしているだけである。だからこそ、彼女はずっと友人も作れなかった。


 結果として、そんな数ヶ月を送っている間に噂が噂を呼び、本人を一切放置して、なんか知らん内に『鈴蘭の君』とかいう痒くて掻きむしりたくなりそうな呼び名を付けられるに至っていた。なお、影でひそひそ言われているだけなので、本人はそのことを一切知らない。

 キャロルの努力は、そんな微妙な結果をもたらしていた。


「でもやっぱ、化学医療ほどの効き目は無いんよなぁ……はーマジで地獄……、セレスタミン様が恋しい……!」

 

 誰も居ない裏庭で、彼女は独りごちながら目薬を差したのだった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「キャロルさん! いい加減に、殿下を解放してあげてください!」

「……ふぇ?」


 なんか急に話しかけられて、突然のことに変な声が出た。

 殿下って誰ぞ?


「あなたのその言動で、どれだけの人が迷惑してると思ってるんですか!」

「…………」


 えーっと、なんだ? だれこの人。あかん長く目を開けられへんからなんも分からん。ボヤボヤした視界の中、頑張って目を開けようとして、諦める。うわ目ぇ痒なってきた。そろそろ目薬差さんと死ぬなコレ。


「だんまりですか……!? 本当に自分勝手な人……!」


 そんなに荒ぶらないで欲しい花粉飛ぶから。落ち着いてくれ頼む。あっなんかもっと目ぇ痒くなってきた。


「……っ……」


 やっべ、くしゃみ出そう。我慢我慢。


「そうやってすぐに泣いて誤魔化そうたってそうは行きませんから!」

「……あの……」


 落ち着きたまえー! さぞかし名のあるご令嬢とお見受け致すー! 何故そのように荒ぶるのかー! 落ち着きたまえー! 花粉飛び散っちゃうからー!!


「なんですか!? 罪を認める気になったんですか!?」

「あなた、だれ、です?」

「っ……相手が元平民なら、名前なんて覚えなくてもいいと……!? なんて人なの……!!」

「…………え?」


 え、何言ってんだこいつ。真面目に意味わからんけど、何が言いたいん?


「聞きましたか皆さん! この人は、キャロル・リンドブルムさんは平民だからって差別する、平民差別主義者です!」

「……えっと……」


 なんでそんな同じようなこと二回言うん? 一回で良くね?


「こんな人、殿下にも学園にも相応しくないわ!」

「…………」


 ええー、何の話これー?

 なにがどうなってこうなったんー? やだーめんどーい。


「おい、大丈夫かアレ」

「またか……鈴蘭の君も可哀想に……」


 遠くから男子の声が聞こえた。え、またってことは似たようなこと他の人にもしてるん?

 あと鈴蘭てなぁに?


「どうしてこんな人が……! 私だって頑張ってるのに……!」

「はぁ、そうですか……」


 頑張る方向性間違ってるんじゃね?


「なんの騒ぎだ」

「春の殿下!」


 あぁもう誰よ今度は。あ待って鼻水出そう。やばい。


「……鈴蘭の君か。いったいこれは何事だ?」


 まって鈴蘭てワシのこと?

 あかんちょっとまって鼻水、鼻水でちゃう。魔道具仕事してるよね!? たまに心配になるんだけど!? とりあえず上向いとこう。

 いやまって誰かにめっちゃ見下ろされてるけどなんも見えん!

 かっゆ!!! だれ花粉まみれの人! こっちくんな!


「っ……! 泣いていては分からないだろう。なにがあった?」

「春の殿下! 涙に誤魔化されてはいけません! その女はそうやって殿方に取り入っているんです!」


 あー! くしゃみ出そう! あかん!

 ここでくしゃみしたら鼻水も止まらんくなる! 頑張れー! ワシ頑張れー! ふぁいとー!


