二章 アースィル神団(3)
石畳の通りを進んでいた馬車は、役所が運営する公共施設が密集する区域に入った。その中心に建つディルメナ神殿は周囲を樹々に囲まれ、複数の建物が回廊や階段、橋などで繋がれていた。円柱の塔にはさまれた大きな門を潜り、疎林の道を進んで玄関前の広場で馬車を降りた。
メイアは玄関わきの詰所で書面をめくっていた職員らしい男に声をかけ、神殿の書庫で調べものをしたい旨を伝えた。男はメイアに身分証の提示を求め、奥の通路を示して入場を許可した。
「君は宗教にどれだけ詳しい?」
通路を進みながらメイアは隣を歩くディノンにたずねた。
「そんなに、くわしくねぇよ。ただ、しんこうの対象が複数あって、それが種族ごとに違うってことくらいは知ってる。人間族はアースィル神族、エルフは精霊、まぞくは原初のまおう――こいつはもともと第一神話時代の神だったって聞いたな。そのほかの種族は祖先や英霊をすうはいしてる。特に、大昔にこの地をさったドワーフなんかは、氏族の英雄を神にまつりあげ、彼らの英雄譚をいくつも残してる」
ほう、とメイアは感心したようにディノンを見た。
「よく知ってるな」
「バカにすんなよ。こんなの、ガキのころに習うことだぞ」
「いまの君はガキだろう?」
皮肉を言ったメイアに、ディノンは引きつった笑みを浮かべた。
「いい根性してんな、あんた」
「冗談だよ」
そんなことを言い合いながら、二人は中庭を囲う回廊を通って円形の大きな建物の中に入っていった。柱が並ぶ玄関を抜けて中に入ったディノンは声を失った。
そこは三階まで吹き抜けになった広大な部屋で、壁にはぎっしりと本が収められた本棚がずらりと並んでいた。中央には巨大な結晶がそびえ、青みがかったやわらかい光を発して室内を照らしていた。それを囲うように円形のカウンターが置かれ、司書たちが働いている。その周りに閲覧席が設けられ、すでに多くに人が読書をしたり、物書きをしたりしていた。
壁に並んだ蔵書の数に圧倒されていたディノンは、気持ちを切り替えるようにメイアを振り向いた。
「なにを調べる?」
「神代の魔法。たしか、あっちに関連の書物があったはずだ」
メイアが向かった先は、入り口の向い側。そこにもさらに部屋があり、天井まである本棚が並んで置かれていた。収められている本は古い物ばかりだった。タイトルから、メイアの言う通り神代のことが記された本のようだ。
二人は手分けして神代の魔法や呪いに関連する本を読みあさった。途中、馬車を停めに行っていたタルラも加わり、部屋の中央に置かれた広い机に分厚い本が重ねられていった。
「疲れた……」
やがて十二時を告げる鐘が鳴り響き、ディノンはため息をついた。背もたれに身体をあずけ、天井を仰いだ。
「なんか、あったか?」
いや、とメイアは首を振った。
「そちらは?」
「こっちもだ」
そうか、とため息をついたメイアは、ディノンを見て微苦笑を浮かべた。ディノンは片眉を上げてメイアを見返した。
「なんだ?」
「いや、ずいぶん集中して調べていたな、と思ってね。君は見かけによらず読書家なのだね」
ディノンは軽く笑った。
「読書家ってほど本は読んでねぇ。でも、爺ちゃんから本はたくさん読めって教わったから、それなりにいろいろ読んできた」
「祖父?」
「俺の育ての親だ。俺、幼いころに両親を魔族に殺されてて、王都近郊の村で剣術道場をやってた爺ちゃんに引き取られたんだ」
「武術は、その人から?」
「ああ。化け物みてぇに強ぇ爺さんだった。俺の知る限りじゃ、剣の腕はフィオルーナ最強だったろうな」
「名前はなんと?」
ディノンは言葉に詰まった。
「まさか、育ての親でもある祖父の名前を知らないのかい?」
「い、いや、ずっと爺ちゃんって呼んできたから」
「周りの人が彼を名前で呼んでいただろう」
「みんな、爺ちゃんのこと師範って呼んでて、名前は聞いたことねぇ」
呆れたようなメイアの視線を受けてディノンが誤魔化すように笑っていると、黙々と本の文字を目で追っていたタルラが突然顔を上げた。
「ご主人様……」
「どうした? なにか見つけたか?」
はい、と頷いたタルラは、メイアの前に読んでいた本を置いた。本の内容は上古以前の病に関するもので、現代では聞いたこともない病名がずらりと並んでいた。タルラは開いたページの終わりのほうを示した。
「『終生回帰症』?」
身を乗り出して本を覗き込んだディノンが題を読み、メイアがその後に書かれた文章を読み上げた。
「『およそ一昼夜で一生を繰り返す病。夜明けの時刻に生がはじまり、一昼夜で乳児期、幼児期、児童期、青年期、成人期、壮年期、老年期へと発達し、翌明け方に乳児期に回帰する。生命に関わる疾患ではないが日常生活に多大な支障をきたす。複雑な魔法や魔法薬などによる魔力の暴走が主な要因とされている』――これは……」
「いまの俺の症状とそっくりじゃねぇか」
頷いたメイアは顎に手を当てた。
