第23話 仮面が落ちるとき

 ローナンは少しでも気を緩めれば、隊列を乱してしまいそうだった。

 遠隔通話を可能とする伝心の魔法でロンドンの状況は分かっている。到着するまでの間、ローナンは実際よりも何倍も時間が長く感じた。きっとそれは他の者も同じに違いない。


「ロンドンだ!」


 誰かが叫ぶ。

 ロンドンは今までにない暴力にさらされていた。街のあちこちで火の手と悲鳴が上がっている。


「スノウドロップ!」「スノウドロップ!」「スノウドロップ!」「スノウドロップ!」「スノウドロップ!」


 悲鳴に混じってスノウドロップを呼ぶ声が聞こえてくる。

 ローナンは今にもスノウドロップを探しに行ってしまいそうになる自分を必死に抑えた。

 スノウドロップは大切だ。愛してすらいる。


(だが、目先の人情を優先するわけには行かない。ランディール様の騎士として、。スノウドロップだってそれを望んでいるはずだ)


 常に成すべきことを成す。それがスノウドロップにふさわしい男の条件だとローナンは思っていた。

 カーティスが指示を出す。


「十騎衆は二人一組に分かれてそれぞれ怪人の討伐に当たれ! ランディール騎士団に限っては全員が必ずまとまって行動するように! 以上だ!」

『了解!』


 全員が一斉に返答する。

 カーティスの指示は納得のできるものだった。魔物化した人間という前例のない相手なのだから、一騎当千の十騎衆でも単独で当たらないのは当然だ。

 ランディール騎士団にしても、ここ最近は実績を上げているとは言えまだ学生集団にすぎない。王族のランディールを守るためにもまとまって行動するのは当たり前だ。

 もちろんそれは十騎衆最強のカーティスにも言える。彼の随伴者は十騎衆のナンバー2だ。

    

 十騎衆たちと別れたランディール騎士団は上空から敵を探す。すると地上から魔法攻撃が飛来してきた。氷の矢だ。


「危ない!」


 とっさにローナンが電撃の魔法を放って氷の矢を撃ち落とす。


「あそこに敵が!」


 アランが指差す方向に蟻怪人がいた。

 蟻怪人が第2射を放つ。回避は難しく、先程のと同じく魔法で撃ち落とすしかなかった。

 更に敵が現れる。鳥の怪人だ。


「ランディール様、あの鳥怪人はボクが相手します」

「頼んだぞ。他のものは地上へ!」


 ランディールは空中戦をエマに任せた。

 スマート・アーティファクトがあるとは言え、生来の属性の魔法のほうが高い練度を発揮できる。もとから風属性を持つエマ以外では、風の魔法・飛行の型を発動できても、複雑な空中戦はできない。

 

 エマ以外の4人が地上に降りる。

 着地すると同時にアランが即座に土の魔法で遮蔽物を作る。元々は土属性魔力の持ち主なので、スマートアーティファクトで使うより発動速度も精度も優れている。


「マリアは怪我人の治療を」

「かしこまりました」


 ランディールがマリアに命じる。

 遮蔽物で身を隠しながら、ランディール、アラン、ローナンが魔法攻撃を蟻怪人に放つ。その間に、マリアは周囲の負傷者の治療に当たった。

 だが、蟻怪人は常人を超える瞬発力で魔法攻撃を避けていく。


「疾い!」


 ローナンは思わず驚きを口にした。


「鳳の型を使う!」


 ランディールが炎の魔法:鳳の型を発射した。

 蟻怪人は直撃こそ回避したが、近くで着弾した火の鳥は爆発を引き起こし蟻怪人を飲み込む。

 ランディール本来の属性は炎だ。それだけあって威力調整は絶妙で、攻撃の余波を最小限にとどめていた。


「死体がない! 全員、周囲を警戒しろ!」


 ランディールの鋭い声が届く。

 こういう時、エマが上空から索敵してくれればとローナンは思った。だが空を見上げると、エマはまだ鳥怪人と戦っていた。

 自分の目で探すかない。だが敵はどうやって一瞬で姿を消したのか?

