第2話

 



 この世界に産まれた者には、固有の『香り』というものが存在している。


 それは魂から香るものであり、古来より、良い匂いである方が素晴らしいとされてきた。

 だからこそ、この世界の人々は花や草木と常に生活を共にしている。

 それは、『香り』というものがとても大事だからであり、『それ』をいつでも感じられるようにと欠かさず嗅覚を鍛えているのが主な理由である。


 お互いが好ましいと感じる『香り』であればあるほど相性が良く、素晴らしい夫婦になれるのだと信じられてきた。

 なお、どれだけ顔や家柄、世間一般的に香りが良くとも、どちらかが少しでも『嫌な香り』と感じてしまえば一発アウトである。


 つまりこの世界の人々は、『香り』によって人生の伴侶を見付けているのだ。


 だがしかし、キャロルは花粉症である。毎日が鼻水鼻詰まり目のかゆみ、喉のかゆみ、その他もろもろとの戦いである。


 そのうえ、春、夏、秋、冬とそれぞれ存在する国の中から、何の因果か春の国、何かしらの草木が年中花をつける、常春の楽園ア・レルピアに、転生前と同じ、重度の花粉症患者として産まれてしまったのである。


 杉と檜、それからハンノキがほぼ毎日フィーバーしている春の国。幸か不幸か、まあ不幸っちゃ不幸かもしれないが、植物は地球とほぼ相違無いこの世界。


 だからこそ、キャロルの頭にある漢方や家庭医学程度の知識が役に立った。


「しょーせいりゅーとうちゅくるの!」


 小青竜湯。主に鼻水と鼻詰まりに効くので痒みには効かない。


「けいがいれんぎょうとうちゅくって!」


 荊芥連翹湯。これも鼻詰まりに効く漢方である。主に匂いが分からなくなるくらいの熱を伴った鼻詰まりの時に使用される。痒みには効かない。


「まおうぶしさいしんとう!」


 麻黄附子細辛湯。気管支炎や気管支喘息、アレルギー性鼻炎に効果がある漢方である。痒みにはそんなに効かない。


「かゆみどめがないいいいいぃぃぃいいいい!!!」


 ギャン泣きである。


 色んな漢方らしきものを、聞いただけの知識で試行錯誤しながら大量に作らされ続けた薬師の方が泣きたかった。完成しているかどうかも分からない薬を、幼児、しかも雇い主のご令嬢に飲ませる訳にも行かず、同僚を数人犠牲にしてしまったのだから仕方ない。

 彼は今後、薬師界隈で危険人物と噂されるかもしれない。一応死人も、酷い後遺症に悩まされている者も発生していないので平和なものである。ただ、作った薬は吐くほどクソマズかったそうなので、そういう意味で危険人物扱いはされてしまうかもしれなかった。


 だがキャロルにも言い分はある。

 アレルギー症状を抑えるために、ほぼ毎日ずっと濃い緑茶を飲んでいるからいつもトイレは近いし、味は苦いし、くしゃみと鼻詰まりと目のかゆみは少しマシになってはいるけど結局無くなってないし、喉はかゆいし、味は苦いし、トイレは近いし、なんなら持続時間が短いせいでちゃんと眠れず、発症から数ヶ月、ずっと睡眠不足なのだ。六歳の女の子が、数ヶ月ずっと、睡眠不足なのである。

 機嫌が悪くて当たり前だった。

 いくらキャロルがすこぶる良い子でも、限界というものはある。むしろめちゃくちゃ我慢出来た方である。キャロルはとても我慢強い子だったのである。


「うえええ゙え゙ぇぇぇぇんんん!!!」


 ギャン泣きである。仕方ないね。


 六歳にして花粉症を発症するまではある程度ちゃんと話せていたのに、鼻水鼻詰まり目のかゆみで呂律が言うことを聞いてくれなくなってしまったらしいキャロルは、今回の件で舌っ足らずになってしまっていた。

 だがしかし、天使のような外見も相まってか、全てが許されている。可愛いは正義。


「キャロル、どうしたの。薬師さんがこまってるよ?」

「あに! くちのにゃかかゆい! ちんどい!」

「うーん、こまったね……」


 なお、今回の一番の功労者はキャロルの実の兄、ローランドだろう。

 彼はキャロルと一歳しか違わない年子である。しかし、生来から優しく慎ましやかな彼は、妹のキャロルを全力で可愛がってきた。

 そんな妹の危機に庇護欲と責任感をかつてないほどめいっぱい感じた彼は、妹のために森へ入ったのだ。


 その森はリンドブルム子爵家の敷地外ではあるものの、リンドブルム子爵領内であり、子爵夫妻もよく知る、近所の森である。

 領内の人々が果実や山菜を採りに良く入る森で、それなりに整備もされているため、子供が入っても安心安全な、ごく小さな、よくある感じの森である。


 そして、兄はたくさんの薬草や漢方に使える植物と、誰も見たことのない精巧な絵の描かれた一冊の本を持って帰ってきたのである。

 本には、この世界の薬草とその効能が分かりやすく書かれており、子爵夫妻はそれらを奇跡だと泣いて喜んだ。

 ちなみにキャロルはそれを見て(あ、小学生の時図書室にあった『こどもずかん』だ)と思ったが口に出さなかった。思っただけで意味がよく分からなかったからである。


 なお、なぜ兄がそんなものを持って帰れたのかというと、彼は森で、なぜだか妖精たちの領域に入り込んでしまい、そこでなぜだかめちゃくちゃ気に入られ、結果お土産に色々と役立ちそうな物を持たされただけなのだが……、まあ本人はその記憶を妖精達に忘れさせられているので今は割愛しておこう。


