第4話 傲慢で面倒な幼馴染
公演前の演劇部の前取材は順調に進み、気付けばあっという間に文化祭当日を迎えていた。
学校内は朝から生徒たちの家族や友人で大きく賑わい、楽しそうな声で満ちていた。
そんな中、光は美術室で行われる展示会の最終チェックを一人黙々と行っていた。
「よし、配置はこんな感じでいいだろう。我ながら絵だけでなくレイアウトも美しい」
光が自分の作品の調整を終えて満足そうな笑みを浮かべていると、ひときわ大きな足音とともに、涼太が息を切らして美術部に駆け込んできた。
「ここにいたのか……相棒、探したぜ。……あれ、美術部の展示って無くなったの?」
美術部は文化祭で作品の展示会を行うことを聞いていた涼太は、美術の授業の時と変わらない美術室の見慣れた光景に、思わず首をかしげる。
そんな涼太の言葉を受け、光はいらだたしげに答える。
「どこを見ている。作品はここにある」
光は、自分がいつも使っているイーゼルに立てかけられているキャンパスを目で示す。涼太は光が示した先を見たまま口を開く。
「……展示って、もしかしてこれ一つだけ?」
「ああ。お前に付き合ったせいもあるが……この俺にしては、作品作りに思いのほか時間がかかってしまった。しかし、それと同時に、これまでで一番の作品に仕上がった。少し納得できないところもあるが、とりあえず礼は言おう」
両手を組みながらうんうんとうなずく光に、涼太は困ったような表情を浮かべる。
「……なあ、聞いてもいいか?」
「なんだ?」
「……俺の見間違いじゃなければ、まだ何も描かれていないように見えるんだが」
「これだから素人は……。まったく、見る目がないな」
光は見下すような態度で、得意げに涼太に向き直る。
「この作品の作品名は『無』。無を心の中で描いた作品だ。まあ、こう説明したところで、この絵の価値が分かる人間は俺をおいて他にはいないだろう。ゆえに、お前のような凡人にこの絵を見ることはできないだろう」
「……いや、見る目がないというよりも……」
(キャンパス真っ白じゃねーか!)
口先まで出かかった言葉をなんとか飲み込み、涼太はさりげなく話題を変える。
「ところで、この絵、こんな部屋の隅に置くのか? せっかくの美術部の展示なのに、こんなところに置いたら誰も気付かないぞ」
「この絵が一番美しく見える場所はここだ。ここに来る奴らのために、この素晴らしい場所を諦める気はない」
「……」
(お客さんが来なかったら展示会も何もないだろう……もうどこをどう突っ込めばいいか……)
涼太はどこから生まれたか分からない疲れに耐えるように頭を抱える。
「どうした?」
「いや、何でもない」
もはやこいつに何を言ってもムダだ。そしてこいつと話していても俺が疲れるだけ。
(さっさとここから出よう)
涼太は心の中で決心したことをすぐに実行しようと立ち上がる。
「それよりも、午後からの演劇部の公演に備えて腹ごしらえしに行こうぜ。なんだかんだでもう昼時だからな。腹減っちまった」
「一人で行けばいいだろう? 俺の身体は今、栄養を欲してはいない」
「栄養を欲してはいないって、お前は植物か!? そんなこと言わずに付き合ってくれよ~。なぁ、雨ヶ谷~」
「ああ、うるさいうるさい! 何をしてもムダだ! 俺はここから動くつもりは全くない!」
「ええ~! そんなこと言うなよぉ……って、待てよ」
涼太は少し考え込んだ後、ニヤニヤ笑いながら光に問いかける。
「雨ヶ谷。お前、今、ここから動くつもりは全くないって言ったな?」
「ああ、そうだ。俺は腹ごしらえになんか行かない」
「そうか、分かった。じゃあ、一人で行くよ」
「ああ、ぜひともそうしてくれ」
あっさりと美術室を後にしていく涼太の後ろ姿に少し違和感を感じながらも、光は再び静かになった空間に満足そうな笑みを浮かべた。
しかし、光は自分が抱いた違和感が間違いではなかったことに気付くことになる。
数分後、美術室の扉がガラッと勢いよく開け放たれると、料理が入った透明なフードパックを両手に抱えた涼太の元気な声が部屋中に響き渡る。
「たっだいまー!! はい、これ、焼きそばとお好み焼きとたこ焼き」
