第19話 忘れる勿れ、それは影
魔王は確かに『モルト』と発音して、俺の瞳をまっすぐ捉えて、軽く微笑みながらそう言った。
対する俺の思考はぐるぐると駆け回り、しかしながら一向に、満足いくような結論には至らない。
いや、俺はその結論に辿り着きたくなくて、思考を遠回りさせている。
師匠は魔王なんかじゃなくて、これは他人の空似だとか。
俺の名前を知っているのは、前に戦ったミヤモトが教えたからにすぎないとか。
そもそも師匠は死んだって……でも、生きてるのだとしたら、嬉しい。
「──モルト。お前はどうしたい?」
そして魔王はもう一度、確かにそう言った。
俺と彼の視線がぶつかり、和室の空気を引き締める。
クインは未だにトリップから抜け出せておらず、より鮮明に、2人きりであるとい
状況が浮き上がってきた。
無論、俺と、魔王の。
そして魔王は、再び口を開いた。
「……お前を、この世界に連れてきた時から、ワシはお前のために生きると決めておった」
「……にゃぁ?」
俺がそうやって問うと、魔王はこくりとうなづいた。
どうやら、猫語が通用するらしい。
「あぁ、そうだ。ワシは、お前の死体から魂だけを抜き取った。……そして、その魂を赤子に変えた」
「にゃあ。にゃにゃにゃ?」
「──いいや、理由なんてない。ただ目の前に、救える命があった……ただそれだけだ」
「にゃぁ! にゃぁっ!?」
疑心と、そして恐怖の混じった鳴き声。
和室の隅々にまで響き渡る。
「嘘はついておらん。今更、隠し事もせん」
「にゃ! にゃにゃにゃ!」
さらに増した恐怖。
魔王は明らかに、何かを隠しているんだ。
いや、目の前の彼は師匠と形容した方が……
「だから、目的も何もない。孤独な魔物の善意、それが全てじゃ」
「にゃっ! にゃっ──」
「──なぁモルト。お前は早く、無償の愛の存在を知ってくれ」
その言葉は諭すように。
そして、かつての厳しい師匠の面影はなかった。
……なんだよ、それ。
無償の愛、そんなモノは知らない。
愛でも優しさでもなんでも、一方的にあげたら無くなっちゃうだろ。
だから、だから前世の俺は何もかもを奪われた。
お金、友達、信用、勇気、夢、そして命。
優しさなんてモノを感じたのは、この世界に生まれ落ちてから。
前世、俺が他人から向けられる矢印は大抵、鋭く尖っていて、悪意に満ちていた。
それで貫かれると、痛みよりも先に惨めさが襲ってくる。
そして、いじめっ子よりももっと酷いのが偽善者。
いじめられている俺に寄り添って、そして『大丈夫?』なんて聞いてくるアイツ。
俺が欲しいのは心配じゃねぇよ、助けろよ。大丈夫なわけねぇだろ。
そうやって、安全圏から何を言われても嬉しくねぇよ。
……でも、きっと、アイツだって怖いんだ。
いじめっ子に反抗したらどうなるのか、よく知っているから。
俺という生贄を、傍からジメジメと眺めているアイツも、明日には被害者になってるかも知れない。
救いのない日々に、ガリガリと、精神が削られてゆく音を聞く。
殴られた時は、痛みよりも先に惨めさが襲ってくる。
だから……俺はもう……死んじゃった。
「──にゃぁ、にゃぁにゃぁにゃ」
俺は気がつけば、そんな話をしていた。
いつから話し始めて、どんな口調でそう言ったのかは分からない。
だが、コレが本心である事は変わりなく、取り繕うような表現もできなかった。
師匠の眉間には、深くしわが寄っていた。
それはどっしりと構える彼の姿を、強調する。
そして彼は、ゆっくり口を開いた。
「──必ず、光は差す。……覚えておるか? コレはワシがお前に、2番目に言った言葉じゃ」
俺がこくりとうなづくと、師匠はさらに続ける。
その時の表情は、かつての師匠の顔と同様に恐ろしかった。
「……なぁ、モルト。1番目の言葉も、覚えておるじゃろ?」
「……にゃあ」
もちろん。
忘れるわけがない。
だってこれが、俺の人生を──
「なら、どうして……お前は過去に囚われておる?」
あっ……
「覚えておるのなら囚われぬはず。……違うか?」
「にゃぁ」
おっしゃる通りです。
と俺が言うと、師匠は立ち上がった。
「……では、これも覚えておるよな?」
「……? ……にゃ!?」
ペナルティ。
それは、俺が師匠の教えを実行出来なかったり、指導の途中でリタイアした時に課せられる。
内容としては単純で、魔法を10発或いは平手打ち。
無論、単純だがどちらも地獄である。
「にゃぁ!? にゃっ!」
「ほぉれ、逃げるな逃げるな。そんな根性なしに育てた覚えはないぞ?」
「にゃ! にゃにゃ!」
「いいや、猫だろうと関係ないぞっ。お前がお前である限り、ペナルティは──」
