第21話 テセウスの影
「……」
宵の口は、空を飲み込んだ。
夜行性の生物共々は嬉々として瞳孔を開き、昼間耐え忍んでいた分を消化させる。
故、百鬼夜行とも形容できる催しが、平野では頻発するのである。
しかしながら今宵の百鬼夜行は、意思を持っていた。
全ての生物はとある一点に向かい、そして切り捨てられてゆく。
──その中心。
カゲトラは呟く。
「──多いなぁ」
夜が訪れたからと理由をつけ、魔王を近くの廃屋にて休ませた彼。
外がやけに騒がしいなと思いつつ、様子を伺ったのが不味かった。
平野で騒ぐ生物には、彼が餌にしか見えないらしい。
そして、襲いかかる奴らを切り捨て続けるという、現状に至る。
「ほいっ」
飛び出してきたバクバク・バクを切り捨てた。
倒れるその巨体はそのまま、影の世界に引きずり入れる。
「せいっ」
その次にはクロック・トカゲとフライング・ドリューが噛み付いてくるから、弧線を描いた影の餌食とする。
奴らが落ちゆく地面はすでに、影が口を開けている。
「とりゃ」
地面を這って足に絡みついてきたミ・ミ・ズ。
そのまま、奴の体にピッタリ合うように影を纏わせて、捕食する。
このように、楽々。
アイリス達の殲滅に向かったカゲトラとは、強さの次元が違った。
その理由はもはや、言うまでもない。
このカゲトラが『オリジナル』であるから……という、至極単純な結論。
他にも影を利用する個体は10体程いたが、そのうちの8体は冒険者との戦闘により消し去られた。
もう一体は雑魚。
不死であるという取り柄以外何もない。
じゃあどうして、そんな雑魚がアイリス達の殲滅に向ったのかというと、足止めのためという捨て駒利用。
まぁ、本人は嬉々として向かっていたから、それで良い。
「──ふぅ」
と、そんなこんなでカゲトラは、全てを影に落とした。
ポケットからハンカチを取り出し、軽く額の汗を拭う。
その後、魔王の就寝している廃屋を一瞥し、ぐるりと体の向きを変えた。
彼の正面をずぅっっっっと辿っていくと、魔王城がある。
つまり彼の思考としては、魔王城に戻り、何かしらを行いたいというもので……。
だけど、それには魔王が邪魔で……だからわざわざ、ここまで来て……。
「やっぱり、今の魔王様は必要ないよな……」
一息吐くように呟いた、彼の背中。
憎悪や憎しみといった感情ではなく、慈しみと憐れみ。
諸行無常という世の理を、しみじみと噛み締めていた。
──そして1人の魔物が、影に飲まれた。
「──弱いんかいっ!」
アイリスは再び、カゲトラと交戦していた。
が、相変わらず決着は一瞬で、カゲトラの命は儚く散ってゆく。
だから彼女も我慢できず、そう叫んだ。
「夜に強くなるとか、そういうのは無いんですね……」
「うん。哀れ」
と、フロンには苦笑いを向けられ、ヤミィからは哀れなモノを見る視線を注がれるカゲトラ。
影が蠢き、中から魔物……。
アイリスは剣を正面に構え、影を睨みつける。
「もうやだっ! 殺さないでっ!」
……そう言ったのは、カゲトラ自身であった。
影の中から出てきた彼は、すでに泣きながら降参のポーズをとっている。
幾重にも繰り返される殺害は、魔王軍幹部といえども苦痛であったらしい。
アイリス含む3名は目を丸くして、目の前の哀れな魔物に近づいた。
もちろん、アイリスの剣は鞘に収められている。
「──ねぇ、どうする?」
「無視でいいんじゃないですか? 戦う気、ないみたいですし」
「まぁ、そうなるわよね──」
「──だけど、無視はやめていただきたい」
「うわっ!」
「……喋った」
アイリスとフロンの会話。
それに混ざったのはカゲトラただ1人。
ヤミィは魔王城のある方角をじっと見つめていた。
彼女の脳内ではすでに、最優先事項がモルトとクインの救出へと変わっていた。
逆に、アイリスの興味はカゲトラとの会話にあった。
それゆえに彼の発言を掘り下げるようなマネをする。
「なんで無視は嫌なの? もっと殺して欲しいの?」
アイリスがそう言って剣の柄に手をかけると、カゲトラは扇風機みたいに首を振った。
「違う違うっ! 連れて行って欲しくてっ!」
「……はぁ?」
「えっと……、どこにですか?」
フロンはかがみ込み、カゲトラと視線を合わせた。
「魔王……城……の、天守閣……」
カゲトラの瞳は左右に揺れた。
そして申し訳なさそうにそう言って、ギュッと拳を握った。
「僕はっ! オリジナルを倒したいっ! 魔王城でっ!」
「……全く分からないわ。……フロンは?」
「私も、さっぱりです」
アイリスとフロンが首を傾げる中、2人の間にヤミィが割って入った。
さっきまでの興味関心のなさから一変して、彼女は精神的に前のめりであった。
「──オリジナル? 魔王軍幹部・カゲトラの? 魔王城にいるの?」
「うんっ!」
「じゃあ、早く案内して。行こう。すぐ行こう」
「えっ?」
「えっ? ちょっと……ヤミィ!? 待って!」
ヤミィの背中には、焦りがあった。
カゲトラの手を強引に引いて、歩き出すし、アイリスとフロンに一瞥もくれないし。
もちろん、アイリスの静止の言葉にも反応しない。
「ちょっと! なんで急に──」
アイリスはそこそこの距離を走ってヤミィに追いつくと、彼女の肩に手を置いた。
そして彼女の前に回り込んだのだが、あまり、いい光景ではなかった。
「──どいて、アイリス。私は行かなくちゃいけない」
「……その前に、理由を教えて。……なんでそんな、顔をしてるの?」
「アイリスには関係ない」
「関係なくない」
「私と、家族の問題。……だから関係ない」
そう言って、ヤミィがアイリスを通り抜けようと──パシッ!
