第5話 劇の幕開け
体育館に足を踏み入れた光と涼太は、あまりの人の多さにおもわず目を瞠る。
「すごい人の数だな。やっぱり校外でも有名な演劇部は他の部活動と比べて格が違うな」
「なんて人混みだ。早くも人酔いしそうで気持ち悪い。どうして人間はこんなにも集団でいることを好むんだ。俺には全くもって理解できない」
「まあまあ。もともと演劇は一人で観るようなものじゃないからしょうがないだろ? それにしても、確かにこの俺でも人酔いしそうなくらい混んでるな。これじゃあ、席も空いてなさそうだな。取材のために良い席を確保しないといけないのに……ちょっと来るのが遅かったか……」
「うぷっ……お、おい……どこか、VIP席みたいなところはないのか……。も、もう限界だ……」
「ええー!? ホントに酔っちゃったのかよ!? 頼むからこんなところで吐かないでくれ!」
「うぷっ……VIP席……」
「VIP席なんてあるわけないだろ!って……おおおおお、おい!? も、もうちょっとだけ待ってくれ!!」
涼太は開いている席がないかどうか体育館の中を見渡す。しかし、どこも席は埋まっていて、二人が座れるような席は見つからなかった。
(どうする!? 光は吐きそうだし、座れる席は見つからないし……第一、VIP席なんてあるはず……ん?)
体育館中を見回していた涼太の目は、とある場所で止まる。
もしかして、あそこなら……よし!
「雨ヶ谷、席見つけたぞ。人がいなくて見晴らしが良いVIP席だ!」
「お、おお……は、早く、俺をそこに連れて行って……うぷっ」
「わあああああ!! ダメだ、雨ヶ谷!! 今連れて行くから! 頼むから我慢しててくれ! 出すな! 飲み込め!」
涼太は青い顔をした光を引きずるようにして、一度体育館を後にした。
「こんな見晴らしの良い場所があるなら、なぜ最初からここに来なかったんだ。まったく、お前のせいでとんだ災難な目に遭った。おい、お前。座らないならその椅子、俺に貸せ」
「……相良、何なんだこいつ? すごく偉そうでむかつくんだが……」
「悪い、田中。お前の気持ちは痛いほどよく分かってるから、どうか俺に免じてその椅子をこいつに貸してくれないか?」
田中と呼ばれた男子生徒は、納得がいかない表情を浮かべながらも、後ろにあった椅子を光に差し出す。
光はありがとうも言わずに田中から差し出された椅子に遠慮無く腰を下ろす。
田中は少しの間光をにらみつけると、やがて目の前の照明器具に向き直った。
光と田中のやりとりをひやひやしながら見守っていた涼太は安堵のため息をつくと、光の椅子の横に腰を下ろす。ちなみに椅子は一脚しかないため、涼太が座ったのは床だ。
涼太は低い位置から光に話しかける。
「おい、雨ヶ谷。この場所は照明器具とかを扱う生徒だけが特別に出入りできる場所だ。本来、俺たちは立ち入ることができない。今回ここに立ち入れたのは、俺と同じクラスで文化祭実行員のこの田中が、新聞部の廃部の事情を理解してくれたおかげだ。文化祭実行委員として照明を担当している田中がいなかったら、体育館2階のこの場所で演劇部の公演を観ることすら叶わなかったんだ。だから、田中と俺にちゃんと感謝しろよ」
「フン、恩着せがましいやつだ。そんな言い方されたら感謝する気も失せる」
再び田中から光に向けて鋭い視線が向けられるも、涼太は必死に田中をなだめるため視線で訴えかける。
光と涼太は今、体育館2階にいた。
2階といっても体育館の両側に点検用に設置されているキャットウォークと呼ばれる細い通路だ。中央は吹き抜けになっており、今二人がいる場所からは舞台がはっきりと見えていた。
キャットウォークには主に照明器具が配置されている。今は体育館の電気がついているため明るいが、劇が始まって暗くなったらこれらの照明器具が舞台上を明るく照らす役目を担う。田中はその照明器具を扱うための準備に取りかかっていた。
体育館の2階部分へ行くためには一度体育館を出て、校舎内の階段から一つ上の階に上る必要があった。先程、体育館2階部分の存在に気付いた涼太は、照明係の田中に事情を説明し特別に場所を提供してもらったのだった。
ここはさすがに1階の客席と違い関係者しか立ち入ることが出来ないため混雑するということはないので、当初人酔いで苦しんでいた光も、少し経ったらすぐに体調を回復させることが出来た。
元気になった光はいつも通りの傲慢さを振りまきながら、満足そうに舞台を見下ろしていた。
「ここなら舞台も良く見えるし、演劇部の取材にも非常に適しているだろう」
「ああ、そうだな。こっちの方が客席よりも高い場所にあるし一般客もいなくて見やすいし。新聞部の廃部がかかっている取材、まずは特等席を確保しないと話にならないからな。なんとかなって本当によかったぜ」
その時、体育館中にビーッというブザーが鳴り響き、室内の明かりが落とされる。
体育館はあっという間に闇の中に包まれた。
「お、そろそろ劇が始まるみたいだな」
ざわざわしていた客席が次第に静まっていく。
その瞬間を待ちわびていたかのように、演劇部員のナレーションの声が静かに劇の幕開けを告げた。
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