二章 アースィル神団(2)

 世界には人を超越した存在が複数いる。その最たるもの神だ。創造主を原初の神とし、その後、三世代に渡って神々の時代があった。


 現在、人々の間で信仰されているのは第三神話時代の神々――アースィル神族で、主神は神帝アストゥーヌと称する。その信仰を掌握しているのがアースィル神団で、王都にあるアストゥーヌ大神殿を総本山としていた。


 ディルメナは豊穣を司るアースィル神族の女神とされている。城塞都市ソルリアムはもともと女神ディルメナを祀った街で、魔族との戦争がはじまり、街が要塞化して現在の姿になったという。ゆえに街ではディルメナ神殿で働く神官の姿を多く見られる。


「さっきは自分のことでいっぱいいっぱいで聞けなかったが、あんたのそのすがた……」


 タルラが御する馬車に乗って街に入り、通りを進んでしばらくしてディノンは、大人の姿になったメイアを見つめて言った。


「そういえば、説明していなかったな。実は君から採取した血液を調べたら、予想通り〈若返りの薬〉の効果を弱める成分があってね。それで実際に薬を作って、自分に打ってみたんだ」


 しかし、とメイアは苦笑して首を振った。


「完全に治すことはできなかったようだ」


 ディノンは首をかしげた。


「なおらなかった? 大人のすがたに、なってるじゃねぇか」

「たしかに薬を投与した直後はもとの年齢に戻った。しかし、この姿になって、あらためて自分の身体を調べてみたら、少しずつだが、また若返りはじめているようだ」

「おれとはぎゃく?」

「君より速度はかなり遅い。二時間で一歳半といったところだ」

「つうと、二十四時間後には、あんたはおれと出会ったときの、おさないいすがたまで、もどるってことか?」

「そういうことになるな。――ああ、神殿に向かう前に、あそこへ寄ろう」


 と、メイアは馬車の外を見て言った。視線の先には早朝にも関わらず開店していた古着屋があった。


「そんな恰好で神殿に入るわけにもいくまい」


 たしかに、とディノンは自分の格好を見て苦笑した。ディノンは大人の姿のときに着ていた服の袖や裾を精一杯まくし上げて着ている。見るからにみっともなく、こんな格好で神殿に入るのは失礼だろう。


 いっぽうメイアは〈若返りの薬〉を投与する前の大人の姿だったときに着ていた服を、適当に引っ張り出してきたという。紺と紫を基調とした服装で、上はタートルネックのセーターにゆったりとしたローブを着て、下は太もものあたりまでスリットの入ったロングスカートに膝まであるロングブーツを履いている。頭には鍔の広いとんがり帽子もかぶっていた。


 幼かった姿のときも妖艶な雰囲気があったが、大人の姿の彼女は官能的な身体つきで、さらに濃艶さが増していた。


「どうした?」


 古着屋の前で馬車から降りたメイアは、ディノンの視線に気づいて首をかしげた。


「いや。大人のあんたって、そんな感じなんだと思ってな」


 ああ、とメイアは薄笑いを浮かべた。


「そう言えば、君の好みはスタイルのよい女性だったか。どうだい、私もなかなかのものだろう? それなりに自信はあるんだ」

「まぁ、悪くはねぇな」


 苦笑を浮かべ素っ気なく答えたディノンは、引きずったズボンの裾を持ち上げながら古着屋へ入っていった。メイアはその姿を眺め、やや不機嫌そうに息をついた。


「あの姿であの性格だと、生意気に見えるから不思議だ……」


 古着屋に入ったメイアは店員に、ディノンに似合う子供用の服を適当に選んでもらった。


 ディノンもメイアもファッションに疎い。特にディノンは武人気質であったためデザインよりも機能性を重視した服を選ぶ。ゆえに店員が選んだ凝ったデザインの服は、どれも気に入らなかった。


