第3話 二大スター

「おい。なんか揉めてるみたいだぞ」

 舞台の近くまで来た光は、騒がしい舞台上の様子に顔をしかめる。


 光の言葉を受け、舞台上に目を向けた由美子は呆れたようなため息をついた後、急いで二人の元に駆けていく。

「また始まったみたいね……。こら、梨花子りかこ貴子たかこ! 後輩たちも見てるわ! 喧嘩は止めて!」


 由美子は舞台上の女子生徒らの間に割って入り、仲裁のための説得を始めた。

 涼太はその様子を見ながら、ぽつりと言葉をこぼす。


「へぇ……噂は本当だったみたいだな」

 興味深そうな色を浮かべた涼太の瞳が舞台上を射貫く。

 いつもふわふわチャラチャラしている涼太の真剣味を帯びた眼差しに、光の好奇心が惹きつけられる。


「噂?」

「ああ。どうやら最近、演劇部の二大スターの仲が最悪らしいんだ」

「二大スター……それがあの二人ということだな」

「うん、左の黒髪ショートヘアの女子が犬谷いぬたに梨花子りかこ、右の茶髪ロングヘアの女子が猿橋さるはし貴子たかこ。どちらも兎田先輩と同じ3年生だ」


 舞台上では、由美子が必死に演劇部二大スターをたしなめていた。

 光は視線を舞台上から舞台下に移し、周りで静まりかえっている他の演劇部員たちを見やる。


「それにしても、演劇部のトップが同士が喧嘩してるのに、兎田由美子以外はみんな喧嘩を止めようともしないんだな。薄情なことだ」

「まぁ、あの二人を止められるのは、優しくて聞き上手で部員からの信頼も厚い演劇部部長の兎田先輩だけだろう。実力こそ二大スターには及ばないものの、兎田先輩は演劇に関する知識が豊富で、配役に関してもかなりの目利きらしい。犬谷先輩と猿橋先輩が演劇部で二大スターになれたのも、すべては兎田先輩の導きがあってこそだと裏では言われている」


「なるほど。普段、お前に対して感心することなんか何もないが……さすがは新聞部といったところか。何気に詳しいじゃないか」

「なんか一言多い気もするんだが……まあ、褒めてもらえただけよしとしよう。情報収集は俺の得意分野だからな。新聞部エースとして、伊達に日頃からおいしいネタを探してるわけじゃないぜ!」


 わははははは!と得意げに笑い始めた涼太のことを気にも止めずに、光は疑問に思っていたことを口にする。


「それで、演劇部の二大スターが仲違いしている理由は何だ?」

「それが俺にも分からないんだ。実際のところ俺もすごく知りたいところなんだよな……」

「原因は嫌がらせよ。それに、仲違いじゃないわ。気が立ってるだけよ」


 いつの間にか光と涼太のところに戻ってきていた由美子に涼太が素早く駆け寄る。

「兎田先輩! もう二人は大丈夫なんですか?」

「ええ、もう二人とも練習に戻ったわ。せっかく取材に来てもらったのに、恥ずかしいところ見せちゃってごめんなさい」

「いえ、そんなことないです。……それよりも、嫌がらせって一体何のことですか?」

「実は……二週間前、貴子宛てに差出人不明の変な手紙が届いたの」

「変な手紙、ですか? どんな内容だったんですか?」


「一週間後の文化祭で貴子は主役を演じる予定なの。それで手紙には『猿橋貴子が次の文化祭での公演で主役を降りなければ、演劇部に災いが降りかかるだろう』といった脅迫めいた内容が書かれていたわ」

「冗談にしてはタチの悪い嫌がらせですね」


「ええ。最初は貴子も気味悪がったり不安に感じたりしていたけど、何ヶ月も練習してきた舞台を失敗させるわけにはいかないって、貴子は自分自身で開き直って、手紙のことを忘れようとしたの。そしたら三日後、貴子が文化祭の公演で着る予定の衣装が破かれる事件が起きた」

