【連載版】花粉症令嬢は運命の香りに気づけない。~え、なにここ地獄?~

藤 都斗(旧藤原都斗)

第1話

 


 


 『それ』が始まったのは、本当に突然だった。


 リンドブルム子爵家に娘として生まれ早六年、ついこの間六歳になったキャロルの身に、唐突に降り掛かった悲劇。


「えっぶし! ぷしゅん! ぶちゅん!」

「キャロル? どうしたの?」


 止まらないくしゃみ、目のかゆみ、そして喉のかゆみ。


「びちっ! はぶすん! えびし!」

「キャロル!? 大丈夫かい!?」


 たまたま近くで遊んでいた兄が、驚いた顔で駆け寄ってくる。


「は、はぶし! えぶ、ぶえええええん!」


 キャロルは泣いた。どれだけ不細工になろうと泣くしかなかった。身に覚えのあり過ぎる体の反応と、鼻水、そして涙。

 齢六歳にして、彼女はその不治の病を発症してしまったのだ。


「かふん!! ちね!!!」

「キャロル!?」


 花粉症である。


 キャロルは全力で泣いた。ギャン泣きである。泣けば多少花粉が流れてくれるのでもう泣く他に逃げ道が無かった。

 そんな娘の様子に、リンドブルム子爵夫妻は困り果てた。どれだけ落ち着かせようとも泣き止まない娘に、もしや悪魔が取り憑いたのかと思ってしまうほどだったが、ようやく少し落ち着いたその時、娘のくしゃみが止まらないことやあちこち痒そうにしていることに気付いたおかげで、何らかの身体の異常が幼い我が子に発生しているのだと察したのである。


 プラチナブロンドにエメラルドグリーンの瞳をした美し過ぎる母、ロクサーヌと、ミルクティーブロンドに白金を溶かしたような瞳の色をしたイケおじな父、アルバートから、それぞれの白金を受け継いだ、それはそれは可愛らしい娘である。

 ちなみに兄は、ローランド。父譲りのミルクティーブロンドに、母譲りのエメラルドグリーンの瞳を持つ癒し系美少年である。

 なお父はその瞳の色素が薄すぎるせいで、紫外線や太陽光に耐えられず細目で生活していたが、それと関係なく自然と目を細めてしまうほど可愛らしい娘が、泣いてむせ返り、痛々しいほどに苦しそうに何度もくしゃみをしているのだ。


 医者に見せるが原因は不明。くしゃみのおかげで眠ることすら出来ない娘の様子に、このままでは可愛い我が子が衰弱死してしまうと夫妻は嘆き悲しんだ。


 そんな当の本人、キャロルはというと、花粉症の発症と同時に、知らないけど知ってる、そんな記憶が頭の中にあることに気付いていた。

 その記憶はとても断片的で、現在のキャロルの性格を著しく変えるような要素は無い。

 むしろ、そんなものよりも今の状況の方がキャロルには問題だった。


(腹筋が……! 喉が……! 背筋が……! クソ痛え……!!)


 くしゃみのし過ぎによる弊害である。

 六歳児の無尽蔵なはずの体力が、くしゃみやかゆみ、その他もろもろによりガスガスと削られていく。


(あかん! このままやと死ぬ! 花粉症で死ぬ!)


 キャロルの頭の中にある記憶。それは現代日本で重度の花粉症患者として生きていた記憶であった。


 花粉症とはどういうもので、特効薬の種類や、民間療法、漢方、予防のための食材、そんな記憶である。

 ちなみに、それ以外は薄らぼんやりしているので、どうやって生きて死んだのか、なんという名前の人物で、どういう人間だったのか、性別すらもあやふやである。

 だがしかし、その『誰かの記憶』があるからこそ彼女はこの理不尽な現実にも耐えることが出来た。

 涙と鼻水とくしゃみでぐちゃぐちゃになりながら、それでもキャロルは生きる為に知識を探る。


「かふんしょーは、っくし! めんえきが、っぶしゅん! かっぱつに、っぶし! なりすぎて、なるのよ!」


 夫妻には娘の言っている言葉が理解出来なかった。止まらない涙と鼻水とくしゃみの中で必死に訴える彼女の姿は可哀想で、そして無駄に可愛らしい。

 当のキャロルは必死である。このままでは鼻水で溺れ死んでしまうのも時間の問題。

 生まれて六年でそんな死に方は絶対に嫌だと、キャロルは全力で両親へ訴えた。


「てんちゃ、っぶちゅん! よーぐると、ぴすん! ますく、っぷち! りょくちゃ、っびし! どれでもいいから、っぶしゅん! もってきて、はっっぐちゅん!」


 必死である。


 身振り手振りでなんとなく察した兄が、両親へと向き直る。


「かあさま、緑茶ってありますか?」

「え? 緑茶っていうと、東地域の?」

「はい!」


 優秀な兄は、くしゃみで何を言ってるか分からない妹の翻訳に成功していた。てんちゃ、よーぐると、ますく、それらが何かは分からないが、緑茶だけは聞いた事があったのも功を奏した。