「な、なぜお前がここにいる!? 飯を食いに行ったんじゃなかったのか?」
「何言ってんだよ、雨ヶ谷。今の時代、テイクアウトが出来ないとでも思ったのか? お前が美術室から動かないっていうなら、俺が飯買ってきて一緒に食えばいいだけの話だろ? 俺ってあったま良いー!」
「頭良いも何もないだろう……。どうしてそこまで一緒に食べることにこだわる? 食事なんて人間が生きるために必要な生命維持活動の一つに過ぎない。誰かと一緒に食べても食べなくても、何の意味も成さないだろう」
「何さみしいこと言ってんだよ。意味あるに決まってんだろ?」
涼太は自分と光の前の机の上に料理の入ったフードパックを置く。
「誰かと一緒に食べた方が断然おいしく食べられるからに決まってんだろうが」
「……? どういうことだ?」
「ああ、もう! 細かいことは良いから、さっさと飯にしようぜ。今回は俺のおごりだ。だまってありがたく食え!」
「……なぜ怒る?」
「別に怒ってなんかない」
「……」
いつもひょうひょうとしている涼太が珍しく怒っているように感じる。
光はいつもと様子が違う涼太を気遣うようにでもなく、素直な意見を口にする。
「まあ、いつまでもここで議論していても体力がなくなるだけだ。では、ありがたくいただくとしよう。だが、焼きそばとお好み焼きは要らない。俺の身体に紅生姜は必要ないからな」
光の言葉に、涼太はぱあっと嬉しそうな笑みを浮かべた後、いつもの調子でコメントする。
「はいはい、紅生姜嫌いなのね。じゃあ、焼きそばとお好み焼きは俺がもーらお!」
光はたこ焼きを、涼太は焼きそばとお好み焼きをそれぞれ口に入れる。
「うーん! うまい! これぞ祭りの醍醐味! この国の人間が祭り好きだっていうのも納得できるな」
焼きそばとお好み焼きを同時に食べながら『うまい』を連呼する涼太の横で、光が突然口を押さえてうめき出す。
「ゔっ……。こ、これは……」
「どうした? 雨ヶ谷! 大丈夫か?」
「……この俺を欺くとは、なかなかのものだ」
「だからどうしたんだよ!」
「このたこ焼き、中に紅生姜が入っている」
「紅生姜?」
涼太は光が少しかじったたこ焼きの断面に顔を近づける。
たこ焼きの生地には、赤くて細くて短いものがそんなに多くはないものの、それなりの量混じっているのが見える。
「へぇ、ホントだ。細かく切って混ぜてあるな。俺も一つ食べてみよ。……おお! 美味しいじゃないか! 紅生姜が主張しすぎないことで、程よいアクセントとして全体の味に貢献している!」
「フッ、やはり俺には祭りの料理は似合わない。今回出展している中でフランス料理やイタリア料理を提供している店はないのか?」
「あるわけないだろ! 今回飲食を出展しているのは3年2組のお好み焼き、2年5組の焼きそば、2年1組のたこ焼きの3クラスだ。……って、あれ? 雨ヶ谷、お前って1年2組だったよな? クラスの出し物の手伝いは大丈夫か?」
「ああ、確か俺のクラスはお好み焼きを出すとか言ってたな。まあ、俺には関係ないがな」
「……手伝いサボる気満々だな。クラスの女子たちに怒られても俺は知らないからな。……そういえば、この間会った演劇部の兎田先輩のクラスも飲食の出し物をやるって言ってたな。あ、確かこのたこ焼きだったような……」
「ところで演劇部の公演は何時からだ?」
「午後2時から。場所は体育館だ。今日の公演の取材も手伝いよろしく頼むな」
「正直、新聞部が廃部になろうが俺にとってはどうでもいいことだが、約束を破るという人間として最低の行為をするわけにはいかない。……非常に面倒だが、土下座するお前のためにも、この俺が人肌脱いでやろう」
「いや、土下座してないし、第一、言い方ひどすぎないか……」
「そんな些細なことで文句を言うなんて、心が狭すぎるぞ。もっと広い心で全てを受け止められるような人間になれ」
「……お前にだけは言われたくないんだが……」
涼太と光はゆっくりと食事の時間を過ごした後、演劇部の公演を観に行くべく、体育館へ向かった。
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