四章 エルフの罪
四章 エルフの罪(1)
大山脈を登りはじめて三日目。とうとう馬車が通れない道にさしかかり、ディノンたちは荷物を馬に乗せて車はその場に置き捨てた。
そのあとはひたすら山道を歩いて進むが、旅は想定していたほど困難なものではなかった。魔獣や魔物が現れれば退け、湧き水があれば汲んでいき、食べられそうな野草やきのこ、木の実があれば摘んでいき、枝が落ちていれば拾っていく。日が暮れる前に野営できるところを探し、夕食をすませ、交代で火の番をしながら地面に毛布を敷いて眠る。
「星がエルフの里のある場所を示してくれます」
深夜、片手を天に掲げて星の位置を確かめながらリーヌは語った。彼女の膝の上には円盤状の星図が乗っている。
「レヴァロスが盗んだ書物で、それらが詳しく書かれている部分は暗号化されています」
「じゃあ暗号を解かなければ、レヴァロスはエルフの里にたどり着くことはできないな。その暗号は複雑なのか?」
焚き火のそばであぐらをかきながらたずねたディノンは、七十過ぎの老爺の姿。
リーヌはディノンが用意した大山脈の地図に進路を記入しながら首をかしげた。
「わたくしは解読に一年近くかかりました。ですが暗号そのものは単純なもので、分かる方ならすぐに解くことは可能だと思います。しかし、もし暗号が解けたとしても、わたくしたちのほうが先にエルフの里にたどり着けるはずです」
「エルフの里はどんなところなんだ?」
そうたずねたメイアは十三、四歳の少女。ディノンの膝を枕にしてくつろいでいた。その光景は一見すると祖父に甘える孫娘だが、ディノンのほうは少し鬱陶しそうにしていた。
「巨大な窪地の中に築かれた街だとされています。はるか昔、天から落ちた星によって形成された窪地とかで、中央には地中に埋まった星の断片とされる岩が飛び出ているそうです。窪地の周りは深い森で、その森に魔法をかけて窪地を里ごと隠しているそうです」
さらに二日の旅。まだ朝露によって大地の湿り気が残っている時刻にその森を発見した。荒涼とした山腹の中、濃い緑をたたえた森が靄の中に浮かび上がり、昇ったばかりの陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。しかし猛々しく育った樹々は大きく広げた枝葉によって空を覆い隠し、陽の光を遮断していて森の中は非常に暗かった。
森の中に入ってしばらくして、ウリは足を止めた。兜のバイザーを上げ周囲を眺めた。
「どうした?」
「この森、空気が変なんです……」
「空気が変?」
少年の姿のディノンは首をかしげ、周囲を眺めたが、特に変わった様子はなかった。
「なんか、川の流れのようなものが……」
「もしかして霊脈のことか」
メイアは呟きながらウリと同じように周囲を眺めた。
「見えるのか?」
ウリは少し困ったように首をひねった。
「見える、というより、なんとなく感じる程度ですけど。ただ、この森のものは少し不自然です」
「不自然?」
「はい。その流れは幾筋もあって、交わったり分かれたりしてるんですけど、その中でいくつか、ほかとは明らかに流れが違うものがあって……」
ディノンたちは顔を見合わせ、リーヌが頷いた。
「それです。『獣人族の鋭敏な感性によって判別できるもの』……。おそらく不自然に流れる霊脈のことを指しているのでしょう。その流れの先にエルフの里がある。ウリ様、それをたどることはできますか?」
「はい」
頷いたウリを先頭に、ディノンたちは森の中を進んだ。ウリはときおり立ちどまり、霊脈の流れをたしかめる。歪な流れをしている霊脈を探し出し、それをたどっていった。
しばらくして水の流れる音が響いてきた。音のするほうへ進んでいくと視界が開け、切り立った断崖へ出た。すぐ脇には水が流れ落ちる大きな滝があり、眼下には森が広がっていた。