 その時、ローナンは先程まで蟻怪人がいた場所に穴があるのを見た。下水道へ通じるマンホールの蓋が開いている。


 ローナンは周囲の地面を見る。

 ランディールの近くにマンホールがあった。

 直後、マンホールの蓋が跳ね上がり蟻怪人が飛び出す。

 

「ランディール! 貴様の首をモルガン様に捧げてやる!」


 蟻怪人が凶悪な顎を開く。ローナンの脳裏に主の首が食いちぎられるイメージがよぎる。


「ランディール様!」


 ローナンが割って入る。考えてやった事ではない。騎士の本能が体を動かした。

 迫る蟻怪人の顎にローナンは死を予感した。もう二度とスノウドロップと会えない無念が心に芽生えるが、それ以上にランディールのためなら死んでも良いという納得がそれを上回っていた。

 その時、横から蟻怪人の頭を光弾が撃ち抜く。

 絶命した蟻怪人がそのままローナンにもたれかかり、彼は押し倒される形で倒れた。


「ローナン様、大丈夫ですか?」


 助けてくれたのはルーシーだった。


「助かった」


 ルーシーが差し伸べる手を取り、ローナンは立ち上がる。

 残るはエマが戦っている鳥怪人のみだ。ローナンが見上げると、もう一人援軍が現れた。 スティーブンだ。彼は見事な制御力で風の魔法・飛行の型を使い、手に持った不思議な形の武器から光線を発射して鳥怪人を仕留める。

 エマとスティーブンが地上に降りてくる。


「ルーシー、 まずいぞ」


 スティーブンが言う。

 

「今、監視ドローンの映像を確認したが、スノウドロップがすでにモルガンと交戦している」

「そんな! 助けに行かないと!」

「なら、我々も行こう。スノウドロップを失うわけにはいかない」


 二人の会話を聞いたランディールが言う。


「……それは彼女がオリハルコンを生み出せるからですか?」

 

 ルーシーの声はわずかだが険が入っていた。その様子にローナンはルーシーの心境に何か大きな変化があったように感じた。


「この国の王子としてはそうなるが、私個人は仲間を助けたい」

「ありがとうございます、ランディール様」


 ルーシーの雰囲気が以前のものに戻った。彼女の変化がどのようなものかローナンは知る由もないが、少なくとも騎士団の団結に亀裂が入るものでなくて安堵した。

 ランディール騎士団はテンポラリー宮殿へと向かう。


(死なないでくれ、スノウドロップ)

 

 ローナンは想い人を案じた。



 戦いが始まってどれだけ経っただろうかとスノウドロップは思った。とても長く戦った気がするが、実時間ではほんの数分程度かもしれない。

 スノウドロップが身につけるプロテクターはボロボロで体のあちこちの骨にヒビが入っている。対するモルガンも全身切り傷だらけだ。

 どちらも激しく消耗しているが、しかし闘志はいささかも衰えていない。


「スノウドロップ、まだ戦うつもり? 私がいなくなったら、あなたを大事に思う人はいなくなるわよ。他の連中はあなたを利用するだけで、あなたが死んでもでも涙一つこぼさない」

「いいえ、そんな事ないわ」


 マリア、スティーブン、ルーシー、それにランディール騎士団の仲間達。スノウドロップは自分が死んだ時に、亡骸を抱きしめてくれる人々の顔を思い浮かべる。


「可哀想な子」


 モルガンは弓を射るように拳を引いた構えを取る。

 モルガンが床を蹴った。もしも常人が見たのなら、モルガンが瞬間移動したかのように見えるだろう。

 モルガンの突進の勢いと腰の回転を加えた打撃は音速を超えた。

 拳の形をした死がスノウドロップに迫る。

 スノウドロップはモルガンの拳を剣で横に弾く。

 弾かれた拳につられてモルガンの体が回る。モルガンはそれの勢いを逆用して後ろ回し蹴りを繰り出した。


 死神の鎌のような蹴りをスノウドロップは姿勢を低くしてかいくぐり、モルガンの軸足を狙って攻撃した。

 モルガンは足一本で跳躍し、剣は虚しく空を斬る。


「くっ!」


 モルガンの顔が忌ま忌ましそうにゆがむ。彼女は今、一瞬とは言え空中にいる。それは音速を超える速度での戦いでは極めて不利な状況にある。スノウドロップはそれを狙って軸足を攻撃し、モルガンに跳躍を強要したのだ。

