千早ぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くゝるとは

郁人ふみと様はキリスト教徒なのでしょう?」

「そうです。この辺りでは珍しいでしょうが」

 電車に揺られながら、春さんと出会った二年前の晩秋の頃を思い出す。

「いいえ。珍しいとは思っていないわ。懐かしいくらい」

「懐かしい?」

「ええ。わたくしの実家の近くに教会がありましたから」

「春さんのご実家」

「斑鳩の三室山の麓に」

 その話を聞いた僕は思わず笑っていたが、その三室山を右の車窓から見ている今も、つい思い出して笑ってしまう。

「三室山の、麓、ですか」

 彼女は、僕の笑った理由がすぐに理解できたのか、口を尖らせていた。その表情に、僕の胸が高鳴ったのも、今となっては苦味を増すための薬剤となっている。

「あら、山と呼ばれているのですもの。麓と呼んでもおかしくないわ」

「いや、申し訳ない。それで、なんのお話でしたでしょうか?」

「もう、郁人様ったら。キリスト教のお話です」

「ああ、そうでした。しかし、その三室山の麓の教会は僕も知っておりますが、プロテスタントでしょう? 僕はカトリックですので」

 そういうと春さんは小首を傾げていた。

「それは、真言宗と聖徳宗の違いのようなものでしょうか?」

「そうですね。そのようなものです」

 その聖徳宗の法隆寺にある五重塔が車窓から僅かに見える。三室山の更に先だ。そこにあると知らねば、決して見つけられぬであろう。

 さて僕に春さんを見つけることができるのだろうか。あの大きな五重塔でさえ見つけるのは難しいというのに。

「三室の山は、紅葉だけではなくて桜の花も綺麗ですわよ」

 三室山ではなく三室の山と言った春さんは、続けて在原業平ありわらのなりひらの歌をそらんじ、僕の目を見た。

「唐紅ではなく、桜色に括り染めするのですよ。一度見にいらして。絶対後悔しませんわ。いいえ、見ないと絶対後悔しますわ」

「そうですか。後悔はしたくないものですね」

 そうだ。僕は後悔したくない。

 いや、どちらにしろ後悔するのかも知れない。桜色に染まる竜田川を見ても、見なくても。春さんと会っても、会えなくても。

 そして僕は、三室山を過ぎてすぐの駅で下車し、三室山の麓を歩いた。

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