「あれか……」
呆然と呟いたディノンの言葉に、リーヌは静かに頷いた。
周囲を断崖に囲われた広大な窪地。通って来た森よりもやわらかい色合いの緑の森の中ほどに、白い街があった。街は氷塊のような薄青い結晶を中心に、小山のように盛り上がって広がっていた。
すぐ脇に、断崖を削って築かれた階段があった。それを下って、街のほうへ向かって森を歩いた。
「……ウリ」
囁くように呼んで、ディノンは先を歩くウリの腕を掴んで停止させた。ディノンを振り返ろうとしたとき、ウリも異変に気づいた。メイアたちはそんな二人を不思議そうに見ていた。
「どうかしたか?」
「囲まれてる」
幼い顔に険しいものを滲ませながらディノンが答えた。
「うまく身をかくしてやがる。完全に取り囲まれるまで、まったく気づかなかった」
どうする、とディノンはメイアを肩越しに振り仰いだ。
「敵意はありそうか?」
「さあな。殺気は感じねぇが、警戒されてる」
「相手がエルフなら警戒を解いてもらうしかあるまい」
そう言ってメイアはディノンたちの前に立ち、杖の石突で地面を一回叩いて呼び掛けた。
「私はフィオルーナの魔女メイア。城塞都市ソルリアムから便りと警告をしに参上した。エルフたちよ、こちらの話を聞く気はあるか?」
ほんのわずかの間があって、前後左右の茂みからそれぞれ一人ずつ弓矢を構えた人影が現れた。色白の肌に金や銀の髪、長く尖った耳をした年若い人々――エルフだ。正面に立ったエルフの男が険しい表情でたずねて来た。
「どうやってこの地までたどり着いた?」
「古い書物にこの地を示す記述があり、それを頼りにやって来た」
男の顔がさらに険しくなった。
「そんな書物の存在、我らは知らぬ。それはいかにして書かれた?」
メイアはリーヌをちらっと見た。リーヌはわずかに首を振った。
「著者のことを含め、どのような経緯でそれが書かれたかは不明だ。どうやら貴殿らの知らぬうちに、何者かが記録を残したようだ」
「それが真実であれば、我らはその書物の存在を見過ごすことはできぬ。こちらに渡してもらおう」
「残念ながら私たちはそれを持っていない。書物が保管されていた神殿から、賊が盗み出してしまったのだ」
息を呑む気配が周囲からした。メイアは続けて言った。
「私たちは、書物を盗んだ賊が貴殿らになにかしようとしていると察して報せに参った。どうか貴殿らの首領に会わせてくれないだろうか?」
一瞬の沈黙、その間、男が軽く視線をそらしたのをディノンは見た。
「そなたの言葉を信じることはできぬ。何事か企んだ賊が書物を盗んだと言ったが、それが、そなたらが里に侵入するためについた虚言の可能性がある」
たしかに、とメイアは肩をすくめた。
「では、せめて貴殿らの首領に、私たちのことを伝えてはくれないだろうか?」
男は即答せず、再び視線をほんのわずか外した。
「長には伝えよう。だが、そなたらの身柄は拘束させていただく」
メイアの目が鋭くなった。
「それはあまりにも無礼ではないか? こちらは善意でわざわざここまで旅をしてきたというのに」
男は軽く詰まるが、また視線を外してから答えた。
「我らの里を守るためだ」
「――調子に乗んなよ」
と、ディノンが口をはさんで、男は怪訝そうに視線を移した。
「子供が口を出すものではない。黙っていなさい」
「だまるのはあんただ。おれたちはあんたじゃなく、あんたに指示を出してる奴と直接話しがしてぇって言ってんだ」
男は明らかに狼狽したように視線を泳がせた。
「な、なにを……」
ディノンはため息をつくと、男に背を向けた。
「お、おい!」
