第4話

 


 厳しい母による四年間のスパルタ淑女教育を、持ち前の運動神経と筋肉、そして前世を生きた経験というチートを使って及第点で修了したキャロルは、三月で十四歳になった。


 つまり今年は、キャロルがア・レルピアーノ学園へ入学する歳である。


 この四年間で『可憐で病弱な小動物系美少女』のガワ、という巨大すぎる猫をなんとかゲットしたキャロルだが、その間、父が何をしていたのかというと。


「キャロル。遅くなったが、ようやく手に入れたぞ」

「おとん、どしたん? なんこれ?」


 ぼんやりなどせず、国中を跳び回って専門の職人に何度も頼み込み、そしてようやく、ある物を手に入れていた。

 その品を、父は不思議そうなキャロルへ手渡す。

 令嬢へのプレゼントとしてぴったりの、薄紫色の小箱をピンクのリボンで飾った、まさにプレゼント! という形状の箱だった。

 父は、細目にした目を更に細めた満面の笑みでキャロルに告げる。


「うむ。『体の中の水分を体外に出さないようにする』効果の魔道具だよ」

「それって……!」


 意味を察したキャロルの表情が、今までにないほど明るくなった。


「そう、これでキャロルの鼻水が垂れることはないんだ……!」

「あ、あぁ……! ありがとう、おとーさま!」


 感動のあまり、キャロルは勢いよく父に抱き着いた。ぎゅっと、力いっぱいに抱き締めて、グリグリと父のみぞおちに頭を擦り付ける。


「いいんだよキャロル。これも全てお前のためだ」


 キャロルの目から、ほろほろと涙が零れてゆく。

 嬉しくて嬉しくて、そして有難くて、キャロルは生まれて初めて、父に心からの感謝をした。


 こんなにも面倒な娘なのに、こんなに貴族令嬢から程遠い娘なのに、家族の誰一人として邪険にせず、とても大切に育ててくれている。それだけで本当に凄い家庭に産まれてしまったと思っていたのに。


(優しすぎるじゃろこの家族うううう!!)


 キャロルの目から、涙がビャッと飛び出た。


「お礼ならローランドにも言いなさい。ローランドが魔道具職人に弟子入りしていなければ、こうはならなかったんだから」


 父の言葉に、キャロルは滝のように涙を流しながら振り返る。

 そこには、普段通りに穏やかに微笑む優しい兄の姿があった。なお彼は、最近幽霊など見たくないものが見えてしまうことが多く、キャロルや父とは別の理由ながら、同じく薄目で生活をし始めているので常に微笑んでいるような顔に見えるのだが、今回それは割愛しておこう。

 

「よかったねキャロル」

「うえええん! 兄者ありがとおおおおー!!」


 この世界の魔道具というものは、とても高い。普通に買おうと思ったら現代日本で言うフェラーリくらいはしてしまう。

 何故かと言うとその技術が貴重なこともあるが、職人の数が少なく、それに使われる金属も希少だからである。

 ゆえに、たかが子爵家の令嬢に魔道具なんて、と高慢ちきな職人も多く、父は国中を駆け回らなければならなかった。


 それでも、神はリンドブルム子爵家を見捨てなかった。

 たまたま交易で出会った老婆が、たまたま引退した魔道具職人だったのである。


 その辺に関しても紆余曲折なんか色々あったのだが割愛して、ともかく、弟子にしたいと思えるほどその老婆に気に入られた兄が居たからこそ、なんやかんやあって魔道具を作って貰えたのである。もちろんタダなんて訳がなく、それなりにヤバい額のお金は取られてしまったが。


