第10話 ルーシーの前世

 どこへ行けばいいとスティーブンに尋ねられたので、ダーリントンと伝える。

 スノウドロップは彼のたくましい腕で抱えられている。

 ハンサムな男にそうされていれば、心をときめかせる乙女は決して少なくないだろう。だが男の色気を感じるような情緒を育む機会がなかったスノウドロップにとっては、ただ他人に運搬されているという無味乾燥な実感しかない。


「スノウドロップ、俺はこの世界の人間じゃないといったら信じるか?」

「信じるわ」

 

 スティーブンの告白に驚きはない。むしろ、やはりという納得すらあった。別の世界からやってきたというのなら、彼の全てが説明できる。

 

「俺は並行世界調査機関というところに所属している。つい最近、調査のためにこの世界にやってきた。そして、ここが〈光の継承者〉とよばれる小説が現実化した並行世界だと知っている」


 スティーブンはスノウドロップを見る。


「君も〈光の継承者〉を知っているな。おそらく、運命を変えようとするフェイトブレーカーによって転生させられたんだろう? 創作物が現実化した並行世界では必ずフェイトブレーカーが生まれる」


 スノウドロップは「そのとおりよ」と答える。


「並行世界調査機関は2年後に発生する内戦を阻止したいと考えている。もし君の目的が同じなら、俺は君を手助けするつもりだ」

 

 即答できなかった。理性では協力者がいればそれだけ運命を回避する可能性が高まる。しかし、スノウドロップは誰かに助けを求められたことはあっても、自分が助けを求めたことはなかった。

 前世の彼女は悪の科学者が生み出した人造人間だ。助けを求めるのは決して許されなかった。


「私だけの判断では決められないわ。フェイトブレーカーにも相談しないと」

「それで構わない。結局のところ俺はおせっかい者に過ぎないからな」


 助けて。

 たったその一言が言えずに、決断から逃げてしまった自分をスノウドロップは恥じた。



 一日とはこんなにも短いものだったのかと、ルーシーは思った。信じられないような出来事が立て続けに起きて、気がつけばもう夜だ。

 今日の体験に気持ちの整理がつかず、夜の村を一人散歩していた。

 朝に目覚めた時は、こんなことになると想像していなかった。


 この日、ルーシーは朝から村外れの川で釣りをして過ごしていた。収穫祭を楽しむ気にはなれなかった。

 15歳になってもいまだ魔力に覚醒せず、魔法が使えなかった彼女は孤立していた。賑やかなお祭りの中で惨めに孤独を感じたくなかったのだ。

 釣りを始めてしばらくしていると、空から恐ろしい咆哮が轟いた。


 ドラゴンだった。この世界に間違いなく実在していると知っているが、自分の人生とは無縁だと思っていた存在が現れたのだ。

 ルーシーは釣り道具をその場に置き去りにして村へと走り出した。両親が心配だったのだ。魔力に覚醒せず魔法が扱えない自分が行ったところで、他人に余計な手間を掛けさせるだけだと分かっていたが、それでも走った。


 彼女の中にある何かが、走れと命じたのだ。

 逃げ出そうとする村人たちの流れに逆らいながら、自分の家へと向かう。

 走りながらふと、妙に被害が少ないことに気がつく。

 その理由はすぐわかった。誰かがドラゴンから村を守っているのだ。

 その者は仮面をつけているので顔はわからないが、体格から察するに自分とさほど歳は変わらないとルーシーはわかった。

 

 仮面の人は恐ろしい怪物を相手にしているのに、少しも怯むことなく戦っていた。まるでアーサー王のようだった。

 しかし彼女はドラゴンの手痛い攻撃を受けてしまう。致命傷ではないが、戦いの素人であるルーシーですらわかるほど追い詰められる。

 ドラゴンが構えを作る。


「スノウドロップ、お前を倒すのにはこの技が必要だ」

 

 おそらく仮面の人の名前だろう。それを耳にしたルーシーは、雷に打たれたような衝撃を感じた。

 助けなければならないと思った。スノウドロップを。なぜそう思ったのかルーシーは分からなかった。


(早く! 早く! 早く! あの人を助けるのよ!)


