四章 エルフの罪(3)

 生まれてからずっと静かな森で暮らしてきたシェリアにとって、それははじめて見る光景だった。バチバチと爆ぜながら建物を飲み込む巨大な炎、空を覆い隠す黒い煙、命の危険にさらされた人々の悲鳴。


 それでも彼女は、狼狽えることなく人々の救助と消火を指揮した。


 エルフの軍隊は大きく四つに分かれている。そのうち第一軍団はエルフの長であるレンデインが指揮するものだが、レンデインは武人ではないゆえ、その娘であり武芸に長けたシェリアが代理として軍団長の席についていた。


 現場に駆け付けたシェリアは、部下に消火を命じた。幸いにも里の建物の大半は石でできており、里の一番外側に建てられた木造の建物だけが燃えていた。それでも火の手はたちまちのうちに屋根の上を這って広がり、火勢を強くしていく。門の周囲の数軒は、すでに黒い煙を上げながら炎に包まれていた。


 燃え盛る炎を目の前にして、エルフたちは逃げ惑う。そんな彼らに里の中心へ避難するよう呼びかけるが、多くの人々は里から出ようと門に殺到していた。


 現在、レンデインの指示によって門は閉ざされていた。レヴァロスなる凶賊の侵入を阻止するためだ。この火災はレヴァロスによるものだと察しがついた。火事を起こし、住民が避難するため開かれた門から混乱に乗じて侵入するつもりなのだろう。


「どうなさいますか?」


 部下の言葉にシェリアは顔をしかめた。


「門を開けるしかないわ。兵をできるだけかき集めて、侵入する者がいないか監視して」

「よろしいのですか?」

「門に殺到した民を見捨ててはおけないでしょ。侵入する者がいたら捕らえて、抵抗したら斬り捨てても構わないわ。責任は私が取る」


 シェリアの指示ですぐに門が開かれた。低くこもっていた煙とともに人々が駆け出ていく。その流れに逆らって、里に入り込んだ人影が複数あった。しかし侵入者はまっすぐこちらに向かって来ず、散開しながら火の手が上がっている路地へと駆けていった。それを倍のエルフ兵が追いかける。


 さらに同じように侵入する者があって、その数の倍のエルフ兵が追いかけた。そんなことを数回繰り返したあたりで、シェリアは敵の意図に気づいた。


 ――兵が分散されている。


 気づいたときには近くには五十人ほどしか兵士しか残っていなかった。そこにさらに同数の侵入者が駆け込んできた。今度は武器を構え、まっすぐ突進してくる。外へ逃げる民に当たってしまう可能性があるから、弓矢は使えない。シェリアは両腰部に佩びた短剣を取り、部下たちもこれに倣ってそれぞれ剣や槍を構えて侵入者を迎え撃った。


 フードで顔を覆った大柄な男が先頭を走り、大太刀を構えてシェリアに斬りかかった。振るい下ろされた刃を短剣で受け止めると、その脇をフードで顔を隠した二人が駆け抜けていった。これを止めようとした部下が逆に倒され、二人はそのまま走り去っていった。


 しまった、と臍を噛む暇もなく、男が大太刀を振るってきた。繰り出される斬撃は重く鋭い。男の腕は、シェリアより数段上のようだった。やがて左手の短剣がはじき落とされ、構えを失ったところに大太刀の柄頭がシェリアの腹に迫った。


 そのとき、風を切るような勢いで何者かが飛び込んできて、男に斬りかかった。鋭い斬撃が火花を散らせ、男をシェリアから引き離した。


 シェリアは一瞬、その者が誰だか分からなかった。彼に続いて鎧姿の小柄な戦士――ウリが現れ、その者の正体を悟った。しかし記憶にある姿とだいぶ違っていたため、シェリアは混乱した。記憶にあるのは十代半ばほどの少年だったが、いま目の前にいるのは二十代半ばほどの男の姿だった。


「……ディノン?」

「悪い。道に迷った……」


 こちらに背中を向け男と対峙したディノンに、シェリアは首を振った。


「その姿は?」

「いろいろ事情があってな。あとで話す。いまはこいつらを追っ払うことに専念するぞ」

「連中の仲間が二人、ここを抜けていった」


 はっと肩越しに振り返ったディノンは、里の奥のほう――神殿のほうをちらっと見て臍を噛んだ。


「神殿に残ってるんだった。くそっ……。――あんた、シェリアって言ったか。連中を追えるか?」

「で、でも、こいつ……」


 男の実力を知ってシェリアは迷った様子だったが、そんな彼女にディノンは言った。


「連中の狙いは眈鬼だ」


 シェリアは驚愕したように目を見開いた。


「あんたの親父さんが封印を守っている。こいつらは俺たちが相手をする。連中に封印を解かせるな」


 ディノンの言葉にシェリアは深く頷き、短剣を拾い上げた。周囲の部下たちを見た。一瞬、彼らを連れて行こうかと思ったが、見たところほとんどが負傷しており、追撃についてこれそうになかった。


「あなたたちは彼らとともにここを抑えて」


 応じた部下に頷き返して、シェリアは再びディノンを見た。


「お願い」


 おう、とディノンは短く応じ、シェリアは神殿へと駆けていった。


 遠ざかっていく彼女の気配を背中で感じながら、ディノンは薄い笑みを男に向けた。男は大太刀を肩に担いで待っていた。


「以前、会った獣人だな」

「そういうお前は、うちの下っ端どもをのしたガキと似ているが……」


 ディノンは答える代わりに笑みを深める。


「今度は逃げるなよ」


 男も薄笑いを浮かべ大太刀を構えた。しばらく視線をぶつけ合い、やがて踏み込んで武器を打ち交わした。

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