 由美子の言葉に涼太は息を呑む。


「幸い後輩の子で裁縫が得意な子がいたから、その子のおかげで衣装を直すことは出来たんだけど……貴子の心は大きく乱されてしまった。嫌がらせが一度だけで済めばよかったのだけど、そうはいかなかった。……そのさらに二日後、今度は梨花子が恋人と別れる事件が起きたの」


 由美子の発言に、光はすかさず口を挟む。

「恋人と別れたのは事件というのか? 単に犬谷梨花子が相手を振った、もしくは振られただけじゃないのか?」

「雨ヶ谷! ほんっとにお前はデリカシーの欠片もない奴だな。失礼すぎるぞ」

「いいのよ、相良くん。……それが事件なのよ。梨花子と彼氏は誰かによって別れさせられたの。梨花子から聞いた話だと、どうやら梨花子の彼氏が誰かから脅されて、梨花子に別れを切り出したみたい」


「まさか脅しがあったなんて……中学生がやることとは思えない。……なあ、雨ヶ谷。今の話を聞いて、なにか少しでも分かったことはないか? 例えば、犯人の手がかりとか……」

「なぜ俺に聞く? 今話を聞いたばかりの俺に、そんなこと分かるわけないだろう」


「だって、雨ヶ谷って人が気付かないところに気付いたりするだろ? この前だって、先生の採点ミスを指摘してくれたおかげで数学のテストの赤点が免れたり、帰るときに肩を引いてくれたおかげで地面に落ちたガムを踏まずに済んだし……。とにかく、めざといじゃないか」


「それはお前がおっちょこちょいなだけだ。数学のテストはお前の字が汚すぎて先生も丸付けにミスした可能性があると思っただけだし、地面に落ちたガムもお前が後ろ向きに歩かなければ誰でも気付くようなところに落ちていたに過ぎない。よって、俺がめざといんじゃなくて、お前がまぬけなだけだ」

「う゛っ……。確かにこればかりは返す言葉もない……」


 涼太のがっくりと肩を落とすのを尻目に、光は由美子に問いかける。

「犯人に思い当たりはないのか? 例えば、猿橋貴子や犬谷梨花子に恨みを持つ人物とか……」

「うーん……しいて言うなら演劇部全員かしら?」

「演劇部全員!?」


 知らないうちに立ち直った涼太が由美子に驚きの声を上げる。

「貴子も梨花子も演劇部で主役を張り続けているだけあって、ずっと主役になれない部員からは少なからず恨まれていると思うわ。それに、貴子はわがままで毒舌だし、梨花子も厳しくてストイックだから、性格的にもあまり好かれる感じではないわね」

「フン、身内にずいぶん厳しいじゃないか」

「おい、雨ヶ谷! 少しは口を慎め!」

「ガタガタうるさい奴だな。俺のこのスタイルは最初に説明したはずだ。兎田由美子も了承済みだ」


「……兎田先輩、ホントに申し訳ないです……」

「相良くん、大丈夫よ。気にしないで。……演劇部部長として二人のことは誰よりも分かっているつもり。だからこそ、二人の悪いところも良いところも、私が知らないところはないわ。あんな感じの二人だけど……性格とか以上に、二人を憧れ慕っている部員が多いことも事実なの」


 由美子は舞台上で練習に励む貴子と梨花子の姿を見つめる。

「演劇に向き合う姿勢であの二人にかなう人間は誰もいないわ。貴子も梨花子もお芝居が大好きなの。でも大好きというだけじゃなくて、誰よりも一生懸命努力してきた。部活が終わった後、いつも二人だけで残って練習してた。そんな二人を誰もが憧れ尊敬してる。だから、もし二人を恨む人間がいるとしたら、二人に追いつきたいけど追いつけないと思って逆恨みしている人間だと思う」


「なるほど、確かに逆恨みの可能性もありますよね……」

「……」

「どうしたんだ、雨ヶ谷? もしかして、何か分かったことでもあるのか!」

「なんでもかんでもすぐに期待して飛びつくのはやめろ。迷惑だ」


「しょうがないじゃんか! 俺にはお前みたいな冷静さも頭の良さもないんだからさ……期待して何が悪いんだよ? 解決出来たら万々歳じゃないか。新聞部の廃部回避が最優先だけど、兎田先輩や演劇部のためにも、俺たちで少しでも事件解決の手伝いをしないか? 聞いた以上、ほっとけないよ!」

