第9話 弱虫ねずみ

(よし、ここまでくればもう大丈夫だ)

 慌てすぎて誰かにぶつかってしまったことから、先程までその誰かに追いかけられてしまっていたが、やっと巻くことができたようだ。


 偶然開いていた職員室横の進路指導室の扉を閉め、扉を背にしてその場に腰を下ろす。


 久しぶりの全力疾走で息が上がっていた。

 バクバクする心臓を落ち着かせるように、深呼吸を3回ほど繰り返す。


 文化祭まっただ中の今日、出し物が一切ない職員室のある2階は驚くほど静まりかえっていた。

 耳をすますと、かすかに楽しそうで賑やかな声が聞こえてきた。


「はあ~。どうしてこんなことになっちゃったんだろ……」

 静かな進路指導室に落ちた声には、不安そうな色が滲んでいた。


「いや、心配することはない。俺は犯人じゃない。だから疑われることなんかない。ビクビクする必要もないんだ。……じゃあ、だったらなんでさっきあんなに慌てちゃったんだろう……」


 自分で言った言葉に自分で傷ついた後、思わず両手で自分の両肩を抱く。

 少しの間そのままの状態でいたら、少し気持ちが落ち着いてきた。

 肩に乗せていた手を今度は膝にのせ、よいしょと立ち上がる。


「よし、体育館に戻ろう。こんなところにいたら余計怪しまれる。どうせ、背の小さい僕のことなんか、誰も気にしてないだろう。普通に戻ったところで、どうせいつものように『見失った』とか『小さいからいるのに全然気付かなかった』とか言われるだけだ。……だから大丈夫!」


「……何が大丈夫なんだ?」

 進路指導室の扉に手をかけたところで、後ろから声が掛けられる。


(どうしてだ? 進路指導室には僕以外、誰もいなかったはず……。どうして声が聞こえるんだ!?)


 再び震えだした肩と膝をなんとか押さえ込みながら、ゆっくりと後ろを振り向く。

 カーテンが閉まった窓を背景に、二人の人影が立っていた。


 こちらの視線を受けた二人がゆっくりと近づいてくる。

 少しずつ見えてきた姿形に、なんとなく既視感を覚える。


(……ん? もしかしてさっきぶつかった誰か?)

「そうだ。お前がさっきぶつかった人間だ」

「ひっ……!」


 心の中でつぶやいたはずの言葉が、なぜか相手に聞こえてしまっていることに、言いようのない恐怖を感じる。


(どうして口に出してないのに、僕が心の中で話した言葉が分かるんだ!?)

「どうしてって、決まっているだろう? ……それは俺が超能力者だからだ!」

「……!」


(超能力者!? ど、どうしてそんな奴が僕の前に……!? ……ま、まさか!?)