 まぁ、こんな世界観でも一応ファンタジーな異世界である。魔法もあれば魔道具もある。

 とはいえ、どちらの技術者も希少であり、王族や高位貴族くらいの、雲の上の天上人な方々が抱え込んでいるのが通常なので、キャロルたちは本当に運が良かったのだろう。


「うう……、……ありがとう兄者ぁああ……! おとーさまも……ほんとにありがとう……!」


 えっぐえっぐと涙を零しながら感謝の言葉を口にするキャロルに、兄はふと尋ねた。


「ところでキャロル、僕ずっと思ってたんだけど、その、……兄者ってなに?」

「え? なんかダメなん?」


 完全に、何がダメなのか分かっていない顔である。

 令嬢としてダメだなんて一切考えてすらいない、清々しいほどのキョトン顔である。


「いや……だめというわけじゃないけど……普通は『おにいさま』とか……」

「えぇー、おにいさまだと威厳ないやん? あと兄者のがカッコイイじゃろ」

「……うん、そっか。でも、人前でそれはだめだからね?」


 頑張って説得しようとしたものの、兄は途中で諦めた。心からそう信じている妹の鼻水と涙にまみれた誇らしげな顔を見たらもう、そうとしか答えられなかったのである。


「もちろん承知しておりますわ、おにいさま。わたくし、そのためにおかあさまから、とってもたくさん淑女教育を受けたのですもの」


 ふわり、と笑うキャロルは、淑女と言っても何も問題なく見えた。……涙と鼻水以外。


「…………キャロル」

「どしたん兄者」

「……ううん、なんでもない」


 兄はそれ以上何も言わずに、自分の持っているハンカチでキャロルの顔面を汚す涙と鼻水を拭う。

 そんなふたりの兄妹の姿を、両親と使用人は感動の涙を目の端に浮かべながら見守っていたのだった。






 父と兄の苦労の結晶、『鼻水止めの魔道具』を入学祝いとしてゲットしたキャロルの生活は、かなり向上した。


 体質改善として様々な健康食品や漢方などの薬を開発していたこともあり、少しずつ花粉症の症状は落ち着いていたのだが、目のかゆみと鼻水だけはどうしようもなかった。

 しかしそれも、『目薬』と『鼻水止めの魔道具』があれば、日常生活に何ら支障はない。

 見た目は普通にオシャレな雫型の銀細工な魔道具だが、機能が『体内の水分が体外に出ないようにする』に限定されているため、鼻水が鼻から出ないようになるだけである。

 喉の奥には普通に垂れてくるし、たまにくしゃみすると普通に鼻から垂れたりもするが、キャロルにはそれだけで天国だった。鼻水が止まればくしゃみも最小限に抑えられるのだからさもありなん、である。


 ちなみに涙は流れてくれるし、瞳の表面にも溜まってくれる。そうじゃないと花粉から瞳を守ることが出来ないので限定的にそう設定されていた。なお、乾燥した際には目薬もあるので、至れり尽くせり状態のキャロルである。


 だがしかしその状態では、この世界の人々が大事にしている『香り』は一切、何も、これっぽっちも分からないのが現実だった。


 それをキャロルから聞かされた両親は、なんかもう色々と諦めた。跡継ぎは兄だし、家柄も子爵家とはいえそこまで悪くないし、交易と化粧品と薬が財政を潤していて、貧乏ではない。むしろ裕福と言っていい。

 結婚出来ればそれは確かに良いとは思うが、『運命の香り』が分からずに結婚してしまうことの方が問題だ。

 むしろキャロルが小姑になっても問題ないくらいには、家族仲は良好。兄嫁がどんな人かにも寄るが、両親は引退したあとに、別荘でキャロルと過ごしたって構わないとすら思っていた。

 

 なおキャロルはというと、もーええわ、どうにでもなれー、と言っていたりするので、本人も結婚に対しては完全に諦めているようだった。


 そんなキャロルが入学した、ア・レルピアーノ学園は、国中の貴族の子女が集まる、四年生の教育施設である。

 春、夏、秋、冬、それぞれの国の王子や王女が留学生として入学している学園は、国内随一と言っていいほどの名門校である。

 今年で十四歳になる子供たちが集まり、社交、教養、学問などを学ぶ場所として二百年以上の歴史を持つ、国営の由緒正しい学校として、国内外共に優秀な人材を生み出すと言っても過言ではない。

 入学資格は貴族、または王族であること、そして一定以上の学力を持つこと、もしくは魔力を持っていること。

 この中のいずれかに該当していれば平民でさえも入学出来てしまうのだが、身分差別はそれなりにあるため、それなりに覚悟が必要という、なんかファンタジー系の小説でよくある感じの設定がなされている学園である。


 そんな世界の縮図的学園に通い始めたキャロルはというと。 


「なんでなん」


 誰も友人が出来ずに、四六時中遠巻きにされていた。


 小さく呟いたくらいでは誰にも気付かれない。

 そのくらいには近くに誰も来ない。

 自己紹介だって完璧だったはずである。


 令嬢らしく、お淑やかに、そして可憐に見えるように、真面目に頑張ったのにこれである。


 休み時間にも誰も来ない。気付いた時には自分以外のグループが出来上がり、なぜだか遠巻きにひそひそ話をされてしまう始末である。


 (話しかけようとしてきた人がめちゃくちゃ花粉っぽくて縮こまっちまったのが原因かのう……)


 心の中で、やっちまったかなぁ、なんて呑気に考えているキャロルだが、明らかにそれが原因である。

 『可憐で病弱な小動物系美少女』のガワ、という巨大すぎる猫はきちんと機能している。

 だからこそ、クラスメイトからすらも、そっと遠くから見守られていた。


(友達は……まぁ……でけんくてもええか)


 ずっとくしゃみを我慢しながら喋れる気がしない、と思ったキャロルは、これはこれでヨシ! と勝手に納得するのだった。



 

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