 薬草があっても調合を間違えれば劇物になるのが漢方である。それは薬師の界隈でも同じだったので、とりあえず子爵夫妻は領内の薬師全員に協力を仰ぎ、幼い娘の病気のために、薬を開発してもらったのである。

 

 キャロルのげんを兄が聞き取り、そしてそれを薬師が調合する。そんなやり取りの中、キャロルが言う薬とほぼ同じ効能の薬はどんどん開発されていった。(なお、味よりも効能重視だったので別の意味の劇物は大量生産された。)


 そして、そんな兄に負けじと、父もあちこちを駆けずり回った。

 幼い娘が病気なんです! と頭を下げ、地球のルイボスと甜葉懸鈎子てんようけんこうしと同じ植物を少しとはいえ見付けて帰って来たのである。この父、有能。


 だがしかし、お茶にするには、少し時間が足りなかった。

 だからこそキャロルはぐずっているのである。


 緑茶のおかげで、頭がおかしくなりそうな痒みは抑えられているものの、かゆいもんはかゆい。

 前世のおぼろげな記憶から、お茶を作るのに発酵させたりなんだりが必要だと知っていたので、これは仕方ないことだとは理解している。だがしかし。かゆいのである。


 かゆかゆのかゆで、かゆみがかゆみしているのである。


「ちんどいぃ~……!」

「うーん、しんどいかぁ」


 その時ふと、兄は天啓を得た。


「ねぇキャロル、ハーブに何かいい効能がある組み合わせはない?」

「はっ! ねとる! えるだーふらわー!」


 漢方ばかりに気を取られ、ハーブの存在は頭から抜けていたらしいキャロルは、今思い出したのか勢い良く喋り始めた。


 ネトル。日本名はセイヨウイラクサ。浄血作用が高く、アレルギーの体質改善によく用いられているハーブである。それだけでなく、鼻水、鼻づまりなどのアレルギー性鼻炎の症状にも有効。


 そして、エルダーフラワーとは、日本名セイヨウニワトコ。地球で“インフルエンザの特効薬”とすら呼ばれているほど、浄化作用の高いハーブである。発汗作用や利尿作用も高く、風邪の症状の緩和、ついでに花粉症対策にも有効な、あると便利なちょっとした万能薬系ハーブである。


「あと、だんでらいおん! かもみーる!」


 ダンデライオン。いわゆる、西洋たんぽぽである。葉と根、両方とも体内循環を向上させ、老廃物や毒素を体の外に出しやすくする作用がある植物として、昔からコーヒーにしたりなんだりと、様々な異世界ファンタジーでも出て来る色々と使い勝手のいい便利な植物である。だがしかし、ダンデライオンはキク科の植物なので、同じキク科の、ブタクサの花粉症を持つ人間にはたまに地獄が発生する。


 カモミール。炎症や『アレルギーを抑える』のに特化したハーブである。

 世間では安眠やリラックス効果の方が注目されがちだが、花粉症の花粉症による花粉症のためだけに産まれたようなハーブである。

 だがしかし、カモミールはキク科の植物なので、ブタクサの花粉症の人間には以下略。


 舌っ足らずに頑張って説明してくれるハーブの概要を、兄も頑張って聞き取りメモをとる。


 他にもエキナセアは免疫を高めるのに有効だが、花粉症は免疫力が暴走してなるものなので、効果はある時とない時がある、これもキク科、など、キャロルは頑張った。

 生きるためなのだから当たり前である。


「よかったねキャロル、カモミールなら、庭にはえてるよ!」

「やったー! たべる!」

「うん、たべないでお茶にしよう?」

「ふぇ?」


 兄は、不思議そうに首を傾げる妹の鼻から垂れた水のような鼻水をハンカチで拭いながら使用人を呼び、そしてカモミールを紅茶に入れて出して欲しいと頼んだのだった。

 前世と同じならブタクサも花粉症かもしれないが、だとしても今はスギ花粉にやられているだけのようなので、きっと大丈夫だろう。成長したらダメかもしれん。

 こればっかりは神ですら予測は出来なかった。


 なお、彼の取ったメモはこの後薬師に提供され、キャロル専用の薬を作る為に有効活用される予定である。

 そんな仲睦まじい兄妹の姿を見ていた薬師は、仕事が増えることに対してか、それとも美しい兄妹愛に感動してか、どっちともつかない涙を流すのであった。どんまい。



 

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