第13話 魔力工学者エヴァンズ夫人

 ロベリアとの出会いから、ルーシーは今まで以上の情熱をもって勉学に励んだ。

 それを見たマリアも、魔力工学の入門書だけでなく最新の論文も持ってきてくれた。

 日を追うごとに知識が増していく。自分のことながら真綿が水を吸うという言葉を彼女はこれほど実感したことはない。

 王立学園の入学は9月からだが、ルーシーはマリアと共にひと足早くロンドンへ向かうことになった。

 

「ルーシー、あなたには来週に開かれる夜会に出席してもらいます。本当はもっと後の予定でしたが、礼儀作法を覚えたのなら、社交は早い方が良いとお父様と王家の判断です」

「たくさんの貴族とお話しする必要があるのですね」

「大丈夫、安心してください。あなたの礼儀作法は私から見てもちゃんとしています。それに不安になることばかりではありません、夜会にはエメリー・エヴァンズ夫人も参加されます」

「本当ですか!? 王国に魔力工学革命をもたらしたあの人が!?」


 その名を聞いて、つい大声を上げてしまった。


「あ、し、失礼しました」

「ふふふ、良いですよ。きっとあなたにとって今一番会いたい人でしょうから」


 赤面するルーシーをマリアは愛くるしいものを見るような目を向ける。


「エヴァンズ夫人もあなたに会いたいとおっしゃっていました。あなたの魔力工学に対する情熱が本物ならば、それを応援していただけるそうです」

「ありがとうございます、マリア様」


 その翌日、二人は列車に乗ってロンドンへと出発した。

 ただ夜会に出ると言っても、調達すべき物、準備すべき事柄はたくさんある。それらを事前に済ませるためだ。

 ロンドンの別邸に到着しても、長時間列車に揺られた疲れを癒やすまもなく準備に取りかからなければならなかった。

 着ていくドレスの採寸を図ったり、参加者達の名前や経歴を暗記したりと、いろいろしているうちにあっと言うまに夜会当日となった。


「これが、私? 少し着飾りすぎているような」


 鏡に映る自分を見たルーシーはありきたりな言葉を口にした。複雑な語彙を忘れてしまうほどに、美しく着飾られた自分に衝撃を受けたのだ。


「この程度、社交界では必要最低限のマナーです。むしろ謙虚さを演出しているくらいです」

 

 その最低限ですら平民にとって途方もない金が掛かっているのは明らかだった。


「うん、大丈夫ですね。ルーシーは立派なレディです」


 会場への足は魔力機関式の自動車を使う。

 自動車は貴族や平民の富裕層の間でステイタスとして普及していた。

 車中にてマリアはルーシーのエスコートについて話した。

 

「社交界において女性はエスコートが必要になります。今回のあなたの相手は私の友人に頼みました」

「どんな方でしょうか?」

「私からあれこれ言って先入観を与えるのも良くないので、出会ってからのお楽しみです」


 マリアはそれ以上は説明せず、少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。

会場はきらびやかにライトアップされていた。昔は弱めた炎属性の魔法が明かりとして使われていたが、魔力工学革命を経た今は、電気の光が輝いている。

  自動車から降りると目が覚めるような美男子が会場の入り口で待っていた。


「まってたよ私の愛しき人」


 ランディールだ。


「手をどうぞ」

「はい、ランディール様」

 

 王子の手を取って車から降りるマリアの姿は完璧だった。まるで美しい絵画がそのまま形になったのようにすら思える。

 お似合いの二人。陳腐な言葉しか出てこなかったが、ルーシーは他にふさわしい表現が見つからない。

 これを見てしまったら王子様に憧れる円卓王国の乙女は自分の甘い幻想を捨て、現実と向き合わざる得ないだろう。

  

