第8話 ランディールの善意

 シルバーソード家の祖、ベディヴィア1世は統治者の代理人であるという姿勢を決して崩さなかった。

 そんなベディヴィアの意思を最も象徴するものが、ロンドンにあるテンポラリー宮殿だ。

 アーサー王の城だったキャメロットに自分は住む資格がないとして、ベディヴィアはロンドンに自分の住まいを作った。

 真の王がキャメロット城の玉座に座れば不要となる、一時的テンポラリーな宮殿だ。


 だが王権の根拠であるエクスカリバーの継承者は現れず、シルバーソード家が何代にも渡って代理王を務めるようになった現在、テンポラリー宮殿は一時的であるはずの役目をまだ終えていない。

 

 文官の制服に身を包むフェイトブレーカーは大量の書類を抱えて廊下を早足で歩いていた。

 フェイトブレーカーは戸籍を始めとするいくつかの公文書を偽造し、表向きの身分を手に入れてテンポラリー宮殿で働いている。

 内戦の原因となるカーティスとクリフォードを和解させるには、当事者達に接近せねばならない。


 スノウドロップが最初の悲劇であるマリアの死を阻止したのは数日前の新聞で知った。自分も頑張らなくてはと思った。

 王宮は3つの派閥に分かれている。王位継承を競うカーティス派、クリフォード派の二大派閥。それに対して過度な対立で国益を損ねないよう、二大派閥の緩衝役として動く中立派だ。


 カーティス派やクリフォード派と異なり、中立派は旗印となる人物を持たず、個々がそれぞれの判断で動いている。

 フェイトブレーカーは内戦阻止には中立派の強化が必要だと考えていた。

 そのためには中立派が団結するための旗印が必要だ。

 それに最もふさわしい人物を知っている。ランディールだ。

 兄達の和解を誰よりも願っている彼こそが、中立派のトップにふさわしい。


(中立派のトップになるようランディールを説得したいけど、私は彼に意見を出せるような立場じゃない。もどかしいけど、今は文官の仕事をそつなくこなして出世しないと……)


 宮殿で文官として働いていると、フェイトブレーカーは時間を浪費しているかのような不安を覚える。そのたびに時には遠回りこそが最良の近道になると自分に言い聞かせていた。

 曲がり角を通った直後、人とぶつかっていしまった。抱えていた書類束を落としてします。

 バラバラと白い紙が床に広がってしまう。


「ああ、すみません。つい考え事をしていて」


 ぶつかった相手の顔をみるよりも先に、フェイトブレーカーはすぐにしゃがみ込んで書類を拾い始める。


「いえいえ、お気になさらず。手伝いますよ」

「重ね重ね、本当にすみま……」


 そこでようやく相手の顔を見たフェイトブレーカーは硬直してしまう。


「どうした、フェイトブレーカー。大事な書類なんだろう?」

「フェイトキーパー……どうしてここに」

「内戦が起きるよう、カーティスとクリフォードの対立を煽るには奴らに近づかないと駄目だからな」


 おそらくフェイトキーパーもフェイトブレーカーと同じく、表向きの身分を手に入れてここで勤めているのだろう。

 倒すべき敵が目の前にいる。

 フェイトブレーカーは戦闘力を殆ど持たないとは言え、万が一に備えてアーティファクトをいくつか隠し持っている。

 戦うべきかと考えたのはほんの一瞬だ。その考えはすぐに理性で抑え込まれる。

 まだカーティスとクリフォードは和解させられていない。ここでフェイトキーパーと戦って騒ぎを起こせば、せっかく宮殿に潜入するために費やした1年余りの苦労が水の泡だ。

 フェイトキーパーはそれが分かっているから堂々と姿を見せたのだろう。


「ほらよ」


 差し出された書類をフェイトブレーカーは憮然として受け取る。

 フェイトキーパーが去っていく。その背中をフェイトブレーカーは睨みつけていた。

 運命の是非を巡って、剣も魔法も使わない戦いがテンポラリー宮殿で始まろうとしていた。

  