 店員が何着目かの服を選んでいるとき、表から怒声と悲鳴が入り交じって聞えた。あまりに切迫した調子の声に、ディノンとメイアは窓から外を覗いた。


「あれは……」


 通りのど真ん中に人だかりができていた。その中央にいるのは神官服をまとった二人の女性。素行の悪そうな男と女が数人、彼女らを取り囲んでいた。


「レ、レヴァロス……」


 と、怯えたように声を上げた店員をメイアは振り返った。


「なんだ、それは?」

「え、お客さん、知らないんですか? アースィル神団の教えに反発する暴徒集団ですよ」

「長年、屋敷に引きこもっていたからな。外の事情には疎い。そんな連中がいたのか」


 店員はやや険しい視線を窓の外に向けた。


「神団に関わるものすべてに、酷いことをする連中です。街の衛兵はもちろん、軍隊や冒険者も彼らの取り締まりを行っていますが、鎮まる気配がまったくなくて、むしろ、暴動は過激になっていくばかりで……。うちの店も慈善事業で神団が運営する孤児院とかに古着を提供するんですが、それが気に入らなかったのか、営業妨害を受けたことがあるんです」

「それは酷いな……」


 レヴァロスはなにやら女神官たちと言い争っているようだった。まだ暴力沙汰にはなっていないが、レヴァロスのほうはいまにも女神官たちに掴みかかりそうな勢いで激情に駆られていた。


 年配の女神官が一歩前に出て、レヴァロスを罵倒した。その背後でもう一人の女神官が彼女を止めるように服を掴んでいた。罵倒されたほうは我慢できず、ついに腰に手挟んでいた棍棒に手をかけた。


「まずい……」


 メイアが声を上げたときだった。いつの間に店の服を勝手に選んで着替えていたディノンが外に飛び出した。


「会計はその女に!」


 そう言い残してディノンは太刀を手に持って騒動の渦中に駆け込んでいった。鞘に巻いていた下げ紐をほどき鍔に結びつけ、太刀と鞘が抜けないよう固定した。


 そうしている間にレヴァロスの一人が棍棒を取り、女神官たちに迫った。ディノンは悲鳴を上げる群衆をすり抜け、駆け込んだ勢いのまま飛び上がった。女神官に掴みかかろうと手をのばしていたレヴァロスの右頬に、飛び蹴りを食らわせた。


 蹴られたレヴァロスは回転しながら倒れた。そのそばに着地したディノンは、太刀を脇に構えてほかのレヴァロスを眺めた。


 誰もが目を見開き、息を呑んだ。背後の女神官たちも、目の前のレヴァロスたちも、驚愕したように突然現れた十二歳ほどの少年を見た。


「な、なんだ、てめぇは!」


 レヴァロスの一人が青筋を立てて怒鳴った。しかし一見あどけない雰囲気の少年はレヴァロスの恫喝に臆した様子もなく、むしろ嘲るような笑い声を上げた。


「いせいだけはいいな。こんな朝っぱらから元気でいいこった」

「こいつ……」


 ディノンの煽りに、一人の男が棍棒を取った。しかし、その男の肩に手を乗せて止める者がいた。屈強そうな身体を灰色のマントが包み、フードを目深にかぶって表情はうかがえないが、憤慨するレヴァロスたちの中、その者だけが落ち着いた様子だった。背中には柄の長い大太刀を背負っていた。


「ガキ。怪我したくなかったら引っ込んでいろ」


 落ち着いた声でそう言った男を睨みながら、ディノンは内心首をかしげた。


(けもののにおい……。こいつ、人間族じゃない……)

か……」


 呟いた声が聞こえたのか、男の気配がわずかに鋭くなった。ディノンは笑みを深くする。


「元気がありあまってんなら、おれが、おゆうぎの相手をしてやる。かかってきな」

「調子に乗りやがって……!」


 我慢できなくなった一人の男が歩み寄り、ディノンを引っ捕らえようと腕をのばしてきた。ディノンは、さっと躱して男の懐に潜り込むと、太刀の柄頭を男のみぞおちに叩き込んだ。


(……浅いっ)


 思ったより力が出ないことにディノンは臍を噛んだ。それでも体重をかけ、ねじ込むようにしながら、さらに太刀を押し出した。


 男は腹を抱えながら二、三歩後ろに下がるが、怒りに顔を真っ赤にして腰に佩びていた棍棒を掴んだ。奇声を上げてディノンにむかって振り下ろした。


 周囲から悲鳴が上がる中、ディノンは太刀で棍棒を横にはじき、次いで男の膝裏を蹴った。男が姿勢を崩すと、身体をひねりながら飛び上がり、男の後頭部に鞘におさめたままの太刀を叩き込んだ。男は白目をむいて倒れた。


