第22話 拳妃モルガン②
スノウドロップが目覚める。
「目が覚めたようね」
傍らにはフェイトブレーカーがいた。
「状況は?」
「モルガンが闇の魔法で自分の信奉者達を怪人に変えたわ。ロンドン中でその怪人達が暴れていて、ルーシーとスティーブンが対処している」
スノウドロップがベッドから起き上がる。 スティーブンが投与してくれた薬のおかげか、激しい苦しみは綺麗に消えている。まだかすかな疲労感は残るものの、十分に戦えるだろう。
「スノウドロップ、モルガンを倒して」
フェイトブレーカーは懇願するように言う。
「ルーシーは一度モルガンに負けた。この世界の主人公が倒せなかったのだから、十騎衆やランディール騎士団が勝てるとは思えない。あなただけが唯一の希望よ」
外から声が聞こえてくる。
「助けてくれ、スノウドロップ!」
「私達を守って、スノウドロップ!」
「早く来てくれ、スノウドロップ!」
助けを呼ぶ声だ。
「みんなあなたを必要としているわ。 戦ってスノウドロップ。この国の平和を守るために」
「ええ、もちろんよ」
「それとこれを」
フェイトブレーカーが差し出したのはスマート・アーティファクトと手紙だった。
スノウドロップはスマート・アーティファクトを装着して手紙を読む。
その手紙はスティーブンからのものだった。
『この手紙を読んでいるという事は、君が目覚める前に事態は収拾されなかったのだろう。ルーシーが君のスマート・アーティファクトを改良した。防御の魔法と回復の魔法を同時発動し、対象範囲を心臓と肺に限定する事で効果を高めている。これならば活性心肺法のレベル4でも耐えられる。
スノウドロップ、俺がこの改良に反対しなかったのは、これが君の助けになると思ったからだ。自分の命を守るために使ってほしい』
読み終えた手紙を丁寧に折りたたみ、懐にしまった。胸が温かく感じるのは気の所為ではないだろう。
(ありがとう、スティーブン。でも、ごめんなさい。私は自分の幸せよりも、平和がほしい)
活性心肺法を発動させ、スノウドロップは窓から外へ飛び出す。
テンポラリー宮殿へと向かう途中、怪人を倒して人々を守った。
「ありがとう、スノウドロップ!」
人々がおくる感謝の言葉。ただそれだけでスノウドロップは報われた。
たどり着いたテンポラリー宮殿は墓場のように静まり返っていた。
彼女は謁見の前へ向かう。
●
スノウドロップがテンポラリー宮殿に入っていくのをフェイトキーパーが見ていた。
(よし。これでスノウドロップはモルガンと戦う)
民衆がスノウドロップを呼ぶのはフェイトキーパーの扇動によるものだった。
モルガンが放った怪人達がいい刺激になってくれたおかげで、扇動はそう難しくはなかった。
(国王暗殺が阻止されたせいで、もう運命は駄目だ)
彼は超自然の感覚で運命の強制力がある一つの事象を除いて衰弱しているのを感知していた。
(俺は負けてしまったが、まだ”完敗”じゃない。せめてお前だけは殺してやる。せいぜいモルガンと戦って消耗するがいいさ)
以前ならば、自分の企みが上手く生きつつあるのを見て、笑みを浮かべただろう。
だが今の彼はそのような余裕はなかった。
これはフェイトキーパー最後の策略だ。
もうあとがない。
●
扉を開ける。その先ではモルガンが尊大な女王のように玉座に座っていた。
「いらっしゃい、スノウドロップ」
スノウドロップは剣を生成して構える。
「あなたを止めに来たわ」
「それはこの街の連中があなたに助けを求めるから? ああいうのにいちいち構ってあげてもキリがないわよ。連中はあなたに終わりのない奉仕を要求する」
「それは今が平和ではないからよ。あなたがその平和を乱している」
「確かにその通りよ」
モルガンは悪びれる様子もなく認めた。
「でもね、私がいなくなればそれで平和が永遠になる訳じゃないわ。平和を脅かすものはあちこちにある。戦争、犯罪、あるいは天変地異。あなたがどれだけ頑張っても、次から次へと問題の種は生まれるわ。あなたは死ぬまでそれを消し続けるつもり?」
「ええ、そうよ。この命がある限り、私は正義に味方する」
モルガンが突然立ち上がる。
「あなたがどれだけ正義を愛しても! 正義はあなたを愛したりしない!」
彼女は声を荒らげた。
「アーサーはあなたと同じくらい正義を愛していたけど、仲間と妻と息子に裏切られて死んだわ! スノウドロップ、あの時と同じことをもう一度言うわ。正義の味方などやめて私の子になりなさい。私だけがあなたを本当に愛してあげられる。あなたを苦しめる全てを私が滅ぼしてあげるわ」
モルガンが手を差し伸べる。
あの手を取れば彼女は本当に、それこそ母親のように愛してくれるだろうと思った。
前世でスノウドロップはバイオテクノロジーから生まれた。今の人生での母は無属性魔力の娘を蔑んで愛さなくなった。
今の彼女に、真の母と呼べる女性はいない。
だが……
「あなたの愛を受け取るために、今まで私を愛してくれた人達に背を向ける訳にはいかない」