「複雑な呪いによる老衰と〈若返りの薬〉の影響で、赤子から急激に成長し、老化していく。そして夜明けの時刻になると赤子に戻る」
「つうことは、明日の朝になったら俺はまた赤ん坊になるってことか?」
「そういうことだろうな」
「治療法は?」
メイアは文章を隅々まで読んだが、肝心の治療法は記されていなかった。次のページを開くと、まったく関係のない別の病気について書かれていた。二人は落胆したように肩を落とした。
「――あら? あなたは……」
ふと、本を積んだ台車を押して現れた女性が、驚いたように声を上げた。彼女を振り返って、ディノンたちも驚く。そこにいたのは今朝レヴァロスに絡まれていた女神官の一人で、ディノンを神殿に連れ込もうとした女だった。年の頃は二十代半ばほど。澄んだ青い瞳にふんわりとした長い金髪、清楚そうな美貌とは裏腹に肉感的な身体つきをしていた。
「あんた、さっきの……」
「あ、申し訳ありません」
ディノンの声と重なって、女神官はすまなそうに言った。
「人違いだったようです」
「人違い?」
「はい。本当に申し訳ありません。その、あなたが今朝助けていただいた男の子に、少し似ていたもので……」
ディノンとメイアは顔を見合わせた。時刻は十二時過ぎ。先ほどの騒動から三時間が経過し、呪いの作用でディノンは二十代半ばの大人の姿になっていた。途中できつくなった服も大人用のものに着替えていたため、まったくの別人に見える。彼女が見間違えたのは、この部屋にはテーブルに置かれた燭台しか灯りがなく、かなり暗かったうえ、後ろ姿のディノンを見ていたからだろう。
「本人だ」
苦笑交じりに言ったディノンに、彼女は不思議そうに首をかしげた。
「なにが、でございましょう?」
「だから、さっきあんたらを助けたのは俺だって言ってる」
「ええっと……」
「私が説明しよう」
困惑する女神官に身体をまっすぐ向けたメイアも、先ほどよりほんの少しだけ違って見えた。その変化はディノンに比べて微々たるものだが、彼女は逆に今朝より二、三歳ほど若返っていた。
メイアは女神官に事情を説明した。ディノンが正体不明の呪い――〈老衰の呪い〉を受け、メイアが作った〈若返りの薬〉で幼い姿になったが、少しずつ歳を取っていること。逆にメイアは〈若返りの薬〉の効果を弱める薬によって一時的に大人の姿になったが、ディノンとは逆に再び若返っていること。
聞き終えた女神官は、軽く頭を押さえた。
「正直、信じられない話ではありますが、事情は理解しました」
「混乱させてしまったようで申し訳ない」
「いえ。――それで、神代の魔法や呪い、病についてお調べになっていると?」
「ああ。それでこの〈終生回帰症〉という病に行き当たったのだが、肝心の治療法が書かれてなくて、君は、なにか手がかりになりそうな書物を知らないだろうか?」
女神官は首を振った。
「わたくしも、ここの本をすべて閲覧したことはございますが〈老衰の呪い〉などというものは存じ上げません。〈終生回帰症〉という病も、おそらくその本に記されているものですべてでしょう。ただ、神代のことであれば上古のエルフがお詳しいと思います」
「上古のエルフって、精霊を祖とするエルフ最古の氏族だったよな。たしか住処だった森が焼かれて滅んだんじゃなかったか?」
「一般にはそう伝わっておりますが、生き残りとされる一族が、大山脈のどこかにあるというエルフの里で暮らしているそうです」
「はじめて聞いたな」
女神官は苦笑した。
「わたくしも、それが事実なのかどうかは分かりません。書物にそう書かれているだけで……」
たしか、と彼女は部屋の奥のほうへ向かった。隅の本棚に収められている本を指で追っていくと、彼女は不思議そうに首をひねった。
「あら? ここにその書物があったはずですが……」
彼女が示した場所を見て、ディノンは言った。
「そこは、はじめからなんもなかったぜ」
「まさか……」
「誰かが借りていったんじゃないのか?」
「ここの書物は、許可なくこの部屋から持ち出すことは禁止されております」
そう言えばたしかに、この部屋で調べものをはじめる前、司書からそのような注意を受けた。
とりあえず上司に報告すると言って女神官はいったん退出し、しばらくして先ほど彼女と一緒にレヴァロスに絡まれていた神官長と、神殿の警らをしている衛兵を連れて戻ってきた。女神官が持ち出し禁止の書物が紛失したことを二人に説明すると、衛兵はディノンたちに部屋の状況、ほかに誰か出入りしていなかったかなどをたずねた。
「どうだったか。調べものに集中していて定かではないが、私たち以外でここを出入りしていた者はいなかったと思う」
メイアの言葉に、ディノンとタルラは頷いた。
「俺たちが来る前はどうだったんだ?」
この質問に、早朝からここで働いていた司書に聴取してまわると、一人の少女がここに出入りしているのを見たと証言した。その時間帯は、ちょうどレヴァロスの騒動と重なり、二人の神官がその渦中にあると聞いて衛兵が出動するなど、神殿内でもちょっとした騒ぎになったらしい。
