第24話 復讐
アイリスとフロンさんはクインを担いで、この岩から少し離れた所にある古屋へ走って行った。
そしてここに残ったのは、俺とヤミィ、そして弱い方のカゲトラ。
……コイツはなんか紛らわしいから、『雑魚トラ』とでも言っておこうか。
とりあえず、この岩に身を隠しているのは3人だった。
「──なぁ、ヤミィ。どうして魔法、使わなかったんだ?」
俺はヤミィに尋ねた。
でも彼女は依然、異形と化したカゲトラの様子を伺っていて、ソイツから視線を外すことはなかった。
だから、俺の質問はおそらく、彼女には聞こえてはいない。
「……なぁ、ヤミィ。どうして──」
再び質問しようとした俺を遮ったのは、隣の雑魚トラだった。
彼は遠慮しながらではあったものの、ハッキリと言葉を吐く。
「……殺されたんです。……ご両親を」
「……えっ」
「ですからヤミィさんは、オリジナルを物凄く恨んでいます。恨んでいるからこそ、彼女自身の手で殺そうとしたのでしょう」
「……そう、か」
「……そう。……私、アイツを殺すために生きてる」
突如、物騒な発言と共に会話に入るヤミィ。
その口調は冷徹さを帯びているのだが、それと同時に、人間らしさを感じた。
それは、普段のヤミィからは感じられないものであった。
「……アイツを殺さないと、私は死ねない」
「復讐、したいのか」
「うん」
そう言ってうなづくと、ヤミィは立ち上がった。
凛々しくて悠然としていて、そんな姿が、小さな彼女を大きく見せる。
──違うよ、そんなの。
奪われたモノは帰ってこない。
なら、自分が奪う側になってしまえばいい。
「──モルト、行くよ」
ヤミィはそう言っているが、やはり、俺の方を見ているわけではない。
未だに真っ直ぐ、異形と化したカゲトラを睨みつけている。
そして、彼女が握っている剣は、よくよく見ると真っ黒くて、まるで影のようであった。
「……モルトさん。……僕からも、お願いします」
気がつけば、隣の雑魚トラも立ち上がっていた。
彼は俺に手を差し伸べるようにして、一本の剣を差し出している。
真っ黒くて、影みたいな剣を。
「……僕も、アイツに仲間を殺されましたから」
覚悟の決まったその声。
俺に剣を差し出す反対の手にはしっかりと、真っ黒な剣が握られている。
「──モルト、行くよ」
「──行きましょう、モルトさん」
そう言って、影の剣を携えた2人はやっぱり、俺を見てはいなかった。
そして次には、俺を無視して走り出す。
無我夢中と言うには理性的すぎて、だけど、冷静沈着だなんてとても言えないようなその背中で。
殺すということ。
殺せば、恨まれ、殺される。
殺されれば、悲しみが芽吹き、悲しみは恨みへと開花する。
その、咲き乱れた恨みの花、散るその時にはまた、悲しみを飛ばす。
そんな輪廻のその淵に、2人は、立っている。
ヤミィはカゲトラの手前。
高く前に飛び上がり、その推進力を利用して一閃。
ぐちゅぅぅと、嫌な音に混ざって、言葉にできないような悲鳴が響き渡る。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛!
「……うるさい」
この悲鳴はきっと、カゲトラに喰われたモノの悲鳴だ。
既に死んでいるモノの声だとは到底思えない。
あれは肉声。
そして号哭。
痛みを、苦しみを吐き出している。
「──もう一回。それ、聞かせてくださいよ」
雑魚トラは、ヤミィが切り裂いた部分に突っ込んだ。
そして、傷口を抉る一撃。カゲトラの体の半分が、宙に浮く。
つまり、上下に真っ二つ。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛!
もう、この声は聞きたくない。
幾ら耳を塞いでも聞こえてくるその音。
昔、いじめられていた頃を思い出すんだ。
それを聞くと、鮮明に蘇ってくる。
暴力の痛み、弱い自分の惨めさ、助けのない孤独。
周りが全部敵に見えた、地獄のような日々。
あの日、身を投げ捨てたから救われたなんて……到底思えない。
……俺は、まだ立ち直れてない。
「──でも、復讐なんてしたくないよ」
身を捨てたあの日、俺は結局、いじめの内容を書いたノートを燃やしたんだ。
自分の人生を、自分の手で汚すなんて、したくなかった。
そうやってノートを燃やして、ふと気づいた。
復讐なんてしようとするから、心が苦しくなるんだって。
「……復讐は返り血を伴う。……人生が、めちゃくちゃになる」
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛!