モルガンが失望の表情を浮かべる。彼女は差し伸べていた手を握って拳を作る。
「あなたの考えが変わらないと薄々わかっていたわ。正義の味方はみんな自分から不幸になろうとする」
モルガンの魔力が高まる。彼女は闇の魔法を自分に使った。
「変身率100%。この姿が私の全力よ」
その変身は意外なほど外見の変化が少なかった。肌が熱した鉄のように赤くなり、体の各所が鎧のように硬質化する。あとは額から角が一本生えている。それだけだ。宮殿に来る途中で倒してきた怪人と比べて、あまりに人らしい姿を残している。
「あまり変化がなくて意外? 私が変身させてあげた怪人連中はあくまで恐怖感を煽るための姿をしているわ。戦うことを突き詰めればこれが一番ちょうど良いのよ」
暴力に最適化された人体がそこにあった。
モルガンが構えた。それだけでスノウドロップは彼女が達人だとわかった。おそらく強行の暗殺者以上の実力者だろう。
「だからスノウドロップ、あなたが正義の味方をやめないのなら私が殺す。大衆に利用されたあげく、惨めに捨てられるくらいなら……」
モルガンが動く。
「私の腕の中で死ぬ方が幸せよ!」
スノウドロップは始めからレベル4の活性心肺法を発動させた。
感覚が強化され、時間の流れが遅く感じる。
モルガンは一瞬で間合いを詰め、右ストレートを放つ。スノウドロップはわずかに横移動して攻撃を避けつつ、カウンターで刺突を繰り出した。
オリハルコンの剣が相手の胸を……貫かなかった。刃の切っ先は硬化した外皮に弾かれてしまう。
モルガンが胸ぐらと袖を掴み、背負うように投げ飛ばす。
スノウドロップは背中から硬い大理石の床に叩きつけられる。活性心肺法の肉体強化とオリハルコン製のプロテクター、それに受け身をとってようやくダメージを軽減できた。
モルガンが頭を踏み潰そうとしてきたので、素早く転がって回避した。踏みつけ攻撃はそのまま床の大理石を砕く。
スノウドロップは起き上がりつつ、ナイフを生成して牽制のために投擲する。防御か回避のために敵の動きが一瞬でも止まればと思ったが、しかしモルガンはナイフを指で受け止めて即座に投げ返してきた。
とっさに剣で投げ返されたナイフを弾く。モルガンが前方へ跳躍したのはそれと同時だった。
「シャァ!」
モルガンが空中回し蹴りを放つ。
剣で防御する。ふっとばされそうになるのを、踏ん張った。
敵が着地する瞬間を狙って反撃する。狙うのなら可動のために硬質化していない関節だ。
モルガンは背中から倒れるように避けた。剣は彼女の首の薄皮をひっかくだけに終わる。
スノウドロップは仰向けになったモルガンに剣を振り下ろそうとした。
だがその前に敵は素早く跳ね起き、スノウドロップの顔に拳を叩き込んだ。
衝撃で仮面の一部が砕ける。
次の攻撃が来た。スノウドロップは紙一重で打撃を回避し、膝を斬った。
「うぐっ」
モルガンが顔を苦痛にゆがませる。だが傷は浅い。あと一歩、踏み込みが足りなかった。
「モルガン!」
負傷を与えた今が好機だ。スノウドロップは追撃する。
嵐のような連続攻撃をモルガンはことごとく防御する。だが反撃はない。傷の影響は間違いなくあった。
その時、防御を続ける敵の姿勢が崩れた。傷の痛みによるものかもしれない。決定的な一撃を与えるチャンスとみたスノウドロップは大上段から剣を振り下ろす。
だが、モルガンが剣を白刃取りで受け止めた。
「しまった!」
「引っかかったわね!」
彼女が姿勢を崩したのは意図してのものだった。
モルガンはスノウドロップの剣をへし折る。すかさず拳を繰り出した。
スノウドロップは腹に打撃を受けてしまった。オリハルコンで作ったプロテクター越しですら凄まじい衝撃に襲われる。
「死になさい、スノウドロップ!」
モルガンが首の切断を狙った手刀を繰り出す。その時の彼女の顔にわずかなためらいがあった。
彼女の殺気は本物だ。しかしそれは心から自然に出たものではなく、気力で無理やり引き出したものだった。
そのわずかな差が、スノウドロップに回避の余地を与えた。
モルガンの爪が首を浅く斬る。刹那でも回避が遅れていたら、首を持っていかれていただろう。
「ちっ」
モルガンが舌打ちする。自分の中に残っている情けが技をわずかに鈍らせたと自覚したのだろう。
スノウドロップは折れた剣を捨てて新しいのを生成する。
●
テンポラリー宮殿襲撃の報を受けた十騎衆とランディール騎士団はすぐさまロンドンへと帰還する事になった。
しかしハドリアヌスラインからロンドンまでは鉄道でも数時間はかかる。そこで彼らはスマート・アーティファクトに登録されていた風の魔法:飛行の型を使う事にした。
十騎衆とランディール騎士団は音速に迫る速度でロンドンを目指していた。皆、ロンドン襲撃と国王の暗殺未遂に衝撃を受け、心を乱さぬよう努めていた。
その中で最も自分の心を抑えなければならなかったのはローナンだった。
(スノウドロップ、無事でいてくれ)
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