四章 エルフの罪(2)

 おそらくエルフは、現存する人類で最も古い種族になるだろう。しかし人類史の中で最も古い種族というわけではなかった。


 この世界で最古の人類は巨人族とされる。原初の神が創造した種族だが、上古の時代にアースィル神族との戦いで敗れ滅んだ。


 次に古い人類はドワーフ。人間族やエルフに比べて背丈は低く、女のドワーフは童顔で子供と見分けがつかないという。採掘と工芸に長けており、特に石の扱に優れた種族とされる。第三神話時代から上古の時代にかけて魔法の武器や道具をいくつも生み出し、それが現代にも多く残されているらしい。そんなドワーフだが、神々と巨人族の戦いがはじまるとこの地から姿を消してしまった。


 そんなドワーフの次に古い人類がエルフだった。最初にこの地に誕生した上古のエルフは精霊を祖とした氏族とされ、神々と近い関係にあったという。しかし彼らが暮らす森が突如大火事に見舞われ、一夜にして焦土と化し、これによって上古のエルフは滅んだとされてきた。


「ようこそ、お客人方。この里を取り仕切っている、レンデインと申す」


 里の中心から南の位置にある政殿の一室に案内され、しばらくして現れた男は苦笑を交え、まるで気取ったところのない口調でそう名乗った。見た目の歳は二十後半ほどで、若く気品のある男性だった。


「娘とその部下たちが大変失礼をしたようだ。彼女らに変わって謝罪する。申し訳ない」


 ディノンたちが自己紹介を終えると、彼はそう言って頭を下げた。メイアは首を振った。


「いえ。むしろ長の娘とは知らず、こちらこそ失礼をいたしました」

「畏まらずに。あなた方は賊の脅威を報せるため、わざわざ大山脈を越えてこられた。恩人として、私の友として、あなた方をもてなしたい。特にあなたは……」


 レンデインは含みある視線をメイアに向け、それを受けてメイアは軽く苦笑した。そしてディノンたちに席を勧め、彼自身も奥の席に座った。


「なにやらレヴァロスなる輩が我が里を狙っているとか」


 笑みをおさめたレンデインは、そう切り出した。


「詳しく聞かせいただきたい」


 メイアは、ここまで来るに至った経緯をレンデインに語った。


「レヴァロスがこの里を狙っている。ただの推測ゆえ確証はないが、万が一ということもあったので、こうして惨状した」


 黙って聞いていたレンデインは静かに頷いた。


「あなた方の推測は正しい。状況から考えて、その可能性はかなり高い。おかげで我々も凶賊を警戒することができた。なにぶん、エルフは長くこの地に引きこもっていたせいで戦いの経験がない。だから、あなた方の情報は本当にありがたい」


 レンデインはそばに控えていた従者に視線を向けた。頷いた彼が用意した紙になにか書き記し、それを綺麗に巻いて紐で結び、従者が溶かした蝋で封印すると、指輪の印章を蝋に押しつけた。


「これを軍務に届けてくれ。各軍団の指揮は長官と軍団長たちに任せると」

「畏まりました」


 巻物を受け取り、ディノンたちに丁寧に一礼して従者は退出した。それを見送ってから、レンデインは静かな声で言った。


「連中の狙いも、おおかた想像がつく」

「本当か?」


 頷いた彼は、椅子から立ち上がった。


「ついてきなさい。そなたらに是非見てもらいたいものがある」


 そう言って彼が案内したのは政殿のすぐ裏に建てられた白い神殿。街の中心にそびえる氷塊のような薄青い結晶に張り付くように建てられており、実際、中は結晶の内部に通じていた。


 神殿の中に入った瞬間、ディノンたちはその冷気に思わず身体が震えた。あまりにも外との気温に差があり、びっくりしてしまった。入り口に控えていた衛兵から毛皮の上着をもらい、それを羽織りながらディノンは神殿の中を見回した。


「どうなってんだ、これ」

「これは精霊によって生み出されたものでね。美しい結晶に見えるが、れっきとした氷の塊なのだ。氷の冷気を内側に留めるよう、表面には魔法が施されている」

「まさか、これを生み出したのは氷の精霊か?」


 驚いたようにたずねたメイアは、両耳につけられた耳飾りを押さえた。レンデインは苦笑する。


「やはり騒ぐか」

「ああ、まぁ……。いまにもここを破壊しそうな勢いだ」

「では、なんとかそれを抑えていただきたい。ここは我々にとって重要なところだから」


 メイアは珍しく緊張した表情で頷いた。二人のやり取りを見てディノンたちは首をかしげるが、レンデインはただ笑うだけで先に進んだ。


 奥は隧道が一直線にのび、やがて広い空間に出た。通って来た隧道とは違い、そこは自然にできた空間のようだった。おそらくは結晶の中心部だろう。まるでこの場所から結晶が生じたように、放射状に氷柱が広がっていた。