「マリア様、その子が今日のボクのお姫様ですね?」

「ええ。彼女がルーシー・アークライトです」


 鈴を転がすような声にルーシーはハッと我に返る。

 中性的な顔立ちの少年、いや、よく見ると男装した少女がいた。


「ボクはエマ。今日の君のエスコート役だよ」

「あ、はい。よろしくお願いいたします」


 戸惑いながらもルーシーはエマの手を取って車を降りる。


「あの、女性の方ですよね」

「そうだよ。男だとルーシーがどこそこの家に嫁ぐんだって、深読みする人が出ちゃうからね」

「貴族の女性ならもう婚約者がいたりするのでは?」

「いるよ。なかなか器の大きな男だから、ボクが女の子をエスコートしたくらいじゃ気にしないさ」


 マリアとランディールはもう会場へと向かっている。ルーシー達も後に続いた。


「エスコート役をしていただくのはありがたいのですが、エマ様は……」

「様は付けなくて良いよ。ボク、元々は平民だし」


 本人は良いと言ってもさすがに呼び捨てるのははばかれるので、ルーシーは遠慮がちに「ではエマさん」と言った。


「女同士で不愉快ではないのですか?」

「別に? 平民時代はちょっと治安の悪いところで暮らしててさ、危険を避けるために男の子のふりをしてたんだ。そのせいか感性が女と男の中間くらいになっているんだ」


 エマの言葉にルーシーは少しほっとした。貴族の男性と腕を組んであるくなんて自分にはまだまだ壁が高すぎると思っていた。元平民の女性なら少しは気が楽だった。


「それにしても平民から貴族になるなんて凄いですね」

「好きなことをやってたら、たまたま貴族の目について評価されて、養子にしてもらっただけ」

「どんな方がエマさんを見つけたのですか?」

「それは……おっと会場に着いたよ」


 先に会場入りしていた者達が一斉にルーシーに視線を向ける。


「大丈夫だよ」


 エマがそっとささやく。少しだけ安心できた。

 ルーシーは参加者達に挨拶する。


「ルーシー・アークライトと申します。よろしくお願いいたします」


 若干声がうわずっていたが、一応は挨拶が出来た。


「ようこそルーシー。私がこの夜会の主催者、エメリー・エヴァンズよ」


 エヴァンズ夫人の目は技術の進歩に情熱を注ぐ者のそれだ。ルーシーはその目をどこかで数え切れないほど見てきたような気がする。

 どこかで見たのだろうかと考えるが、自分の記憶に強固な扉が現れるのを感じた。

 今は余計なことは考えてはいられないので、すぐに意識しなくなった。


「お会い出来て光栄です、エヴァンズ夫人」

「私もよ。光属性の持ち主が魔力工学に興味を持ってくれて嬉しいわ」

「5年前にエヴァンズ夫人が発表された魔力機関の論文を読みました。それで、お会い出来たら質問したいことがありまして」


 エヴァンズ夫人の顔が社交界の夫人ではなく研究者となった。

 

「何かしら。なんでも聞いて」

「その論文では今後の課題として、廃熱問題がでてくるとありました。その対策について最新のお考えをお聞かせください」

「冷却装置の開発を進めているわ。ただ、小型化が難しいところね」

「複数の低出力小型魔力機関を使うのはどうでしょうか? そうすれば一つ一つの発熱は小さくなり、外気を取り込むだけで冷却が済みます」


 社交の場が、一転して技術的議論の場となる。

  

「将来的な技術進歩も考えると、小型化された冷却装置の開発を諦めるわけには行かないわ。くわえて魔力工学研究所の所長としては、魔力機関の性能をどんどん向上させないと、上から成果として認めてもらえず、予算を削減されてしまうもの」

「政治的な問題、ですか」

「そういうこと。でも、あなたの意見は考慮に値するわ。技術が成熟すれば次に考えるべきなのは、コストダウンよ。あなたのアイデアはいずれ必要とされるのは間違いない。学園に入学したら、その時にそなえて研究しておくのも良いわね」


 このままではいつまで経っても他のものが会話に参加出来ないので、見かねたランディールが口を挟む。


「エヴァンズ夫人、技術的な話題はまたの機会に」

「大変、失礼しました。皆様、これより夜会を始めたいと思います。どうかお楽しみください」


 社交の空気が戻ってきて、取り残されていた他の者達は安堵する。

 夜会には料理や飲み物が用意されていたが、ルーシーがそれを口にする暇はなかった。参加者全員と挨拶しなければならないからだ。

 挨拶の後はダンスの時間だ。


「お相手、お願い出来るかな?」


 ダンスは複数の相手と踊るが、最初の相手はエスコート役が務めるのが慣例だ。上品な音楽が流れる中、ルーシーとエマが踊る。

 エマはダンスが上手く、覚えたてのルーシーを巧みにリードしてくれた。


「それにしてもお義母様とあんなに話せるなんてすごいね。まだ魔力工学を勉強して間もないんだろう?」

「お義母様ということは、エヴァンズ夫人はエマさんの?」

「そ、ボクを養子にしてくれた人。ガラクタ置き場に捨てられた魔力工学の機械を直したり改造したりして、それを売って生計を立ててたら、いつの間にか後継者にって拾われたんだ」

「そうだったのですね」

「君が魔力工学を学ぶのはボクも賛成だ。前々から競い合うライバルが欲しかったんだ」


 エマの瞳の奥に、情熱的な光が宿る。


「そんなライバルだなんて」

「君はボクと同じ天才だ。そういう気配を感じる。だから君が入学する日を楽しみにしているよ」


 エマとのダンスの後、男達がこぞってダンスの相手を申し込んでくる。

 ダンス中は誰にも邪魔されずに会話出来るチャンスでもある。大抵の相手が、自分がいかに有望で光属性の持ち主のパートナーにふさわしいか自信ありげに語る。

 ルーシーは相手を不愉快にさせないよう注意しつつ、貴族流のナンパを捌いていく。


 貴族だけあって彼らは顔の良い男であったが、ルーシーの心をときめかせることはなかった。彼らとの縁がどれほどの利益を生み出そうとも、しかし自分にとって真の味方になりうるとは思えなかったのだ。

