第24話 変身
フェイトキーパーの手には太刀があった。柄頭に埋め込まれた宝石が怪しく光る。
周囲の景色が一変する。
それはまるで人が想像する地獄を具現化したような場所だった。血のように赤い空と、おびただしい人骨の大地だ。
「殺界羅刹剣。それがこのアーティファクトの名前だ。能力は自分と敵を亜空間に閉じ込める」
フェイトキーパーが太刀を抜く。
〈光の継承者〉には登場しないアーティファクトだ。
太刀だけではない。フェイトキーパーは他にもいくつも見たことのないアーティファクトを身に着けていた。どれも小説には登場していないもので、どのような能力を持つか分からない。
「お前が力を出し切って衰弱するのをずっと待っていた。今のお前なら、俺でも殺せるはずだ」
悔しいがフェイトキーパーの狙い通りだった。すでにスノウドロップは二度の死闘で魔力を大量に消費している。活性心肺法はレベル1を維持するのが精一杯だった。オリハルコン生成も今持っている短剣が最後だろう。
「正義の味方が悪役令嬢に転生した時点で、運命にとって致命的な障害になるとわかっていた。にも拘わらず、俺はお前を本気になって殺そうとしなかった……いや殺す気が起きなかった。それはなぜか?」
「……」
スノウドロップは答えない。声を出すことすら今は辛い。
「お前がロベリアだからだよ。〈光の継承者〉は英雄譚だ。悪役の死で完結する。だから小説の出来事が全部実現するまで、運命はお前の死を許さなかった。だから俺は運命の影響によってお前に対する強い殺意を持てなかった」
スノウドロップは剣を構える。フェイトキーパーが持つアーティファクトはどんな能力があるのか分からないので迂闊には攻め込めない。
「だがそれももう終わりだ。お前が強行の暗殺者を倒した瞬間から、〈光の継承者〉の運命はほとんどが台無しになった。実現可能な運命がロベリアの死だけとなったことで、俺はようやくお前に本気の殺意を向けられる!」
フェイトキーパーが斬りかかってくる。太刀筋は平凡だが、身体能力は常人を超えている。彼が持つアーティファクトの中に身体強化効果を持つのがあったのだろう。
スノウドロップは相手の太刀を弾くように防御した。
「うぉ!」
スノウドロップはすかさず反撃するが、フェイトブレーカーが跳び下がるのが一瞬早かった。
この時、スノウドロップは自分の消耗が想像以上であると悟る。
フェイトブレーカーが腰の短杖を抜き、スノウドロップに突きつける。
周囲に十数本もの魔力の短剣が出現し、襲いかかってきた。短剣の一本一本が誘導性を持っており、正確に狙ってくる。
スノウドロップは襲いかかる短剣を次々と弾いていくが、全てを対処しきれなかった。最後の一本が足を浅く斬った。
「ああ!」
スノウドロップは倒れてしまう。すぐに立ち上がろうとするが、フェイトキーパーに蹴り飛ばされてしまう。
体にうまく力が入らない。無理をするための気力すらなかった。
「無駄だ。殺界羅刹剣が生み出す空間は人間の気力を奪う。死闘で疲れ切ったお前にはさぞかしつらかろう。俺は精神防御のアーティファクトがあるおかげでまだまだ元気だぞ」
フェイトキーパーが畳み掛けてくる。スノウドロップは倒れた状態のまま剣で攻撃を防御し、すかさず敵の足を狙って攻撃する。
だがフェイトキーパーはすぐに下がって避けた。圧倒的な有利にも関わらず、フェイトキーパーは神経質なまでに慎重だった。
その間にスノウドロップはどうにか立ち上がる。
スノウドロップは剣を構えた。まだ死ぬわけにはいかない。
「しぶといなスノウドロップ。どうしてまだ生きようとする」
フェイトキーパーの指摘に、スノウドロップは生きたい強く願っている自分に気がついた。
ここで自分が倒れても、フェイトキーパーの個人的な拘りが満たされるだけだ。世の中で人の命や何かが損なわれるようなことはないはずだ。
それなのにどうして?