「……はぁ、マチルダ。どうしてそう貴族の人間を目の敵にするんだ」

「春の殿下……、お言葉ですが、この女は言うに事欠いて、私を誰だと問うたのです! 私の事を下に見ていなければ、そんな言葉出てこないはずです!」


 いや知らんがな。大体ワシ花粉のせいでいつも殆ど見えてないからね。

 頭はボーッとするし常に視界ボヤけてて人の判別はでけんし、黒板の文字すらも見えとらんもん。声でしか分からんのにどうしろと言うのか。

 あーもう、これだから人と関わりたぁ無いんよ。めんどくさいよぅ。だれかたすけてー!


「だいたい、その涙だって偽物です! 私、知ってるんですから! この女が、いつも目薬を差しているって!」

「……それは、どういうことだ?」

「本当です! 証拠は、ほら! あった!」


 ズボッと制服のポケットに手を突っ込まれて、何かを高らかに掲げる誰かの姿がぼんやりと見える。

 え、なに、何取られたのワシ。


「………………あっ」


 ポケットに手を入れて、目薬が無いことに気付いて、血の気が下がった。


「本当に出てきた……、え……じゃあ本当に……?」


 誰かが遠くてなんか言ってる気がしたけどそれどころじゃない。


「まって、返して……!」


 そろそろ目薬差さないと目が死ぬのになんで持ってっちゃうの!? つかなんで人のポッケ簡単に手ぇ突っ込んでんの!? なにしてんの!? いくら同性でも普通しねーぞそんなん!!


「なに? 無くなったらどうなるっていうの。男を騙せないって? 自業自得でしょ」


 なんか言い始めたぽいけどそれどころじゃない。じわりじわりと、花粉が猛威を奮ってきた。うわあああああああ!!!


「あ、ぁああああぁぁぁ……! 目が、目がぁぁぁ……!」

「えっ」


 ボロボロと涙が溢れていくのに、痒みは全く軽くならない。ただただかゆい。


「ふん、何よ目薬くらいで大袈裟な……」

「いやっ……、あ、あああああああああぁぁぁ!!」


 かゆ!!!! かっっっっっゆ!!!!! 無理死ぬかゆい!!

 うわあああああああああああかゆいいいいいいい!!!

 あばばばば死ぬうううううう!!!

 目が死ぬううううううう!!!

 眼球取り出して洗いてぇええええええ!!!!

 ああああああああああああああああああああ!!!


「そういえば聞いた事があるぞ、彼女は小さい頃に大病を患って、視力を失いかけたって」

「それじゃあ、目薬はその治療薬……?」


 うええええええん!!

 かゆいかゆいかゆいかゆい!!!か、かかかかかかゆ!!

 あかん頭バグって来たかゆい!!


 その場でゴロンゴロン転がりたい欲求を無理矢理におさえながらうずくまる。なんか全然知らん話してる気がしたけど痒さに全部持ってかれた。

 痒いのに搔けないからか手がぶるぶる震える。かゆい。マジかゆい。なんかもう顔面がかゆい。人前だからくしゃみも鼻水すするのすらも我慢してるのになにこの苦行。つらい。さすがにしんどい。つらい。


「ねぇ、このままじゃ、彼女、失明するんじゃ……?」

「え、じゃあヤバくね……?」

「おい、マチルダ! 目薬返してやれよ!」

「い、いやよ! 私は悪くないもの!」

「マチルダ、早く返してやりなさい! このままでは彼女の目が……!」

「冬の殿下まで……!」


 ふあああああああ!!!

 かゆううううううううい!!!

 ああああああああもおおおおおおこうなるからヤなんだよ花粉症はああああ!!!

 クソがああああああああ!!!


「なんなのよ、この程度で視力がどうにかなる訳……!」

「彼女の家は薬学で有名なんです! それは彼女の病を治すために家族が必死に研究した成果だ! その彼女の持つ目薬が特別じゃない訳がない!」

「そうだよ! ちょっと考えれば分かるだろ!」

「皆、だまされてるのよ! こんなもの……っ!」

「あっ!」


 なんかわちゃわちゃしてるとこ悪いけど目薬はよ返してくれんかなぁ!?

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