男を無視してディノンは左斜め後ろの茂みに近づいた。茂みをかきわけた先にエルフの娘がいた。年の頃は二十代前後――不老の種族ゆえに実年齢は不明だが――しなやかに引き締まった長身に、珠のように白く滑らかな肌、やや青みを帯びた緑色の長い髪。美しく整った風貌は凛と鋭く、しかし、深い緑の瞳は驚いたように見開かれディノンを見つめていた。
「あんたが、こいつらの隊長さんか?」
「なんで?」
娘は表情をあらため、ディノンを睨んだ。ディノンは薄く笑って、親指を後ろに向けて男を示した。
「あの男、下手すぎ。まさか、この中で一番のしたっぱってわけじゃねぇよな?」
娘は呆れたように男に視線を向けた。男は困惑した様子でディノンと娘を見る。娘はため息をついた。
「あなたの言う通りよ。彼は私の部下の中で一番の若輩。経験のためにやらせてみたのだけれど、まさか、あなたみたいな子供に見抜かれるとわね」
「なめんなよ。さっきも、うちの仲間が言ったように、おれたちは善意であんたらに危険がせまっていることを報せに来たのに、その見返りがこれじゃあ失礼にもほどがあんだろ。それとも、これがエルフのやり方なのか? だったら見損なうぜ」
ディノンの言葉に、さっと周囲の気配が鋭くなった。それ以上に、鋭く視線をぶつけ合うディノンと娘の間に緊張が高まった。
「――これ」
と、呆れたような声で言って、メイアがディノンの頭を杖で小突いた。
「これから協力してレヴァロスの企みを阻止しようというのに、その相手と喧嘩をしてどうする?」
「いや、でも、こいつらが……」
「君の怒りも分かるが、いまはいがみ合っている場合ではないだろう。少し冷静になれ」
ディノンは軽く詰まり、ため息をついた。エルフの娘に向き直った。
「悪かった。バカにされた気がして、ついむきになっちまった。あんたも、すまなかったな」
と、ディノンはエルフの男にも謝罪をする。
「い、いや、その……」
男は完全に困惑してしまい、どうしていいか分からない様子だった。代わりに娘が言った。
「こちらこそ謝罪するわ。あなたたちを馬鹿にするつもりはなかったのだけれど、そうとらえられても仕方のないことだったわね。ごめんさない。でも、これだけは分かってちょうだい。私たちは、なにがあっても余人を里に近づけたくないの。なにか私たちに警告しに来てくれたみたいだけれど、それでも、あなたたちを里に入れるわけはいかないし、里の存在を知ってしまったあなたたちをこのまま帰すわけにもいかない」
ディノンは難しい顔をし、目を伏せた娘を見上げていた。
すると、なにか考え込んでいたメイアが娘をまっすぐ見つめて言った。
「では、私たちが君たちにとって信用できる存在であることを証明すればどうだろう」
顔を上げた娘にメイアは左右の髪を軽く持ち上げて耳を露出させ、耳につけられた複数の耳飾りを見せた。怪訝そうにそれを眺めていた娘が、驚愕したように目を見開いた。
「そ、それ……それを、どこで?」
「昔、ある依頼の報酬としていただいたものだ」
「で、でも、それを身につけているということは……」
メイアは頷く。
「どうやら、これに宿った者たちは、私を主と認めてくれているようだ。一度だけだが、彼らの力を借りたこともある」
「なら、それの所有者は間違いなくあなただ。だとしたら、私たちはあなた方の待遇を改めなければならない」
そう言った娘は、かしこまったように背筋をのばした。
「ようこそ、エルフの里へ。あなた方を歓迎するわ」
左胸に手を当て、丁寧に一礼する娘。それを見ていた彼女の部下たちも、戸惑ったようにそれに倣った。
「私はこの森に住むエルフの長レンデインの娘シェリア」
メイアは目を細めてシェリアと名乗った娘を見た。
「エルフの長、ということは、もしかして君が上古のエルフの子孫か?」
シェリアは軽く目を開き、うつむくように頷いた。
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