乾いた、音が、夜の平野に響いた。
「……え?」
「──バカ」
ヤミィの頬に、ジンジンと痛みが広がる。
やがて彼女は状況を飲み込み、アイリスを見上げた。
アイリスは……泣いていた。
「モルトもアンタもっ! どいつもコイツも、1人で抱え込まないで! もっと仲間を頼ってよ!」
「……別に、私は抱え込んで──」
「抱え込んでる!」
「そんなつもりは──」
「あってよ! そんなつもり! バカ! アホ! マヌケ!」
「……アイリスさん? ……それはもう悪口では?」
「ぅぅぅ……」
アイリスの口がヒートアップする直前に、フロンが横から静止を呼びかける。
その甲斐あってか、少々アイリスのヒステリックは治った。
が、火種はヤミィに引火した。
「──じゃあ、みんなで力を合わせれば、カゲトラを倒せるの? 魔王軍幹部を、ただの仲良しパーティで倒せるの?」
「ヤミィさん?」
「……カゲトラは、ランク18のパーティをたった一晩で全滅させた」
ヤミィの火種はどんどんと広がり、絶え間なく拡大する。
アイリスも飲み込む勢いだった。
「……私の両親は、その時殺された。……宿屋に、手だけ残ってた」
ヤミィはシトシトと続ける。
その語り口調は、小雨が降っているかのようだった。
「……私はもう、あんな思いをしたくない。……だけど、アイツは許せない。だから、1人で行って、アイツをぶん殴って……死にたい」
「親の敵討ちって、ことですか?」
フロンの発言に対して、ヤミィがこくりとうなづいたその時。
ヤミィの体が、ふわりと軽く宙に浮いた。
表情を怒りに沈めたアイリスに、胸ぐらを掴まれたからである。
「敵討ちのやり方、知らないの? ……アンタも、まだまだクソガキね」
「──カゲトラには勝てない。だから、この方法しかない」
「勝てるわよ。……だって私、実力だけならランク20くらいあるし。それにモルトと私と、アンタとフロンなら、無敵よ?」
「……」
「キングオブ・ヘヴィ、倒せたでしょ? バクバク・バクも」
「──アレはドラゴンがいたから……」
と、ヤミィが否定しようとしたその瞬間には、彼女に対してフロンの言葉が、飛んできていた。
フロンは右手に連絡用の魔道具を握りしめている。
それはけん玉のような形をしていて、球の部分がダイヤル、皿の部分がスピーカーとマイクの役割を果たしていた。
「じゃあ、呼びましょうか? ドラゴンのゴンさん」
「……」
「ね? 私たち、結構無敵でしょ?」
「──もう、勝手にして。でも、死なないで」
「言われなくても死なないわ。……アンタもね」
と、キラキラといい感じの雰囲気の中、カゲトラが申し訳なさそうに、小さく手を上げて発言をする。
「あのー、僕もいいですか? その敵討ち、参加させていただいて」
「は? アンタも?」
「あっ、はい。そうです」
「なんで?」
「……その、オリジナルの方から結構、嫌なことされてまして。……フツーにムカついてます」
「──ヤミィに比べたら軽い理由だけど、大丈夫? ……裏切ったら殺すわよ?」
「あっ、はい。大丈夫です。ぜっっったい裏切りません」
アイリスの瞳はカゲトラを、しばらく懐疑的な目で捉えていた。
が、やがて観念したのか、普通な視線に切り替わったので、信用するようだ。
「──じゃあ、魔王城までの案内、お願いね」
「あっはい! まかせてください!」
「最短ルートで頼むわよ」
「ハイっ!」
と、カゲトラは今日イチ嬉しそうな表情で、アイリスたちの先行を行うのであった。
決戦の時が近づくにつれて、望月は夜空を高く登る。
流れる雲も速度を増して、星という観客の視界を晴らす。
そうやって空気全体が、何かを待ち侘びていた。
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