『君の命だって人の命だ!』
『自分の幸せのために戦って』
スティーブンとモルガンの声が脳裏をよぎる。
(ああ、そうか。私は幸せになりたいんだ)
前世では持ち得なかった気持ちだ。
あの頃は、幸せになるのを諦めていた。だから、死ぬ時は苦役が終わると安堵した。
だがこの世界に転生してからは沢山の愛を与えられた。その愛で、スノウドロップは幸せを求める心に目覚めた。
「スノウドロップ! お前の仕事はもう終わっただろう! もう生きている必要もないんだからさぁ、俺のために死んでくれたっていいだろ!」
「嫌っ!」
フェイトキーパーの攻撃をスノウドロップは弾く。
「死ね! 死ね! 死んでしまえ!」
気力を奪う亜空間でも、フェイトキーパーは強い殺意を向けてくる。
一撃、一撃を防御するたびにスノウドロップの中で死への恐怖が募っていく。精神を衰弱させるこの空間のせいだ。
やがて、フェイトキーパーの太刀がスノウドロップの剣を弾き飛ばした。
「もらった!」
武器を失ったスノウドロップは攻撃を受けてしまった。
スノウドロップは倒れる。傷は浅いが、気力が枯渇している。もう立ち上がれないと悟る。
沢山の人の顔が脳裏を駆け巡る。これまでスノウドロップを愛してくれた人々だ。
「誰か……助けて」
今にも消えそうな声でスノウドロップは呟いた。
「スノウドロップ、今、なんて言った? 確かに聞いたぞ! 助けてと!」
フェイトキーパーは歓喜に震えた。
「やった! 勝ったぞ! スノウドロップの心をついにへし折ってやった!」
フェイトキーパーが太刀を振り上げた。
●
時は少し巻き戻る。
謁見の間では血のように真っ赤なドーム状の結界が現れていた。この中にスノウドロップが閉じ込められたのは明白だ。
「ロベリア! ロベリア!」
マリアがスノウドロップを助け出そうとして赤いドームを必死に叩いている。彼女は冷静さを失っていた。
「よすんだマリア、手を怪我してしまう」
ランディールがなだめる。マリアはさめざめと泣き始めた。
「実の姉なのに私はスノウドロップの正体に全く気づかなかった。きっと私は、ロベリアは何も出来ない子だからスノウドロップであるはずがないと思いこんでいたんです。私は無意識に他の人々と同じようにあの子を蔑んでいたんです」
ランディールは黙ってしまう。彼はマリアにかけるべき言葉が分からなくなったのだろう。
その様子を見ていたルーシーは、もっと現実的なことを考えていた。すなわちスノウドロップを助けるにはいかなる手段が必要かと言うことだ。
光の魔法ならこのドームを破棄できるだろうかとルーシーは考える。〈光の継承者〉では似たような状況で結界を破壊するシーンがある。
問題は中にいるスノウドロップにどのような影響が出るかだ。
「ルーシー、少し待ってくれ。数秒で済む」
スティーブンだ。ルーシーは彼に任せることにした。
スティーブンはHi-SADでドームを検査する。
「どう?」
「一人だけなら内部へ転送できそうだ」
「なら俺を送ってくれ!」
声を上げたのはローナンだった。
「いいえ、私が行きます」
ルーシーが断固たる態度で言った。
「だ、だが光属性の魔力を持つものを危険に晒すわけには」
「ローナン様、光属性は正義の力です。ここで使わなかったらいつ使うのですか」
「それは……」
有無を言わさないルーシーの気配にローナンは気圧される。
それにランディール騎士団はスノウドロップを除けばルーシーが強い。なら助けに行くのはルーシーが筋だ。
「ルーシー!」
フェイトブレーカーが駆け寄ってくるのが見えた。彼女はパワードスーツの変身装置を持っていた。
「完成したのね」
突然現れたフェイトブレーカーにランディール騎士団のメンバーたちは戸惑いを見せるが、今は彼女の素性を説明している暇はない。
ルーシーは変身装置を自分のスマート・アーティファクトと合体させる。
「スティーブン、お願い!」
「分かった」
ルーシーはスティーブンによって結界内へと瞬間移動された。
結界内の亜空間はゾッとするような風景だった。血で染まった空に、人骨の平原だ。
心に負荷を感じる。この空間にいるものは何らかの精神攻撃を受けるのだろうとルーシーは理解する。
(早くスノウドロップを助けないと)
万全のスノウドロップならこの程度の精神攻撃には耐えられるとルーシーは確信しているが、今の彼女はすでに死闘を二度も経ている。精神の摩耗は掃討なものだろう。
剣がぶつかり合う音が聞こえる。
ルーシーは走る。
「誰か……助けて」
消えそうな小さな声。だがルーシーは確かに聞いた。
助けてくれた人を助ける。ルーシーは自らに課した使命を果たす時が来た。
フェイトキーパーが太刀を振り上げ、今にもスノウドロップに斬りかかろうとするのが見えた。
「死ね! スノウドロップ!」
「やめなさい!」
ルーシーは拳をフェイトキーパーに叩きつけた。ふっとばされたフェイトキーパーは人骨を撒き散らしながら転がる。
「ルーシー……」
「助けに来たわ。もう安心して」
魔力が枯渇したのかスノウドロップのスマート・アーティファクトは動作していない。ルーシーは自分ので回復の魔法を使う。緊張が解けたのか、スノウドロップは眠るように気を失った。
ルーシーは前世でスノウドロップが死んだ時のことを思い出した。
あの時は無力な小娘だったが今は違う。前世で培った経験と、この世界で得た光の魔法がある。
「ルーシー! お前はこの世界の主人公だろう!」
フェイトキーパーは太刀を杖代わりにして立ち上がる。
「本当だったら、悪役のロベリアを殺すのはお前の役割のはずだったんだぞ!」
ルーシーは冷めた目をフェイトキーパーに向ける。
「この人を殺すのが私の役割なんてまっぴらごめんよ! そんなのから変わってやるわ! 私はこの人を助ける者へ“変身”する!」
ルーシーが変身装置を起動すると、彼女は一瞬で赤いパワードスーツに包まれた。
「私はスタールビー!
スタールビーはスノウドロップを守るため、フェイトキーパーに立ちはだかる。
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