第3話 スノウドロップ・イヤーワン②

 アーサー王の時代から数百年を経た現在、円卓王国の文明は世界でも指折りの水準を誇っている。

 エメリー・エヴァンズ夫人によってもたらされた魔力工学革命のおかげだ。

 エヴァンズ夫人が発明した魔力機関が生み出す文明の光のお陰で、人々は夜の闇を恐れる必要がなくなった。

 しかし、どれほどまばゆい光でも全ての闇は消し去れない。特に、人の心から生まれる悪と言う名の闇は。


「誰か、助けて!」


 クルーシブル家のお膝元であるダーリントンの街で絹を引き裂くような女の悲鳴が響いた。

 のぞき穴を開けた麻袋を被った男が、若い女性を担いで連れ去ろうとしている。人身売買目的の誘拐が今、行われようとしていた。

 女性の助けを求める声はどこにも届かない。みな寝静まっているか、あるいは声を聞いても巻き込まれるのを恐れているのだ。


「声を出すな。殺すぞ」


 男の手に氷で作られた短剣が現れる。この人さらいの魔力は氷属性と見て間違いない。

 あえて実用性を無視して凶悪なフォルムで作られた短剣は威圧効果を発揮し、女性をだまらせた。

 男は女性を路地裏に隠すように止めていた馬車の荷台に載せようとしていた。

 神はいないのか。女性の信仰心が揺らぎかけたその時、一本の槍が天罰のごとく空から降り注ぎ、人さらいの目の前に突き刺さった。

 小さな影が上から落ちてきた。

 白いコートに身を包み、顔を仮面で隠している。その姿は月光を受けて闇夜にくっきりと浮かび上がっていた。

 それはスノウドロップだ。子供用にサイズを合わせているが、前世で使っていたコスチュームを身につけている。

 

「うおあ! なんだ、この変な格好をしたガキは」


 多少の場数を踏んでいたのだろう。男は驚きながらも氷のナイフで切りつける。

 スノウドロップはそれを腕で受け止めた。コートの下にはプロテクターを身につけている。

 コートもプロテクターもスーパーパワーで作った物だ。氷のナイフ程度ではびくともしない。

 

 男は氷の魔法・矢の型を放つ。

 スノウドロップはコスチュームの防御力まかせで攻撃を受け止めながら進み、男の顎に掌底を叩きつけた。

 脳を揺さぶられた男はくぐもったうめき声を上げながら膝から崩れ落ちる。


「もう大丈夫です」


 男の腕からこぼれ落ちた女性を受け止め、安心させるように言ってあげた。


「後は私に任せて、近くの交番に避難してください」


 恐怖が抜けきらない女性は一目散に逃げていった。

 スノウドロップはロープを生成して男を縛り上げ、その場に残して立ち去った。後は警察の領分だろう。

 彼女は夜になるとこのように自警団活動を行っていた。

 そろそろ帰ろうとしたその時、いつの間にか男がいた。


「ご立派な活動だな、スノウドロップ」


 初めて見る男だが、スノウドロップは彼をしていた。

 

「あなたがフェイトキーパーね。フェイトブレーカーから聞いているわ。彼女の反存在で運命を守ろうとしていると」

「その通り、俺は運命を守るために世界そのものに作られた。世界は自分に宿る運命の是非を問いたがってる。俺が勝てば運命は守られるべきだったとなる、逆にフェイトブレーカーが勝てば、運命は変えられるべきだったとなる」

 

 フェイトブレーカーは運命を変える上での最大の障害であると言っていた。倒せる時に倒さねばならない。 

 スノウドロップは剣を生成して構える。


「待て、取り引きをしよう」


 フェイトブレーカーから闘争心や殺気は感じ取れない。だがスノウドロップは油断せず警戒を続けた。


「運命に従ってロベリア・クルーシブルとしての役割を全うしてくれたら、お前の望みを叶えてやる」

「私の望み?」

「そうとも。お前は愛されたいんだろう? 〈月光姫〉、〈ストロベリー・ラプソディ〉、〈刹那と永遠〉。お前が前世で愛読していた恋愛小説のいくつかは、〈光の継承者〉と同様に並行世界として現実化している。ロベリアとして死んだ後、いずれかの世界の主人公に転生させてやる」

「断る。悪の道に進むまないわ。大勢の人々が命を落とす無益な内戦を必ず止める」


 スノウドロップは即答した。

 

「無益? お前は〈光の継承者〉を結末を知っててそんな事を言うのか」

「悪いけれど結末は知らないわ。それを読む前に死んだから」

「だったら教えてやる。内戦を終わらせ、ロベリアを倒した主人公のルーシー・アークライトはエクスカリバーの継承者としてこの国の女王になる。そして彼女の手によって内戦の死者を超える数の人々が幸せになる。損失以上の利益がでるなら別に良いじゃないか」