 下手に関われば魔力工学の道を進むのに足を引っ張られかねない。


 目的を果たすための根回しや人脈の獲得の場が社交界であるというのはルーシーも十分理解している。

 だから彼女は自分にとって本当に必要な将来のコネを得るために動いた。

 今回の夜会には所長であるエヴァンズ夫人以外にも、魔力工学研究所の研究員が出席している。

 

 ルーシーは彼らと積極的に会話するよう心がけた。ここでしっかりと顔をつないでおけば、魔力工学の道に進む上で役に立つだろう。

 研究員達は光属性保有者が自分達の研究分野に関心を持つだけでなく、意外と鋭い質問をしてくるのを喜んだ。


「ルーシー、今日の夜会は大変有意義だったわ。あなたが魔力工学の世界にやってくるのを楽しみにしてるわ」

「私も同じ気持ちです、エヴァンズ夫人。本日はありがとうございました」


 こうしてルーシーにとって最初の社交は終わった。始まる前は不安でいっぱいだったが、いざ終わってみると名残惜しくなるほど充実した時間だった。

 その後彼女の元には、夜会に参加した貴族達からの贈り物が届けられた。大抵はアクセサリーや化粧品だが、中には魔力工学の最新の研究論文も含まれていた。研究員達が自分の論文を贈ったのだ。

 ルーシーにとって論文が最も嬉しかったのは言うまでもない。



 円卓王国の現国王、ベディヴィア13世はエヴァンズ夫人の訪問を受けていた。


「ルーシー・アークライトはどうだった?」

「魔力工学の学び始めとは思えないほどの知識を持ってるわ。アイデアのセンスも悪くない。エマと同じく、間違いなく私以上の人材になるわよ」


 ここは国王の執務室で二人以外に人はいない。こういう時、王立学園の学友同士だった二人の会話はくだけたものになる。


「あの子のカリキュラムは魔力工学を優先した方が良いわよ。絶対に」

「魔力工学か……」


 国王は渋面を作って腕を組む。


「ねえリチャード」


 エヴァンズ夫人が国王の王子時代の名前で呼ぶ。


「もろもろの都合があるのは分かるけど、脳みそにカビを生やした連中の反感を買ってでも魔力工学の人材を育てないと不味いわよ」

「分かっている。円卓王国がエウロペ帝国の支配を受けず、ヨーロッパで独立を維持出来ているのは魔力工学のおかげだからな」

「だったらその重い腰を上げて行動なさい。エリザベスがまだ生きていたら、とっくにあなたの尻をひっぱたいていたわよ」

「エリザベスか。彼女は本当に私の良き妻だったよ」


 王妃はランディールが3歳の頃に病で命を落としている。

 エリザベスは気が強く、必要ならば国王相手でも臆せずにずばりと意見を言う女傑だった。


「彼女がいなくなって十数年。私はすっかり弱くなった」

「今の言葉、聞かなかったことにするわ。まさか他の人には言ってないでしょうね?」

「さすがにそこまでじゃない」


 エヴァンズ夫人は「だったらいんだけど」と厳しい目を向ける。

 

「次の王は私よりも強く優れていなければならない。そのためにカーティスとクリフォードを競わせている。あるいは……」

「あるいは?」

「エクスカリバーの継承者が現れたら、その者に国を返す」

「真の王が現れるまで国を守る。それがあなた達シルバーソード家の使命ですものね。泉の乙女が現れてルーシーにエクスカリバーを授けたら、彼女を女王にするつもり?」

「アーサーもそれで円卓王国の王になった。この国の王権は血統ではなくエクスカリバーの継承にある」


 何百年も国を守り続けた実績があるのだから、エクスカリバーがなくともシルバーソード家は王家にふさわしいとする声もある。

 だがシルバーソード家はあくまで代理王としての立場にこだわった。

 

「だからといって右も左も分からない女の子に責任を押しつけちゃだめよ」

「もちろんそれは分かっている。いくらエクスカリバーの継承者が現れたからといって、その者へ国政を丸投げしたりしない。ちゃんと上手い着地点を見つけるさ」

「しっかりしなさいよ、王様」

「私は真の王の代理人だよ」


 二人のこの会合の後、ルーシーの王立学園におけるカリキュラムが決定した。魔法の扱いや剣術の他、全体の7割が魔力工学の授業だった。

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