 スノウドロップは剣を両手で握り、下からモルガンを斬り上げる。

 装甲化した外皮の隙間に刃が食い込み、モルガンを切り裂きながら打ち上げた。

 モルガンの血が空中に撒き散らされる。

 

 スノウドロップは床を蹴り、モルガンを追撃する。致命傷を与えねばならなかった。活性心肺法レベル4は膨大な魔力を消費する。自身の肉体を作り替えたモルガンと異なり、スノウドロップには時間という制約がある。


「モルガン、覚悟!」


 スノウドロップが渾身の力を込めて振るった剣がモルガンの肩に食い込む。スノウドロップはそのまま振り抜こうとするが、収縮した筋肉に阻まれて剣が動かない。

 モルガンの目に鋭い光が宿った。

 モルガンの両手がスノウドロップの体を掴む。


「しまっ」

「とったわ!」


重力が二人を引きずり下ろす。

 スノウドロップは拘束を解こうとするが、モルガンもまた渾身の力で話そうとしなかった。

 スノウドロップは床に叩きつけられる。衝撃音が轟き、砕けた大理石が室内中に飛び散った。


「がはっ!」


 スノウドロップは血を吐く。肺にダメージが入った。活性心肺法が解除されてしまう。


「紙一重だったわ。運が良くなければ負けていたのは私だった」


 モルガンは肩に食い込んだままだった剣を抜く。それを両手で持って大上段に構えた。

 スノウドロップはすぐさま活性心肺法を再発動させようとしたが、肺のダメージでうまくいかない。スマート・アーティファクトが回復の魔法で治療しているが、持ち直すまで数秒もかかるだろう。

 ここまでかとスノウドロップは思った。だが、モルガンはすぐに剣を振り下ろさなかった。

 

「これが最後のチャンスよ、私の子になってくれるのなら……私は」


 モルガンは止めを刺すのをためらった。


「私はあなたの愛を受け取れない」

「……残念よ」


 剣が振り下ろされる。

 モルガンがためらったわずかな時間の間に、スマート・アーティファクトによる自動回復が終わった。スノウドロップは再び活性心肺法を発動させる。

 スノウドロップは回避する。剣が大理石を叩いた。


「モルガン!」


 スノウドロップは腕を突き出す。その手には生成したばかりのオリハルコン製の短剣が握られていた。

 モルガンはとっさに装甲化した外皮で受け止めようとした。だがその外皮にはこれまでの戦いでついたわずかな亀裂がある。

 短剣の刃が亀裂からモルガンの体内に食い込む。

 

 そして、そのまま彼女の心臓を貫いた。

 スノウドロップは時間が止まったかのように錯覚した。

 モルガンがゆっくりと倒れる。


「ごめんなさい、モルガン。あなたの情けを利用した」

「いいえ、構わないわ。これは私が油断しただけの事」


 モルガンが弱々しく手を伸ばす。スノウドロップはそれを優しく掴んだ。

 この人はこんなにも自分を愛してくれるのに、敵となってしまい、和解できぬまま手にかけねばならなかった。スノウドロップはそれが悲しかった。


「スノウドロップ、他人に良いように利用されてはだめよ。自分の幸せのために戦って」


 モルガンは目を閉じ、息を引き取った。

 

「スノウドロップ!」


 ルーシーの声が聞こえる。振り返ると彼女を先頭に、ランディール騎士団の者たちの姿があった。

 その時、割れた仮面がスノウドロップの顔から落ちてしまった。


「ロベリア!?」

「そんな、なぜ君がここに!?」


 マリアとランディールが驚愕する。

 

「ま、まさかロベリア、あなたがスノウドロップなの?」


 マリアが震える声で問う。


「そうです、マリアお姉様。ずっと隠していてごめんなさい」

「気を抜くのはまだ早いぞ」

 

 その時、スノウドロップは背後に気配を感じた。振り返ると、どのような手段を使ったのかフェイトキーパーがいた。

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