 目の前の人影がさらに距離を詰めてくる。


「そう、そのまさかさ。……さあ、聞かせてもらおう。お前が犯した罪を!!」

「うわああああああああ!!」


 ガバッと両手を広げた人影が自分に襲いかかってくるところで、ふいに部屋の明かりがつく。


「おい、雨ヶ谷。そのぐらいにしとけよ。かわいそうだぞ」

 恐れをなしてうずくまっていたところに、聞き覚えのある声が聞こえてくる。


 声のした方向に顔を向けると、申し訳なさそうな顔をしたクラスメイトの相良涼太の姿があった。


「相良……!」

「ごめんな、鼠田。お前をこんな目に遭わせる気はなかったんだ。許してくれ。……ほら、雨ヶ谷も謝れ」

「……少々調子に乗りすぎたようだ。すまなかった」


 光は仕方ないといった様子で軽く頭を下げる。

 その姿を見て、鼠田はやっと一息つく。


「なんだぁ~、雨ヶ谷と相良だったのかぁ~。知ってるやつでほんっとによかったぁ~」

「俺たちをなんだと思ったんだよ? 第一、先にぶつかってきたのはお前の方だからな。お前も雨ヶ谷に謝れよ?」


「悪い、雨ヶ谷。わざとじゃなかったんだ。許してくれ」

「別に構わない」

「ありがとう」

「そのかわりに、体育館から全速力で逃げ出してきた理由を聞かせろ」

「……そ、それは……」

 威圧的で急所を突いた光の言葉に、鼠田はおもわずうろたえる。


「ど、どうしてそんなこと聞きたいんだ。お前には関係ないだろ?」

「関係ないが興味はある」

「興味って……。だったら、僕に直接聞かずに、お前の超能力で無理矢理聞き出せばいいじゃないか! ほら、さっきやったようにさ!」

「超能力? 何のことだ?」


 光は鼠田の言葉に首をかしげる。そばでは涼太が腹を抱えんばかりに必死に笑いをこらえていた。その様子に鼠田は怒ったように言い返す。


「ほら、さっき俺が心の中で言ったことを、雨ヶ谷は読み取っていたじゃないか!」

「何を言っている? 俺はお前の心の中を読み取ってなんかいない。ましてや超能力者という怪しげな人間でもない」


「えっ!? 嘘つくなよ! だってさっき……」

「も、もう、限界……。ぶはっ! あはははははははっ!!」


 突如として大きな笑い声が部屋中に響き渡る。

 腹を抱えて笑い続ける涼太を鼠田は鋭くにらみつける。


「何笑ってんだよ! 僕は真剣なんだぞ!」

「……悪い悪い。別にお前のことを馬鹿にしてるわけじゃないんだ」

「馬鹿にしているとしか思えないぞ!」

「いやいや、ホントホント。雨ヶ谷は嘘なんてついてないぞ」

「そんなの信じられるか!」

「だって信じるも何も、鼠田、お前、心の中でつぶやいたって声、口からダダ漏れだったぞ」

「え……」

「だから、お前が心の中でつぶやいたつもりだった言葉は、実際には心の中じゃなくて、普通にお前の口から出ていた言葉だったってことだよ」

「じゃ、じゃあ……超能力の話は……」

「何度も言っているだろう。俺は超能力なんていう怪しげな力を持ち合わせてなんかいない」

「そっか……」


 光の言葉に鼠田はしばし呆然とする。

 実は少しだけ光が超能力者であることを期待していた。


 勝手に期待していた自分がいけないのだが、期待を裏切られたことに鼠田は少し肩を落とした。


「そんなことより……」

 光は改めて鼠田の顔をのぞきこむようにして距離をつめる。


「お前はなぜ、さっき体育館から逃げるようにして飛び出したんだ? 演劇部で起こった事件について何か知っているのか? それとも……」

 光は追い詰めるように鼠田の顔に自分の顔を寄せる。


「猿橋貴子と犬谷梨花子がああなったのは、お前のせいなのか?」

「ち、違う! 僕は何もしていない! ただ……」

「ただ?」

「破いてしまったんだ……」

「何を?」

「……猿橋先輩の、衣装……」

「猿橋先輩の衣装って……もしかして、あの嫌がらせのか! お前が犯人だったのか!?」

 涼太の驚くような言葉に、鼠田はすぐに反応する。


「違う! 僕は犯人なんかじゃない! 猿橋先輩に嫌がらせするつもりなんてそれこそなかった」

「ならどうして!?」


「友達に猿橋先輩のファンがいて……そいつに猿橋先輩が身につける衣装の写真を撮ってきてほしいって頼まれたんだ。僕、写真部だし背も小さいから、演劇部に忍び込んで写真撮ってもバレないと思われたんだと思う。それで衣装部屋に潜りこんで撮影してたら誰かが近づいてくる足音が聞こえて……見つかる前に早く逃げようとした時、衣装の裾に足を引っかけちゃって、ビリって音が聞こえて……でも僕はそんなことも気にせず逃げ出しちゃって……」


「それで、嫌がらせの犯人が鼠田だって言われるのが怖くて、体育館から逃げ出したってことか?」

「うん」

「どうして体育館なんかにいたんだよ。そんなに怖いなら体育館になんて行かなければよかったじゃないか」

「猿橋先輩のファンのために、猿橋先輩の写真を撮るために決まってるだろ。僕は断るのが苦手なんだ」


 鼠田はばつが悪そうに光と涼太から視線を外す。

 鼠田は気が弱く、押しに弱い。

 そのため頼み事を断ることなんてとても出来なかったのだろう。


 涼太も誰かに頼み事をされたらよほどのことが無い限りは断れないたちなので、鼠田の気持ちがよく分かった。


 しかし光はそうではなかったようだ。

 鼠田からの証言を聞いた途端、光は興味をなくしたように進路指導室から出ようと扉に手をかける。


「まったく、紛らわしい上に興ざめだ」

「おい、雨ヶ谷。頑張って話してくれた鼠田にそんな言い方ないだろ!」

「……まあ、ここまで追いかけてきて損はしなかっただけ良しとしよう」

 光はそう言い残し、さっさと姿を消してしまう。


「はあ~ほんっとに身勝手なやつだな! 何回俺を置いてけぼりにすれば気が済むんだよ!」

 涼太は部屋を出て行った光の後を追おうとして足を踏み出しかけ、後ろに申し訳なさそうにしている鼠田に声をかける。


「鼠田、話してくれてありがとな。ただ、悪いことをしたならちゃんと謝らないといけないぞ。友達との約束を守ることも大事だが、人に迷惑をかけないように努力することも大事だ。……俺はお前のこと、信じてるからな」


 涼太の声に鼠田がはっと顔を上げる。

 しかし、そのときにはもう、そこに涼太の姿はなかった。

 鼠田はしばらくの間、光と涼太が消えていった扉の向こうを見つめていた。

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とある美術部員の活躍劇 有満なのはな @nanonano0111

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