第8話 頼れる先輩
公演を終えてからずっと演劇部員たちのフォローに回っていたのだろう。由美子は舞台で演技していた時と同じ占い師の老女姿だった。
占い師の老女は街の路地裏で生活しているという設定でもあることから、由美子の格好は今、顔や手は煤で黒く汚れ、長い白髪は大きく乱れ、ボロボロの服を着ているというひどい状態だった。
警部はそんな由美子の姿を見て顔をしかめる。
「なんだね、君は? ひどい格好だな」
「演劇部部長3年の兎田由美子です。劇中で占い師の老婆役をやっていたためこのような格好をしてます。部長という立場だけでなく、同じ学年で付き合いもある程度長いため、被害者の二人、犬谷梨花子と猿橋貴子のことはそれなりに詳しくお話できるかと思います」
「ふむ、君は演劇部の部長でもあり彼女らと同級生でもあるということだね。では、二人の間に今回のような事件が起こってしまったことに、何か思い当たることがあるかね?」
「嫌がらせです」
「嫌がらせ?」
由美子は今日の演劇部の公演までに、演劇部二大スターの猿橋貴子をねらったと思われる嫌がらせが起き、それに犬谷梨花子も巻き込まれてしまったことを話した。
由美子から事情を聞いた牛島警部がなるほどとつぶやく。
「猿橋貴子のもとに届いた奇妙な手紙に衣装が破かれる嫌がらせ、そして犬谷梨花子が付き合っていた相手が受けた脅迫……。いたずらだとは思えないほどのことが、この演劇部で起きていたということだな」
「はい。顧問にも伝えましたが、嫌がらせへの対策を取るよりも今日の公演への準備を優先させたいという声が演劇部から多く上げられたのもあって、具体的な解決は後回しになってました」
「なるほどな。しかし、兎田くん。君が嫌がらせの件を話したと言うことは、君は今日の事件と嫌がらせの数々は関係があると思っているいうことかな?」
「はい。梨花子が彼氏と別れることになってしまったのは、貴子への嫌がらせに起因しています。梨花子は貴子を恨んでいたかもしれません。実際、嫌がらせがあってから、貴子と梨花子の仲は目に見えて悪くなりました。彼氏と別れたことを何度も持ち出してくる梨花子に、貴子はすごい勢いで言い返していました。確かに、梨花子の執念深さは異常なほどだったので、貴子もすごくまいっていました」
「とすると、今回の事件は嫌がらせが被害者間のトラブルに発展したことが原因の一つとも考えられるな。今まで聞いた話をもとにまとめると……例えば、猿島貴子があらかじめ持参した包丁を小道具とすり替え、劇の台本に合わせて犬谷梨花子を刺し、自分が犯した罪の重さを悟って自らを刺した、といったことが行われたとしても不自然ではない。そうなると猿橋貴子が受けていた嫌がらせは誰の仕業だということになるが……猿橋貴子の自作自演だとすればつじつまが合う」
「貴子の自作自演?」
由美子は驚いたように目を見開く。
牛島警部は由美子の反応を見て、得意げに話を続ける。
「猿橋貴子は同じく演劇部二大スターの犬谷梨花子を恨んでいた。そこで犬谷梨花子への嫌がらせを計画した。しかし、犬谷梨花子への嫌がらせばかりが目立ってしまえば、同じ二大スターである自分が疑われてしまう。そのため、自分自身への嫌がらせも行いつつ、犬谷梨花子への嫌がらせを行うことに決める。そして、犬谷梨花子を彼氏と別れさせることに成功し、そして今日の公演の舞台で犬谷梨花子を葬ることにも成功する。しかし、猿橋貴子は犬谷梨花子を刺した後で、自分の犯した罪にさいなまれ自らも刺した」
由美子を含めた演劇部員たちは、牛島警部の推理を息を呑んで聴いていた。
その静けさを彼らの驚きと捉えた牛島警部は自らの推理に酔うように、心地よい笑みを浮かべていた。
しかし、突如として聞こえてきた偉そうな声に、牛島警部の顔が引きつる。
「おい、貴様。いくら捜査のためとはいえ、こんな大勢の前でそんな穴だらけの推理を披露して恥ずかしいと思わないのか?」
兎田由美子と警察の間に割って入るようにして、光が姿を現した。
そばには遠慮がちに首をすくめる涼太の姿もある。
改めて姿を現した光に、牛島警部はいらだたしげに肩を震わせる。
「いきなり出てきてなんだね君は? さっきも今も、警察にこけにしよって……!」
「不躾な推理に不躾な言動……お前らは本当に国民を守るための警察なのか? そろそろ適切に職務を全うしたらどうなんだ?」
「何!? なんて生意気なやつだ! 公務執行妨害で逮捕するぞ!」
再びにらみ合う光と牛島警部の間に、涼太と由美子が仲裁に入る。
「雨ヶ谷くん、警部さん。どうか落ち着いてください」
「おい、雨ヶ谷! いくらなんでも言い過ぎだぞ! こんな牛男にお前がかなうわけないだろう!?」
牛男、という言葉に反応した牛島警部が、鋭い視線を涼太の方に向ける。
涼太は目を泳がせながら半ば逃げるようにして雨ヶ谷を牛島警部から遠ざける。
少しの沈黙の後、由美子がおもむろに口を開く。