「どんな奴だった?」
「フードをかぶった子でしたよ。十七、八歳くらいの女の子で、肌が褐色で……あ、それと両目の色が違いました。たしか、赤と緑……」
ふと、ディノンは思い当たる娘がいて、険しく眉を寄せた。
「レヴァロスだ」
呟いた言葉に、全員が驚いて振り向いた。
「今朝の騒動を起こしてた連中と、その娘と似た特徴の奴が一緒にいるのを見た」
それはディノンが女神官たちに絡んでいたレヴァロスを打ちのめした直後に現れた、フードをかぶった娘。一緒に彼女を見ていた神官長と女神官も頷く。
「しかし、レヴァロスが、なぜ?」
「さぁな。盗まれた本は、どんな内容だったんだ?」
「エルフについて書かれた書物でございます。創生から近代までの歴史、氏族、特徴、さまざまなことが書かれておりました。先ほどお話した、エルフの里に上古のエルフの生き残りが暮らしている、というのもその書物に載っておりました。エルフの里へ行く方法も……」
ディノンとメイアは顔を見合わせた。
「あいつら、エルフになにかする気なんじゃねぇのか?」
「考えられるな」
メイアは女神官に視線を戻した。
「エルフの里はどこにある?」
「大山脈の南方のどこかに。ですが、その場所は魔法によって隠されており、里の入り口を見つけるには獣人が持つ鋭敏な感性が必要だと、書物には書かれております」
ディノンは鋭く目を細めた。
「連中の中に獣人の男がいた。間違いねぇな。連中、エルフの里に行こうとしてやがる」
驚愕した衛兵が首を振った。
「これは私では荷が重い。軍に助力を願ったほうがよさそうだな」
「それは止めたほうがいい」
メイアがそう言い、衛兵は不審そうな顔をした。ディノンたちも同様に首をかしげた。
「なぜだ?」
「エルフは内向的な種族だ。軍にこのことを報告すれば、兵団を率いてエルフの里に向かうだろう。たとえレヴァロスの脅威から守るためでもエルフはこれを歓迎しないはずだ」
「では、どうすれば」
「私たちが行こう。レヴァロスの脅威から守れなくても警告くらいはしてやれる。大所帯で向かってエルフの不興を買うよりはましなはずだ」
衛兵は難しい表情でしばらく考え込んだ。
「分かった。君たちに任せよう。しかし、いちおう軍には報告する。私の立場上、それだけはさせてほしい」
構わない、と頷いたメイアに続いて、ディノンは言った。
「もし軍がこっちの意見に納得できそうになかったら、冒険者ギルドの局長を頼ってくれ。俺の名前を出して事情を説明すれば、助けてくれるはずだ」
「あなたはたしか、ディノン……」
たずねて衛兵は思い出したように瞬いて、笑みを浮かべた。
「ああ、そうか。あなたがシュベート城を落としたという、冒険者のディノン殿か」
これには神官長と女神官も驚いた顔をした。
「お名前は聞き及んでおる。お会いできて光栄だ」
そう言って敬礼する衛兵に、ディノンは、よせ、と手を振った。
「それより急いで出ねぇと。すでにレヴァロスはエルフの里に向かっているだろうから」
「お待ちを」
と、女神官が声を上げた。
「わたくしも、お供いたします」
「あなた……」
咎めるような声に女神官は神官長を振り返った。
「エルフの里があるあたりまで、この方たちをご案内する必要があります。わたくしは盗まれた書物――エルフの里の所在が記された書物の内容を覚えております」
「大山脈は危険だぞ」
ディノンの言葉に、女神官は臆することなく頷いた。
「ご安心を。こう見えてわたくし、いちおうの戦闘訓練を受けておりますので」
へぇ、とディノンは瞬いた。
「あんた王都から派遣された神官だったのか」
「はい」
アースィル神団に所属する人たちには、さまざまな職種がある。神団の総本山であるアストゥーヌ大神殿にて信徒の最高指導者である大司教。司教区内の神殿を統括する司教。各神殿を統括する大司祭および司祭。そして、神殿に職を奉じる大神官および神官たち。
さらに神官の中には、神々の加護によって軍の兵士や冒険者をサポートする戦闘要員がいる。彼らはおもに王都の神殿で戦闘訓練を受け、軍や冒険者ギルド、大山脈の麓の集落にある神殿に派遣される。ディノンの冒険者仲間だった女神官のルーシラもその一人だ。
「そういうことなら話は別だ。正直、神官職がいるのはありがてぇ。あんたさえよければ、是非、一緒に来てほしい」
どうだ、とメイアを振り返ると、同意するように頷いた。それで神官長も納得して、女神官をまっすぐ向いた。
「分かりました。リーヌ、よろしく頼みましたよ」
はい、と深く頷いて、彼女はディノンたちに向き直った。
「申し遅れました。わたくし、女神ディルメナの信徒、リーヌでございます。あらためて、よろしくお願いいたします」
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