と、俺がクインの抱擁を抜け出して和室内を、師匠から逃げ回っているその時。
俺が今、飛びつこうと思った正面の襖が勢いよく、ピシャッと開く──。
「魔王様、援軍要請の件ですが、至急──ってうわぁっ!?」
襖が開いた時点で、俺は空中にいた。
当然、止まる事なんてできず、そのまま襖を開けた人物へダイビング。
かと思ったが、抱き抱えられる。
「──にゃ?」
「……大丈夫ですか? ……全く、遊ぶにしても場所を選んでください」
……イケメン、メガネ、高身長。
そんな彼はパッと見ると人間であるが、魔物らしく角が生えていた。
めちゃくちゃ仕事が出来そうな雰囲気と、禍々しい角。
その二つの相反する要素が互いに互いを引き立てて、より魅力的に映る。
もしかすると彼が、『魔王が1番信頼している人』なのかも知れない。
と、俺は心の中で語った。
師匠も彼を認識したらしく、和やかな笑顔に切り替わった。
そして大らかに近づいてくる。
「おぉ、すまんすまん。可愛い猫ちゃんがおってなぁ」
「──にゃ?」
「ほれ、肉球もぷにぷに──」
「……こほん。魔王様、本題です」
と、彼は師匠の雰囲気をぶった斬った。
そして俺を抱えながら、徐に懐から報告書らしき物を取り出し、読み上げる。
「──魔王軍の敷地内に、3名の侵入者アリ……という報告の続報です。現状、彼女たちの進行に歯止めが効かず、このままでは魔王軍幹部の到着前に、魔王様の邸宅に到達されてしまいます」
「ほほう?」
魔王は一度うなづいた。
その様子を見て、彼はさらに続ける。
「つきましては援軍として、ワタクシ及び魔王様を派遣する事を提案致します」
「……他の幹部はたしか、新魔王軍の方だっけか?」
「──はい。ミヤモト、リリス、トンカッチの3名は、新魔王軍の鎮圧に向かっております。……援軍に迎えるような状況ではございません」
「じゃあ、行くしかない」
「はい。そう言いに来た次第です」
少し、胸がざわついた。
『3人』だとか『彼女たち』だとか、俺の周りに関係するワードが二つ。
そして何より、コッチに向かってきているという情報。
もしも仮に、アイリスたちが向かってきているとしたら……。
「──うわぁぁぁぁぁ! 死にたくなぁぁぁぁい!」
リザードマンは、野原を駆ける。
彼はアイリスとヤミィ、そしてフロンの3人の快進撃の被害者であった。
特に彼は、アイリスの剣技に心を打ち砕かれた。
だから、逃げる、一心不乱に。
武器もとっくに投げ捨てて、鎧も脱ぎ捨てて。
そしてそんな彼の背後にもリザードマン。
逃げている彼に対して、言葉を投げかけた。
「逃げるな! 魔王様に忠誠を誓ったんだろ!?」
「あれは昔の話だよぉぉぉぉ! 今なんてっ……今なんてっ! ただの老人じゃないかっ!」
そうやって逃げるリザードマン。
自分が何を言ってしまったかすら、理解できないようだった。
彼の目の前に、一つ、大きな影が広がった。
中かから魔物が出てくる。
──イケメン、メガネ、高身長。
そんな彼はパッと見ると人間であるが、魔物らしく角が生えていた。
めちゃくちゃ仕事が出来そうな雰囲気と、禍々しい角。
ニコッと笑って、リザードマンの行手を塞ぐ。
「──そーだね。……弱いよね」
「……かっ、かかっ! カゲトラ様っ!」
くるり、リザードマンは踵を返した。
目の前に現れた魔王軍幹部のただならぬ殺気を感じ取ったからである。
そして後方にいる仲間に手を伸ばして──
「たすけっ──」
消えた。
リザードマンは、影の中に引き攣り込まれた。
そしてカゲトラは、もう1人のリザードマンの方へゆらり、ゆらりと移動する。
影を使ってゆっくりと。
しかしながら、リザードマンは一歩も動けなかった。
彼の足元にはすでに、カゲトラの影が絡み付いていた。
「ねぇ? 今の弱い魔王様……必要かな?」
上から覆い被さるように、カゲトラは問うた。
リザードマンは半ば反射的に背筋を伸ばし、上擦った声で言い放つ。
それはまるで、命乞いのようだった。
「ひっ、必要ですっ!」
「──そーか。うん、合格」
カゲトラはニッコリと笑う。
ゆらりと、リザードマンから離れた。
ホッと息を吐いた彼は、戦闘に戻ろうと振り返っ──バキッ、ポキッ。
彼は、影に食い殺された。
「──僕は、必要ないと思うよ。……だから、新魔王軍があるんだろ?」
晴天下、カゲトラの正面に広がる平野。
アイリスとヤミィ、フロンが駆け回り、リザードマンを薙ぎ倒していた。
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