 レヴァロスたちは流れるようなディノンの身のこなしに慄然とする。彼らの目に強い警戒の色が滲んだ。


「こ、このガキ、只者じゃねぇ」


 そう言って一人が腰の剣に手をかけた瞬間、ディノンは鋭くそれを睨んだ。


「抜くな」


 剣に手をかけた男は、はっと動きを止めた。


「きられる覚悟がねぇなら、抜くんじゃねぇ」


 ディノンの鋭い言葉に怯んだレヴァロスたちだが、たかが十二の子供の脅しに屈するわけもなく、むしろ彼らの感情を逆なでしてしまい獣人の男以外全員が武器を取って構えた。


 ディノンがため息をついたとき、最初に蹴り倒されたレヴァロスが呻きながら身体を起こした。ディノンに掴みかかろうとするが、その前に顔面を足裏で蹴られて再び意識を失った。その瞬間、レヴァロスの一人が剣を構えて飛びかかってきた。ほかのレヴァロスもそれに続いた。


「危ない!」


 と、周囲から声が上がった。ところが、振り下ろされた凶刃はディノンを捕らえることなく空を切って地面を打った。次の瞬間、剣を振るった男はこめかみに強い衝撃を受けてなにも分からなくなった。


 男を気絶させたディノンは、続けて襲ってくるレヴァロスたちの攻撃を躱し、膝裏や股間を蹴り、足の甲を踏みつけ、姿勢を崩したところで、額やこめかみ、顎などを太刀で殴打した。


 さほど時間もかからないうちに、レヴァロスたちは地面に倒された。呻き声を上げる大人たちの中、少年は息を乱すことなくそれらを眺めていた。


 やがてディノンの戦いぶりに感心した見物人たちから歓声が上がった。


「口ほどにもねぇ……」


 ディノンは呆れたように彼らを一瞥し、こちらの戦いをただ眺めるだけだった獣人の男を見た。


「あんたは、こねぇのか?」

「俺の役目は、こいつらがやりすぎないよう見張ることだ」

「どういう……」

「――なにしているの、あなたたち……」


 ディノンがたずねようとした声と重なって、見物人の中から女の鋭い声がした。振り返ると、マントで身体をすっぽりと覆った女が、目の前の惨状を眺めながら近づいてきた。獣人の男と同じようにフードを目深にかぶっていて、はっきりと顔を見ることはできなかったが、十七、八歳ほどの若い娘のようだった。肌は赤みの強い褐色、瞳は右が赤で左が緑のオッドアイ。


 ディノンは不審そうに娘を見た。娘も倒れている大人たちからディノンに視線を移した。


「もしかして、その子がやったの?」

「ああ」


 獣人の男が応えて、そう、と娘は特に興味無さそうに頷いた。


「こっちの用は済んだわ」


 獣人の男は頷いて、ずらかるぞ、と倒れている仲間に声をかけた。


「は? おい、待てよ」


 踵を返して立ち去る娘を止めようとするディノンの前に、獣人の男が立ちはだかった。ディノンは軽く身を引いて太刀を構えた。


 ディノンに倒されたレヴァロスたちが捨て台詞を吐きながら娘を追いかけるのを見届けて、獣人の男はディノンを見た。


「ただのガキではなかったな。見事な腕だ。機会があれば手合わせしたいものだ」

「いま、やったっていいんだぜ」

「すまんが、いまは忙しい。ではな……」


 そう言い残して男は背を向け、娘が去ったほうへ駆けていった。それを睨むように眺めていたディノンは、やがて構えを解いた。


「あの……」


 と、背後で声がして、ディノンは振り返った。レヴァロスに絡まれていた二人の女神官が心配そうにディノンに近づいた。


「お怪我はありませんか?」

「ああ。あんたたちは平気か?」

「は、はい。助けていただいて、まことにありがとうございます」


 そう言ってお辞儀をしたのは、レヴァロスに罵倒を浴びせていた女神官。彼女の肩には神官たちの長を示す腕章が巻かれていた。その隣、彼女を止めようとしていた女神官がディノンの手を取った。