「……警部。いずれにしろ、今回起きたことは部長である私の責任です。部長としてもっと二人に寄り添うことが出来ていれば、こんなことは起きなかった……。ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません」
由美子が深々と頭を下げる。
そんな由美子の行動に、牛島警部は慌てふためく。
「顔を上げたまえ。全てが君のせいというわけではないだろう。さっきはあのような推理をしたものの、実際のところ我々もまだ調査中だ。そんなに気に病む必要はない」
「そうですよ! 兎田先輩が頭を下げる必要なんかありません!」
「顔をあげてください、先輩!」
牛島警部の声に賛同するように、周りの演劇部員たちから次々と声が上がる。
そして顔を上げた由美子を取り囲むようにして部員たちが集まる。
部員たちからは由美子を気遣うような声がたくさん聞こえてきた。
その様子を目にしていた牛島警部がぽつりと言う。
「兎田くんは随分と演劇部員からの信頼が厚いようだね」
その声に答えるようにして、涼太が牛島警部の横に並ぶ。
「はい。部員一人一人の話を親身になって聞いてくれたり、丁寧に相談に乗ってくれたりしていたそうです。そして、猿橋先輩と犬谷先輩という大きな存在が側にありながら、一心に努力してきた人です。演劇部員みんなが兎田先輩のことを、誰よりも苦労してきた人だと尊敬してます。それが彼女への信頼の深さの証でしょう」
「そのようだな」
牛島警部は由美子に感心のまなざしを向けた後、自信たっぷりに口を開く。
「ともかく、少々話がそれてしまったが……今回の事件は猿橋貴子の自作自演による犯行でほぼ間違いないだろう。この事件は物語の内容を利用したものである可能性が非常に高い。そうなると、物語上、相手を刺し自らを刺すという役をこなす猿橋貴子以外、犯人は考えられないだろう。動機も十分だ」
相変わらず自分の推理にこだわり続けている牛島警部を、光は冷めた目で見やる。
「お前、本当に警察か? そう決めつけるのは安易すぎやしないか?」
「ほんっとに君は……! 警察に向かって、しかも年上に向かって『お前』などと言いおって! 挙げ句の果て、証言に基づいた推理を『決めつけ』などと言われようとはな……」
再びにらみ合いを始める光と牛島警部の間に、涼太がまたもや割って入る。
「あああ、すみません! こいつ、ちょっと頭の調子が悪くて! 保健室に連れて行きます! ほら、早く行くぞ!」
「何が頭の調子が悪いだ! 俺は本当のことを言っただけ……ぶはぁ、な、何をする!?」
涼太は無理矢理光の口を塞いで、目にもとまらぬ速さでその場から離れる。
光と涼太がその場からいなくなったタイミングで、席を外していた辰巳刑事が調査を終えて戻ってきた。
「牛島警部、戻りました」
「辰巳か。鑑識結果は?」
「はい。小道具を保管する箱についていた黒いシミは水性のインクによるものだそうです」
「水性のインクか……」
「それと、包丁からは被害者らの血液とともに、紅生姜とみられるものの切れ端が検出されました。どうやら凶器に付着していた酸っぱい匂いは紅生姜が原因と思われます」
「紅生姜だと? どうしてそんなものが凶器についているんだ?」
「私にも何が何だか……」
「とにかく各種捜査を継続するぞ。先程、事件の関係者である演劇部員から気になる証言が得られた。連携しよう」
牛島警部はそう言って、辰巳刑事と何か事件について話し始めた。
その様子を見ていた光はさっと踵を返す。
「あ、おい、雨ヶ谷! どこ行くんだよ!?」
「何を寝ぼけている? さっき奴らが言っていた言葉が聞こえなかったのか?」
「奴らが言っていたって……あの牛男たちが話していたことか? ……確か紅生姜がどうのこうのとかって……あ!」
「そうだ。今から家庭科室に……うおっ!?」
光は突然の衝撃に思わず尻餅をつく。そこに涼太が慌てて駆け寄る。
「雨ヶ谷、大丈夫か!?」
「あ、ああ……。一体何が……?」
「あいつだ! おい! 人にぶつかっといてごめんなさいも言えないのかよ!!」
涼太は体育館から走り去っていく男子生徒の後ろ姿に向かって怒りの声を上げる。
しかし、男子生徒はあっという間に見えなくなってしまった。
涼太は悔しげに男子生徒が去っていた方向を見やる。
「ったく、今時の若いもんはこれだから……って俺のじいちゃんだったら言いそうだ」
「相良、追うぞ」
「へ……? 追うって何を?」
「これ以上のボケには付き合ってられん。……先に行くぞ」
光はそう言って男子生徒の後を追うように同じ方向に向けて駆け出す。
「あ、おい!? 待ってくれよ! 俺も行く!」
涼太も慌てて光の背中を追いかけ始める。
(なんなんだよ! 雨ヶ谷のやつ、インドアじゃなかったのかよ!?)
追いかけてもなかなか追いつけない光の背中を見て、涼太は引きつりそうな足を必死に動かし続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます