終章 女神の奸計(5)

 ディノンはワインを一口飲みながら不快そうに顔をしかめた。


「全部、あんたの思惑通りってか。腑に落ちねぇな」


 サラはクスクスと笑った。


「でも、そのきっかけを作ったのはエルザよ」

「エル――は?」

「――エルザ・シュベート」


 ディノンとメイアは怪訝そうにサラを見た。


「なんで、彼女の名前がここで出てくる」


 サラは深く笑みを浮かべた。


「エルザは、長女――魔王を裏切るため画策してたの」

「魔王を裏切った? エルザ・シュベートが? なぜ?」

「魔王の正体が女神エリュヒから生まれた七姉妹の長女で、神々の長の座を狙って力を取り戻そうとしていると知ったからよ。神々が恐れ、傲慢ゆえに追放された女神の復活なんて、誰も望まないでしょ? ましてや、神々の長の座に就いたら、どんな災厄がもたらされるか……」


 サラはディノンを見て言葉を継いだ。


「魔王を裏切るにあたって、エルザは魔王と相対できるほどの強者に自分を倒させ、その者に城を明け渡した。あの城の建つ土地が、魔界に攻め込む拠点として理想的だったから」


 ディノンは眉を寄せ、かすれた声でたずねた。


「つ、つまり、エルザ・シュベートは、わざと俺に殺されたってのか?」


 ああ、とサラは苦笑を浮かべた。


「残念だけれど、彼女は生きてるわよ」

「は?」


 ちなみに、とサラはメイアに視線を移した。


「自分を倒すよう仕向けるため、吸血鬼の血が必要な〈若返りの薬〉の製作をあなたに依頼したのもエルザ」


 ディノンは首を激しく振って喘ぐように言った。


「う、嘘だ。エルザ・シュベートが生きてるわけがない。俺はたしかに彼女を斬った。息絶えるのをこの目でたしかめた。奴の血を奪って、死体も埋めて葬った。シュベート城の裏にある墓地に、奴の墓がある」

「それじゃあ機会があったときに墓を掘り返してみなさい。彼女の身体は無くなっているはずだから」

「よし分かった。いまからたしかめてくる」


 むきになったディノンは立ち上がり、メイアはそれを止めた。


「落ち着け」


 ディノンの服を掴んで席に座らせようとしながら、メイアはサラを睨んだ。


「ここまで言うディノンがエルザ・シュベートを討ち損じたとは思えない。彼女が生きているという根拠はなんだ?」

「〈万有の水銀〉よ。エルザはあれを使って蘇ったの」


 メイアは目を見開き、ディノンはサラを振り返った。


「まさか、持っているのか……あれを……」


 サラは頷いた。


「エルザの家は代々〈万有の水銀〉を受け継いできた。彼女はテフィ――錬金術の祖テフィアボ・フォンエイムの子孫なの。ディノン君が落とした彼女の城――シュベート城も、かつて人間界の辺境にあったテフィの屋敷を、水銀の力を使ってそっくりに造ったものよ」


 衝撃を受けると同時に納得した。シュベート城とフォンエイムの屋敷がそっくりだったこと。エルザが化けたという貴婦人がフォンエイムの研究資料を持っていたこと。おそらく〈若返りの薬〉の製作依頼の前金でメイアに渡した耳飾りもフォンエイムの遺品だろう。


「あんた、なんでそんなに詳しいんだ?」


 サラはやや赤らめた頬に手を当て、にこりと微笑んだ。


「もちろん、テフィが私の愛人だったからよ」


 分かるでしょ、というようにサラは言った。


「だから、代々彼の家系とはそれなりの付き合いがあったし、エルザとも彼女が幼かったころからの付き合いだった。エルザが魔族の陣営に加わって、いろいろ教えてくれたから、魔王の正体と目的を知ることができた」


 一度にいろいろな事実が判明したことで、ディノンは軽く頭を抱え、メイアも額に手を当ててうなだれた。


「エルザ・シュベートはその後、どうなった?」

「一度だけここにあいさつに来たけど、その後の消息は不明よ。手紙も連絡もなし」


 そう言って、サラは一つ息をついた。


「説明はこれで以上よ。――それで、ここからが本題……」


 首をかしげたディノンは、ああ、と思い出したように声を上げた。


「俺たちに頼みがあるんだったか?」


 ええ、と頷いた彼女はまっすぐ二人を見つめた。


「あなたたちも、レヴァロスに加わってくれないかしら?」


 ディノンはメイアと軽く視線を交わして、ため息をついた。


「断られるって、分かってて頼んでるだろ」

「やっぱり駄目?」


 サラは小首をかしげ、媚びるような表情をした。


「そんな顔しても駄目だ。レヴァロスの思想は理解できるし、あんたの策略も理にかなってると思う。だが、あんたらの仲間になるのは、いろんなものを裏切るようで気分が悪い。これは、以前もレミルに言ったな」


 視線を向けるとレミルはため息をついて頷き、サラも残念そうに肩をすくめた。


「ただ、今後あんたらが暴徒まがいなことをしないっていうなら、レヴァロスの邪魔はしない。ギルドや軍から、あんたらを妨害するような依頼がきても断る」


 レミルは瞬いた。


「ほんと?」

「ああ。そっちはそっちで勝手にやってくれ。こっちは別の方法で魔王を討つ」

「別の方法?」


 ディノンはサラを見た。


「あんたの話が本当なら、エルザは〈万有の水銀〉を持ってんだろ。あいつを見つけ出して、それを奪う。あれは神々の領域にある物質だと蛇竜が言ってた。だったら神団が提唱する予言も変えられるかもしれねぇ。ついでに俺の身体も治す。あんたが治してくれんなら手っ取り早いんだが……?」


 サラはいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「レヴァロスに加わってくれたら治してあげる」

「くそが」


 ディノンは大きく舌打ちして顔をしかめた。グラスの酒をぐいっと飲み干した。


「じゃあ、こっからは競争だ。どちらが先に魔王を討つか」


 レミルを指差し、ディノンは笑った。


「次も俺が勝つ。ゼルディアとリバルにそう伝えとけ」


 レミルは苦笑して頷いた。


「伝えとく。でも、こっちも負けるつもりないから。っていうか、ディノン君が女魔族や残党兵を送ってくれたおかげで戦力がそろいつつあるから、私たちのほうが早く魔王を倒しちゃうかもよ」


 ふっとメイアが笑った。


「ついでに言えば、わたしたちはエルザ・シュベートの居場所を知らないうえ、彼女の出生をいま知ったばかりだ。彼女がまだ生きていたという事実も。勝負をするにはかなり不利な状況だな」


 二人の指摘にディノンは詰まった。くすりと笑って、メイアも席から立ち上がった。


「さて、そろそろお暇しようか。館の留守を任せているリーヌたちも心配しているだろうからね」

「たまに遊びに来て頂戴。また、二人とお話がしたいわ」


 メイアはディノンに目を向けた。


「気がむいたらな」


 軽く手を振り、ディノンはメイアとともに店を出た。


 暗い路地から西の空が見えた。かなりの時間話していたようで、満月はだいぶ傾いている。互いを見ると、ディノンはさらに年老いメイアは幼くなっていた。満月を背に二人は馬車が待つ広場へと向かった。


「……なぁ」


 月明りだけが照らす路地をゆっくりと歩きながら、ディノンは静かに口を開いた。


「お前、本当にエルザの居場所、分かってねぇのか?」


 メイアはディノンをちらっと見上げた。


「きみはどうなんだい?」

「なんとなくなら」

「わたしも同じようなものだ」


 なんだ、とディノンは苦笑した。メイアも小さく笑った。


「彼女らに悟られたくはないだろう?」

「まぁな。――いや、もしかしたらサラの奴は感づいてるかもしれねぇ」

「たしかに。蛇竜と違って油断ならない感じはあったからな」


 それで、とメイアはたずねた。


「エルザの居場所はどこだと思う?」

「人間界の辺境にあったっていうテフィアボ・フォンエイムの屋敷」


 メイアは頷いた。


「場所は彼の研究資料に記されていたはずだ。かなり複雑に暗号化されていたが」

「また、徹夜が続きそうだな」


 ああ、とため息交じりに頷いて、メイアは口を抑えて大きくあくびをした。ディノンの袖を掴んで引っ張った。


「眠い。運んでくれ」

「馬車、すぐそこだぞ」

「いいから運べ」


 ディノンは深くため息をついた。メイアを抱き上げると、くるりとまわして背負い、そのまま路地を歩いた。メイアはディノンの背に顔を押し当てると、深く息をついて身体の力を抜いた。酒に酔い、老いたディノンの足取りは、ゆっくりとだがたしかだった。


 揺れる身体が心地よく、メイアは目を閉じて眠った。

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老いた男は稚に還り、終生を繰り返す~老衰の呪い+若返りの薬~ ゆめしょうたろう @yumesyotaro

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