3回目の悲鳴が聞こえた時、俺の体は勝手に、カゲトラへと向かっていった。
もちろん、手には何も握っていない。
2人を止めるのに、剣なんて必要ない。
「……これで最後」
「……はい。……そう、ですね。終わりです」
息を荒げ、肩で呼吸するヤミィと雑魚トラ。
彼らの傍らには、カゲトラが横たわっている。
カゲトラはすでに最初の形に戻っていて、でも所々にさっきの名残もあって。
そして、そんな彼を見下ろす2人は、剣を振りかぶって──振り下ろす。
……振り下ろす。
……いや、途中で止まる。
「……もる……と?」
「……モルトさん?」
ヤミィと雑魚トラ、2人とも困惑していた。
俺の両手が、それぞれの剣を受け止めているから。
2人の剣は重くて、恨みの深さを物語っていた。
「……何してるの? ……やめて。……邪魔しないで」
「やめない。邪魔する。ぜっったいに邪魔する」
ヤミィの発言に対する俺の返答に、雑魚トラが被せる。
その口調は冷徹で、俺の知っている雑魚トラのものではなかった。
「……どいてください」
その言葉には、恐怖も抱いた。
だけど、俺は一歩も引かなかった。
いや、引けなかった。
「──復讐、もうやめよう?」
俺の背後では、カゲトラが浅い呼吸を繰り返している。まさに虫の息だった。
彼ほどの実力者を殺すには、これ以上のチャンスは、もう二度と巡りまわってこないだろう。
でも、俺は引かない。
「コイツを殺しても、2人は苦しくなるだけだよ」
「……ならない。……むしろ、スッキリする」
「……僕も同感です」
ギリギリギリギリと、剣の重みは増す一方だ。
掌は氷魔法で防御しておいてあるのだが、壊れるのも時間の問題だ。
「そんな筈ないっ! 復讐で救われる人間はいないっ!」
「……」
ヤミィの表情が曇る。
さっきまでの覚悟でいっぱいだった、その表情が。
俺の掌の氷のように、ヒビが入っていた。
「……でもっ、私はっ、コイツを殺す為に生きてて。……私がっ、お父さんとお母さんの、無念を──」
「僕もっ! 僕もそうだっ!」
雑魚トラ……カゲトラの覚悟も揺らいでいた。
ヤミィに被せて話す彼の姿には、焦りのようなものが見えた。
「僕の仲間の無念を晴らしてあげたいんだっ!」
カゲトラの目尻には、涙が光っていた。
あれは悔し涙。仲間を殺されて、それをどうすることも出来なかったヤツの。
俺にはその気持ち、痛いほどわかっていた。
でも、だからこそ、だからこそこう言いたい。
心の底から。
「──復讐に拘るよりも、両親の、お墓参りに行こうよ」
「……!」
ヤミィの表情は歪む。
覚悟という名の氷は溶けた。
彼女の綺麗な瞳から涙が溢れて、地面にポタポタと落ちる。
「──復讐相手の事を思うより、仲間の冥福を祈ろうよ」
「……」
カゲトラは、表情を変えない。
それでも、覚悟という呪縛は解けてゆく。
そう、身を投げ出した俺が、俺の家族に思うこと。
それは、復讐に囚われてほしくないってこと。
俺をいじめた奴の事を恨み続けて、俺のことを思わないなんて悲しいじゃんか。
これは俺のエゴかもしれないけど、本心なんだから仕方ない。
確かに今でも、いじめっ子の事は恨んでいる。
でも、殺そうとは思わない。
むしろ一生、関わり合いたくない。
──無関係でありたい。
「……もるとぉ。……もるとぉ」
子供みたいに泣きじゃくるヤミィは、俺に縋り付く。
鼻水も出てる。けど、俺は彼女を拒まない。
「……モルトさん。……僕、目が覚めましたよ」
カゲトラは、清々しい表情をしていた。
今、少し顔を覗かせた、あの朝日のように。
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