第14話 悪役令嬢の代役

 スノウドロップが前世の記憶を思いだしてからもう5年も経っていた。

 スティーブンとの訓練を経て、彼女は大きく成長した。

 物質生成はより頑丈な物質を素早く生成出来るようになった。活性心肺法の強化力も前世の全盛期を超えている。


 「君には才能がある。物質生成と活性心肺法をこれだけ上手く使える人は俺の故郷でもそうそういない」


 スティーブンに褒められるとスノウドロップは嬉しかった。嬉しくてますます努力しようという気になる。


「この世界には強化の魔法という身体強化魔法が存在するが、活性心肺法はそれよりもずっと効率的だ」


 強化の魔法はあくまで運動能力のみ強化だが、活性心肺法は五感の精度や免疫力といった人体の能力の殆どを強化する。

 

「スティーブンのお陰で私はかなり強くなれたわ。それで、思ったんだけど、活性心肺法のレベルはもっと上げられるのでは?」

「駄目だ」


 静かだが断固とした態度でスティーブンは言った。彼がこのような厳しい表情を見せるのは始めてだった。


「活性心肺法はレベルを上げれば上げるほどに負担が大きくなる。安全に使えるのはレベル2までだ、それ以上は命を落とす危険がある」 

「でも、スティーブン、運命を変えるためにはリスクを承知で使う必要が来るかもしれないわ」

「君はなぜそこまで死ぬのを恐れていない」

「人の命には代えられないからよ。我が身可愛さに躊躇して、それで多くの人々を死なせるわけには……」

「スノウドロップ!」


 スティーブンが言葉を遮りながら彼女の両肩をつかむ。


「君の命だって、人の命だ!」

 

 スノウドロップの目が驚きで見開かれる。


「スノウドロップ、良いか、よく聞くんだ。俺が協力しているのは命を守るためであって、君を死なせるためじゃない。だから約束してくれ、活性心肺法はレベル2までに留めると」

「……」


 スノウドロップは即答しなかった。そして少し悩んだ後、こう答えた。


「なるべく使わずに済むように立ち回るつもりだけど、使わないとは約束はできないわ。だって、願いがかなった代償を支払う時は必ず来るでしょうから」

「願い?」

「愛されたいという願い。たった一人、ほんの一瞬だけでいい。私は愛されたかった。ロベリアとして生まれ変わったことでマリアお姉様に今でも愛されていているし、スティーブンは私の味方になってくれた。望んだ以上の幸せをもらったのだから、その分はなにかの形で返さないと」

 

 そう言うとスティーブンは悲しげな顔をした。


 

 スティーブンはスノウドロップを守ると決意した。

 まだ人生を始めたばかりの若者を見捨てる訳にはいかない。並行世界調査員の職務ではなく、個人的な使命として彼女に人並みの幸福を与えてあげたいと思った。

 ありもしない代価を支払うために正義に味方するだけの人生など悲惨すぎる。友との語らいや甘酸っぱい恋。そう言った青春を味わってほしかった。

 運命を変える戦いでスノウドロップが無事に生き残れるようにする。どんな些細な危険もスティーブンは排除するつもりだった。


 そのために彼はロンドンの王立学園へと向かった。最高学府であるこの学校には知識の収集庫としての役割もあり、国内最大級の図書館が併設されている。

 その図書館の地下には禁書庫がある。そこに納められている書物の殆どは、危険な知識や技術を記したものだが、中には政治的にシルバーソード家が好ましくないと判断したものもある。


 アーサー王の姉にして最大の宿敵であるモルガンの日記もその一つだ。

 この日記は〈光の継承者〉で極めて重要なアイテムとして登場する。これは持ち主の魂をコピーして保管する日記型アーティファクトなのだ。

 モルガンの死後、彼女の日記はそれがアーティファクトと知られないまま、王立学園禁書庫に眠り続けることになる。

 

 小説ではランディールが用意した護衛に殺されかけたロベリアが、身を守る手段を探すために学園の禁書庫に忍び込んでモルガンの日記を発見する。

 日記に保管されていた魂はロベリアの体に憑依する。それにより彼女はモルガンと同じ闇の魔法を使えるようになるのだ。

 スティーブンは日記を破壊するために禁書庫に潜入した。


(小説の描写通りなら、モルガンの魂は相性の良い依代でなければ憑依できないし、依代の体を自由に操れない)


 小説ではロベリアに憑依したモルガンは、あくまで闇属性魔力を貸したり、助言するだけの存在だった。


(依代になれるのはロベリアだけだ。そのロベリアも、今はスノウドロップになった以上、言いなりにはならない。モルガンはもう、この世界に対して何もできない。けど、やっぱり不安だ)

 

 少しでもスノウドロップにとって害となる存在があるのなら、その脅威が考慮に値しないほど小さくとも排除したかった。

 スティーブンは円卓王国の国内を迅速に移動できるよう、各地に瞬間移動装置を設置している。そのうちの一つは王立学園にあった。

 設置した瞬間移動装置を早速つかって、ダーリントンの隠れ家からロンドンの王立学園へと向かう。

 学園内は深夜でも警備兵の巡回はある。


 スティーブンは複数の属性の魔法を使えるが、潜入向けの魔法は苦手としていた。

 だがそれを補うツールを彼は持っている。

 それはHi-SADハイ・サッドだ。彼の世界にて並行世界調査機関とベン&リッキー社が共同開発したこのスマートフォン型デバイスには、調査員を補佐する超科学アプリがインストールされている。