 その中心には氷漬けにされた岩がぽつんとあった。岩は膝くらいの高さがあり、そのてっぺんには、ひと振りの剣が突き刺さっていた。十字型の鍔に氷塊を模した青い結晶がついた柄頭、細身の刃は青みを帯びた銀で、鍔元に氷の結晶の模様が刻まれていた。


「……霊剣か」


 驚いた様子でメイアが呟き、レンデインは頷いた。


「見せたいものとはこれにことか」


 いや、とレンデインは首を振った。


「これだけではない。この下に埋まっているものを見せたかった」

「下……」


 そこでようやく気づく。霊剣が突き刺さった氷漬けの岩は地中まで埋まっており、半透明な氷の床からぼんやりとその陰が認められた。――ぞっとするほど巨大な陰だった……。


「――天から落ちた星」


 ぽつりと呟いたリーヌに、レンデインは硬い表情で頷いた。


「これから、我が一族の恥をあなた方に話そう。我が祖先、上古のエルフが犯した大罪を……」


 レンデインは岩にきつい一瞥をくれて語りはじめた。


「我が一族――上古のエルフは、精霊を祖とする出自に驕っていた。傲慢で欲深く、神々ですら彼らの気性を嫌悪するほどだった。そんな彼らは、あるとき一族を破滅に追いやる愚かなことをした。天から落ちてきた星の力を得ようと、ドワーフたちを使ってこの地を掘り起こしたのだ。予言では、その星は大いなる災いを孕んでいて、けっして触れてはならぬとされてきた。しかし上古のエルフたちはその予言を無視して、愚かにも星の中に眠っていた怪物を起こしてしまった」


 レンデインは言葉を切り、一つ息をついた。


「のちにそれを眈鬼たんきと呼んだ。罪業を司り、高慢ゆえに神々の世界から追放され、星となって地上に落とされた、もと神。眈鬼はその一部とされている。神の名はエリュヒ。神帝アストゥーヌの姉にして妻だった女神だ」


 その名を聞いてメイアは険しい表情になり、リーヌは驚愕したように口もとを両手で押さえた。ディノンも古い記憶をたどって唖然とする。


「聞いたことある。たしか神帝アストゥーヌから玉座をかすめとろうと神々と喧嘩して、敗北し地上に落とされたっていう」


 レンデインは頷いた。


「女神エリュヒは甚大な力を持つがゆえ、神々は地上に落とす際、その身体を七つに引き裂いたという。ここに落ちた星は、その身体の一部ということだ」


 ディノンたちは霊剣が突き刺さている岩を見た。


「我が祖先、上古のエルフたちは神々ですら脅威とする怪物の力を手に入れようとした。その結果、起こされた怪物――眈鬼は、エリュヒだったころに受けた神々の仕打ちを思い出して憤慨し、その甚大な力によってこの地を焼き払った。周囲に暮らしていたエルフやドワーフたちは一瞬で消し飛んだと伝えられている」

「神々は上古のエルフたちを止めなかったのですか?」


 リーヌの問いにレンデインは顔をしかめた。


「そもそも神々は知らなかったようだ。ちょうどその時代、アースィル神族は巨人族との戦いの最中で、上古のエルフの愚行に気づけなかった。しかも彼らは狡猾にも、作業をはじめる前にこの地に魔法をかけ神々の目から隠してしまった」