「悪いが俺は演劇部に手を貸す気はない。新聞部を手伝うことすら面倒なのに、これ以上、面倒事を増やす義理はない」


「雨ヶ谷、そんな言い方ないだろ? 困ってる人がいたら助けるのが普通だろ!」

「演劇部の事件の調査をしながら新聞部の廃部も阻止するという芸当、お前に出来るのか? そんな器用さ、持ち合わせていないだろう? 下手したら共倒れするぞ」

「うぅ……それは……確かにそうかもしれないが……でも、助けたいんだからしょうがないだろ!」

「フン、開き直ったか」

「う、うるさい!」


 いがみ合う二人の元に、由美子が歩み寄る。

「相良くん、ありがとう。私たちは大丈夫だから。相良くんは新聞部を助けることに専念して」

「兎田先輩……」

「相良くんの気持ちはありがたいけど、雨ヶ谷くんの言うとおりよ。今、相良くんがやるべきことは演劇部を助けることではなくて、新聞部を助けるために演劇部の取材をすること。ほら、『二兎を追うものは一兎をも得ず』って言うでしょ?」

「……?」

「……いろいろと欲張ると何も得られないし、結局はどちらも失敗してしまう、という意味だ」

「そ、そんな意味くらい、お前に言われなくても分かってるし」

「そうか」

「そうだよ!」


 再びにらみ合う光と涼太の様子を見た後、由美子は申し訳なさそうな顔で口を開く。

「ごめんね、せっかく演劇部にきてもらったのにこんな話しちゃって……」

 由美子の元気のなさそうな様子に、いがみ合っていた光と涼太はお互いに顔を見合わせる。

 目を合わせひそかに一時休戦を約束した涼太は、気遣わしげな笑みを由美子に向ける。


「いやいや、俺たちは全然大丈夫です。こちらこそ、大変なときにお邪魔しちゃってすみませんでした。……あの、俺たち新聞部のために頑張ります。いろいろと落ち着かない日が続いてるかと思いますが、兎田先輩もどうか元気出してください。猿橋先輩も犬谷先輩も簡単に落ち込むような人たちではないはずです。だから、今度の文化祭の公演もきっと上手くいくと思います。俺はそう信じてます」


「無責任な発言だな。例の事件のせいで演劇部全体がピリピリしているような状況で、今度の文化祭の公演が本当に上手くいくと思っているのか?」

「おーい、雨ヶ谷~!」

(さっきのアイコンタクトは一体何だったんだ~!)


 涼太が内心で頭を抱える一方で、由美子は光の指摘を特に気にすることもなくはっきりと答える。


「そうね。確かに今の状況は、演劇部にとって最悪ね。でも相良くんの言うとおり、うちの二大スターは諦めが悪いの。年に一度の文化祭の公演ということもあって、演劇部全体としては少しずつだけどいい感じで部員一人一人のモチベーションが高まってきているわ。貴子と梨花子も気まずい雰囲気はあるものの、演劇にかける情熱は変わらず燃え続けてる。だからきっと大丈夫」


 由美子は自分に言い聞かせるように言い放つ。

 光は興味深そうな色を瞳に宿しながら、由美子をまっすぐ見据える。

「なるほど。その情熱という炎が、今度の舞台でどのように煌めくのか、とても興味深い」

「……お前、よくそんなくさいセリフが言えるな」

「くさいセリフもなにも、俺はただ事実を言ったまでだ」

「ええ、ぜひ私たちの演技を観に来て。そしてそれを見届けてほしい」

「承知した。この目でしかと見届けてやろう」

「俺もぜひ観に行きます! 先輩、公演、頑張ってください!」

「ええ! 頑張るわ! ありがとう!」


 その後逃げるように帰ろうとした光を捕まえ、涼太は演劇部の取材に身を乗り出した。

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