「本当に、なんとお礼を申し上げてよいか……。しかし、わたくしたちの立場からしたら、その勇気は褒められたものではありません」

「は、はぁ……」


 妙に熱のこもった彼女の言葉に、ディノンは戸惑ったように頷く。


「あなたのような、いたいけな子供になにかあれば、わたくしたちは酷く心を痛めていたでしょう。自分の身体を傷つけられるよりずっと。ですので、このようなことは、もうしないとお約束ください」

「いや……」


 拒もうとしたディノンに、女神官がわずかに微笑んだ。それを見たとたん背筋に冷たいものが這い上がるのを感じて、ディノンは軽く身震いした。


「言うことの聞けない子は、お説教をせねばなりませんね」

「は?」

「さぁ、まいりましょうか」


 ディノンの手を引こうとした女神官の頭を、神官長が引っ叩いた。


「やめなさい!」


 叩かれて頭をおさえる女神官を呆れたように見て、神官長はディノンに頭を下げた。


「申しわけありません。この子は心に少々――いえ、重度の病を抱えておりまして」


 はぁ、と頷くディノンに、神官長は笑いかけた。


「もしよろしければ、お名前をお伺いしてもよろしいですか? いずれ、あらためてお礼にうかがいたいので」

「礼をされるほどのことじゃない。適当に暴れちらかしただけだし。それに、こういう、もんちゃくには慣れてるんだ」

「――ディノン」


 ふと、メイアが呼ぶ声が聞こえた。振り返ると古着屋で買った服を詰め込んだ紙袋を抱えたタルラを従えて、メイアが手を振っていた。


「役人と話すのは面倒だ。私たちも引き上げるぞ」


 ああ、と頷いて、ディノンは女神官たちから離れる。


「そんじゃな。役人には、おれのこと適当に言っといてくれ」


 軽く手を振ってディノンは逃げるようにその場から駆け去った。メイアに続いて、古着屋のそばに停めていた馬車に乗り込んだ。


「意外だったな」


 馬車が走り出して、メイアはディノンに言った。


「なにが?」

「君が彼女たちを助けたことだ。君は、ああいう悶着は面倒だから関わらないものだと思っていた」

「おれをなんだと思ってんだよ」


 ディノンはため息をついた。


「おれたち冒険者は、神団――とくに神官をかいしてあたえられる神の加護のおかげで安全に仕事ができる。だから、神団に反発して暴れまわってるレヴァロスは、冒険者にとっても迷惑なんだ」

「彼らは神団の教えに反発していると聞いたが」

「アースィル神団のいう予言が気に食わねぇんだと」

「予言? それはあれか――『諸悪によって世界が混沌に落ちたとき、勇者が現れ、その命を賭して人々を救済する』という」


 ディノンは頷いた。その予言は三世代続いた神々の歴史を記した『神正史』の最後のほうで、第三神話時代から人の時代――上古の時代にさしかかる際、神々の長――神帝アストゥーヌが人々に放った言葉とされている。


「神団はこの予言にある『』を、いま起きている人間族と、まぞくの戦争と重ね、勇者によって、は倒されるだろうと提唱たんだ」


 メイアは軽く目を細めた。


「それはつまり、勇者を犠牲にして魔王を倒し、戦争を終わらせようってことか?」

「まぁ、ふつう、そう言っているように聞こえるよな。だが、神団はあくまで予言と現状を重ねているだけで、実際に勇者をぎせいにしようとしているわけじゃねぇ。勇者のぎせいなしに、まおうを倒すため、神団は国と協力していろいろ対策してる。たとえば出自を問わず兵士を育成できる学校の設立や、をたんさくする冒険者のしえんとかな」

「だが、レヴァロスとかいうあの連中は、神団が提唱した『勇者を犠牲に魔王は倒される』という予言を信じ、これに反発していると?」


 ディノンは難しい顔をする。


「一般的にはそう見られているが……」


 メイアは首をかしげた。


「暴徒まがいなことをするいっぽうで、なにかしてるんじゃねぇかっていう、うわさがあるんだ。さっきの連中も、なにかしてたみてぇだったし」

「そうだったのか?」

「いや、連中の言動から、そういうふうに感じたってだけだ。実際のところは分からん」


 ディノンはそう言って窓の外を見た。街の衛兵や役人たちが先ほど騒動があった場所へ駆けていくのが見えた。

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