 レンデインは薄笑いを浮かべた。


「皮肉にも我が里が外界から隠されているのは、その魔法のおかげなのだ」


 それで、とディノンはたずねた。


「目覚めた眈鬼はどうなったんだ? ここに岩があるってことは、また封印されたんだろ?」

「うむ。眈鬼の魔力に大地が焼かれるのを見て、生き残った上古のエルフたちは一柱の竜に眈鬼を倒してもらうよう願った」

「竜?」

「号を蛇竜と称する。翼を持つ蛇……」


 ほう、とメイアは瞬いた。


「知ってるのか?」

「ああ。錬金術の間では、輪廻を司り永遠を生き続ける完全な生命の象徴とされている」

「そいつが眈鬼を封印した?」


 レンデインは重い仕草で頷いた。


「条件付きでな。蛇竜は眈鬼を封印する代わりに祖先に命じた。一族の恥を背負いながら、余人を寄せつけず、また知られず、この地を守り続けよ、と」


 なるほど、とメイアは息をついた。


「エルフが内向的なのは、それが理由か。蛇竜との約束と眈鬼の封印を守るため、他種族との交流を避け、この地に人を寄せ付けないようにした」

「そういうことだ」

「では、その霊剣は? 封印となにか関係があるのか?」

「眈鬼の封印には、氷の精霊の協力があったようだ」


 まさか、とメイアは皮肉を含んだ笑いを浮かべた。


「氷の精霊は自分勝手で、誰かと協力するような性格ではないとされているようだが?」

「それは、あなたが従えている精霊たちから聞いたのかね?」


 は? とディノンたちはメイアを振り返った。


「精霊を従えてる? なんだそれ」

「別に従えているわけではない」


 そう言ってメイアは先ほどシェリアの前でしたように左右の髪を持ち上げ、両耳につけられた耳飾りを見せた。


「これらの耳飾りには、それぞれ四精霊が宿っている」


 メイアは右の耳を見せるように顔を傾けた。耳たぶにリング状の耳飾り、耳の先には円錐状の耳飾りがそれぞれ二つずつついていた。その間にはさまれるように筒状の耳飾りもあった。


「リング状の耳飾りには風の精霊、円錐状の耳飾りには火の精霊……」


 次に左の耳を見せるように顔を傾ける。耳たぶに鎖で繋がれたピン状の耳飾りがあり、先端部の軟骨から軟骨に橋を架けるように通された棒状の耳飾りが二つ。そして右耳と同じように、その二つにはさまれて筒状の耳飾りがついていた。


「ピン状の耳飾りには水の精霊、そして棒状の耳飾りには土の精霊が宿っている。筒状の耳飾りは、これらを制御するためのものだ。それぞれ二つずつなのは、精霊には陰と陽の気があるとかで」

「なんで、そんなもの……」


 メイアは髪をおろし、軽く手櫛をかけた。


「例の〈若返りの薬〉作りを依頼してきた貴婦人から前金としてもらったんだ。結局、貴婦人とは連絡が取れず、そのまま私が所有することになったのだが」


 メイアはレンデインに視線を戻す。


「話を戻そうか。残念ながら私は精霊と言葉を交わすことはできない。これは精霊の歴史が記された史書で知ったことだ。かつて氷の精霊は、精霊たちが暮らすという精霊界を氷漬けにしてしまったとか。それゆえ耳飾りに宿ったこの子らは、その霊剣に敵意を向けている」


 レンデインは苦笑交じりにため息をついた。


「史実通りで間違いない。どうやら蛇竜は氷の精霊を脅し、無理やり手伝わせたらしい。剣に変じさせ、眈鬼を封じる要石とした」

「脅した?」

「これは伝え聞いた話ゆえ定かではないが、氷の精霊は蛇竜に喧嘩をふっかけて負けたらしい」

「あほか……」


 呆れたようにメイアが呟き、ディノンたちも唖然とした様子でいた。


「だが、これで納得したな」


 やがて、ディノンは霊剣と岩を眺めて言った。


「レヴァロスの目的は眈鬼の封印」

「間違いないだろう。それ以外に、彼らがこの地を訪れる理由がない」

「アースィル神団の教えに反発する連中だ。神々を憎んでる眈鬼を起こそうとしてもおかしくねぇ」


 ディノンの言葉にみなが頷いた。――そのときだった。


 突然、外から早鐘が鳴り響いた。そのせわしない音を聞いて緊張が走る中、神殿を守っていた衛兵の一人が慌てた様子で駆け込んできた。


「四門の外から、何者かが街に火矢を射かけたようです」


 ディノンたちは顔を見合わせた。


「レヴァロスか?」

「意外と早かったな」


 レンデインは衛兵に命じた。


「付近の衛兵を集め、神殿の守りを固めよ」


 はっ、と敬礼して衛兵は駆け去った。それに続いてディノンたちも神殿の外へ出た。


 神殿は少し盛り上がった丘の上の南側にある。正面に階段がまっすぐのび、そこから政殿をはじめとする白い石の建物が林立する。それらを囲う城壁の外は石で組まれた御殿が建ち並び、さらにそれらを囲った壁の外には木造の建物が建ち並ぶ。その建物群を囲う壁の四方――四つの門の近くから赤いものを孕んだ黒い煙が上がっていた。


「すでに火災が……」


 軽く舌打ちしたディノンは駆け出し、ウリもそれに続いた。二人が階段を駆け下りるのを見てメイアはレンデインを振り返った。


「あなたはここに」


 しかし、とレンデインは街とメイアを交互に見た。やがて険しい表情で頷いた。


「すまない。よろしく頼む」


 頷き返したメイアは、リーヌとタルラとともに階段を駆け下りていった。

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