 強行の暗殺者との戦いから3年後、スノウドロップは15歳になった。

 体の成長に伴い、スノウドロップの戦闘力は前世の全盛期に近づきつつある。

 自警団活動は今でも続けている。人々の目に留まる機会も増え、スノウドロップは謎の英雄として一種の都市伝説となっている。

 スノウドロップはマリアから午後のティータイムに誘われた。ランディールも同席していた。


「ロベリア、一緒にロンドンに行きましょう」


 最初は些細な雑談をしていただけだが、ふとマリアが言い出した。


「9月になれば、私はロンドンの王立学園に入学しないといけない。今まではあなたを守ってこれたけど、これからはそれも難しくなるわ」


小説の第1部の舞台となる王立学園は、前世の世界で例えるなら高校と大学の中間のような存在だ。16歳となった貴族や平民の有力者の子供達はみな通っている。

 

「お姉様は通学のためにロンドンの別邸に移りますものね」


 地方貴族の中には自分の子供を王立学園に通わせるため、ロンドンに下宿代わりの別邸を用意している家がある。クルーシブル家もその一つだ。

 

「あなたをここに一人残すのは不安だわ」


 マリアはにこやかな笑みを浮かべている。きっとロベリアが付いてきてくれると思っているのだろう。


「いいえ、私はここに残ります」


 マリアの目がかすかに驚きで開かれる。


「どうして?」

「ここだけが私の居場所だからです」


 かすかな罪悪感。スノウドロップは嘘をついていた。

 近いうちに、小説の主人公であるルーシー・アークライトの故郷を魔物が襲撃する。それを防ぐためにも今はロンドンには行けない。

 

「私の魔力は無属性です。誰にも知られる事なくひっそりと生きていたいのです」

「差別を心配しているなら、私が守る」


 言葉を差し込んできたのはランディールだった。3年の間に彼は成長していた。まだ若くも一人前の大人になりつつあった。


「信頼できる騎士を君の護衛につけよう。加えて君が来年から学園に通えるよう私から取り計らう。ここ以外の世界を知らずに一生を終えるのはあまりに哀れだ」


 スノウドロップはマリアとランディールを見る。


(お姉様が生存した事で、小説の出来事が少し変わってるわね)

 

 この出来事は小説でもあった事だった。

 小説ではマリアの死後、その妹であるロベリアとランディールの婚約が決まる。シルバーソード王家とクルーシブル家の連携強化にどうしても婚姻を結ぶ必要があったためだ。

 マリアを守れなかったランディールは、その代わりにロベリアを守ろうと自分の目が届く場所に置こうとする。


 〈光の継承者〉を読んでいるスノウドロップは、ランディールの善意が裏目に出る事を知っている。

 ランディールは人徳の人だ。側近や部下達は、心からランディールを慕って忠誠を誓っている。

 しかし、人の悪心をまだ十分に理解していないランディールは、自分に忠誠を誓う者達はみな自分と同じ志を持っていると誤解している。

 

 ランディールがロベリアに付けた護衛は、しばらくは主からの命令を忠実に守っていたが、やがて無属性魔力を持つロベリアはランディールの婚約者にふさわしくないと考えるようになる。

 そしてその護衛は自分が罰せられるのを覚悟で、ロベリアを殺そうとする。そうする事がランディールのためになると心から信じての行動だった。


 小説でマリアが殺された時にクルーシブル卿が発した「ロベリアのほうが死ねば良かった」という暴言。そしてこの殺人未遂事件によって、ロベリアは王国を滅ぼそうと決意してしまうのだ。

 そしてランディールは第2部の終盤でロベリアに殺されてしまう。

 スノウドロップは小説のある場面を思い出す。

 

『ランディール! お前の善意が地獄への道を舗装した! その報いを受けろ!』


 それはロベリアがランディールを殺してしまう瞬間だ。

 ロベリアの握る短剣がランディールの胸を何度も突き刺さり、彼は自分の行いの意味を知って絶望と共に死ぬ。

 スノウドロップはロンドン行きをどう断ろうかと思案する。

 

「ランディール様は信頼できる騎士とおっしゃいました。しかしその信頼とはランディール様と騎士との間で結ばれたもので、私と騎士との間にはなにもありません」

「確かにそうかもしれないが、君の護衛にしようと思ってる騎士は忠義の徒だよ。私の命令には従ってくれる」

「では、もしその騎士の忠義がランディール様の想像と違っていたらどうでしょう」

「え?」


 思いも寄らぬ言葉に、ランディールは思わず声を上げる。

 