 自分の中にいる、自分でない誰かが悲痛な叫び声を上げている。


「覚悟!」


 ドラゴンが攻撃を繰り出そうとした瞬間、ルーシーは無我夢中で手を伸ばした。


「駄目ーっ!」


 彼女の手から目がくらみそうな真っ白で力強い光が放たれた。魔法を使ったのだと本能的に分かった。

 予想外の攻撃を受けたドラゴンは一瞬だけ無防備となり、そこをスノウドロップが槍で突いて倒した。

 エルフの男が現れる。おそらくスノウドロップの仲間なのだろう。風の魔法が使えるのか、男は彼女を抱えると空へ飛び上がった。

 ルーシーは姿が見えなくなるまで目が離せなかった。


 それからしばらくして、ドラゴン出没の知らせを受けた騎士や兵士たちが村にやってきた。

 当然、誰がドラゴンを倒したのかという事になったので、当事者であるルーシーは自分の見たことをそのまま伝え、実際に魔法を使ってみせたりもした。

 すると、ある意味ドラゴンの襲撃以上の驚きが駆け巡った。


 騎士の中に魔法に詳しいものがいた。その人によればルーシーの魔力は光属性だったのだ。それは歴史上、アーサー王以外では確認されなかった希少属性だった。

 まさかと思った。だが、騎士が語るアーサー王の魔法に関する情報を聞けば、たしかに自分が使ったのは光の魔法であることに間違いなかった。


 父と母は娘がこの世で最も素晴らしい才能を持っていた事に喜び、泣いた。

 いい年して未だに魔法が使えないとルーシーを蔑んできた者たちは、手のひらを返して笑みを浮かべる。

 やってきた騎士や兵士は、敬意と尊敬の目を向けてくる。

 人生のなにもかもがこの日を境に変わった。しかし当のルーシー本人は喜びとか驚きとか、そういう心の大きな動きを全く感じなかった。


 今日の出来事を思い返しながら歩いていたら、いつの間にか広場に来ていた。

 既にドラゴンの死骸は兵士達が回収しており、戦いの痕跡が残るのみだ。

 ルーシーは自分のこれからを考える。

 村に来た部隊のリーダーからその上司へ、その上司から領主のクルーシブル卿へ、次に宮殿へと、順番に報告されていく。


 国王はルーシーの才能を鍛えるため、彼女をロンドンの王立学園の入学させるに違いない。

 とはいえ、上流階級の少年少女が通う学校だ。入学前の準備としてクルーシブル家に預けられ、そこで礼儀作法を始めとした基本を学ぶことになるだろう。

 ルーシーはふと自分の思考に違和感を覚えた。今考えていた「自分の今後」は想像力を働かせた結果では無い。

 その通りになるという奇妙な確信がある。


 だがそんなことに違和感を持つよりもっと気がかりなことがあった。

 スノウドロップ。その名前が頭から離れない。それに比べたら、ドラゴンの襲撃や自分が光属性に覚醒したことなど全て些事のようにすら感じている。


 彼女はかすかな頭痛を感じた。自分の内側から何かが飛び出そうとしているが、扉が上手く開かずに突っかかっているような感じだった。

 何かを忘れている気がした。絶対に忘れてはいけない何かを。

 その時、ルーシーは自分の中で何かが開かれたのを感じた。扉を堅く封じていた鎖が砕け散ったような感覚だ。


「思い出した。そうだ、私には前世がある。私は赤木雷鳥、スタールビー。ここは前世で読んだことがある〈光の継承者〉の世界! スノウドロップも転生したのなら、今度こそあの人を助け」


 そこでルーシーの意識は唐突に途絶えた。

 彼女の背後にはフェイトキーパーがいた。手には鍵のような形をした杖が握られている。


「ふう。間一髪だったな」

「フェイトキーパー!」


 聞き慣れた声がする方を見るとフェイトブレーカーがいた。


「こいつの前世の記憶は〈記憶鍵の杖〉で封じた。完全ではないが、少なくとも運命については思い出せないだろうよ」


 フェイトキーパーは会心の笑みを浮かべる。

 フェイトブレーカーは自分の宿敵を歯がみしながら睨んだ。


「まさか今回の件はルーシーの記憶を封じるための陽動だったの? 運命を変えられたから大丈夫と私を油断させるために」

「その通り。この村の運命に関して、俺はこだわっていない。成功してもいいし、失敗しても良いとな」

「どうやってルーシーが転生者だと気づいたの」


 ルーシーが転生者であると話したのは、スノウドロップが前世の記憶に目覚めた日の作戦会議の時だけだ。その時は周囲に誰もいないと慎重に確認したはずだ。

 おそらく相手は自分の思いもよらぬ方法でルーシーの事を察知した。フェイトブレーカーはそう思った。


「多少の根拠はあるが、ただの勘だ」

「え?」


 あまりの返答に彼女は間の抜けた声を出してしまう。


「俺はお前の立場になって考えてみた。運命を確実に変えるにはどうすれば良いか? 〈光の継承者〉を知ってるやつを悪役令嬢と主人公に転生させれば良い。単なる想像だったけど結構当たってたみたいだな」

「そんな理由で? もし違っていたら、あなたは自分の使命に汚点を一つ作っただけに終わったのよ?」

「もちろん最初は怖かったさ。重要でないとはいえ、運命が変わってしまうのは心が張り裂けるほどの苦痛だ。それでも俺は賭けた。そして賭けに勝ち、もう一人の転生者を封じるのに成功した」


 宿敵が見せた覚悟の前にフェイトブレーカーは密かに敗北に打ちひしがれた。

 直後、一瞬でも相手の勝利を認めてしまった自分を彼女は恥じた。

 汚泥のような屈辱が心にこびりつく。


「フェイトキーパー!」


 叫びながら腰の剣を抜く。


「無駄だ。俺を殺してもルーシーの記憶封印は解除されない」

「あなたを倒す必要があるのは変わりないわ」


 フェイトキーパーはフェイトブレーカーが持つ剣に目を向ける。


「ずいぶんと立派な剣を持っているな。アーティファクトだな? だが俺もお前のに負けないくらい強力なのを持っている。戦えば絶対に相打ちだぞ」

「うう……」


 それを聞いたフェイトブレーカーは悔しそうに剣を下ろす。


「そうだ。それでいい」


 彼は背を向けて立ち去ろうとする。

 フェイトブレーカーは後ろから斬りつけられなかった。いざやろうとしても、彼は間違いなく反撃してくるだろう。

 彼女が出来ることと言えば、気絶したルーシーを家に運ぶことだけだった。

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