 この時点でフェイトキーパーとの和解はありえないと確信した。正義は人それぞれと言えど、人の命を算数のように数える輩を認めるつもりはない。

 スノウドロップは無言で斬りかかった。学生の討論会ではないのだ。決して分かり合えない敵に余計な言葉をぶつける暇はない。

 彼女は前世から引き継いだもう一つのスーパーパワー、活性心肺法を使って剣を振るう。

 攻撃をフェイトキーパーは後ろに跳んで避けた。

 まだ11歳の体では活性心肺法を使っても、鍛えた大人と互角程度でしかない。

 

「交渉決裂か。まあいいさ。ダメ元で持ちかけた取り引きだ」


 フェイトキーパーがショートソードを取り出す。鍔元には小さな宝玉が埋め込まれていた。


「アーティファクト?」

「〈光の継承者〉を読んでるなら知ってて当然だな。その通り。これはかつて地球全土を支配していた古代文明が作ったアーティファクトさ」


 アーティファクトは〈光の継承者〉に登場するファンタジー的なアイテムだ。

 スノウドロップが知る限り、彼が持つアーティファクトは小説に登場していない。

 しかしここは紛れもない現実世界だ。小説に描かれない部分も現実化している。

 

 フェイトキーパーはショートソードを振るった。明らかに刃の届かない間合いだ。

 嫌な気配を感じたスノウドロップは反射的に防御の姿勢を取る。

 衝撃が剣に走る。間違いない。攻撃を受けたのだ。


「このディスタンスソードは見ない斬撃を飛ばすんだが、さすがだな。前世がヒーローなだけはある」

 

 アーティファクトには固有の魔法が宿っている。シンプルな物から複雑な物まで千差万別で、アーティファクト所有者との戦いは、その固有魔法を見極められるかにかかっている。


「今は見逃してやる。運が良ければ運命の強制力が働いて、お前がロベリアとしての役割を果たしてくれるかもしれないからな」

「待ちなさい!」


 フェイトキーパーの姿が一瞬で消えた。別のアーティファクトを使ったのかもしれない。彼はどれだけのアーティファクトを保有しているのだろうか。


「スノウドロップ! 俺は絶対に運命を成就させる! ロベリアの代わりに内戦を起こす!」


 フェイトキーパーの声だけが響く。全方位から聞こえてくるので、どこにいるのか全く分からない。

 空が白んできた。もうじき夜明けだ。


 クルーシブル家の離れに戻った頃には激しい睡魔に襲われた。心は大人だが体はまだ子供だ。一晩であっという間に体力を使い切ってしまった。シャワーも浴びたいところだが、もはや限界だ。

 着替えだけは済ませたスノウドロップはベッドに身を投げる。そして目を閉じた瞬間に泥のような深い眠りについた。


「ロベリア、起きて」


 目を開けるとマリアが心配そうにのぞき込んでいた。

 前世なら、誰かが来ればかすかな音でも目覚めたのだが、今は体を揺すられるまで全く気づかなかった。


「おはようございます。お姉様」

 

 もっと疲れにくい体作りをしなくてはと思いながらスノウドロップは身を起こす。


「もうお昼よ。大丈夫? どこ体の具合でも悪いの?」

「いえ、単に夜更かしをしただけです」

「夜遅くまで勉強するのは体に悪いわ」


 マリアはそのように解釈した。実際、ロベリアとして生きていた頃はそうだった。

 10歳の時、魔力が覚醒するも無属性だと判明した事で、クルーシブル家の汚点となったロベリアは、世間の目から隠れて生活するよう父から命じられた。

 それでも、いつか父が考えを変えてくれるかもしれないと希望を持っていたロベリアは、魔法が使えない以外は完璧な淑女になろうと、離れにあった大量の蔵書を読みあさって勉強に打ち込んでいたのだ。


「昼食を持ってきたわ。一緒に食べましょう」


 マリアが持ってきた籠にはサンドウィッチが入っていた。ポットには上品で豊かな香りの紅茶が入っていた。


「いただきます」


 無属性魔力だと判明して以来、使用人たちはロベリアに料理を作ってくれない。

 流石に餓死しないように食料自体は届けてくれるが、料理は自分で行わなければならなかった。

 それを哀れに思ったマリアは、妹のために貴族令嬢でありながら料理を覚え、作ってくれるようになった。

 誰かが自分のために作ってくれた料理。それは実際の栄養以上の活力をスノウドロップにもたらした。


(私は前世の時よりも恵まれているわ)

 

 蔑まれているという点では前世から変わらない。

 だが今はマリアがいる。世界でたった一人、愛してくれる人がいる。

 フェイトキーパーは望みを叶えると言った。彼の甘言に耳を貸さなかったのは、正義に味方するという確固たる意志を持っていたのもあるが、それ以上にもう望みは叶っているからだ。


 たった一人で良い。ほんの一瞬だけで良い。誰かに愛されたい。その願いはすでに叶っている

 スノウドロップは十分に満たされていた。

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