「ランディール様のお近くに、無能で生きる価値のない無属性魔力の者がいてはならない。たとえランディール様の命令に背いても、私を殺すのが真の忠義であると考えてもおかしくありません」


 スノウドロップの言葉にランディールは絶句し、顔が青ざめていた。彼はまだ差別を表面的にしか理解していなかったのだ。

 

「ランディール様、私を真に哀れと想うのなら、どうかここにいさせてください。私にとって社会ただ地獄でしかありません。人の心が今よりも進歩するまで、ここが私にとって唯一安全な場所なのです」

「確かに、そうだな。私は考えが足りなかった」

 

 ランディールが悔しそうにつぶやく。


「私は無属性の者に施しを与えれば良いと思っていた。だが、それでは助けられないのだな」

「私は単に多くの人々から愛されないと言うだけです。生活に困窮しているわけでもなければ、暴力を受けているわけでもありません。でも他の無属性の者は違います。その人達を助けてください」

「分かった。父なる神と建国の祖アーサー王に誓う。私は私が持てる限りの力を使って、差別をなくす」


 ランディールの目に力が宿る。彼は一歩、人としての成長を遂げた。

 

「人の心は1年や2年では変わりません。ランディール様がこれから挑戦する事は、100年も200年もの月日が必要でしょう」

「なら私は土を耕す者になろう。私の子が種を植え、私の孫が水をまく。いつか差別のない世界という花が開くまで、私と私に続く者達が差別に立ち向かう」

「私もランディール様と共に立ち向かいます」


 決意で握られたランディールの拳にマリアはそっと手を重ねた。


「お姉様、ランディール様、私はその言葉さえあれば十分に幸せです。どうか安心してください」

「分かったわ。まだ少し心配だけど、もうあなたをロンドンに連れて行くなんて言わないわ」

「ありがとうございます」


 こうしてマリアはロンドンにあるクルーシブル家の別邸へと向かっていった。

 マリアは最後までスノウドロップの事を心配していた。スノウドロップは彼女に心労を掛けてしまって申し訳なく思った。

 それからしばらくして、スノウドロップは〈光の継承者〉の主人公ルーシーが住む村へと向かった。


 村で収穫祭が行われる日、ルーシーの村は魔物の襲撃を受ける。それを阻止するためだ。

 そう、この世界には魔物が存在する。

 この世界で魔力を持つ生物は人だけではない。太古の昔から魔力を持つ生物は存在し、それらは通常の生物とは異なる進化を遂げた。

 多くの場合は王国軍や、誰かの代わりに危険を冒す事で報酬を得る者、すなわち冒険者が魔物を退治しているが、それでも全ての集落が完全に防衛されるというわけではない。

 

 ルーシーが住むのは常駐する軍も冒険者もいない小さな村だ。そんな村にあろうことかドラゴンに襲われるのだ。

 家族を殺され、ルーシーも命の危機に陥ったその時、彼女に中で眠っていた光属性魔力が覚醒し、ドラゴンを倒す。

 こうして〈光の継承者〉の物語は幕を開ける。


 スノウドロップは死者を一人も出さないよう、ドラゴンを倒すつもりだった。

 小説の記述に寄れば、村近くの森には人知れず洞窟がある。その奥には数百年前から休眠期に入っているカ・フレーという名のドラゴンがいる。それが目覚め、休眠後の空腹を満たすために村を襲うのだ。

 ただ、小説では洞窟の場所が描写されていなかった。闇雲に探すよりも、森から出てきた瞬間を狙って待ち伏せしたほうが良いとスノウドロップは判断する。

 目的地へと向かう途中、スノウドロップはフェイトブレーカーとの会話を思い出す。


「実は他にも私が転生させた者がいるの。スタールビーというヒーローを主人公のルーシーに転生させているわ。でも、前世の記憶を思い出すのはあなたよりもずっと後になるはずよ」

「どうして?」

「前世の人生が長いほど、思い出すのは時間が掛かるの。おそらく早くてドラゴン襲撃事件の後くらいになるわ。だからルーシーの村を守れるのはあなた一人だけよ」


 スタールビーという名をスノウドロップは知らなかった。フェイトブレーカーによれば、スノウドロップが前世で死亡した後に現れたヒーローだという。

 スノウドロップは森の入り口にたどり着いた。

 すると爆発音が響くのを耳にした。戦いの音だ。

 もしやと思い、スノウドロップは音の方へ走った。

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