 交易で生計を立てているリンドブルム子爵家には、それなりに様々な品が集う。

 こうしてキャロルは、花粉による鼻水で溺れ死ぬことだけは回避出来たのであった。


 その後、倉庫の奥にあった緑茶を使用人が発見したその時、リンドブルム子爵家に歓声が湧いたのだった。






 



 濃く入れた緑茶をずずず、とすすり、ふう、と息を吐く。

 六歳の身には苦過ぎるお茶の味に、時々うえっとなるが、キャロルはすこぶるいい子なので我慢した。

 緑茶のカテキンが花粉症にとても良く効くのだから仕方ない。


「にあぁい……」


 それでも文句は口から零れ出てしまう。六歳児だもん。仕方ない。


「キャロル、だいじょぶ?」

「ん」


 優しく問い掛ける兄に、ようやく落ち着いたキャロルが眠た目を擦った。かゆいが、我慢出来ないほどじゃない。兄だってキャロルの泣き声と心配で眠れていないのだ。だからこそキャロルは頑張った。

 じくじくしたかゆみに、また涙が出そうになるが、キャロルはとってもいい子なので我慢した。


「ねぇキャロルちゃん、テンチャ、ってどんなの?」


 プラチナブロンドを後頭部でお団子にした母が、とても困ったような顔をして我が子に声を掛ける。

 突然意味不明なことを泣き喚きながら口にした幼い娘を、気味が悪いとも一切思わずに、ただ心配で仕方がない母はキャロルの出した言葉すら藁にもすがる思いだったのだ。


 そんな母の様子を一切気にせず、キャロルは頑張って口を開いた。


「てんちゃは、ばらかの、てんようけんこうし、からつくった、あまいおちゃなの」

「てんようけんこうし……?」


 甜葉懸鈎子。地球では中国南西部の標高500~1200mの山岳地帯に自生する高さ2~3mの灌木で、甜茶は、古来よりめでたい時に飲むお茶として愛飲されてきた、という背景がある。


「さんがくちたいの、さむいとこにはえてる、きいちごみたいなしょくぶつで、はっぱがあまくて、においがさっぱりしてるのよ」


 眠いながらも、頭の中にある知識を引っ張り出すキャロル。

 なお、バラ科の植物なので、白樺やハンノキの花粉症を持っている人が飲むとアレルギー症状が出やすくなってしまうため、飲んでいる間だけ楽になり、飲み終わるとくしゃみ鼻水目のかゆみに襲われる可能性があったりする。


「あとね、まいにちのむなら、るいぼすてぃーもいいの」

「るいぼすてぃー?」


 ルイボスとは、南アフリカにあるセダルバーグ山脈に自生している山岳植物である。乾燥、昼夜で30度以上の温度差、高所。全てが揃わないと育つことすら出来ない、非常に貴重な植物である。


「うん。まめかの、しんようしょくぶつで、かんそうした、ひろーいさんみゃくでしか、そだたないのよ。だからめずらしいの。あじは、こうちゃみたいなかんじで、においがすーってするの」


 なお、マメ科の植物なので、甜茶と同じく白樺やハンノキの花粉症を持っている人が飲むとアレルギー症状が出やすくなってしまうため、飲んでいる間だけ楽になり、飲み終わるとくしゃみ鼻水目のかゆみに襲われるという地獄が発生してしまう可能性がある。

 しかし、どちらのお茶もアレルギーがどう動くかは不明であるため、ちょっとしたギャンブルかもしれない。


「それを飲むとどうなるの?」

「のんだら、くしゃみとか、かゆみとか、きえるし、びようにもいいの。どっちも、こどもものめるのよ」


 不思議そうな兄の言葉に、キャロルはしっかりと答えた。

 だがしかし、キャロルからすると自分がそのお茶を飲んで無事に済むのかは分からないので、言うだけである。

 とはいえ、あやっふやな前世と同じならシラカバ系のアレルギーは無かったはずなので、今世でアレルギーが追加されていなければ飲めるはずである。


 ともかく、今はカテキンが仕事してくれているので何とかなっているが、カテキンによるアレルギー症状の改善の持続時間は四時間程度であるため、これからもっと花粉症対策の為の色々が必要という現実が待っていた。

 その為に眠い頭を必死に起こしながら、知識を漁っている。頭がかくんかくんしているが、頑張っているのである。


「ふむ……」

「あなた、探してみてくれる……?」

「……分かった。その条件に当てはまる植物を探してみよう」

「おとーちゃまがんがえー!」


 そんな娘の様子に、父は厳しい顔をして頷く。家の利益よりも娘の方が大事だからである。彼自身が出来た父で在りたいのも拍車をかけた。

 そうして父は可愛い娘からの激励のもと、テンチャ、ルイボスティーなるものを探しに各地を回ることになったのだった。


 

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