 動体検知アプリで警備の動きを把握しつつ、光学迷彩アプリで姿を消す。

 おかげで誰にも見つからずに学園内図書館の地下にある禁書庫の扉前までたどり着いた。

 

 扉は魔法を利用して作ったと思われる頑丈な合金製だ。

 もちろん鍵はかかっており、複雑な構造をしているので単純なピッキングツールでは解除不可能だが、スティーブンの基準からすれば十分とは言い難い。

 彼は運動エネルギーを操作する念動の魔法を発動させる。錠の内部部品を操作して鍵を使わずに扉を開けた。

 

 スティーブンはHi-SADハイ・サッドに電子書籍版の〈光の継承者〉を表示させる。少し前にスノウドロップの前世世界に行って購入しておいたのだ。

 小説の記述を確認しながらモルガンの日記が保管されている本棚へと向かう。


「くそ」

 

 本棚に1冊だけ抜けがある部分を見ながらスティーブンは悪態をついた。小説の通りならばここにモルガンの日記があるはずだった。

 〈光の継承者〉が現実化する際に何らかの誤差が生じたかと思って、他に場所も探してみたが日記はどこにもなかった。

 何者かによって持ち出されたのは明白だ。そして、それはフェイトキーパーに違いない。



「私の器にふさわしい者が現れるのを待っていたのが馬鹿馬鹿しくなったわ」

「なにもわざわざ相性の良い依代を探す必要は無い。最初から作ってしまえば良い」


 フェイトキーパーの前には妖しい美しさをたたえた女がいた。

 魔物の母、漆黒の女王、闇の魔女といった異名で呼ばれる彼女は妖妃モルガンだ。


「モルガン、体の具合はどうだ?」

「見事ね。どうやって私の全盛期の体を作ったのかしら?」

「古代文明には人間の肉体を複製する技術があった。〈闇の信奉者〉がお前の遺髪を持ってたから、それを素材に複製を作った」

「〈闇の信奉者〉?」

「お前の信者だよ。最初は小さな集団だったが、巨大化した今は結構細かく派閥が分かれていて、身内同士で争ってるときもある」

「馬鹿なの?」


 モルガンはあきれたように言った。


お前の弟アーサー王だって部下や息子と身内争いしただろ。集団が大きくなるとそうなるものさ」

「まあ、そうだけど」

「それに、連中そう悪いく言うもんじゃないぞ」


 フェイトブレーカーは「ほら」とモルガンに旗を渡した。


「あら、〈獣の軍旗〉じゃない。よく残っていたわね」


 モルガンは軍旗型のアーティファクトを懐かしげに見つめる。

 

「モードレッド会という〈闇の信奉者〉の派閥が管理していた。連中は〈獣の軍旗〉を使って魔物を操り、王国を攻撃しようとしたんだが起動できなかった」

「でしょうね。これって燃費が馬鹿みたいに悪いから、常人の魔力量じゃ全然使いこなせないもの」

「そういうわけで、宝の持ち腐れだから譲ってもらった」


 もちろんよこせと言って素直によこすようなテログループなどいない。こういう時のために多数の戦闘用アーティファクトを収集していたフェイトキーパーは、モードレッド会の構成員を皆殺しにして奪ってきた。

 それを察しているのか、モルガンは嗜虐的な笑みを浮かべた。


「ところでそっちの男は? 私のための騎士という訳じゃなさそうね」


 モルガンの視線の先には強攻の暗殺者がいた。スノウドロップに切断された腕は元通りになってる。

 

「騎士じゃない暗殺者だ」


 強攻の暗殺者は感情の起伏がない声を出した。アーサー王伝説に登場するモルガンその人が目の前にいても、興味を示さなかった。

 モルガンも「あらそう」とすぐに暗殺者への興味を失う。


「それで私はどうすれば良いのかしら? アーサーと同じ属性を持つルーシーを殺せばいいの?」

「待ってくれ。それはまだ都合が悪い」

「私が負けるかもしれないと? 自分の属性をろくに理解していない小娘に?」


 フェイトキーパーはモルガンからかすかな殺気を感じ取った。


「別に負けると思ってないさ。あんたは隠し玉だ。”ここぞ”というときに出てもらう」

「ここぞ、ねえ。まあ復活させてもらった義理があるから、素直に従ってあげる」

「悪いな」

「でも、私にも我慢の限界というものがあるわ。それを超えたら、好きにさせてもらうわよ」

「わかってる」

 

 モルガンは大事な悪役令嬢の代役だ。運命を守るために、フェイトキーパーはモルガンとうまく付き合っていかなければならない。


「そういえば」


 モルガンは思い出したように言う。


「スノウドロップだったかしら? あなたの敵みたいだけど、どういう子なの?」

「正義の味方だよ。アイツのせいで俺はいろいろ妥協を強いられた」

「ふぅん。スノウドロップ、ね」


 モルガンは興味がなさそうに見えて、明らかにスノウドロップを意識している。


「ちょっと外の空気を吸ってくるわ。何百年もかび臭い書庫にいたせいか、お日様の光を浴びたいのよ。新しい体の慣らしもしたいし」


 そう言ってモルガンは鼻歌交じりに出ていった。

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